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夏のホラー2016 作者:神部 大
7/8

七。


小学校三年生の時、東京の外れにある僕の小学校に男の子が転校してきた。

彼は関西地方の出身で、初めこそクラスのみんな誰もが物珍しがって彼に話しかけていた。

彼が関西地方独特のイントネーションでしゃべるたび、誰もが感心したように「凄い、凄い。大阪弁だ」と言ってはやしたてた。時に他のクラスの子や、別の学年の子が彼の関西弁を聞きに僕のクラスに顔を出す事もあった。

しかし、彼は恥ずかしがり屋で自分から話す事は少なく、やがて独りぼっちで本を読んでいる事が多くなった。



背がとても小さく、クラスの誰よりも痩せていた彼は運動が得意とは言えず、さらにあまり勉強も得意ではなかった。

やがて彼は転校生という奇異の視線ではなく、出来損ないへの嘲笑に似た奇異の視線を向けられるようになった。

また彼が何日も同じシャツを着ていたり、肩にいつもフケが乗っていた事もあってか、しばらくすると他の子達は彼をあからさまに避けるようになっていった。

そんなある日、僕が家路を歩いていると、彼が商店街にある八百屋と床屋の隙間を見つめて立ちすくんでいるのを見かけた。

初めは声をかけるのをためらったが、僕は思い切って肩越しに彼に声をかけた。

僕が声をかけると彼は驚いてこちらを振り返り、声をかけたのがクラスメートの僕だと分かると、顔を真っ赤にして下を向いて黙ってしまった。

「お前ん家、こっちの方なの?」

僕の小学校は市営団地に住んでいる子が多く、団地と反対側の商店街に住んでいるのは少なかった。

だから僕は、初めて同じ方向に帰る子ができたことがとても嬉しかった。黙ってしまった彼に僕が構わず話を続けると、彼はやはり黙ったままコクンとうなずいた。

「じゃあ、これからは一緒に帰ろうよ」

僕がそう言うと、「ええの?」とぽつりと彼は答えた。

それから、僕と彼は放課後も毎日一緒にいるほど仲良くなった。彼の家は僕の家から二本道を挟んだ歓楽街にある長屋の一棟だった。

歓楽街は子供にとってあまりにいかがわしい雰囲気が強くて近寄りがたく、僕と彼はもっぱら僕の家や僕の家の近くの公園で良く遊んだ。

彼とは公園でキャッチボールやサッカーをする事もあったが、ちょうどその頃スーパーファミコンを僕が買ってもらった事もあって、僕と彼はよく僕の家でゲームをして遊んでいた。

彼と力を合わせてゲームをクリアするのが、僕はとても楽しかった。

彼とは夕方を越えても遊び、彼はそのまま僕の家で夕ご飯を食べた。彼は悪いからと断っていたが、僕の母親がどちらかというと無理矢理食事を勧めていたように記憶している。

夕飯を食べ終わると彼は僕と一緒に風呂に入り、九時前に彼は僕の父親に付き添われて自宅に帰っていった。一人っ子だった僕は、そんな彼との生活が、兄弟ができたみたいで単純に嬉しかった。

ウチの両親がなぜ彼にそんな事をしていたのか僕が理解したのは、彼が風邪で学校を休んだ日の放課後だった。

彼にプリントを届けるよう先生に言われた僕は、久しぶりに一人で歩く家路にすっかり退屈しながら、昔彼が話してくれた彼の家の位置を頭に描きながら目指した。

めったに足を踏み入れる事のない歓楽街は、ゴミが多く少し臭かった。

妙にけばけばしい看板と、半裸の女の人が写ったチラシが張られている電柱を眺めながら、僕は少し恐怖を覚え、早足で彼の家に向かった。

そうして見つけた彼の家は、手入れもしてない伸び放題の生け垣に目隠しされるように、歓楽街の端にあった。

醤油で煮染めたように黒ずんだ板壁の木造平屋造りの彼の家は、お世辞にも裕福そうに見えなかった。

僕はドキドキしながらチャイムを押したが、壊れているのか音が鳴った気配がなかった。仕方なく僕は引き戸の玄関のガラスをノックして声をかけてみた。

すると、奥から女の人のヒステリックな叫び声と、なにかがぶつかってガラスが割れるような音がした後、彼が青い顔をして玄関を開けた。

彼は僕にプリントを持ってきてくれた事の礼を言うと、パジャマのまま靴を履いて家の外に出てきた。玄関からわずかに見える家の奥に、派手な服を着た女性が立っているのが見えた。

