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Re:Monster――刺殺から始まる怪物転生記―― 作者:金斬 児狐

外伝集1 かつてあった足跡

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そうだ、温泉に行こう


 【そうだ、温泉に行こう:エルフ達の噂話】
 [時間軸:???]


 ≪クーデルン大森林≫

 古くからエルフ達が暮らし、つい最近には人間との戦争も勃発した大森林は、既に戦争の傷跡を感じさせないほどの自然を取り戻していた。
 大気は澄み、森全体が清純な自然魔力マナで満ちている。
 そして一時期はとある理由から減少していたが、同じくとある理由から以前と同じかそれ以上にまで増えた精霊が漂う大森林の中は、その恩恵によって様々な変化が起き始めていた。
 精霊は交感能力が高くないと知覚する事すらできないが、それでも精霊が居るだけで自然はより豊かなモノになり、そこで暮らすモンスターなどの平均レベルは上がっている。
 もしかしたら徐々に広がっている広大な大森林の中には、今まで居なかった種が増えているかもしれない。

 そんな大森林にある、大樹と共生しているエルフの里。
 柵で囲われた外縁の入り口に、旅装束のやや老いたハイエルフが一人、帰って来た。

「……懐かしいな。ここは本当に、変わっていない」

 ハイエルフの名は、シュベルス・フェーラという。
 閉塞的で排他的なエルフの中では珍しく、外へと自らの意思で出向いた変わり者である。

 森の中で一生を終える事も少なくないエルフは、犯罪を犯すなど特別な事情が無い限りは森の奥に引きこもっているのが常である。
 それはエルフという種族が樹木の生い茂る場所を好むと言うのもあるが、長命種であるが故に短命な生物――その代表は人間や獣人など――と関われば不幸になる事を知っているからだ。
 もし人間を愛すれば、愛した者が老い衰え、死ぬ様を見届ける事になる。
 それは他の家族や友人達にも言えることであり、そしてそれは逃れる事ができない現実だ。
 だからエルフは森の中で同じ長命種の同族と暮らし、病気や怪我が原因で死んでいく。ちなみに老衰となった例は殆どない。

 それ以外に森を出ない理由としては、単純にエルフという種族が見目麗しいが故に奴隷商や悪徳貴族に狙われ易くて危険だから、と言う事も上げられる。
 そしてエルフの上位種であるハイエルフともなれば尚更だ。
 外でエルフではなくハイエルフだと正体が露見でもすれば、延命効果があるとされる生血を求め、国家元首クラスの権力者が動き出す事もあるだろう。
 そして捕まれば、延々と血を抜かれながら生かされる、という結末を迎える事になる。
 そんな生など、考えただけでゾッとする。

 だが変わり者のシュベルスは、外の世界が危険で溢れていると知りつつも、長年胸の奥底に秘めた衝動を抑える事ができなかった。
 幼少の頃から絶える事無く続いた我慢は限界に達し、森の外へ出て行く事を選択したのだった。

 それが今から約二百年前の事である。

 しかしそう思い立っても、簡単にはいかなかった。
 シュベルスはエルフの中でも重要な役目を果たす家系の次男であると同時に、里でも個体数が非常に少ないハイエルフの一人である。
 その為里では次代の担い手の一人と目され、それに応えるだけの能力があった。

 矢を射れば四百メルトル先の小さな標的すら簡単に射ぬき、剣を持てばハインドベアーすら単身で斬り殺す。
 書物や日々の生活によって蓄えた膨大な知識で多くの同胞を導き、敵には苛烈だが身内には非常に優しい性格なので人望も厚い。
 神に捧げる舞踊やエルフ族に伝わる楽器も人並み以上に達者で、何より精霊に好かれていた。

 その為、森を出ていく時には激しい争いがあったのは言うまでもないだろう。

 シュベルスからすれば、長年内に秘めていた願いの為に。
 エルフの里からすれば、里の重要人物を失う訳にはいかない為に。

 そう言った事情から何とか説得しようとエルフ達は試みたが、まるで金属のような光沢と硬度を誇る金甲樹のように、シュベルスの心は一切変わらなかった。
 結果として、仕方なく一部のエルフだけが所持する事を許されている樹剣ローレルを用いた決闘にまで発展した。

 その時戦ったのはシュベルス本人と、その実父ベイカルだった。

 始まった本気の親子喧嘩は熾烈を極め、戦う二人の戦闘力の高さ故に決闘場には深い傷跡が生じた。
 荒れ狂う精霊術の破壊は大地を砕き、射ち交わされる無数の矢は岩さえ穿ち、それを覆い尽くす程の植物による生命爆発。
 ハイエルフ同士の空中戦にも発達したその戦いは、数時間にも及んだ程である。

 激戦の末に決着はついた訳だが、両者とも大怪我を負い、何かが違っていればどちらかが命を落としていただろう。
 だが幸いにも死者は出ず、勝利したのは当然シュベルスである。
 そして大森林を出る際シュベルスは“ラインフォール”という姓を剥奪され、一族から縁切りに等しい別れ方をして外へと出た。

