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死の直前にプリンスが渇望したものは「超越」だった 英紙のラスト・インタビュー
From The Guardian (UK) ガーディアン(英国)
Text by Alexis Petridis
PHOTO: KEVIN MAZUR / GETTY IMAGES
2016年4月に急死したプリンス。その前年、彼は欧州の代表的なメディアを集め、「次」のツアーの構想を語っていた。
その取材に参加した英紙「ガーディアン」記者による、プリンスと過ごした貴重な時間の記録。
昔の曲の性的な表現をどう考えているのか、音楽業界をいまも憎んでいるのか、音楽シーン低迷の原因は、そして、スターになる前のことが恋しくはならないか──。
パリ同時多発テロで「幻」となった欧州ツアーをめぐるラスト・インタビューを全文掲載。
プリンスの本拠地「ペイズリー・パーク」のステージにあがる
プリンスは1985年、『ペイズリー・パーク』というシングルをリリースした。サイケなアルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』の収録曲から最初にシングル化された曲であり、また一種の“神秘的なユートピア”について歌ったプリンスの一連の作品の一つだ。
その歌詞によると、ペイズリー・パークは、シーソーで遊ぶ笑顔の子供たちや“深い心の平安”を感じさせる表情をした“カラフルな人たち”であふれている。“この場所が与えるのは愛という色彩”“ペイズリー・パークにルールはない”と歌詞は続く。
だがこの曲が描く「ペイズリー・パーク」と、この曲の発表の数年後にプリンスが建てた巨大なスタジオ複合施設「ペイズリー・パーク」を同一視するのは難しい。
ミネソタ州ミネアポリス近郊チャナッセンにあるこの施設は金網に囲まれ、少なくとも外から見た感じでは、“神秘的なユートピア”というよりは、イケアの店舗に近い印象を受ける。
だがその内部は、プリンスが作った巨大なスタジオ複合施設と聞いて、誰もが想像するようなものだ。
紫色がふんだんに使われていて、1990年代、プリンスの名前の代わりに使われたあのシンボルマークが至るところにある。天井からぶら下がっていることもあれば、スピーカーやミキシング・デスクにペイントされていたり、シンボルマーク形のネオンサインがあったりもする。
「ギャラクシー・ルーム」と呼ばれる部屋があって、そこは瞑想のために使われているようだ。紫外線ライトに照らされた室内の壁には、惑星の絵が描かれている。
施設内にいくつかある壁画はプリンスの描いたものだ。
またライブ会場も2つある。
1つは広い格納庫のような空間で、食堂まである。4ドルの人気スイーツ「ファンキー・ハウス・パーティー・イン・ユア・マウス・チーズケーキ」を求める人の列ができていた。
もう1つは少し小さめで、ナイトクラブのような内装が施されている。
そして私がいまいるのは、この後者のステージの上だ。
ここには私を含めて、5人の欧州メディアを代表する記者たちがいる。
私たちは文字通り、プリンスの足元に座っているのだが、この彼の“足”は、特筆に値する。極端にぶあつい厚底のビーサンをはいており、しかも靴下もはいているのだ。靴下とビーサンの色は、着ている服と同じで、白い。
ちなみに服は、タイトなベルボトムのパンツに、袖口がラッパ型の長袖Tシャツだ。10代の少年のようにスリムで、アフロヘアーを誇らしげにキメている。
57歳になっても必要以上にハンサムなプリンスは、一言で言って、スゴい。
他の人ならマヌケにしか見えないファッションをかくも堂々と、この上なくクールに着こなすプリンスのセンスは、彼の数ある才能の一つだ。
「次」のツアーでは「片手を後ろ手で縛る」
さて、どうしていま私たちがステージの上でプリンスの足元に座っているのか。
もちろんプリンスを取材するためだ。
私たちはペイズリー・パークに急きょ召集された。その理由は、「プリンスが2日前の夜中にブレーンストーミングをした結果」、記者たちを呼ぶのが、欧州ツアーの実施をアナウンスする最良の方法だと悟ったから、とのことだった。
ペイズリー・パークの全景
PHOTO: BOBAK HA’ERI
というわけでペイズリー・パーク内に入ると、まず施設内のツアーに連れて行かれた。
ツアーにはプリンスが立ち上げたレコードレーベル「ニュー・パワー・ジェネレーション(NPG)」のスタッフのトレバー・ガイが同行した。
彼はとても親しみやすい人で、プリンスの才能について情熱的に語る。
だが「プリンスは実際、ミネアポリスのどこに住んでいるのか」という記者の質問に対しては、「ここには、住んでいません。どこに住んでいるのかは、私も知らないんです」と歯切れが悪い。
ツアーが済むと私たちは、「ちょっとしたもてなし」を用意していると告げられる。それはプリンスの“愛弟子”アンディー・アローがプリンスのギターに合わせて歌ったカバー曲をレコーディングした音源だった。
こうして私たちはペイズリー・パークの小さいほうのライブ会場に案内され、アンディー・アローが英国のバンド、ロキシー・ミュージックの「夜に抱かれて」を歌うのを聞いていた。
すると突然、ステージにプリンスが現れて、私たちにステージにあがるよう手招きをした。こうして取材が始まったわけである。
プリンスによれば、日程はまだ決まっていないが、欧州ツアーのコンセプトは決まったという。舞台には1人で立ち、ピアノを演奏する。そんなスタイルのライブを、一連の会場で展開していくのだ。
「私は、悪い評を書かれることがないのでね」と彼はさらっと言ってのける。
「そんなわけで、自分にチャレンジすることにした。片手を後ろ手で縛るように、これまで30年間、使ってきた技術には頼らない。
ステージに上がった時には、何を弾くかはわからない。本当だ。知る必要もないんだ。バンドがいないからね。次に歌う曲は、前の曲のテンポやキーなどの要素によって決まる。だから、『ああ、ヒット曲を歌わなきゃ』とか『このアルバムの曲を通してやらなきゃ』とかいった感じとはまったく違う。
手持ちの曲はそれこそ無数にあって、選ぶのは難しい。でもだからこそ、やってみたいんだ」
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