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【2】
最初に気づいたのは、近くにいたシュバイドだった。
ジグルスに向かっていたアンデッドモンスターを殲滅した後、周囲の気配を探った際にヴィルヘルムの反応がないことに気付いたのだ。
シンやシュニーよりも狭い範囲とはいえ、シュバイドの感知範囲も一般の選定者をはるかにしのぐ。だというのに、どれだけ気配を探っても全く反応がない。シュバイドが記憶に残っている範囲でヴィルヘルムのいた場所に向かうが、手掛かりらしいものは発見できなかった。
ヴィルヘルムが伝言の一つも残さずにどこかへ行くような何かがあった。そうシュバイドが考えるのは、時間の問題だった。
「(こっちはけりがついた。そっちはどうだ?)」
「(モンスターは殲滅した。だが、妙なことになっている)」
タイミング良くかかってきた心話で、シュバイドはシンにヴィルヘルムの姿が見えないことを話す。
武器の性能が上がったこともあり、ヴィルヘルムの力はシンたちと出会ったころよりも上昇している。本人も多くの修羅場を乗り越えた経験があるだけに、いなくなったのには相応の理由があるのは明白だ。
後始末を済ませたシンたちもシュバイドに合流して周囲を捜索する。
ヴィルヘルムの反応をさがして意識を集中するシンとシュニーだったが、感知範囲内には反応はなかった。一応シュバイドも調べた場所に向かうが、やはり手掛かりといえるようなものは発見できない。
「大きな戦闘の跡はない。となると、何かと戦って連れ去られたってことはないと考えていいのか?」
「相手が頂の派閥の関係者なら、人質をとって抵抗できなくさせたということも考えられます。もしくは、精神系の魔術でも可能です」
情報が少ない現状では、推測をたてるにも限界がある。そこへ、感知がシンたちほどではないので足で手掛かりを探していたティエラとカゲロウが戻ってきた。
「何かわかった?」
「いや、やっぱり周囲に反応はないな。そっちは?」
「……これってものは見つからなかったけど、そうね。気になった場所ならあるわ」
「気になった場所?」
シンの問いかけに一瞬沈黙したティエラ。小さく息を吐いてから、問いかけに答えた。
「案内するからついてきて」
それだけ言って、ティエラはカゲロウに指示を出す。現在のメンバーでは一番足の遅いシュバイドに合わせながらカゲロウが向かった先は、これといった特徴のない林だった。
シンの目には周囲との違いは感じられない。それはシュニーやシュバイドも同じようで、その瞳には困惑の色が混じっていた。
「こっちよ」
カゲロウから降り、ティエラが林の中に向かって歩き出す。カゲロウは小さくなってティエラの足元を歩いている。
ティエラとカゲロウに数歩遅れる形で、シンたちも林の中へと足を踏み入れた。歩いて数分もしないうちに開けた場所に出る。そこに踏み入る一歩手前で、ティエラは足を止めていた。
「気になった場所っていうのは、ここか?」
「ええ、信じてもらえないかもしれないけど、ここには少し前まですごく強い瘴魔がいたはずよ」
「瘴魔が?」
ティエラの言葉にシンは表情を険しくする。シュニーとシュバイドも同じで、最も近くで戦っていたシュバイドはとくに表情が険しい。
ただ、シンやシュニーと違い、いくらレベルとステータスが高いとはいえ、近接戦闘職であるシュバイドに2人ほどの広範囲策敵能力はない。相手が隠蔽などのスキルを使っていたとしたら、発見できなくてもおかしくはなかった。
「このタイミングでってことは、ヴィルヘルムに何かしたのは瘴魔か?」
「そうなると、かなり高位の個体でしょう。名持ちの可能性もありますね」
「うむ、それなら隠密行動も可能だろう」
高位の爵位をもつ瘴魔には、シュニーやシュバイドに匹敵する力をもった個体もいる。それを考慮すれば、ヴィルヘルムが抵抗せずに、もしくはできずに連れていかれたとしてもおかしくはなかった。
「えっと、疑ってないの?」
疑う素振りも見せないシンたちに、ティエラの口からついそんな言葉が漏れた。
「ん? なんで疑うんだよ。ティエラはこの状況で嘘や冗談を言うような奴じゃないだろ」
「でも、ただの感覚だし。……証拠だってないし」