 だからシュベルス自身、もう二度とこの大森林に帰ってくる事はないと思っていたし、戻ってくるつもりもなかった。
 外で始めた行商はシュベルスの優れた商才によって順調に成長し、今では数ヵ国を跨って商売する程の大規模な老舗商会となっている。シュベルスの意思一つで大規模な金が動き、金銭面での不自由は何一つしていない。
 そしてエルフほどではないが長命種の美人な年下の嫁をもらい、百二十年ほど前に男の子が二人できた。子達はハイエルフではなかったが非常に優秀で、既に成人し、兄弟仲は良好なので協力し合いながら商会の若頭として活躍している。
 しかも自慢の子達は可愛らしい嫁――商会を狙う輩かどうかは入念に調査済み。結果は潔白であり、子を心から愛している――を貰い、子も産まれていた。シュベルスからすれば、可愛くて堪らない孫である。
 今のシュベルスは心の底から幸せだと言える為、大森林を出た事に後悔はない。
 正しい選択だったと思っている。

 しかし先の戦争が、彼の心に揺らぎをもたらした。
 せめて、生家がどうなっているのか知りたくなったのだ。
 もし父や兄、親族が死んでしまっていたのならば、墓前に花を手向けたい。そう思ったシュベルスは暫くの間だけ妻と息子夫婦に事業を任せ、ここまで帰って来たのだった。

「どうやら里自体には被害はないようだが……さて、しかしどうしたものか。誰か居ないだろうか。ここまで来たが、なかなかに近づき難い」

 なぜ帰って来たのだ、と罵倒されるだろうか。
 森捨て人が、と蔑まされるだろうか。
 話したくもない、と疎まれるだろうか。
 不安は尽きないが、それも甘んじて受けるべきだろう。

 シュベルスはそう思いながら周囲を見回していると、それほど間を置かず、見知ったハイエルフが数名のエルフを引き連れ、大樹の上から階段を使って降りてくるのが見えた。
 やって来るハイエルフは、今年で三百十五歳を迎えるシュベルスよりもさらに年上のハイエルフである。
 ハイエルフであるが故にとても品のある容姿であり、顎に蓄えた髭は立派で、曲がらずにピンと伸びた背中と腰は大樹を彷彿とさせる。
 その姿は三百四十年も生きているなど全く感じさせない力強さがあり、纏う雰囲気は樹海のように奥深く、全てを包み込んでしまいそうな温かさを持っている。

 やってきた老ハイエルフの名はエッセバ・フェールオ・ラインフォール。
 正真正銘、シュベルスの実の兄である。

「よく帰ってきたな、シュベルス」

「お久しぶりです、兄上。ただ帰って来た、と言う事ではありません。先の戦争で里がどうなったのか見に来ただけなのですから。用が済めば、すぐに帰ります。その方が、里にもよいでしょうしな」

「そう急ぐ事もないのだが……しかし、変わらず健やかなようで安心した。出て行った時はどうなるか不安だったのだが、どうやら杞憂だったようだな」

「相変わらず兄上は心配症ですな。里を出た者の事など、忘れればよかったのに」

「そう言うな。たった一人の弟を心配して何が悪い。しかし、もうそれ程になるか。……この二百年で、様々な事があったモノだ。それで、シュベルスよ。父上は病で祖神様の下へ召されたのだが、遺言を預かっている。聞くか?」

 過去を懐かしみ、慈しむような笑みから一変して、真面目な顔となったエッセバの問いかけに、シュベルスも改まって頷いた。

「父上が……兄上、ぜひお願いします」

「うむ。では――『我が子シュベルスよ、親としてはお前の意思を尊重したいとは思っていた。だが氏族の長として、お前を里外に出す訳にはいかなかった。子一人の自由すら守ってやれぬ、不甲斐ない父を許せ、とは言わぬ。ただ、掟によってラインフォールを名乗る事は許可できぬが、外で何かあれば、いつでも戻ってきて欲しい。エッセバにはお前と、居るであろうお前の家族を守るように頼んである。だからどうか健やかに、祖神様と世界樹の加護があらん事を願う』――と言っていた。あの父が、申し訳そうな顔をしてな」

「そう……ですか。あの、父上が……そう言ってくれて、いたのですね」

 久しぶりの肉親と会話して何処か浮ついていた心境で、初めて聞いた父の本音を聞いて、シュベルスは年甲斐もなく咽び泣いた。
 二人の父ベイカルは自他共に厳しい、規律を重んじるハイエルフだった。
 長い月日で擦れた記憶の中の父は滅多に笑わず、常に氏族を纏める長として考え、行動していた。
 そんな父が、そう思っていてくれた。

 父を倒して里を出た事を恨まれているかもしれない、血が繋がっている事を疎んじられているかもしれない、などと思っていたシュベルスにとって、エッセバが語った遺言は長年の間に累積した思いの全てを解消するモノだった。
 ダムが決壊するか如く、積み重ねた年月の間に溜まった涙がシュベルスの意思とは関係なく流れ続ける。

