リオ難民チーム 夢舞台から問いかける
リオデジャネイロ五輪に、国旗も国歌もない「難民選手団」が参加している。五輪史上初めての試みだ。戦乱で故郷を追われ、苦難を乗り越えて夢の舞台に立った10人の選手たちに心から声援を送りたい。
世界の難民や国内避難民は現在、6500万人を超える。その中では幸運に恵まれた一握りかもしれないが、将来に不安を抱く多くの難民たちを勇気づけるだろう。
選手団は、国際オリンピック委員会(IOC)が200万ドル(約2億円)の特別基金を設立し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)との協力で支援してきた40人余りのスポーツ選手から選抜された。
女子競泳のユスラ・マルディニ選手(18)は、内戦下のシリアから昨年8月、約20人が乗るゴムボートでエーゲ海を渡った。途中エンジンが故障し、水中に飛び込んでボートを押しながらギリシャに泳ぎ着き、ドイツで難民として受け入れられた。
大会2日目、バタフライ100メートル予選1組の1位でゴールしたマルディニさんは、タイム順では全体の41位で準決勝進出はならなかったが、観客の温かい拍手を受けた。
ほかにも、コンゴ民主共和国の内戦下で家族と生き別れ、現在はブラジルで暮らす2人の柔道選手や、南スーダン出身で、隣国ケニアの難民キャンプで才能を見いだされた5人の陸上選手らが参加している。
それぞれの出身国もこの五輪に選手団を派遣している。だが難民チームの選手には代表する国がない。その思いは複雑だろう。しかし、五輪憲章には「(五輪は)選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と書かれている。特定の国ではなく、「世界中の難民と希望の代表として戦う」(マルディニさん)という姿勢は五輪精神の原点とも言えるのではないだろうか。
難民チームの存在は、世界の厳しい現実の反映でもある。6500万人を超える難民人口は世界で21番目の「国」に相当する。
1994年のリレハンメル冬季五輪以来、五輪のたびに国連などが休戦を呼びかけてきたが、紛争は繰り返され、難民は増え続けてきた。五輪中の今もシリアの内戦は続いている。
日本をはじめ各国の五輪選手団にも、こうした現実を知ってほしい。五輪を観戦する私たちも、重い問いかけとして受け止める必要があるだろう。
IOCは4年後の東京五輪でも難民チームを結成させたい考えだ。一方、今大会に参加した難民選手の多くが、東京では祖国の代表として参加したいと願う。その夢を実現させるために何をすべきか。五輪を通じてみんなで考える機会にしたい。