笑い男の憂鬱

僕は耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えたんだ。だが、ならざるべきか?

broken

うつ

発達障害に40年間気付かず型にはまり続けようとするとどうなるかって話し

壊れるんだよ、完膚なきまでに。

たぶんもう修復は不可能だ。

みんな「まだ大丈夫だ」って口を揃えて言ってるがな。

おれはもう直らないが、本当に、本当に、おれと同じようなやつを作り出して欲しくない。

そう思ったから書いてみる。

発達障害の専門家とはじめて話しをした

昨日「東京都発達障害者支援センター(TOSCA)」に行ってきた。

はじめて発達障害の専門家に会ってきたが驚かれた。

おれの言動を見る限り、おそらく「自称アスペルガー」程度に思っていたらしい。つまり、普通のヤツが「自分は発達障害じゃないか?」って口実で愚痴を聞いてもらいにきた、くらいが初見の印象。

いつもそうだ。「発達障害だ」と主張しても、それほどでもない、そう軽くあしらわれる。だから今回は予め大学病院で検査をして資料を持参した。アスペ・ADHD・IQ検査ほか全て調べた結果を見せた。

応接室の空気がとたんに固まった。

なんであなたの検査結果の数値こんなに高いの?今こんなに普通に話しをしているのに」

口には出さなかったが、明らかに表情がそう言っていた。

なぜ普通なのに数値が高いかを説明した

発達障害は先天的なもので、教育や訓練で治るものではない。だから無理に教育や訓練をさせようとしてはいけない。一般的にはそう言われている。

でもね、無理にやっちゃったケースもあるんだよ。あまり語られないけど。どうなるか?精神に異常をきたす、そして教育したやつ(主に親)はそこで急に驚いて無理強いをやめる。

だけど、それでもやめない親というのも存在するんだ。精神の異常すら本人(子供)の努力不足と認識し、普通に振舞えるまで、絶え間なく、執拗に「矯正」をずーーーーーーーーーっと続けるんだよ。そうするとさ、中等度~重度の発達障害の子供でも、普通に振舞えるようになるんだ。見た目だけは。すんごく上手に。

「矯正」という恐怖が、発達障害と精神の異常をねじ伏せた瞬間だ。

その代わり、起きている間、おれのリソースの全ては「普通に振舞うこと」に費やされる。いや実際はそれでも足りず、削ってはいけないものを削って、普通に振舞うことの糧にする。頭の中では考えうる限りの種類の「普通に振舞う」シュミレーションを繰り返しながら、並行して現実で「普通に振舞う」。発達障害だから「臨機応変」はできないけど、限りない行動パターンを限りなく繰り返して、全てのパターンが「反射」で出るまで持っていくんだよ。

そうすれば見た目は「臨機応変」、周りからは成長したと見られる。

「矯正」を続けた親は「最後まで諦めない粘り強い良い教育者」となる。

「矯正」の危機と完了

小学校低学年までで、ほぼ「矯正」は完了した。たぶん反抗期までかかっていたら、成功していなかっただろうな。時期や期間だけでなく、かなりの条件が揃わないと発達障害の「矯正」はうまくいかないはず。ずっと恐怖で綱渡りをさせているようなものだからな。運もいる。

実際危うい時も結構あった。小学校3年生か4年生の頃だったかな。死んだら超楽になるってことに気付いちゃったんだな。ただ同時に、自殺って壮絶な苦痛があるものだと思ってたんだ。当時「矯正」で味わっていた苦痛なんて比べ物にならないほどの。「死にたいけど、そんな凄まじい苦痛に耐えられない」。飛び降りれば、苦痛を感じる間もないことを知らなかったがゆえに、死ぬ時に受けつ苦痛よりはましな「矯正」の苦痛を選んだ。そんな感じだったな。

おそらく精神に何らかの異常(うつ病かな?)をきたしていたんだろうが、このことにより、精神に異常をきたしたままで「普通に振舞う術」まで身につけた。うまく説明できないんだが、インフルエンザにかかった状態で普通に動く訓練を「果てしなく繰り返す」そんな感じだと思う。「異常を無視」する訓練を繰り返すんだ。倒れなかったのは偶然だろうな。

自分を自発的に「矯正」する発達障害児の完成

そうやって危機を乗り越えて、矯正が完成された子供って、同時に洗脳を受けたみたいな感じになってるわけよ。「ぼくは普通の子。がんばって続ければなんでもできる」って。

おれさ、「がんばる」って、自分の全てのリソースを費やして、人格がひん曲がるぐらいの苦痛を表に出さず、目標を達成することだと思ってたんだ。それで、まわりのやつらもみんな同じ「がんばる」をやってるもんだと思ってた。

だってまわりのやつらはみんな「普通の子」で、「ぼくも普通の子」なんだから。同じ「普通の子」が目標を達成するには、同じ「がんばり」が必要だろ。おれの「がんばり」はあくまで普通、この苦痛も普通、みんなと同じ。

こうやって自発的な発達障害の「矯正」をするようになると、良い教育者である親はさらに欲が出ちゃうんだな。「あなたは普通の子じゃなくて、「できる子」なんだからもっとがんばりなさい」って。

