多くの「人間好き」の諸君には、これから私が書くことの意味がわからないでしょうね。
「あなたって寂しそうね」
「あなたは社会不適合者なのね」
「あなたの毎日って楽しいの?」
「うわーうざっ」
ときっと思うでしょう。
まず最初に断っておくと、私はどうにもこうにもほとんどの人間が嫌いです。
よく特定個人が嫌いだと勘違いされるのだが、そうではありません。
嫌いで嫌いでたまらない人間たちは、この言葉が本当に大好きな人達
- みんな君のこと〇〇だと思ってるよ。
- 〇〇って上から目線だよね。
- 〇〇のためを思っていってあげてるんだよ。
1.みんな君のこと〇〇だと思ってるよ。
「みんな君のこと暗いやつだなと思ってるよ」
「みんな君のこと一緒にいて楽しいと思わないと思うよ」
「みんな君のこと変なやつだと思ってるよ」
いずれも私が言われたことのある言葉。
「みーーーーーーーーーーーーーーんな」思っていることを確認した上で言ってあげているみたい。
とっても親切な人なのかもね。
オルテガの言葉を思い出してしまう。
大衆はいまや、いっさいの非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なるもの、特殊な才能を持った選ばれたものを席巻しつつ有る。すべての人と同じでない者、すべての人と同じ考えかたをしない者は締め出される危険にさらされているのである。ところがこの「すべての人」が真に「すべての人」でないことは明らかである。かつては、「すべての人」といった場合、大衆とその大衆から分離した少数者からなる複合的統一体を指すのが普通であった。しかし、今日では、すべての人とは、ただ大衆を意味するにすぎないのである。以上、現代の恐るべき事実であり、その偽りない残酷な実相なのである。
オルテガ『大衆の反逆』
言われた当初は落ち込んだなあ。
だって「みんな」って本当にみんなだと思ってたもん。
大人になるにつれて「みんな」がみんなじゃないって知った時は驚いたなあ。
なんて気持ちの悪い言葉なんだろう。
2.〇〇って上から目線だよね
「〇〇ってなんか上から目線だよね」
学生の時からかな。これ言われたわあ。
みんなと同じことを述べることができない人は「上から目線で話す人」と言われることを知ったんだよね。
「〇〇は素直になった方がいいよ」
「〇〇は謙虚になった方がいいよ」
これも同じかな。何回か言われた。
謙虚とか素直ってなんか思ってた意味と違ったんだよなあ。
そう考えるとニーチェって「上から目線」だから「素直」で「謙虚」になるべきだね。
かれらの狭い魂は言う「大きな存在は、すべて罪である」と。 あなたがかれらに寛大であっても、かれらはあなたから軽蔑されたと感じる。
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』
どうやったら「上から目線」が止められるんだろう。
そういえば、ジョージオーウェルが「隷従しろ」って言ってたわ。
<自由とは隷従なり>という党のスローガンを知っているだろう。この逆も言えると考えたことはないかね?つまり、隷従は自由なり、ということだ。一人でいるー自由でいる、このとき人は必ず打ち負かされる。それも必然というべきだろう。・・・もし完全な無条件の服従ができれば、自分のアイデンティティを脱却することが出来れば、・・・その人物は全能で不滅の存在となる。
ジョージオーウェル『1984』
3.〇〇のためを思って言ってあげてるんだよ
「〇〇のためを思って言ってあげてるんだよ俺」
世の中って人のことばかり考えているとてもいい人ばかりなんだなあ。
「自分が思っていることを強制させるために言っている」わけじゃないんだね。
この世界って本当にいい人ばっかり。
世の中には聖人君子しかいないみたい。
やっぱニーチェってとっても悪い人なんだ。
人間はそもそも利己的でない行動を、その行動の恩恵を受け、それが役立った人々の側から称賛して、それを<良い>ものと呼んだ。後になると、賞賛したのがどのような経緯だからだったかという問題が忘却され、利己的でない行動そのものが、習慣的に常に良いと賞賛されてきたという理由で、良いものと感じられるようになった。
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』
あーこんなにいい人ばかりなのに僕の吐き気は止まらない。
社会に適合できてないみたい。
人間が本当に嫌いな自分が嫌になってきた。
おもしろきことなき世を面白く