「これこれ、泣くな泣くな。歳をとっても、お前は相変わらず泣き虫だな」

 そうして、慈愛に満ちた笑みを浮かながらシュベルスの頭を優しく撫でるエッセバに、シュベルスは気恥ずかしさから顔を赤く染め、苦笑した。
 エッセバからすれば里を出ようと、年老いようと、今もシュベルスは可愛い弟に変わりない事が分かってしまったからだ。
 いい歳したハイエルフなのに、情けない。そう思い、変わらず涙を流しながら、シュベルスは笑みを浮かべた。

「……父上に、孫や曾孫を会わせる事ができればよかった、と後悔してしまいますよ、それを聞くと」

「ほう、子も孫も居るのか。ならば今度連れてくるとよい、歓迎しよう。父上の為に、墓参りもするべきだろうな」

「そうですね、里を出た者としてはどうかと思いますが、一度家族を連れて帰ってこようと思います」

 今更里に定住するつもりは無いシュベルスだが、愛妻と自慢の子、そして可愛い孫を祖父の墓参りという名目でエルフの里に連れてくるのは、せめてもの親孝行だ、と思った。
 この世に父が既に居なくとも、どんな孫や曾孫なのか、見せてあげたくなったのだ。
 エルフの里については子守唄代わりに語っていたので子達も興味を持ち、いつか行きたいと言っていたので、丁度いいとも思っている。

「その時が今から待ち遠しいな。さて、色々と落ち着いて語らいたいが、お前を連れていきたい場所がある。墓参りも先に一度行ってみるといい。だがその前に、お前に私の娘を紹介せねばならぬからな」

 微笑んだままのエッセバが、傍に控えていたエルフの中で最も見目麗しい女エルフを横に並ばせた。
 見た目は十代後半から二十代前半と若く、中性的な顔立ちで、青みがかった銀髪は腰まで伸びている。傷一つないキメ細やかな肌は処女雪のように白く、知性の光を宿した碧眼は一点の曇りもなく澄んでいた。
 半透明の素材を使い、肩や背中が露出しつつも動き易さを重視したデザインの衣服は彼女が【サーラの巫女】を担う踊り手である、と言う事の証明だ。

 そこまで見て理解して、だがシュベルスは青銀色の金属で造られた花の髪飾りに違和感を覚えた。
 髪飾りの装飾があまりにも精巧すぎる物だったからだ。
 ミスラルを材料としているのはハイエルフであるシュベルスからすれば一目瞭然だが、エルフにはここまで精巧な物を作る技術は、残念ながら無い。
 戦に必要な剣や弓矢、日常生活に使用する包丁や鍋などは直せるが、まるでドワーフが作ったような芸術品のような髪飾りが何故ここにあるのか、外を知るシュベルスだからこそ理解できなかった。
 それに護衛エルフの中に少数だが混じっている女エルフ達もペンダントや指輪など差異はあるが、繊細な装飾品を持っている事には驚いた。
 シュベルスの疑問は、見れば見るほど深くなっていた。

 そして疑問に答えが出る前に、彼女――メイル・フェールオ・ラインフォールは、シュベルスに美しい笑みを見せ、頭を下げた。

「初めまして、シュベルス叔父様。メイル・フェールオ・ラインフォールと申します。父様や叔父様同様、ハイエルフの一人ですので、以後お見知り置き下さい」

 華麗な笑みと、正式な挨拶の作法。
 様々な国と商談を交わしているシュベルスから見ても、高い完成度を誇る姿に思わず関心した。
 そして理解する。彼女は自分の姪なのだと。ゆっくりと背中から広がる透き通る青銀の翅は、間違いなくハイエルフの証だった。

「こちらこそ初めまして、メイル殿。ただ、様は要らぬよ。ラインフォールを名乗れぬ私には、叔父、と呼んでくれるだけで十分過ぎる」

「そうでしょうか? なら、叔父さん、とお呼びしてもいいでしょうか? ただその代わり、私の事はメイル、と呼び捨てでお願いします」

「ああ、それが丁度いい。よろしく頼むよ、メイル。……しかし流石兄上の子、まさかハイエルフだとはな」

「いえ、まだ私など未熟者。父様の名に恥じぬよう、精進していきます」

「うむ、ますます将来が楽しみだ」

 シュベルスはメイルの向上心溢れる姿勢に感心していると、その横から何だか悪巧みしてそうな笑みを浮かべるエッセバが話に割り込んだ。

「そうだな、メイル。またアポ朗殿に助けられたりでもすれば、良い女と思われるのが遠のくやもしれぬからな。日々精進せい」

「もう、父様はすぐそう言って」

 やや赤くなった頬をぷくりと膨らませ、メイルがエッセバを見上げながら睨む。
 それを笑いながら受け流すエッセバとは対照的に、全ての事情を理解できないシュベルスは小首を傾げた。
 エッセバが言ったアポ朗殿、とは誰なのか、分からなかったのだ。

