政治部記者のイデアルティプス
今話題のこれですが、
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html(「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】)
思想の向きがどっちとかこっちとかいうどうでもいいことは全部抜きにして、なるほど、政治部記者というのはこういう人たちなんだな、ということがよおく分かりました。
・・・僕はテレビ番組のアンカーをやっていた時も、何日か取材して、全部自分の頭の中に入れて、それを自分の言葉で番組の中でしゃべるわけだから。新聞記者の時だってそうなんです。だから、僕はジャーナリストという言葉はあまり好きじゃないから使いませんけど、報道の現場の仕事をしていれば、何カ月もかけて物事に精通するとかではなく、本当に急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない仕事をしてきているわけ。50年間。だから、それについてはそんなには心配なかったよ。もちろん、すぐには分からないけれど。
そうか、50年間ずっと「何カ月もかけて物事に精通するとかではなく、本当に急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない」という類の仕事の仕方をしてきたわけですね。
もちろん、新聞記者の中には、そういう類いじゃない、労働でも社会保障でも、きちんと勉強し、熱心に事実を追いかけて、立派な記事を書くような記者もいますよ。でも、新聞社の中のカースト制ではそういうのはB級記者であって、その時の政治的気流に敏感に反応して「本当に急ごしらえでガーッと詰め込」む類の人がA級スター記者になるわけですね。
そういう類いの人に「ペンの力って今、ダメじゃん。全然ダメじゃん」とか平然と言われると、なかなか脱力感が半端ないものがありますね。そのふにゃペンは、あんたのふにゃペンだろが、って。
(参考)
ちなみに、「ある日突然、「鳥越さん、都知事選出ないの?」って聞いてきた」という古賀茂明氏に関しては、このエントリをどうぞ
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-916a.html(古賀茂明氏の偉大なる「実績」)
・・・それにしても、こういう本来政策的な正々堂々たる議論(もちろんその中には政治家やマスコミに対する説得活動も当然ありますが)によって決着を付け、方向性を決めていくべきまさに国家戦略を、役所同士のポストの取引でやってのけたと、自慢たらたら書く方が、どの面下げて「日本中枢の崩壊」とか語るのだろうか、いや、今の日本の中枢が崩壊しているかどうかの判断はとりあえず別にして、少なくとも古賀氏の倫理感覚も同じくらいメルトダウンしているのではなかろうか、と感じずにはいられませんでした。
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コメント
エントリ「りべさよ・・・・」でも鳥越さんへのコメントさせていただきましたとおりですが、鳥越さんも桶川ストーカー事件等々には事実を”しつこく”追跡されたような記憶がありますし、それも社会を大騒ぎさせるA級スターが追う動機アリアリの注目事件であったではないの?といわれればそうしたインセンティブは当然ありますね、と一義的には否定不可能ですが、そうするとメディアってなによ、のそもそも論で迷子になりそうですねえ。
どうもこうした部類のエントリにはその対象者への否定的インプレッションが、それも今回は倫理神々しく強調されすぎのように感じるのはわたしだけでしょうか?。指定者へのメールならば結構ですが。
コメント中盤にある、もちろん・・・A級スターになるわけですね、の数行は
”きちんと”、”熱心に”、”立派な”と修辞でバイアスに取り込まれてしまう読者も考えられますし、しかしそれを絶対的としてしまう愚かさを犯す危険を考慮したように”もいます”よ、としっかり”も”で保険をかけてらっしゃるところは私がいつも不満に感じる日本式アナウンス方法論である「多くの人々はまじめにやってる」と同類で、鳥越さんは反論する機会を持つ方ですからいいんですけど、これを会社の中で、組織の中の伏魔殿的な不祥事にも絡み多用される日本の、その実は日本の社会セオリーをはずしてしまった人への拙速な臭いモノにはふた等で個人資質をことさら強調する差別バイアスに親和してしまう性向を感じるのです。私がおかしいのかなあ?と、ブログとやらを少しサーフしてみると、あ~、多いこと。これを瞬時にスピルオーバーさせてしまうテクノロジー時代というか老若男女にコモディティ化されてしまった日本社会っても差別も社会的には無差別に個人化されてしまっているなあと、これじゃあ、東スポも夕刊フジもゲンダイ等お父さんたちのお楽しみであった紙媒体は死んじまうよなとエントリから情報政策へと広げてみました。すんません。しかしこの国民性でビッグデータ政策は怖いですね、働き方どころの話じゃすまない
です。無邪気に喜んでいるコメントも見受けられますが。でも無謬国家にはやはりビッグブラザーを育んでしまう素養はありそうですね。技術進歩に社会制度も当然ながら人も追いついていけてないんでしょうねえ。となると、これこそ独占の最大ツールとなるわけで、政府も企業も必死こいて選択と集中の産業化に結びつく理系重点政策・戦略に邁進するわけです。
投稿: kohchan | 2016年8月12日 (金) 13時49分
追記。
鳥越さんを擁護する訳でもなく、しかしちょうどよいモノがありましたのでご紹介まで。
本日の日経夕刊のシネマ万華鏡で米映画「ニュースの真相」が紹介されております。かの「60ミニッツ」プロデューサー自伝映画化です。D・ラザーが辞任に追い込まれるブッシュ大統領の軍詐称疑惑の大スクープと支持者のウェブを使っての誤認スピルオーバーに大揺れしたメディア大国の映画です。
ここには瞬間に賭けるメディアの性向が実話としてご覧になれますので、休日をこれ幸いに観るも吉、夕刊の評論を読むも吉。ハフィントンのタイトル「ペン・・・」に引っ張られたんじゃないですか?
投稿: kohchan | 2016年8月12日 (金) 15時54分