突然だが、こちらを見てほしい。
今、「働きたくない」という言葉をグーグルに自らの思いを載せるかのごとく打ち込む人が絶賛上昇中である。
就職活動をして大学に入るまでは、「もっと楽しい毎日」が待っていると思っていた人がほとんどであろう。
ただ、「毎日毎日が同じことの繰り返し」のように感じられたり、「何のために自分が生きているのかわからない」感覚に襲われたりしている人は少なくないのではないか?
こういう時におそらく年長者たちは、
「そのうち楽しさがわかる!」
「黙って働け!」
「働かなきゃ生きていけないだろ?」
などなど働きたくない若者に対してアドバイスを送るだろう。
ただ、そのアドバイスをいくら聞いても晴れることはないと私は考えている。
なぜなら、「労働」というものの本質はあなたが今感じている感情全てを生み出すものであるからだ。
つまりあなたの「毎日が同じように感じられること」や「何のために自分が生きているのかわからない」と感じているというのが「労働」の成立条件だと言ってもいい。
そこで、今日は「労働」とは何なのかについて迫ることであなたの「働きたくない」という気持ちを解剖したいと思う。
- 労働の本質
- 人類が労働を選択した理由
- 労働者の末路
* 本記事は以下記事を加筆修正したものです
1.労働の本質
我々の多くは、おそらく「労働者」(プロレタリア)と呼ばれる人たちである。
ただ、この「労働」という言葉を我々はあまり意味も考えずに使っている。
「労働」の本質を知らずして、「働きたくない」の根本的原因は解明されない。
であるから私はハンナアレントの『人間の条件』の力を借りたいと思う。
ハンナレントは労働の特徴をいくつか挙げているのだが、私が特に重要だと思うのは、以下の三点である。
- 取り組んだと同時に消滅する。
- 過程への没入を強要される。
- 生きなければいけないという強い切迫感が最大の動機である。
1つ目が、「自らの取り組みが取り組んだと同時に消滅する」というものだ。つまり、「自らの取り組みを何ものこさない」ことが労働の本質と言える。
実際、背後に何も残さないということ、努力の結果が努力を費やしたのとほとんど同じくらい早く消費されるということ、これこそ、あらゆる労働の特徴である。
ハンナアレント『人間の条件』
2つ目が、「あらゆる人間を過程に組み込む」というものである。
労働者が、一気通貫に働くことは不可能である。
常に何らかのピースであり続けることが必須ということだ。
社会は、増大する繁殖力の豊かさによって幻惑され、終わりなき過程の円滑な作用にとらわれる。
ハンナアレント『人間の条件』
3つ目が、「生きなくてはいけないという強い切迫感がモチベーションにある」というものだ。
「明日会社を辞めれば生活に困る 」これこそが、労働がいかに嫌であろうと人々をそこから逃れられないようにしている根本理由だ。
空虚さにもかかわらず、強い緊迫感から生まれ、何物にもまして強力な衝動の力に動かされている。なぜなら生命そのものがそれにかかっているからである。
ハンナアレント『人間の条件』
つまりまとめるとこうだ。
労働の特徴とは何なのか?
①あらゆる人がプロセスに組み込まれ、②何ら達成感をもたらさない活動に従事させられるが、③「生命の維持」という強力な切迫感に迫られるがゆえに逃れることができないということである。
こう見ると当たり前のようにも見えるが、文字に起こして可視化してみるとこれほど恐ろしいことはないように思える。
2.人類が労働を選択した理由
しかし一つの疑問がここでわくであろう。
こういったネガティブな要素ばかりの労働をなぜ人類は選択したのか?という疑問だ。
それについては、「生産性」にあるのではないかとアレントは述べる。
近代は伝統をすっかり転倒させた。すなわち、・・・・伝統的ヒエラルキーさえ転倒させあらゆる価値の源泉として労働を賛美し、・・・引き上げたのである。・・・・近代において労働が上位に立った理由は、まさに労働の「生産性」にあった・・・。
ハンナアレント『人間の条件』
ここで、補足すると、何に対する生産性かというと「物の豊かさ」である。
アレント曰く、 「精神的な豊かさ」よりも「物の豊かさ」を追いかける方がリアリティがあるとの判断から、近代以降、人類は価値の源泉を完全に転倒させたようだ。
人間世界のリアリティと信頼性は、なによりもまず、私達が、物によって囲まれているという事実に依存している。なぜなら、この物というのは、それを生産する活動力よりも永続的であり、潜在的にはその物の作者の生命よりもはるかに永続的だからである。
ハンナアレント『人間の条件』
つまりこうだ。
資本主義社会で「物の豊かさ」を追求するにあたり、「あなたが働きたくない」と言った感情は優先されるべきものではないため無視されているということなのだ。
3.労働者の末路
ここまで、まさに「物を生み出すための奴隷」とも言える扱いを受ける労働者の本質とその誕生の系譜を述べてきた。
最後にこの労働者たちの行く末はどうなるかについて述べたい。
まず結論から言うと、機械に交換される形で最終的には捨てられるのだ。
ただ、一足飛びに機械に変わるわけではない。
まずは、機械で「誰にでもできる労働」に徐々に転換される。
そして、労働者に支払う賃金をどんどん減らしていくのだ。
最後に、「機械による完全な代替」がなされる。
こうして歯車としての役割を終えた多くの人が次々に貧乏人へと転落させられる。
共産主義の体現者とも言われるマルクス・エンゲルスが、『共産党宣言』の中で、資本主義の行き着く先が全員の平均化と述べていて実に興味深いので紹介したい。
機械装置がだんだんに労働の差異を消滅させ、賃金をほとんどどこにおいても一様の低い水準に引き下げるので、プロレタリア階級の内部における利害や生活状態はますます平均化される。
マルクス・エンゲルス『共産党宣言』
共産主義こそ全員の平均化だと思っている我々にとって、この示唆は実に考えさせられるものではなかろうか?
この話、現代においても大いに参考になる話だ。
現在「人工知能」や「クラウド」、「インターネット」と呼ばれるテクノロジー達が多くの労働を「誰にでもできる形」もしくは「機械に完全に代替する」現象をすでに起こしている。
こうして、我々の多くが今よりさらに「誰にでもできる」かつ「低賃金」な労働へと追いやられていくのだ。
「働きたくない」と思いながら散々馬車馬のように働かされた挙句、機械に取って代わられて、捨てられる。
その時、「部品」としての能力に特化してきた労働者のほとんどが絶望的な状況に置かれるであろう。
おもしろき事なき世を面白く