 そしてシュベルスが何か言いたそうにしているのを見たエッセバは、シュベルスの肩に腕を回し、里の実家に向かうよう促しながら耳元で囁いた。

「お前を連れて行きたい、という場所に行けば先程私が言ったアポ朗殿が誰なのか、すぐに分かる。そしてメイル達の髪飾りなども、な」

 再び悪巧みしているような笑みを浮かべるエッセバに、シュベルスは何処となく不安を感じながら、二百年ぶりの故郷へと帰って来たのだった。



 ェ- ■ Δ ■ ) 



 大樹の根元にある父の墓参りを終えて、荷物を実家の屋敷に置いたシュベルスはエッセバ達と共にとある林道を歩いていた。
 比較的最近造られたらしき林道は山方面に続いているようで、徐々にだが傾斜がきつくなっていく。
 歩き慣れない者がいれば速度は大幅に低下するのだろうが、今回は歩き慣れた者しかいないので、かなり早いペースで一行は進んで行った。

 シュベルスと共にいる同行者の数はシュベルスを含め二十名と大所帯で、モンスター対策として最低限の武装――武器はミスラルの弓矢か短剣、防具はミスラルで所々を補強した革鎧――はしているが、緊張感は特にない。
 襲われる可能性は低いけど、何かあったら困るから一応用意はしておこう、とでも言うような雰囲気だ。
 久しぶりに生まれ育った森を歩くシュベルスにとって、この辺りには大森林の生態系の中でも上位に位置するハインドベアーが生息していたような記憶があるだけに、それが不思議でならなかった。

(なぜ皆こんなにも気を抜いている? それに何かを楽しみにしているような、浮ついた様子なのは何故だ。予めモンスターを狩り尽くしているのか?)

 それに何故か、代えの衣服や下着、身体を拭う為の長布などを入れた袋を全員が持っている。
 かくいうシュベルスもエッセバから同じような袋を持たされ、肩に担いでいた。
 最初は川にでも行くのかと思ったが進んでいく方面に川は流れていないはずなので、二百年の間に地形が変化していない限りはその可能性も低かった。

 考えれば考えるほど、何処に向かっているのか分からなくなる。
 一切教えられていないシュベルスは道中で何度もエッセバに尋ねたが、しかし。

「何処に行くのですか、兄上」

「秘密、にしていた方が面白いから、秘密だ」

 悪巧みしたような笑みにそう言い添えるだけだったので、途中からはシュベルスも聞きだすのを諦め、黙々と後に続いた。
 それがどれほどの時間続いただろうか。
 最初は気のせいかと思っていたが、林道を進めば進むほど、次第に大森林中に広がっている精霊達の気配がより濃くなっていった。
 ハイエルフであるシュベルスには語りかけてくる精霊の声が聞こえ、姿も見る事ができた。だがこの先に何があるのかについては、予めエッセバに口止めされているのだろう、微笑むだけで教えてはもらえない。

 再度訪いかけるが、またも秘密と言われた。
 エッセバの対応にいい加減苛立ちを覚え始めたシュベルスだったが、しかし唐突に途切れた樹木の境にて、それを見た。

 簡潔に表現するならば、≪秘境にある要塞≫だった。

 森の奥地に集落がある。これはまだいいだろう。エルフの里も、それと同じようなものである。
 そして外敵に対する備えは当然だ。そうしないとモンスターに襲われて喰われてしまうだろう。

 だが目の前のそれは、普通とは備えの桁が違っていた。
 周囲に張り巡らされた外敵を阻む防衛兵器は目立つものだけでも外縁部から、無数の逆茂木さかもぎ、逆茂木を避けて通るルートに隠されたリリウム、空堀と水掘という二種の環濠、地面から屹立した高さ八メルトル横幅三百メルトルはあるだろう巨大な岩壁、そして岩壁の上にやや外にはみ出した木造の何かが設置されている、となっている。

 シュベルスは岩壁の上に設置されているそれが何なのかは分からなかったが、それは藉車しゃしゃと呼ばれる物で、城壁に取りついた敵兵の頭上から木石や熱湯を落とす為に考案された代物だった。
 車輪が取り付けられているので簡単に動かせるそれは、矢などを防ぎながら下方の敵を比較的安全に屠れる為、防衛戦の時に役立つ。仮に壊されても残骸を落してしまえばそのまま敵を攻撃できるので、無駄が無い。

 正直、エルフの里もそれなり以上に防衛力はあるが、こことは比べるべくもない。
 何気に逆茂木の一つ一つにまでエンチャントが施されているなど、どれほどの手間をかけたのか正確に測る事は困難だった。

「ほら、シュベルス。ぼさっとしてないで、さっさと行くぞ」

 驚きから立ち止って見ていたシュベルスを置いて、エッセバ達は既に歩み始めていた。

 今まで歩いてきた林道はここで一旦途切れ、そこから要塞までの距離は百数十メルトルほど。それだけ離れていて要塞の姿が見えたのは林道と要塞の間にある木が全て伐採され、見晴らしが非常に良かったからだ。
 ただ木が無いからと言って緑が無い訳でなく、ポッカリと空いた空間は小さいながらも草原となっている。そして恐らくこの草原はあちこちに仕掛けられたトラップを隠す役割を担っているのだろう。
 シュベルスの耳元で、下手に草原を歩かない方がいいよ、と精霊達が優しく囁いているからだ。

