金メダル金藤の礎築いた鬼指導!井清俊文さん、10年間ボランティアで「魚になるまで泳げ」

2016年8月13日5時32分  スポーツ報知
  • 井清俊文さん
  • パブリックビューイングで金藤理絵を応援する兄の康宏さん(左)、姉の前岡由紀さん(中)ら
  • 表彰式で金メダルを胸に笑顔を見せる金藤理絵

 リオ五輪競泳女子平泳ぎ200メートルで金メダルを獲得した金藤理絵(27)=Jaked=の快挙を、故郷・広島県の恩師も祝福した。三次スイミングクラブ(三次市)は金藤が小3から高3まで所属し、金メダルの礎を築いた場所。当時のコーチで、現在もクラブを率いる井清(いせい)俊文さん(44)は「感無量です」と声を震わせた。定職に就かず、約10年間にわたってボランティアで金藤に熱血指導。金メダルの礎をつくった当時の秘話を明かした。

 「出会った時、こんなことになるなんて思えなかった。本当に感無量です」。小中高時代に金藤が練習拠点にした三次市営プール。12日午前のパブリックビューイングで、井清さんは声をからした。三次SCの子供たち約40人は小さなプロジェクターに見入り、先輩の金メダルに歓喜の声を上げた。

 東海大1年時から指導を受ける加藤健志コーチと二人三脚で世界の頂点へと上り詰めた金藤には、さらに古くからの恩師がいた。井清さんは高校卒業まで約10年間指導したコーチ。夏にプールの監視員を務めるくらいで定職には就かずボランティアで教えた。

 初めてプールに来た小学3年当時の姿を今も覚えている。「もう身長が140~50センチくらいあって。でも、クロールもバタフライも背泳ぎも全然ダメ。ちょっとだけマシだったのが平泳ぎでした」。県大会でも勝てない選手で「試合後にケーキ食べ放題に連れていってあげるから」などと、勝負以外にも目的を設けないと燃えてくれなかった。

 分岐点は、小学6年の県学童水泳選手権。ライバルに敗れ、泣きじゃくった。「あの時負けて変わった。もともとの負けず嫌いが強くなり、へこたれなくなった」。中学に入ると、周囲が「アホじゃろか」とあきれるほどの猛練習を開始した。「今の時代ならちょっと問題になっていたような。魚になるまで泳げ、と」。競泳界のレジェンドで「フジヤマのトビウオ」こと古橋広之進さん(故人)が後輩を指導した時の名言を掲げ、1万5000メートル以上泳がせた日もあった。

 市営プールを拠点とする苦労は絶えなかった。「夏休みの間、1レーンに30人いるような状態で練習させたこともあります」。夜は車のヘッドライトでプールを照らして泳いだ。土砂降りの雨の中でも泳いだ。利用できるのは5~9月のみ。冬は各地の温水プールを転々とした。島根県まで通ったこともある。「プールで泳げるだけでありがたいと知ったから、どんな時でも自分なりに工夫して練習できるようになったと思います」

 井清さんの姉で、同じようにコーチとして金藤を指導した藤田和恵さん(51)も「紆余(うよ)曲折あったけど、本当に良かったね、と伝えたい」と語った。井清さんは「勝った時、流してくれるうれし涙が僕の力の源でした」と振り返った。(北野 新太)

  • 楽天SocialNewsに投稿!
社会
報知ブログ(最新更新分)一覧へ
今日のスポーツ報知(東京版)