「そりゃそうだけどさ、少なくとも俺たちはティエラを信用してる。だから、そこに証拠なんてなくても信じるのは当然だろ」
消え入りそうなティエラの言葉に、それが当たり前だとシンは何の疑いもなく返す。
そもそも、この世界は魔力やらスキルやら説明が難しい力が複数存在しているのだ。瘴気や瘴魔を何らかの形で感知できたとしても、何の不思議もない。
さらにいうなら、エルフやピクシーは五感に加えて第六感。いわゆる勘と呼ばれるものが鋭い。対象は人それぞれだが、ティエラはその生い立ちゆえに悪意や害意に敏感である可能性は十分あった。
「俺はわずかだけど瘴気の名残みたいなものを感じる。皆はどうだ?」
「我は何も感じぬな」
「私は瘴気ではないものを感じます。悪いものではないように思いますが」
ここまで接近したことで、わずかではあるがシンとシュニーはこの場に残された気配を感じていた。
「シンとシュニーで感じているものが違うようだが」
「俺が感じてるのは、たぶんティエラと似たようなものだと思う。シュニーが感じてるのは、なんだろうな」
瘴気に触れる機会はあったので、シンもそれは理解できた。しかし、シュニーの言う、瘴気ではないものの気配というのは理解できなかった。
「少なくとも、瘴気ではないですね。アイテム類も変わったものは持っていなかったはずですし。……そういえば、シンはヴィルヘルムの持っていた槍を強化していましたよね。それはどうですか?」
「たしかにヴィルヘルムの武器はベイノートに変化したが、あれにそんな効果があったか?」
シンは記憶の中からベイノートの性能を引っ張り出して考える。聖槍の名を持つだけに、アンデッドに対する効果は高い。瘴魔にも多少は効果があるが、あくまでおまけという程度だ。
今回のように、瘴気の気配の濃い場所ですら感じられるほどの強い何かを持っているわけではない。
「しいて言うなら、等級が変わってたな」
「等級が?」
「ああ、神話級から古代級に一段階上がってた。それが関係してるのかもしれない。詳しいことはわからないけどな」
仮にそうだったとしても、現状では手掛かりにはなりそうになかった。
手分けして周囲を捜索するが、これといったものは見つけられず、時間だけが過ぎていく。
「……これだけ探しても、なにもないか」
「こっちは何も見つからなかったわ」
「我もだ」
「私もです。戦闘をした様子もないですし、やはり操られたか人質をとられたのでしょう」
散らばって調べていた面々が結果を報告する。
結局のところ、わかったのは手がかりはないということだけだった。
「仕方ない、一旦戻ろう。これ以上ここにいても進展はなさそうだし、なんだか嫌な予感がする」
ミリーの誘拐からずっと後手に回っている。だからだろう、シンにはこれで終わりとは思えなかった。
◆
「これは……!」
「え、なに?」
突然声を上げたシンに、ティエラが驚く。
調査を切り上げてパルミラックに戻ってきた矢先、シンは異変を察知したのだ。
「睡眠薬ですね。気化させて施設全体に効果を及ぼしているようです」
「くそ、やっぱりこっちもか」
シュニーが異変の正体を看破するも、もはや手遅れであった。
シンがパルミラックの機能を使って検索するも、やはりというべきか、ハーミィの姿がない。
「こっちの情報が漏れてたのか?」
「わかりません。私たちの知る限り、操られていたような者はいなかったはずですが」
真っ先にシンたちの頭に浮かんだのは、ハーミィたちを操っていた首輪だ。
しかし、使者を待っている間に確認した際には、他に誰も首輪をつけていなかった。状態異常についても同様で内部の誰かが操られて、という可能性は高くない。
ただ、自分の意志で動いている場合は首輪のあるなしなど関係ないので、内部に頂の派閥の関係者がいないとは断言できないのだが。
「毒じゃなかっただけましと思うしかないか。仕方ない、とりあえず薬を散らそう」
風術系スキルを使って、空中に漂っている薬品を吹き散らす。肉体に負荷をかけるようなものではなかったので、影響を受けた人々はただ眠っているだけだ。
夜というもともと人が眠りにつく時間帯だったこともあって、大きな混乱は起こっていない。しいて言うなら、通路や床で眠ってしまったものが風邪を引くかもしれないということくらいだ。