「おい、外に出ても大丈夫なの?」

「母ちゃんが、ついでに酒買うてこいって言たから」

それだけ言うと、彼は僕の上着のすそを引っ張って歩き始めた。

後ろから彼の顔を覗くと、彼の顔は真っ赤に染まっていた。彼の顔の赤さは、熱のせいだけではなかったのは小学生の僕にもすぐに分かった。

彼と別れて家に帰った後、夕飯の席で僕は母親に彼の家の事をたずた。

言いにくそうに口ごもる母親に、その日の出来事を伝えると、ようやくぽつぽつと母親は話し始めた。

母親いわく、彼の家は父親が働いておらず、母親も水商売をしているとの事だった。

きっと、先ほど見た派手な服装の女性が、彼の母親なのだろう。言われてみれば、確かに彼に面立ちがよく似ていた。

そして僕の母親がきにしていたのは、彼の体の小ささだった。当時そんな言葉は一般的ではなかったが、母親が心配していたのは、育児放棄についてだった。

そして恐らく母親のその推測は、当たっていたのだろう。彼の身長は二つ離れた僕の従弟より小さかった。たぶん、彼の小ささは育児放棄による成長不良のせいだったのだろう。

「可哀想でほっとけないのよ」

母親はそう言うと、涙ぐんでそれ以上なにも話さなかった。

それからも僕と彼とは兄弟のように過ごしていた。家で食事を取り始めたせいか、彼の体も月日がたつにつれて徐々に大きくなり、活発な面も見えるようになってきた。

そうなると僕と彼はプロレスごっこをして遊ぶようにもなり、さらに仲良くなっていった。

彼とはいろんな話しをした。とはいえ、とにかく彼はいつまでたっても無口で、ほとんど僕ばかりがしゃべっていたのだけど。

そんなある日、彼が不思議な事を口にした事がある。それは学校帰りに僕の家に二人で向かっている最中の事だった。

突然彼は商店街の店と店との隙間を見つめて立ち止まり、なにやらぶつぶつとつぶやき始めたのだ。

「あかんねん。いやや。行きたないねん」

彼はそんなことを隙間を見つめながらつぶやいていた。

不思議に思って僕も隙間を見てみたが、子供の僕でも通れそうにないほど狭い隙間には、ただ影で薄暗い空間が細く伸びているだけだった。

「なあ、どうしたの?」

僕が彼の肩をつかむと、彼はびくりと体を震わせた。振り向いた彼の顔は真っ青で、僕がとまどいながら彼を見つめていると、彼はほとんど小走りに近い早足でその場を離れた。

商店街を抜け、僕の家の近くの公園にたどり着いた辺りで彼は足を止めた。

「ちょっと、待ってよ。なにかあったの?」

追いついた僕が彼に声をかけると、彼は

「誰にも言わんって約束してくれる?」

と言ってから、話し始めた。

「実はな、僕、時々変なもんが見えんねん」

「変なものって、なに?」

「あんな、僕な、家とかお店とか建物の隙間に、人が挟まってるのが見えんねん」

「え?」

「僕はな、隙間人間ってよんでる。でな、あいつら、僕を時々隙間に誘ってくるんや」

「それって、お化け?」

「分からん。でもな、隙間人間って、みんな優しそうな顔してるんや。だから多分お化けやないよ」

「意味がわかんないよ」

「僕かて、分からんよ。でもな、凄く優しそうな顔して、つらかったら、いつでもこいや。みんな待ってんねんで、って言われるんよ」

「みんな?」

「いろんな人がおんねん。いつも違う人が隙間にいるけど、たまに同じ人が挟まりながら誘ってくる事もあんねん」

「ついてったらどうなるの?」