おれのスペックとがんばった結果

まだ、おれの発達障害の度合いを書いてなかったな。このスペックで「もっとがんばって」いくことになった。「もっとがんばる」ってつまり発達障害の「矯正強化」な。

おれのスペック(IQ・ADHD・アスペルガー検査結果)

検査結果の資料の読み方が分かってないんだけど、精神科医曰く、重度のADHD、中等度~重度のアスペらしい。アスペってIQ高いやつが多いらしいけど、おれの全検査IQは102だから極めて並だな。あと記憶IQだけが著しく低い。

[WAIS-Ⅲ]
<IQ>
言語性IQ:96
動作性IQ:109
全検査IQ:102
<群指数>
言語理解:100
知覚統合:106
動作記憶:79
処理速度:81
<言語性尺度>
単語:10
類似:11
知識:9
理解:13
算数:6
数唱:7
語音:7
<動作性尺度>
配列:17
完成:10
積木:9
行列:14
符号:7
記号:6
組合:8

[AQ]
AQ:40
Social skill:10
Attention \switching:9
Attention to detail:4
Communication:10
imagination:7

[ASRS-v1.1]
ちょっとこのへん、どれがデフォルト印字でどれがオレの評点かよくよくわからないので赤字を転機
A 不注意/記憶の問題 90
B 多動性 /落ち着きのなさ90
C 衝動性/情緒不安定90
D 自己概念の問題85
E DSM-Ⅳ 不注意型症状90
F DSM-Ⅳ 多動性・衝動性症状 90
G DSM-Ⅳ 総合 ADHD 症状 90
H ADHD 指数 90

CAARS 本人による自己評価
71以上・・・平均をはるかに上回る

もっとがんばった(矯正強化)結果

偏差値65くらいの私立高校合格。

勉強が分からなかったから、中学3年間で全て暗記をした。記憶力が異様に低かったが、発達障害の矯正の時の「限りない繰り返し」を応用した。とはいえキャパ不足で3科目受験しかできなかった。中学時代の友達はいない。いじめはあったが余裕で我慢できた。発達障害の矯正、矯正強化にくらべればお遊びのような我慢(とすら呼べない)

 

早稲田大学合格。

高校受験の時と同じやり方(暗記繰り返し)を高校1年生からはじめて、5年間(2浪)かかった。この5年間の記憶はほぼない。

さすがに大学に合格した時はうれしかった。だが実際は自分の首を絞めていたんだな、今なら分かる。発達障害のおれが「普通に振舞う」だけでも物凄い労力と精神の異常をきたしているのに、「頭が良いエリートとして振舞う」なんて、一体あと何を削ればいいんだ?

なぜそこまで異常な「矯正」をしたのか?

親が異常だった、というのが一番の理由だな。「いつでも怒られていた」これならここまで異常な「普通な振る舞い」はできなかっただろう。その前に泣くか反抗したはずだ。「いつも起こられていた」プラス「いつも監視されていた」って表現が一番近いと思う。もちろん24時間見張られてたわけでははいけど、家以外でおれが何をしていたかという情報を、ありとあらゆる手段(おれに秘密で同級生やその親にまで聞きまわっていたらしい)で収集し、「矯正」から外れる行為を知ると、あとから徹底的に「過矯正」が待っていた。「分からないと思っているんでしょ、でも全てお見通しだから無駄なんだよ」って。

あとは一番初めの幼少期だな。いつも「みんなと違う」ってことで嫌な思いをしていたのが、普通の「ペルソナ」をかぶることで良い思い(ほめられたり、友達と一緒に遊べたり)したのが、体に染み付いたんだろうな。幼少期のおれにとって「普通になること」は憧れであり、全てを解決するものだった、よく覚えてないけどたぶんそう。今でも習慣というか反射で「ペルソナ」をかぶる解きあるけど、そういう時って同時に「私は普通です」ってことをアピールしている。無意識のうちに。うまく言葉にできないな、これは。次いくわ。

結局どうなった?

結局「エリートのペルソナ」をかぶって18年間くらい会社員してたけど、とうとう振舞うためのエネルギーというか材料というか、そういうものがもう何もなくなって何もできなくなった。その後いろいろ調べたら発達障害が発覚。二次障害のうつ病で精神障害者2級。障害年金を受給して暮らしている。そしておれの場合、あまりにも自分を削りすぎた。普通のうつ病であれば回復も見込めるけど、回復のエネルギーになるものを作り出す機能すら失われている。いや、ただ存在しているだけで、「自動的に自分を削っていく機能」が自分の中に備わってしまっている。

まとめ

発達障害って未知な部分が多いし、精神科医でも「教育の問題だ」なんていうやつも結構いる。どう言っても結構。ただ、発達障害者のゴールを、社会復帰や環境適応、つまりは単なる多数派の価値観の型に「はめる」ことにしないで欲しい。そのゴールは定型発達者の価値観に基づいたゴールであって、発達障害者にとっては単なる「拘束衣」なのかもしれない。おれにとってはそうだった。

自立できる術さえ身に着ければ、苦痛でしかない型にはまる必要はなくなるんだよ。そして定型発達者と発達障害者の共通のものさしは「金」、決して「愛とか友情とか人間関係」ではない。そこを勘違いしないで欲しい。

「普通に振舞う」とか「学歴」とかは論外ね。

-うつ