「セキュリティを甘くしてたのが裏目に出たな」
「しかし、そうでもしないと教会内にこれだけの人をとどめておくことはできません」
ガリガリと頭をかくシンに、シュニーが仕方なしと言葉をかける。
実際問題としてギルドメンバーでもない教会の人間を、表層だけとはいえ大量に受け入れたままではパルミラックの防衛機構を100%機能させることはできないのだ。機能させたいのなら一部の人間をゲストとして一時的に排除対象からはずすか、全員に出て行ってもらうしかない。
教会内にいる人間は教皇から見習いまで含めれば軽く100人以上。さすがに全員をゲストにはできない。
「ケーニッヒまでやられたのか。いや、剣を抜いてるな」
何か手がかりでもないかとシンたちはハーミィの部屋にやってきた。内部の状況を見たシンは、倒れている者の中でケーニッヒだけが剣を抜いていることに気がつく。
「こっちは俺が見る。シュニーたちはリリシラたちのほうを頼む」
「わかりました。目を覚ましたらつれてきます」
シュニーがリリシラの部屋に向かう。
シュバイドやティエラにも状態異常の解除をするように頼み、シンはケーニッヒに向き直った。
「おい、起きろ! 何があった!」
睡眠の状態異常を解除し、シンはケーニッヒを揺さぶる。選定者ゆえの抵抗力か、状態異常が解除されるとケーニッヒはすぐに目を覚ました。
「シン、殿? は、ハーミィ様は!?」
意識が覚醒するとすぐに飛び起きて周囲を確認するケーニッヒ。目の前にいるのがシンだとわかると、ハーミィがどうなったかを問うてきた。
「悪いが、俺たちも今来たところなんだ。使者もモンスターで、情報らしい情報は得られなかった」
「使者は囮だったと。くっ、私がついていながら……」
己のふがいなさを悔やむように、ケーニッヒは拳を握り締めた。
「このマークは、蛇円の虚か」
ハーミィの部屋に残されていたマークを見て、シンは犯人の目星をつける。地下に残されていたマークと同じものだった。
「間違いない。ハーミィ様をさらいに来た本人もそう言っていたからな」
「犯人を見たのか?」
ケーニッヒの発言に何か手がかりにならないかとシンが食いつく。
「体に異変を感じてからしばらくして、部屋にフードをかぶった人物がやってきた。マントとフードのせいで顔も性別もわからんが、本人はミルトと名乗っていた」
ケーニッヒは自身が覚えている限りの情報をシンたちに伝えた。
かなり小柄であること。声音からも男女の判断はつかなかったこと。不調だったとはいえ、自分の攻撃を余裕を持って回避していたことなどを列挙していく。
「私が覚えているのは、このくらいだ」
「いや、十分だ。たぶんだが、俺はそいつを知ってる」
「なに?」
シンの言葉に今度はケーニッヒが食いついた。蛇円の虚は組織としては有名だが、その構成員は謎が多いのだ。
「思い出したんだ。小柄で性別のわからない声、上級選定者をものともしない戦闘力。ついでに今回使われてた薬にミルトって名前までそろえば間違いない」
シンが思い出したのは偶々だ。シンの斬ってきたPKは大部分がシンに憎しみや恨みのこもった顔を向けるか、もしくは現実を見ていないような歪んだ笑顔を向けてきた。
そんな中で、妙に楽しげな笑顔を浮かべていたのがミルトだ。
THE NEW GATEがゲームだったころから有名でもあったので、辛うじて印象に残っていた。
命の削りあいが楽しくてたまらない。ぎりぎりの死線でこそ生を感じるといったタイプで、強い相手なら人だろうがモンスターだろうがどっちでもいいと公言していたという。
THE NEW GATEがデスゲームとなってからもそれは変わらず。そのプレイスタイルと独特の考え方から、疎まれつつも最前線のボス攻略には必ずといっていいほど乱入する異端者だった。積極的に弱い者を狩るようなことはなく。戦っているときはいたって真面目に攻略組に協力していた。戦闘が終わると即座に逃げるのは一部では有名な話だったが。
使えるものは何でも使う主義。戦闘と逃走のどちらにも使えるということで、毒物の扱いが非常にうまかった印象がある。
それが、シンの知っているミルトだ。
(誘拐に手を貸すようなやつだったか?)