 そんな草原を真っすぐ貫くように、林道から要塞の正門まで石畳が敷かれている。
 石畳のほぼ全てが同じ大きさの正方形によって形成されている事に気付き、シュベルスは目を見張った。
 王都などではよく見られる石畳も、ここまで同じ形の石を使った物は早々見られるものではない。

(これを見ただけでも、要塞を造った者達の技術が窺えるな。それに、徹底的だ)

 石畳だけでも驚いたが、注目すべきなのはそれだけではない。
 途中にある二つの堀には分厚い板の橋が架けられ、荷物を乗せた馬車が数台乗っても壊れそうになかった。
 これにはどうやら二種類のエンチャントを施しているらしく、この橋は一種のマジックアイテムとなっていた。
 逆茂木もそうだったが、橋にまでわざわざ高度な技量を要求するエンチャントを施すとは驚きを通り越して呆れそうだった。
 しかもよくよく細部まで見ると、防衛時には爆発する事で敵を阻み、攻撃するようになっているらしい。
 橋に至るまで敵を徹底的に殺す事を目的としている事に、商人であるシュベルスでさえ恐怖を抱いた。
 ここを攻め落とそうとするのなら、一体どれほどの戦力を用意し、どれほどの損耗を覚悟しなければならないのか、分からない。

 そこまで観察して、シュベルスは視線を下から前に向けた。
 すると丁度、巨大な正門も今は解放されているので中の建造物を見る事ができた。

(あれは……また珍しい様式の建物だな)

 見えた建造物はこの辺りではあまり見ない建築様式だと、一目で分かるモノだった。
 煉瓦を使用している風ではなく、また木だけを材料にしている訳ではない。木と土と紙と、煉瓦のようで違う何かによって造られていた。
 シュベルスが二百年の外界生活で収集した知識の中だと、東方にある島国で見た屋敷が一番近いだろうか。ただ平民が暮らしているような質素なモノではなく、貴族のような特権階級の者たちが暮らしていた、立派な造りのモノである。

 色々と考えながら、小走りで横に並んだシュベルスの反応に満足したらしいエッセバは、ここが何なのかやや自慢げに説明し始める。

「どうだ、凄いだろう?」

「ええ、凄いですよ、本当に」

「ここは≪パラベラ温泉郷≫と言って、最近仲良くなった鬼達が運営している温泉施設だ」

 なるほど、とそれを聞いてシュベルスは疑問の大半に合点がいった。

 ここが温泉施設だとすれば、一行が持つ袋に入れられた代えの服や下着の説明がつく。
 川ではなく、温泉だったか。その発想が無かった自分を、シュベルスは老いたな、と感じた。
 目元を抑え、ため息を吐き出す。

 確かに近づくにつれて奥の方で立ち昇る湯気がうっすらと視認でき、周囲に漂っている独特の匂いは温泉がある場所ではよく嗅いでいたモノに違いない。
 それに要塞の中には他のエルフ達の姿がチラホラ見受けられ、建物から伝わってくる大勢のヒトの気配と、漏れ聞こえる笑い声は、他と変わりないモノだ。

 ただ鬼が運営している、という部分に引っかからない事もないが、先の戦争でエルフ達は【鬼】種と共に戦ったらしいので、その繋がりに違いない。
 ヒトのように高い知性を持つ鬼は入浴を好む者も多いので、恐らくは鬼人ロード級の首魁が存在しているのだろう。
 脅威と言えば脅威だが、仲良くしているのならば特に問題は無いか。

 シュベルスはそう判断し、続いた説明に固まった。

「ここの従業員は小鬼ゴブリンや人間、獣人など様々居るのだが、鬼達の長――アポ朗殿が色々な事を実験的にやっているから、日々新しい驚きがあって、今一番エルフ達の関心が高い場所だな」

 隣で説明するエッセバに、シュベルスは驚いて顔を向けた。

 ゴブリンが働いている。そして同じ場所で人間が、獣人が働いている。
 それは変だ、と無言で訴えていた。
 ゴブリンは基本的に本能に従順で、馬鹿だ。強盗の手駒などには使えるが、些細な気配りが必要な接客などできるはずが無い。
 人間の従業員はまだ分かる。経験を積ませれば十分使えるだろうし、予算さえあれば奴隷で数は補える事は可能だ。だがゴブリン達と一緒に働けるかと言えば、疑問は残る。
 命令に絶対服従するゴブリン達でなければ他の従業員がどうなるか分からないし、獣人も大体人間と同じ理由が上げられた。

