戦局が悪化する一方だった1942年~43年には、国民から疑問の声があがるようになっていく。
辻田さんは思想犯を取り締まった、特高警察の資料を調べた。「ほんまのことは新聞には書かれへん」「本当は負け戦ばかりだ」「勝った、というのに戦死者がいる。事実かどうかわからない」という、国民の声が記録されていた。
「大本営発表=正確な情報」という当初の信頼は、すでに崩れかかっていたことがわかる。こうした声が拾われなくなったのは、軍部と癒着したメディア側に大きな問題があった。
そんな時、軍部は何をしていたのか。
戦争末期になっても軍部では、大本営発表を巡ってこんな争いが起きていた。表記は「陸海軍」なのか「海陸軍」か。つまり、発表時に陸軍の名前を先に出すのか、海軍を先にだすのかでもめていたのだ。
戦局が悪化の一途を辿っているときに、軍内部の派閥争いに時間を費やす。これが日本軍だった。
「軍人といっても、幹部クラスともなれば高級官僚です。官僚独特の言葉をめぐる争いがあるのです。こんなくだらないことで、5時間も争っていたといいます」
そして、また新しい言葉も生み出される。
「これも有名ですが、広島そして長崎で使われた原爆は『新型爆弾』と発表されました。原子爆弾とはいわない。広島は大本営が『相当な被害』、長崎は西部軍管区司令部から『比較的僅少』という表現で発表しました。東京大空襲は、被害を発表せず、火災発生時刻と鎮火時刻を発表するだけ。目下調査中として、その後は発表しないという手法も使われました」
なぜ、勝っているはずになのに、本土空襲が続くのか。そんな国民の疑問に答えもせず、大本営発表は最後の最後まで政争に使われた。
辻田さんはこんなエピソードを紹介する。
敗戦間際、戦争継続派の報道担当者は大本営発表風の文案を作り、記者室で勝手にレクを始めた。文書を捏造し、マスメディアを使って、戦争を終わらせない工作をした。
記者たちはさすがに、ここではツッコミをいれたようだ。いつも見ているハンコと違うなど、細部に目をつけて、上層部に確認をしたところ、戦争継続のための、勝手な発表であることが判明する。
ウソにウソを重ね、瑣末な文言一つで言い争い、そして内部争いから自壊していく……。これが政治とメディアが一体になった「大本営発表」の末路だった。
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