「はっきりとは分からん。でも、多分もう戻ってこれないんやろうな。何となくやけど、それは感じんねん」

「いつから見えてるの?昔から?」

「お兄ちゃんがいた頃は見えへんかったんやけど、お兄ちゃんがいなくなってから、見えるようになったんや」

「え、お前、お兄ちゃんいたの?」

「分からん。急にいなくなったんや。母ちゃんに聞いても、お兄ちゃんなんて昔からいないって言うし、僕がおかしいだけなのかもしれん」

「その、隙間人間とお兄ちゃんがいなくなった事って、なんか関係あんのかな?」

「分からんよ。でも、お兄ちゃんがいなくなったら急にこっちに引っ越すことになって、それからやねん、僕が隙間人間を見るようになったの」

「なんだかわかんないけど、見えても無視しろよ。寂しいじゃん。いなくなっちゃったりしたらさ」

「うん、そうするわ。ごめんな、変な話して。でも、お前にしか、こんな話しできんやろ」

それ以上彼は何も言わず、僕らは黙って夕飯の時間まで公園のベンチで並んで夕焼けを見ていた。



――――


僕らはそれからも変わらず仲良く日々を過ごした。彼もあの日以降、隙間人間の話をすることもなく、僕は隙間人間の事なんてその内すっかり忘れてしまった。

それから一年、二年と過ぎ、僕と彼は五年生になっていた。

相変わらず僕と彼は学校が終わると一緒に帰り、そのまま僕の家によってカバンを置いてから遊び、夕飯を食べ風呂に入るまで毎日一緒に過ごした。

ほとんどなにも変わらなかったが、唯一、彼が親に虐待に近い体罰を受け始めた事が大きな変化だった。

始めに気付いたのは僕で、風呂に入っている時に、彼の背中に小さく丸い火傷の跡を見つけてしまった。

「父ちゃんが、生意気だって、タバコを押しつけてきたんや」

彼はそう言うと湯船に顔をつけ、それ以上何も言わなかった。僕は母親にその事を打ち明け、何とかして欲しいと頼んだが、

「ここにこれなくなるかもしれんから、お願いだから何も言わんといて!」

と彼が必死に僕の母親に頼むものだから、ケガをしたらすぐに言う事を条件に、それ以上深入りしない事を僕の家族は約束した。

それから、風呂に入るたびに彼の体に傷やアザがないかどうかを確認するのが、僕の日課になった。

彼の体からは、毎日新しいアザが発見された。そのたびに僕の家族は彼の傷に薬を塗ってあげた。

「僕、中学生になったら、絶対あの家から逃げ出すわ。もう、本当にいやや」

彼は手当をされながら、涙をにじませてよくそうつぶやいていた。

「じゃあさ、もう完全にうちの子になっちゃえよ。本当の兄弟になろうよ、僕たち」

僕がそう言うと、彼は本当に嬉しそうな顔をしていた。

そのまま時が過ぎ、僕と彼が六年生の夏休みを間近にひかえたある日、彼が突然学校を休んだ。

最近は体も大きくなり、昔に比べてだいぶ丈夫になった彼が珍しい事もあるもんだと、僕は学校から預かったプリントを手に、久しぶりに一人で帰る家路を急いでいた。

昔ほど怖く感じなくなった繁華街を通り、昔よりもさらに生い茂った生け垣を越えて、僕は彼の家の玄関についた。

念のためチャイムのボタンを押してみたが、三年前と同じく、やはりチャイムは壊れたままだった。僕は玄関のガラス戸を叩いて家人を呼んだが、家の中からは何の音もしなかった。

しばらく僕は待ってみたり、再びガラス戸を叩いてみたりしたが、結局いつまでたっても誰も出てくる事はなく、僕は引き戸の隙間にプリントを押し込んでから自分の家に戻った。