「そんな馬鹿な」

 二百年という長い間、外の世界で暮らしていたからこそ、シュベルスの反応は正常なモノである。
 いや、森に籠っているエルフだとて、普通はシュベルスと同じ反応を示すだろう。
 だが、周囲に居る者の中でシュベルスと同じ反応をしている者は一人も居ない。
 当然の事、とでも言いたげに受け入れている。

「まあ、行ってみれば全てが分かるさ。ただゴブリンだからと言って、侮るなよ。ここのは、長から末端まで、ちと特別だからな」

 首を傾げるシュベルスを促して、一行は正門の前に到着する。
 両脇の岩壁が突出して“凹”のような形状の正門は、前後に門がある二重構造になっていた。第一の門と第二の門の間は約五メルトル。それは岩壁の厚みと殆ど同じであり、敵を殺す為だろう、門と門の間の天井には木石や熱湯などを浴びせる為の大穴が開けられている。
 第一の門が壊されても、第二の門が壊れる前に多くの敵兵を屠れそうだった。

「御苦労様」

 門を潜る寸前、エッセバが岩壁の上を見上げながら軽く手を上げ、声を上げた。
 それにシュベルスはつられて顔を上げると、岩壁の上で、弓矢で武装した数名のダークエルフ達が周囲を警戒していた。チラチラと視線を寄こすが、エッセバの姿を見ると問題は無いと判断したのか、その意識の大半は再び周囲に向けられる。
 巧妙にマジックアイテムのマントや障害物で隠蔽され、他の事に気をとられていたシュベルスはその時になってようやく気がついたのだった。

「いらっしゃいませ。今日もお楽しみ下さい」

 恐らくは集団の長だろう壮年のダークエルフが、会釈しながらエッセバの言葉に反応した。
 外の暮らしで以前ほど偏見は無いとはいえ、やはりダークエルフには忌避感があり、歓迎の言葉の返答は軽く会釈するだけに留めて門を潜り抜ける。

 そして二重の正門を潜り抜けて直ぐ、一行は武装を正門横に設置された小さな検問所で渡した。武器を持ち込んで暴れられれば厄介だからだろう。ここで武装を渡しておかないと、何かあった時に問題になるらしい。
 それは納得できるが、受け取ったのは人間の女性と、雌のホブゴブリンだった。
 外から来た者が暴れれば彼女達が真っ先に殺されそうなものだが、他に男の戦闘要員が見受けられないので、もしかしたら二人は強いのかもしれない。何となく、騎士とメイジ系に見える。
 などとシュベルスが考えていた間に、武装を渡した一行は書類にサラサラとサインをしていく。サインを終えると番号が書かれた金属プレートを手渡された。
 帰りにこれを提示すれば、武装が戻ってくる仕組みだ。

 そうした細々とした手続きを終えて、ようやく活気に満ちた温泉街に一行は足を踏み入れた。

「今はまだここにやって来るのは里のエルフだけだから客は少ないが、それでも、利用者の数は多い。毎日入り浸りになっている者も多い」

 中央通りであろう正門から伸びる道の奥には、先程見た屋敷がある。
 そして中央通りの左右には屋敷ではなく、この辺りでは一般的な造りの店が立ち並んでいた。

 金槌が描かれた看板を下げ、武具や細々とした装飾品を売っている店がある。
 店頭に並んでいるのは様々な金属によって造られた髪飾りや指輪などであり、奥には実用重視や観賞用の様々な武具が並べられていた。
 店員は愛嬌の良い猫系の獣人である女と、如何にも頑固職人といった姿をしたドワーフの老人。
 そこでは恋人なのだろう若いエルフの男女が仲良く商品を見て、笑い、店員に何か質問して、最後にはミスラルと緑色の金属で造られた揃いの指輪を買って行った。

 フォークとナイフが描かれた看板を下げ、簡単な料理を提供している店がある。
 そこそこの広さがある店舗は満席で、老若男女のエルフ達が料理に舌鼓を打っていた。
 客の注文を聞いて回っているのは猫妖精ケットシー達で、二足歩行するネコがチョコチョコと動く様は可愛らしい。

 その他にも様々な店が展開され、それを物珍しげに観察しながら、一行は中央の屋敷の玄関に到着した。

「一先ず温泉に入ってから、他の店を回るとしよう。ここの一番の見どころは、やはり温泉だからな」

 そうシュベルスに説明しながら、エッセバは慣れた様子で屋敷の扉を開けた。
 カラカラと小さく音を立てて横にスライドする様はドアが一般的なこの辺りでは珍しい。
 これも久しぶりだな、と思いながらついつい普段の癖で土足で上がろうとしたが、即座に注意された。

「ここから先は、靴を脱いで入れ」

「おっと、確かにそうでしたな。久しぶりなので、忘れていましたよ。手間取らせて申し訳ない、兄上」

 土足で上がろうとしていた事を注意され、シュベルスは謝りながら、靴を脱いで屋敷に上がった。
 靴は玄関の横にある大きな靴箱に入れられる。

「しかし、立派なものですな」

 屋敷の内装もやはりこの辺りでは見かけない独特なモノで、しかし不思議と落ち着ける何かがあった。
 木製の床は軋んで不快な音を出す事は無く、記憶にある屋敷ではやや冷たかったはずだが、ここでは温かさが伝わってくる。

