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今すぐには掲示板に参加が難しい学会員さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 8月14日(日)12時56分0秒
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  話題が始まった当初に比べれば、だいぶ情報のわかりやすさがあるものの、組織の現状を鑑みてそれでも難しい人が圧倒多数であろうことが感じられるのです。

そこで、現状の組織状態でも「功徳の信仰体験」ができるよう、そういう目的でコメントしたものを再掲します。
すぐに掲示板に参加までは難しいと感じておられる方の指針となるんじゃないかと。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/48910
「米長邦雄 運を育てる」より   投稿者:太ちゃん   投稿日:2016年 6月 9日(木)11時20分2秒

方便として本の内容を出してますが、これを将棋ではなく「学会」にも置き換えて読むと、趣旨となるものがどういうことかわかりやすいと思います。


米長邦雄 運を育てる~肝心なのは負けたあと~ クレスト社 平成5年発行
「重要な決定では、必ず勝ち組に入れ」より
(113~117ページ)

現在、日本将棋連盟には、129人のプロ棋士が在籍している。最高齢は74歳の丸田祐三(ゆうぞう)九段、最年少は久保利明四段の17才である。十代で四段になる棋士もいる世界で、年齢的は、親子どころか祖父と孫くらいの開きがある。
こうした老若が、将棋のトーナメントプロであるという一点で、日本将棋連盟に結集している。集団が存在すると、必ずその運営者が必要になる。これはどんな世界でも同じだが、将棋界で言えば、棋士の本業である対局とは別に、どのような棋戦をどのような形態で行うか、あるいは、将棋をより普及させるにはどうしたらよいか、といった問題に取り組まなくてはならなくなる。
将棋連盟では会長、副会長、理事を棋士の中より互選し、運営の舵取りをお願いしている。そして、ひじょうに重大な案件については棋士総会で意思決定することになっている。若者、新参の四段にも一票が認められている民主的なシステムである。
運営とは一種の政治であって、意見が分かれたり、対立が生じた場合には、事態を収拾して集団としての意思決定をしなければならない。若いということは、その一点だけで、こうした仕事には不向きな場合がある。「若気の至り」という言葉がある通り、経験不足の血の気の多さが災いして、とんでもない失敗を招いてしまうことがあるものだ。
将棋界にとって、きわめて大切な問題について話し合ったときのことだ。いくつもの意見が出されたのだが、将来、将棋界を背負って立つであろうと目されている棋士たちは、賢明にも、それについて誰も発言しようとしなかった。
先輩の意見がいくつか述べられた後で、「若手の意見をしゃべってもらおう」という提案が出された。
私は少し慌てて、それを制した。
「若者たちは、とにかく一心不乱に将棋を研究して指してもらいたい。そういう環境を整えるのが運営者の務めである。あえて若者に意見を求める、あるいは判断させる、何か行動を起こさせるというのはよくない。
今はただ何も考えずに将棋に取り組んでもらいたいと思う。
若い人たちも、いずれ年齢に達したら、運営に携わることになる。そうなったとき頑張ってもらえばいい。今、運営の問題に首を突っ込む必要はありません」
私の立場を考えれば、高飛車な発言に受け取られるかもしれないと自覚はしていた。結局、若手たちは、ほとんど発言せず、した者も当たり障りのないことしかいわなかった。
その後、「若くとも将棋界の一大事について考えないというのは棋士としておかしい。意見を言うべきだし、それを止めるのはよくないのではないか」というクレームを一部から受けた。
私は、目先の議題の賛成・反対に対して意見を述べたのではない。若手の有望棋士たちの勝負運に傷がつくことを恐れたのである。
その真意が一部には伝わらなかったようだ。
トップを目指すのであれば、集団にあって、何か事を決めなければならない場面では、気をつけなければならないことがある。必ず勝ち組に入ることだ。集団として決断した最後の議論と自分の主張が合致していなければならないのである。
そうではなく、負け組になる、つまり最後の結論と自分の主張したことが違っていた場合は、それ以外の勝負においても悪影響が出る。
一度、大きな声で主張してしまえば、その声は、もう戻ってこない。重要な案件であればあるほど、変更はきかないものだ。待ったは許されない。将棋で新手を試してみるというのとは、わけが違うのである。
私は、何か重大な問題について意見を述べる際には、それが勝ち組に入るか否かを冷静に考えることにしている。そして、少しでも負け組に入る危険を感じれば、黙っている。そして、自分の意見が正しいと思っても、負け組の旗は絶対に振らないように努めてきた。
「自分の意見が通らないと思ったら、言わないなんて情けない」と思われるかもしれないが、そうではないのだ。
そもそも、自分の意見が絶対に正しいとは限らないのである。意見が対立してまとまらないといった場合、そのうち一つだけが100パーセント正しいということはない。どの意見もいくらかの理を含んでいるものだ。金言に”盗人にも三分の理”というのがある。
自分は絶対に正しい、だから大勢がどうであろうと、自分の意見を変える必要はない、というのはよくない。第一、棋士たちにとって主戦場は対局であり、自分の将棋に対する信念なら、そこで表現すればよい。だが、運営の問題に関しては、実業界のプロに較べれば二枚落ちくらいの差があると心得ておいたほうがよい。生兵法は大怪我のもとである。しかも、こういった問題でも負けつづけているうちに、それに慣れてしまい、ついには負け組の視点でしかものを見られなくなる。それが将棋に及ぼす影響が恐ろしいのである。
●●●●●

以上ですが、出した理由は「一家和楽の信心」を僕は度々お勧めしてきた理由と近いものです。
本は将棋をテーマにされてるものゆえ、当然ながら「学会をテーマに読むと?」という感じになりますか。
特に、勝ち組・負け組という部分が重要です。
というよりも、かつての宗門との騒動で「勝ち組」がどちらであって、なぜ勝利できたか。
いうまでもないことでしょう。
池田先生を人生の師匠として信仰する、ということが「勝ち組」に入る歴史がすでに結果として出ています。

そして「負け組」について。
そもそも執行部は、会員には屈服を強いるやり方ですが。
これでは宗門と同じことです。
執行部に従う、というのはその時点で屈服に従うという「負け組」の方向へ人生の舵を切ることになるんです。
その都度に「負け組」の発想をしてしまうことで、人生そのものが「負け組」に結果的になってしまいます。

すでにその状態にやや向かいつつある中で、その状態より脱するには、この機会に「自立した信仰」をそれぞれ確立してしまう必要があります。
これまでは組織より福運の手助けを受けてきたスタイルより、「福運の自家発電」に切り替える時期にきてるんですね。
それぞれ色んな状況がある中で、それでも一生に渡る土台を創り上げるには『一家和楽の信心』が一番よいと思われるのです。
それでも「確かな手ごたえ」がありますから。
それは「確かな基準」になるんです。
それがないから組織を基準にしなければならない悪循環だったのです。
もちろん組織が正常に機能してるならば、結果的に問題なくやれたことですが、それは「池田先生がそのように配慮」してきていたから、組織を信じて信仰でも成立していたんですね。

「一家和楽の信心」では何よりも「人生の勝ち組」というのがどういうものか、実感できることで「基準」が自分のなかでできるのが大きいでしょう。
そして、現実の良い結果という裏付けで、自信のついた喜びをもって、内外に拘らない「折伏」がいいのではないか、そのように思うのです。

その段階になれば、判断基準が自然にできあがるため、執行部のしてることが「誤り」なのを自ずと判断がつきます。
執行部のやり方は、功徳とはなんら関係の無いものですから「無価値・無意味」という判断の帰結になるわけです。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 
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