伊勢志摩をおもう<2> バレーボール選手 山口舞さん 32
身近な存在 真珠愛用
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やまぐち・まい 志摩市志摩町出身。和具中学校(現・志摩中学校)を卒業後、バレーの強豪・大阪国際滝井高校(大阪府守口市)に進学。2002年、女子プレミアリーグ「岡山シーガルズ」に入団し、09年に全日本代表メンバー入り。12年のロンドン五輪では28年ぶりの銅メダルに貢献、今夏に国内で開催されたワールドカップでも活躍した。
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――生まれ育った三重県志摩市の思い出は。
中学卒業まで15年間、合併前の旧志摩町で過ごしました。北は英虞湾、南は熊野灘に面した志摩半島南部(通称・さきしま半島)にあり、自然豊かなところです。祖父が漁師、母と祖母が真珠養殖をやっていて、小さい頃から、よく海に行っては遊んでいましたね。小学生の頃は真珠養殖のイカダの上で走り回ったり、家でも真珠の選別作業などを日常的に見たりしていたので、私にとって真珠は世間一般の“高級”というイメージとは違って、すごく身近な存在です。
――「PEARL 」(真珠)というニックネームもあるそうですが。
現在所属する「岡山シーガルズ」の河本昭義監督は元々、私が通っていた高校の監督で、高校1年の時、真珠養殖で有名な志摩出身ということで付けてくれました。昔は、ユニホームの背中の名前も「PEARL」でした。成人のお祝いで祖母から真珠のネックレスをもらったりしたので、真珠のアクセサリーはたくさん持っています。プライベートでネックレスを付けたり、スーツに真珠のピンバッジを付けたり。今もお気に入りで、愛用しています。
――好きな地元の食べ物を教えてください。
やっぱり海産物ですね。小学生の頃は毎夏、祖母と海で素潜りをして、ウニや貝を取っていました。その場で石で割って、新鮮なまま食べるなんてことも。今は帰省できるのが年に1回くらいですが、帰ると必ず、祖母が作った手こねずしや、伊勢エビ、ウニなどを食べます。昔から口にしていたものですが、今考えると、高級品ばかり。本当にぜいたくですよね。
――高校進学後は、県外や海外で活躍されています。ふるさとを離れて感じる三重や志摩の魅力は。
高校は大阪だったので都会で人も多く、環境が全然違いました。ふるさとの志摩は夜は本当に静かで、波の音や虫の声がよく聞こえるし、何より星がきれいです。人も優しくて、帰ってくるとすごく落ち着きます。
サミット主会場の賢島には、中学校時代にバレー部の練習試合などの際、定期船に乗って、よく行っていました。当時は、英虞湾のリアス式海岸は日常的な風景でしたが、今改めて見ても、本当に美しいと思います。昔は、亡くなった祖父が時々、市場から色々な魚をもらってきて、さばいて食べさせてくれました。志摩の海産物は本当においしく、今でもつい食べたくなります。
――伊勢志摩地域では過疎化や人口減少が進んでいます。サミットに期待することは。
地元でも、母校の中学校が他校と統合し、愛着のある学校名がなくなってしまいました。帰省しても、やはり若い人が少ないと感じるし、仕事を求めて外に出て行く人が多く、残念だなと思います。
サミットでは、ぜひ伊勢志摩のことを多くの人に知ってもらい、観光で実際に訪れて、その良さを肌で感じてほしいですね。県外や外国の方にはやっぱり、新鮮な海産物を食べてもらいたいです。もちろん生で。真珠についても、改めて注目が集まり、地元が生き生きとするような活性化につながってほしいと願っています。
2015年11月02日
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