非常に、非常に興味深い記事を読みました。
私が子供の頃に読んだマンガ(手塚治虫や藤子不二雄)が描く未来世界は、テクノロジーが究極に進化した世界でした。その様な世界では、人間は苦しい仕事で働かずとも、楽しく過ごせる世界になるのであろうと、良く夢想したものです。
でも現実は違います。
現代日本社会でも、ブラック企業で苦しみ、命を落とす人もいます。マンガで描かれた世界をヒントに夢見たユートピアは、まだ実現していません。
人間の文明は「楽をするため」に発展した
常々、思っています。
人間の文明は「楽をするため」に発展してきました。これは断言できます。
人間を含む地球上の全生物は「食べなければ」生きていけません。
あらゆる生物の行動を見てみましょう。
そのほとんどが「食べるため」の行動です。
生物の進化は「如何に効率よくエネルギーを得られるか」を目的に進んだと言っても過言ではありません。(※広義では「生存するため」ですが)
あらゆる生物は「エネルギーを得るため」すなわち「食べるため」に進化しているのです。
進化を実現させるツールとして「遺伝子」があります。(※かなり乱暴な言い方ですが)
そして人間は「言語(文字)」を第二の遺伝子として、もう1つの進化である「文明」を発達させます。
先人の教えを「言語(文字)」と言う遺伝情報に乗せ、後世に伝えることで、文明は急速に発達していきました。
文明は「不安定な狩猟採集生活」から「より安定な農耕社会」へと人類生活を発展させます。
かつての人類は、自分(家族)の食べ物を自分で得るしかなく、まさに「その日暮らし」でした。
しかし文明の発達で農耕技術が発達することで、「食料の計算」が出来るようになります。すなわち、狩猟採集により、その日の食料しか確定できなかったのに対し「未来(収穫期)の食料」を確保できることになったのです。
これにより、人類は「食料生産における余剰人員」を生み出すことに成功します。
そうして生まれた「余剰人員」は「あると便利」なものの生産に従事することを可能とします。
あるいは「石器や土器製作の職人」、あるいは「シャーマン」などなど・・。
これはそもそも
・食べる人口=食料採集人口
から
・食べる人口>食料生産(採集)人口
になったからに、ほかありません。
より少ない人口の食料生産で、より多くの人口を養えるようになった。
そのため「食料生産以外の職業が生まれた」のです。
そして食料生産以外の人員が確保できたことで、「食事」以外の生活に関わるものが便利になっていきます。今までは「食料生産の仕事」から帰ってから、生活用品を作成(補修)していたのが、専門の人間が出現したおかげで余暇が生じることになります。
そう考えると「仕事」とは、人間の生活が「より贅沢に、楽になった」ことの象徴なのかも知れません。
「人を使う仕事」と「人に使われる仕事」
人類が農耕を始めると、今度は「リーダー」が生まれます。耕地を造成したり、治水工事を 共同で実施するようになり、自然に生まれたと思われます。
狩猟採集時代の集落でも「リーダー」はいたでしょうが、農耕社会が生み出す余剰食糧は「リーダーを専門に特化」させます。大がかりな工事の指揮を執ったり、人々の諍いの仲裁をしたり・・・そして次第に「王」になっていったのだと考えられます。
そして話は上の記事に戻ります。この記事では、封建社会の「国王ー領主ー農奴」の関係が「資本家ー経営者ー労働者」の関係に良く似ていると指摘しています。
もちろん中世の封建社会に比べれば「人権」は守られているのかも知れませんが、ブラック企業が蔓延している現代の日本社会においては確かに「似ている」と感じざるを得ません。
そして上記の関係性をもっとザックリと分かりやすく考えると、仕事は「人を使う仕事」と「人に使われる仕事」に分けられるそうです。なるほど!と思いました。
技術革新は新たな産業をつくる原動力となる
食糧生産の効率化により「王」がこの世に誕生して以降、人類は「使う側」に富が集中することを知ってしまいます。「富」はもはや食糧だけではなく「人間が価値を見出すもの」の全てが対象になります。また「価値」はどんどん新しいものがつくられます。
上の記事では、イギリスで産業革命がおこった理由の一つとして「人件費が高かった」と説明しています。人件費が高騰して利益(富)を生み出せなくなった経営者は「機械化」を進めることで、より多くの富を得ようとしたのです。
現在では人工知能の発達で「仕事がなくなる」という危機感を持つ人々がいますが、産業革命当時のイギリスも同様でした。
イギリスで自動織機が実用化されたとき、仕事を奪われると信じた織物職人たちは機械を壊して回った。ラッダイト運動だ。 原文まま
しかし実際には仕事は無くなりません。例えば自動織機の登場で織物職人としての仕事はなくなるかも知れませんが、 「自動織機をつくる仕事」は新たに生まれます。職人が機械の勉強してエンジニアになれば良いのです。
上の記事でも「技術革新で仕事がなくなっても、教育を受けることよって、新たな産業の労働者になれる」と言っています。
また別の見方をすれば、技術革新によってさらなる富が生み出されることにより、新たな「余剰人員」が生まれることになるのではないでしょうか?
