記事詳細
【「日本人の誇り」育てたい(2)】
人生は砂時計 教育評論家・中塩秀樹さん
「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」という吉田松陰先生の言葉を胸に、広島県の公立中学校教諭となりました。初任地は新学期早々、ガラスが70枚割られるという“荒れた”学校。校長が、問題行動の絶えない女子生徒たちのためにソフトボール部を作ろうと考えていました。
しかし、顧問のなり手がおらず、校長は1年目の私に、顧問になるよう依頼。生徒のためになりたいと思って教師を志したので引き受けたものの、部活動予算はまだなく、校長がポケットマネーでバット1本、グラブ2個、ボール半ダースを買ってくれたのです。
練習場もなく、学校近くの河川敷に行きましたが、ボールがそれるたびに川に落ち、流れと格闘しながら拾う毎日。私の初任給はボール代に消えてしまいました。ただ、1学期も半ばを過ぎると、活動するクラブが減ってくるのがここの恒例の状況のようで、私たちは校内のグラウンドを使えるようになりました。
初めてもらったボーナスで、バットやミットなどを購入。しかし、今度は男子生徒の邪魔が入る。バットが折られたりボールがなくなったりして練習もままなりませんでしたが、夏には県大会の地区予選に初出場したのです。
ユニホームがなく体操服に背番号を縫い付けて挑んだ初陣は、20点以上の差を付けられてコールド負け。その後も負け続けたのでさらに練習を重ねるのですが、生徒は次々と辞めていく。他の先生からは「何も知らない1年目のヒヨッ子にできるもんか」などとばかにされていました。