日航機墜落事故から31年 遺族ら慰霊の登山
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520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から12日で31年となり、墜落現場となった群馬県上野村では、朝早くから遺族などが慰霊の登山を始めています。
昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。
事故から31年となる12日、上野村では朝早くから遺族や関係者が墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山を始めています。
遺族たちは、亡くなった家族の墓標に手向ける花束などを持ちながら登山道を登っていました。そして、墜落現場にある慰霊碑、「昇魂之碑」の前に到着すると、手を合わせたり花を手向けたりして犠牲者を悼んでいました。
夕方には、ふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうをして、空の安全を祈ります。
事故から31年となる12日、上野村では朝早くから遺族や関係者が墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山を始めています。
遺族たちは、亡くなった家族の墓標に手向ける花束などを持ちながら登山道を登っていました。そして、墜落現場にある慰霊碑、「昇魂之碑」の前に到着すると、手を合わせたり花を手向けたりして犠牲者を悼んでいました。
夕方には、ふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうをして、空の安全を祈ります。
おじを亡くした男性「感謝の気持ち伝えに」
事故でおじの石倉六郎さんを亡くした茨城県の磯寿人さん(46)は「1年間、家族が無事過ごせてありがとうという感謝の気持ちを伝えに来ました。子どもも大きくなったので事故のことを少しずつ伝えていきたいです」と話していました。また、磯さんのおいにあたる高校1年生の磯天成さん(16)は「事故が再び起こらないようにと祈りました。同級生で事故を知っている人は少ないので、事故を知ってほしいです」と話していました。
「体力続くかぎり慰霊登山続ける」
事故で妹の吉田仁美さん(当時28歳)の一家3人を亡くした奈良県御所市の田仲威幸さん(66)は、「妹の家族は事故でみんな死んでしまいました。妹の夫の両親も亡くなったので、私は体力が続くかぎり慰霊の登山を続けたいと思います」と話していました。
機長の妻「昇魂之碑」に線香供える
事故機の機長で、高濱雅己さん(当時49歳)の妻、淑子さん(72)も慰霊の登山を行い、慰霊碑の「昇魂之碑」に到着すると、線香を供えて手を合わせていました。そして、地元の関係者と言葉を交わし、「こちらを訪れるたびに登山道がよくなっていますね。守っていただいてありがとうございます」と話していました。
妹亡くした男性「毎年登る意義ある」
事故で妹の淳子さん(当時20)を亡くした大阪府の泉谷透さん(57)は、「見守ってくれていると思うので、元気にことしも来ることができたよと報告しました。事故のことを忘れない人が航空の現場にいれば、事故を防いでいくことができると思っています」と話していました。また透さんの息子の諒さん(28)は、「小学生の頃からここにきています。520人が死亡した事故を風化させないためにも毎年登る意義があると感じています」と話していました。