「ほうほう、ほう」

 ここに来て静かに高まっているシュベルスは、好奇心から忙しなく周囲を見回し始めた。
 そうしていると、一行が玄関正面にあるカウンターに向かって動き始めたので、やや遅れながら付いていき。

 そしてカウンターの中に営業スマイルを使いこなすゴブリンが本当にいたので驚いた。
 シュベルスからすれば、それは芋虫が言葉を発した、と同じくらい衝撃的なモノだった。

「いらっしゃいませー。ご予約されているエッセバ様御一行ですね。料金は既に頂いているので、これをつけて下さいね。はい、ゆっくりと堪能して下さい」

 シュベルスが驚いている間、他の皆は愛想良く笑っているゴブリンから赤い玉が嵌め込まれた糸のブレスレットを受け取っていく。
 ブレスレットを受け取った者から、エッセバ達に軽く会釈し、思い思いに行動を開始した。

「さてと、早く入ろうぜ」

「今日は何してもらおうかなぁ。この間のやってみると、肌が滑々になったのよね」

「あ、じゃあ今日はそれ、やってもらおうかしら」

 ブレスレットを装着し、男は青い布が吊り下げられた通路に、女は赤い布が吊り下げられた通路に入っていった。
 布にはどちらもヘンテコなマークが白い糸で縫いつけられているが、それが温泉を示しているのだと何となく分かる。
 護衛役のエルフ達もここに到着した時点で一応の仕事が終わり、後は自由行動となっているので、まったりと温泉を楽しむ気満々だった。

「……はぁ、驚き過ぎて、身が持たんぞ」

 短い間に驚き過ぎて、やや草臥れた様子のシュベルスだった。
 そして気がつけばシュベルスはブレスレットを右手首に装着し、男達が入って行った通路の中を歩いていた。




 ちなみにそんな横で、小声でこんなやり取りが交わされていた。

「あ~、エッセバ様。外の人連れてきちゃ駄目じゃないですか。禁則事項にキッチリ書いてますよ? 守ってもらわないと、困ります」

「すまんな。しかし二百年ぶりに帰って来た弟でな、ここを自慢してやろうと思ってな」

「駄目ですよ、規則は規則なんですから。入れたら、僕が怒られます」

「それは大丈夫だ。アポ朗殿に直接連絡して、酒樽十で特例を認めてもらっとる」

「え? 本当ですか? 少しお待ちを……あの……エッセバ様が……ええ、はい、はい。分かりました。……本当みたいですね。じゃ、大丈夫ですね」

「それでは、ブレスレットを貰おうか」

「はい、どうぞ。あとそちらの方の湯着はサービスしときますので、どうぞ使ってください。では、お楽しみください」




 ■ ■ ■



「あ~……。確かにこれは、兄上が自慢したいのも頷ける」

 屋敷の通路の先にあった脱衣所で衣服を脱ぎ、湯着と呼ばれる薄い生地の衣服に着替えたシュベルスは、一番広い混浴の浴場にある白濁とした湯に浸かりながら横に居るエッセバに語りかけた。

「そうだろう、そうだろう。毎日入りに来るくらい、ここは気に入っているからな。帰って来た弟に、自慢したくもなるさ」

 シュベルスと同じハーフパンツタイプの湯着に着替えたエッセバは、非常に自慢げだ。
 手元には木桶に入れられたエルフ酒の瓶とお猪口。それをチビチビと飲みながら、二人は語る。

「しかし、本当に色々とやっているんですね、ここは。他で見たモノもあれば、初めてのモノもある」

「そうだな、本当に、色々とやっているよ。個人的には、雷精石とミスラルを利用した電気風呂がお勧めだ。ピリピリして最初は慣れないかもしれないが、あのキュッと筋肉が引き締まる感覚は止められん。ハマるな」

「確かに、あれには驚かされました。使用してる材料が材料だけに、なんと勿体ない、と思ったものですが、あの独特の感覚は今まで体験した事もありませんでした。まあ、あの加減を出すには、それ相応の時間と手間が必要でしょうな。強過ぎれば、癒される前に死にますし」

「まあ、試さない方が無難だろう。危険だし、費用がかかり過ぎるしな。電気風呂の他には、打たせ湯、サウナ辺りもいいな。サウナの後の水風呂は、キュッと引き締まって気持ちがいい」

 水風呂の水は水精石で出した水だから、よりいいぞ。とエッセバはエルフ酒を飲み、陽気に笑った。

「確かに、先程試しましたが、あれはいいですね。水精石で出した水は精霊達の力が宿っていますから、エルフにとっては最高だ。ただ、特に驚いたのは噴流式泡温泉、ですね。あれ、どうやってるんですか?」