そして新たな余剰人員は「人を使う側」にまわり、「新しい価値」を生み出して新たな産業を創出し、新たな仕事が出現すると考えられます。
究極の技術革新は何を生み出すか?
以上のように考えると、技術革新によって短期的には仕事がなくなっても、新たな産業が生まれ、新たな仕事が出現します。そして技術革新によって生じた余剰人員が「人を使う側」にまわることで、少しずつですが、技術革新のたびに「人を使う仕事」が多くなっていくと予想されます。
上の記事でも以下のように説明されています。
「人に使われる仕事」は無くなる。一方、「人を使う仕事」は無くならず、「機械を使う仕事」に置き換わるだけだ。
技術革新は労働者階級を消失させる。古来より続いてきた「資本家/経営者/労働者」という階級制度を崩すことができる。
だからこそ、技術革新を止めてはならない。 原文まま
技術革新が突き詰められれば、それによって生み出される富がすべての人間に行きわたるようになった時点で、はじめて階級制度が崩れるのでしょう。
しかし、それはまだまだ先の事だろうと思いますし、その前に「食糧生産をする人間が1人もいなくても、世界中の人々が食べ物に困らない」という世界がやってくると考えられます。それでもまだまだ、遠い未来の事だろうと感じてしまいます。
近未来で起こると予想されること
ではまず、近い将来を想像したときに、今後何が必要かを予想します。
現状の日本でもアルバイトの時給が高くなってきているなど、人件費は高いと言われています。今は「ブラック労働を強いる」ことで帳尻を合わせているようですが、ブラック労働を問題視する声は日に日に大きくなり、いずれは無くなる方向にシフトするでしょう(※半分は「希望」ですが)。
その労働力を補てんするものとして、「人工知能」が普及していくのだと思います。
また人工知能の導入によって「人に使われる仕事」だけでなく、場合によっては「人を使う仕事」も減るだろうと思います。
例えば、医療分野では人工知能が「がん」を診断したと話題になりました。
今後は人工知能が病気を診断して治療法を提示したり薬の処方を示したりすることで、看護師や薬剤師を「使う」ことになるでしょう。
一方、一般企業ではホワイトカラーの仕事が人工知能に置き換わっていくと考えられます。人工知能導入の初期の段階では、人工知能が作成した書類や企画書は完ぺきではなく、それをチェック・修正する仕事が生まれます。でもこれって、「部下」から「人工知能」に置き換わっただけで、実は「管理職の仕事」です。
そして人工知能がさらに発展したとしても「どの仕事をどのタイプの人工知能に任せようか?」と采配を振るう仕事は残るのではないかと思います。
すなわち今から10~20年後の世界では「マネジメントの仕事」が主流になるのではないかと思います。そうなるとマズいですよね。ただでさえ、日本は管理職のマネジメント能力不足が原因で、ホワイトカラーの業務効率化が進まずに利益率が低い状況ですから。
今後、人工知能の導入によって、ますますマネジメントが求められる世界が予想されるのであれば、日本はさらに世界から立ち遅れる危険があります。
おわりに
また上の記事では、学校教育について以下のように記述しています。
現在の学校教育の原型は、18世紀のイギリスで生まれた。
教室に子供を集めて教師の指導に従わせるのは、現場監督に従う工場労働者を育てるためだった。学校教育はその誕生からして、「人に使われる側」を育てることを目的としていた。 原文まま
と言う事であれば、以前私が指摘した「会社は学校の延長のようだ」とは、当たり前のことだったのですね(笑)
使う側が使いやすくなるように、人々を教育していたのが学校なのであれば、今の日本でマネジメント能力に乏しい管理職が多いのは頷けます。
生産性を向上させ、来るべき世界に立ち遅れないためにも、今こそ日本はマネジメントの教育を進めるべきです!
よろしければ、こちらもお読みください。
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