翌日も、その翌日も、彼は学校を休んだ。そうしてそのまま、学校は夏休みに入った。

僕の母と父は彼をひどく心配し、彼の家に何度も足を運んだが、結局、彼はおろか、彼の家族に会う事さえ出来なかった。

夏休みのなかばには、近所では彼の家は夜逃げをしたのだと言う噂が流れ始めた。そうして、僕はその後彼に会う事はなかった。

夏休みが明けると、クラスの誰もが彼の事を忘れていた。先生でさえ、彼の机が空席な事には触れず、九月に入った頃に、いつの間にか彼の机はかたづけられてしまった。

クラスのみんなが薄情だとか言うわけではなく、元々あまり他の子達と彼が仲良くなかったせいもあり、しかも夏休みという大きなイベントを挟んでしまった事で、皆すっかり忘れてしまったのだろう。

やがて彼の住んでいた長屋も取り壊され、こぎれいなマンションに建て変わった。こうして、彼がこの町にいた痕跡さえも、消えてしまった。

それでも、僕は彼の事を忘れた事などなかった。

僕の部屋には、彼へのクリスマスプレゼントとして家の両親が飼ってあげたゲームのソフトがいくつもあるし、僕のアルバムは、必ず僕の横に彼が写っていたからだ。

やがて僕は彼がいなくなった事の決着として、彼は隙間人間の世界に行ったと思うようになった。

そして、思い込むようになってからというもの、徐々に僕にも隙間人間が見えるようになってきた。ただ、僕には彼のようにいろいろな隙間人間が見えるわけではなかった。

僕にはいつも、彼だけが見えていた。穏やかな顔をして隙間に挟まっている彼は、とても幸せそうに見えた。彼は僕にいつも優しく話しかけてきた。

「大丈夫か?つらかったらいつでもこっちにこいや」

僕が悩んでいたり、苦しんでいたりすると、決まって彼はそう隙間から声をかけてきた。

やがて年を重ねるにつれて彼を見る頻度は多くなり、彼は建物の隙間だけではなく、本棚の隙間や、机の引き出しの中、列車とホームの隙間などからも顔を見せるようになっていった。

ラッシュアワーにもまれて通勤する時など、よく彼は僕に声をかけてきた。

僕は彼と会う事や、話す事を楽しみにして日々を生きてきた。三年生の時に友達になった時と同じように、僕と彼はいつも隙間を介して一緒にいた。

僕の行動や言動を気味悪がる人も多かったが、そんな事よりも、彼といつも一緒にいられる事が、僕にとっては何よりも大切な事だった。

でもそんな幸せな日々は、ある日突然終わりを迎えることになった。

一昨日の夜、帰宅した僕はスーパーで買ってきた総菜をつまみにして、発泡酒で晩酌をしていた。彼も机の上に置いた総菜の蓋の隙間にいて、僕らはたわいもない話しをしながら夜を楽しんでいた。

そのとき、BGM代わりにつけていたテレビのニュース番組で、保険金詐欺を働いていた夫婦が逮捕されたニュースが流れた。

その夫婦は交通事故を偽装して保険金を手に入れたが、些細な事から詐欺が露見したとキャスターは伝えていた。

しかしニュースがわざわざその事件を取り上げたのは、逮捕の切っ掛けになった保険金詐欺ではなく、その夫婦の余罪を特に取り上げていた。

その夫婦は、過去に自分の子供達を保険金ほしさに殺害し、保険金をせしめた容疑がかかっていると、キャスターは口にした。

テレビに映し出されたその夫婦の顔を、僕は忘れた事などなかった。

年がいもない金髪。耳にたくさんつけた下品なピアス。目の下のクマ。彼によく似た鼻。彼によく似た唇。彼によく似た面立ち。彼には似ても似つかない、半開きで黄色く濁った白目。

僕は絶望した。そのニュースを見た瞬間から、どの隙間を見ても、彼が見つからなくなったからだ。

僕は声を上げ、涙を流して彼を捜した。家の中も、町中も走り回って探した。でも、どこにも彼はいなかった。

つらい。彼がいない世界はつらすぎる。だから僕は、明日の朝、隙間の世界に旅立つ事に決めた。

僕には彼のように隙間の世界に誘ってくれる人はもういないから、自分で電車とホームの隙間にでも飛び込んでみようと思う。

もしあなたがどこかの隙間に人が挟まっているありえない光景を見たとしても、決して怖がらないで欲しい。

だって、僕らはきっと幸せだから。こんな世界より、ずっと幸せだから。

それでは、みなさん、さようなら。
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