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【天津爆発から1年】
爆心地でなお続く埋め立て 「生態公園」に整備するというが… 地元住民「凄惨な記憶はまるで昨日のことのよう…」
しかし環境汚染への懸念や恐怖の記憶などが原因で、この地に戻る住民は少ない。6階に住んでいた女性(35)は当時、実家に戻っていて難を逃れた。いつも7歳の娘が寝ていたベッドには爆風で飛ばされた窓枠が散乱していた。
「もし家にいたらと思うと…。廊下や壁には負傷者の血痕があり、住む気にはなれなかった」。
夜8時を過ぎても、ほとんど部屋に灯りがともらない「ゴーストタウン」。ただ敷地の入り口付近では約10軒の飲食店が開店準備を進め、河北省ナンバーの車が見学に訪れるなど“復活”の兆しもあるようだ。
「昨日のことのよう」
当局が事故の痕跡を消し去ろうとする中で、住民の心に刻まれた傷は深い。
約1キロ離れたマンションで暮らしていた女性(44)は当時、爆発現場で負傷者に水を渡すなど救援にあたった。「十代後半の消防隊員たちが現場に入るのを見たが、二度と戻ることはなかった。発見された遺体は焼け焦げ、目鼻立ちもわからなかった」。女性は当時を思い出し寝れなくなることがよくあるという。「あの光景は永遠に忘れられない。まるで昨日のことみたい」
爆発現場に近く被害が大きかった部屋の住民に対して当局は、事故前の市場価格の1・3倍で買い取るなどの補償案を提示。中国メディアによると、交渉に応じない一部の住民に脅しに近い圧力があったものの、大半の住民は補償に応じたもようだ。