 噴流式泡温泉。
 壁や底にある小さな穴から噴き出す細かく小さな泡が入浴者の身体を刺激する、≪パラベラ温泉郷≫に複数設計された温泉の中でも高い人気を誇るモノである。
 詳しい構造は尋ねかけられたエッセバも知らない事だが、電気風呂と似たような考えで設計され、これには風精石が使用されていた。
 ブクブクと泡が全身を刺激するその感覚に、老若男女問わず、虜になる者は多い。

「それは知らん。コチラが教えてほしいくらいだ」

「流石に兄上でも知りませんか、残念です。……そう言えば、温泉以外のサービスも面白いですな。ビッグコッコの温泉卵なんてありますし、それを温泉に入りながら堪能できるなんて驚きですよ」

「まあ、確かにな。そうだな、個人的なオススメのサービスと言えば、森の恵みから造られたアロマオイルを用いたオイルマッサージ、というのがあるぞ。あれは身体中の疲れが揉み落とされるようで、至福の時だな。特にドリアーヌ嬢にやってもらった時は、思わず昇天してしまいそうだった。思い出しただけでも、久方ぶりにいきり起ちそうだ」

「鼻の下が伸びているぞ、ムッツリ兄上」

「はっはっは、お前が言うな、ムッツリ弟。だが仕方あるまい。そちらに関しては、種族的にアチラが上手だからな、勝てんよ。彼女にかかれば枯れた者でさえ復活するし、女衆達もやってもらうと美肌うんぬんと好評で、こぞってドリアーヌ嬢を指名している。だからドリアーヌ嬢のマッサージはなかなか受けられないが、その他の者のマッサージも悪くは無いから試すといいだろう。ドリアーヌ嬢ほどではないが、彼女達もメキメキと上達している」

「そんなに凄いのですか?」

「恐らくエルフの人口問題も、多少はこれで改善するだろう、というくらいには凄い。場合によっては、そういった欲望を刺激する為のマッサージも受けられる。ただあれを試したグラーバの奴は、抑えきれずに夫人と一晩中楽しんだようだ。一晩中ねちっこく攻められたらしくてな、夫人は立つ事もできんかったらしい」

 グラーバはハイエルフではないがそれに近い能力を持つ壮年のエルフであり、エッセバと同じ【円卓会議】に参加する権利を持つ者――つまりは氏族長の一人である。
 里でも有数の戦士であり愛妻家でもある、エルフにしては欲が強い彼は、自分に合わせれば妻の負担が大き過ぎる、などと言って、夜では淡泊な者として仲間内では知られていた。
 愛し過ぎて本番に弱いヘタレ、とも言われているが、それはさて置き。
 そんな彼が、妻が立てなくなるほど愛した。
 大昔だが、幼少の頃を互いに知る者として、シュベルスは納得したように頷く。

「なるほど、そうですね。エルフは基本的に、淡泊ですからね。あえてそうした刺激を与える事で、促すと言う訳ですか」

「そうだ。先の戦争で減った人口を増やすには、ドリアーヌ嬢達のマッサージが、案外良い手段なのだよ。もっとも、純粋に気持ちいいからだがな」

 お猪口から酒が無くなり、交互に注いでいく。
 久しぶりの兄弟の語らいはゆったりまったりと続き、今まで離れていた時間を埋めるように、途切れない。
 そうしてどれ程の間温泉を堪能しただろうか。そろそろ上がるか、という頃合になって、意を決し、シュベルスはエッセバに訊いた。

「兄上、アポ朗殿、という方には会えますか?」

「今は、居らん。外に出ているそうだ」

「そう、ですか」

 気合いを入れたのに空振りで、ガクリ、とあからさまに落ち込むシュベルスを見て、エッセバは苦笑しながらその肩を叩いた。

「そう気落ちするな、連絡手段はある。そこからは、お前の交渉次第だ」

 だが取りあえず今は飲め。グイッと、飲め。
 そう言って、エルフ酒を注ぐ。
 トプトプと、音が鳴る。
 限界ギリギリにまで入れられた酒に、いつの間にか日が沈み、夜空に輝いていた星月の光が反射した。月星の光に混じる魔力を吸収して、普段以上に味を深めていくエルフ酒。

 それをグイッと一口で飲むシュベルスは、必ずまだ会わぬアポ朗殿と良好な関係を築くのだ、と誓いを立てる。

 主な理由としては、またここの温泉に来たいからだ。
 本来なら外部の者となったシュベルスがここの存在を知る事はできないのだが、エッセバが交渉し、特別に認められたからこそ浸かる事ができている。
 だが大森林から出ると特例も終わり、以後このままだと入る事はできず、また、ここの存在を洩らすと暗殺されてしまうので、対等な取引関係となる事をシュベルスは目標としたのだった。


 そうして数日の滞在期間中、日々拡張される温泉や、新しいサービスが生まれる≪パラベラ温泉郷≫に足繁く兄弟で通い、里帰りを終えたシュベルスは、帰りを待っていた家族の前でこう言った。


「そうだ、皆で温泉に行こう」


 すっかり温泉中毒者となったシュベルスの行動は速かった。



 老舗商会≪緑矢星郷≫会長が、手土産こさえて来るまで後■■日。


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