74 投稿者 bassanさん | |
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やはり松竹梅には上下の関係が生じたようです。 松の上に来る最もハッピーな植物をご存知ですか。 それは柏です。 私は柏市民だから毎日映画館の前で、次の3文字を見ています。 それは「柏松竹」。 松は冬も青々としていることから不老長寿を示す縁起の良い木として尊ばれ,新年を寿ぐ飾り=門松となりました(平安時代)。 時代を追うに連れ,松同様に冬も青い竹(室町時代),冬に花咲く梅(江戸時代)が門松の部品に加わりました.『松竹梅』表記順はこの時系列でしょう。 但しこの時点で『松・竹・梅』各々の間に上下関係はありません。 後に,蕎麦屋/寿司屋で『特上を注文する気取り』や『並を注文する卑屈さ』を隠すためにメニューの『特上・上・並』を『松・竹・梅』に置き換えて表現するようになりました.これが流布したために、 松=最高級,梅=最低ランクという認識が広まったものと思われます。 松竹梅は、年の初め、正月のめでたい植物で、冬でも緑を保ち寿命も長いということで平安と長寿を表す「松」、冬でも緑を保ち雪にも折れること無いということで無事を表す「竹」、雪の中でも花をつけるということで生気と華やかさを表す「梅」という意味があります。 元々は中国で「歳寒の三友」と呼ばれ、画題とされたものが、日本に入ってきて吉祥の象徴となったもの。 日本では松は、長寿を象徴する神聖な木とされているため、松が松竹梅の筆頭になったものと思われます。 門松や松飾りなど、正月に松をかざる風習がいろいろ残されているのはご存知のとおり。 竹は常緑ということで梅に先行したものでしょう。 松竹梅は画題に由来しています。中国の宋代から画題としてはもっぱら竹が用いられていましたが、その後、梅、蘭、菊、松と広がりました。 特に蘭、菊、梅、竹はその気品の高さから「四君子」、松、竹、梅は酷寒にも色を変えず花を開くことから「厳寒三友」と呼ばれました。 この「厳寒三友図」が室町時代に中国から日本へ伝わりましたが画跡は極めて少なく、その画題の理想が日本でどの程度理解されたかは不明です。 それゆえ、「松竹梅」は江戸時代以降に流行しましたが本来の意図に反しておめでたいものの意匠として認知されるに至っています。順番は、画の中でもそのように描かれていることが多いですが、樹勢から松・竹・梅となったものと考えられます。 松竹梅は「厳寒の三友」とも言われており、めでたい事のしるし、等級を示す符牒として使われ始めたのは、中国だそうです。 竹や梅が一般庶民などに使われていた反面、松は仙人の食用として特別の物でした。 水墨の仙人画には、松の木が描かれていたり、松葉を噛んでいる絵もあります。 そのようなわけで、松が一番、だったそうです。 ちなみに、松の花言葉は「不老長寿」だそうですよ。 結婚式の三々九度で三回に分けて飲む杯を順に「松」「竹」「梅」と言います。 それで、その順にめでたいとされるようになったそうです。 |
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冬の情景を思い出させてくれる文章や中国の故事。江戸時代の注文の仕方まで、さらに花言葉まであるなんて。(^o^) これからもよろしくお願いします。 ところで松は特別な木ということが分かったのですが、不老不死の象徴が「空気の汚染」でめっきり減ってきたのは、なんとも皮肉な感じがするのは私だけでしょうか? |
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