ミルトのことを思い出してシンが一番最初に感じたのは、違和感だ。
その行動の異常さゆえに、ミルトの立ち位置は少々複雑だ。PKといえばそうなのだが、PKたちの多くが行っていたプレイヤーへの強襲や強盗行為、快楽殺人などには参加しなかった。シンが知らないところで参加していたのかもしれないが、少なくともシンがミルトを斬るまでそんな情報は届いていない。
PKらしからぬPK。そんなミルトが誘拐に手を貸している。それがシンに違和感を感じさせていた。
「教えてくれ。奴は一体」
「……所謂戦闘狂だ。人を切ることは躊躇しないが、俺が知る限り、人さらいなんて面倒なことをするタイプじゃないんだが」
シンも自分の知っているミルトの情報を、PKなどの用語をぼかしながらケーニッヒに伝える。
「シン殿の言うことが正しいのなら、そのミルトという人物が蛇円の虚に所属しているのは理解できる。あの組織なら国の依頼で強大なモンスターや、凶悪犯の討伐といったものも多いはずだ。頂の派閥に関しても、強くなった相手と戦うことが目的だろう」
「そりゃ、たしかに」
ケーニッヒのいうことはもっともだ。善悪問わず強者と戦う機会があるというのなら、ミルトが参加していてもおかしくはない。
「とりあえずそれはおいとこう。どちらにしろハーミィを取り返しに行けば戦うことになるんだろうし。今はミルトがどこに行ったかだ」
違和感を棚上げし、シンは話題を変える。
一連の騒動が偶然でなければ、ヴィルヘルムも同じ場所にいるだろう。
「頂の派閥の拠点に向かったと見て、間違いないでしょう」
「早かったですね……大丈夫ですか?」
シンはリリシラの言葉に振り向き、若干足取りが不安定なことに気づいて声をかけた。
「強制的に眠らされていたので多少ふらつきますが、問題ありません。それで行き先の件ですが、我々のほうでも一応の目星はつけてあります」
ブルクたちのことを調べる過程で、儀式に使えそうな瘴気の溜まりやすい場所をピックアップしていたらしい。
「教えてもらっても?」
「もちろんお見せします。一旦テーブルのほうへ移動しましょう」
シンたちのいる場所には小さなテーブルしかないので、隣の部屋へ移動する。リリシラは懐から一枚のアイテムカードを取り出し、テーブルの上で具現化させた。
出現したのは一枚の地図で、描かれているのはジグルスを中心とした地図だ。範囲こそそれほど広くないが、その詳細は以前シンがベイルリヒトで買った地図とは天と地ほどの差がある。
「我々が儀式に使えそうだと考えている場所は3ヶ所です」
そう言って、リリシラは地図の上に黒い石を2つ置いた。ジグルスを中心に北東にある山の中腹あたりに1つ、南西の森林地帯に1つだ。
「もう1ヶ所は、この地図のさらに先、ジグルスの南東にある海辺の洞窟です。どの場所も、地下へと続く洞窟があることが確認されています」
「瘴気が溜まっていると考えたのはなぜです?」
洞窟ならば他にもありそうだと、シンは疑問を口にした。
「今挙げた3ヶ所は、かつて大規模な戦闘が起こり、多くの犠牲者が出た場所です。加えて、地脈の集まる場所でもあるとの情報があがっています。その両方を利用して、何かを企んでいるのではないかと我々は予想しています」
「なるほど、ユキやシュバイドはこれを見て何か思うことはあるか?」
長年さまざまな場所を渡り歩いた2人に、シンは意見を求めた。同時に、心話でユズハにも心当たりがないか聞く。
話を聞くと、可能性が高いのは海岸だとわかる。
「2人とも知っている海岸に向かおう。奴らは転移を使ったり飛行モンスターをテイムしたりしてるから、多少距離が離れていても関係ないだろうし」
ユズハの意見もあって、行き先を南東の海岸に決める。
バラけるということも考えたが、瘴魔の中にはシュニーやシュバイドだけでは対応できないような強力なものもいる。
加えて元プレイヤーのミルトも所属している蛇円の虚の存在もあり、戦力の分散はしない方針に決まった。
「すぐ出発といきたいが、一応全員が起きるのを確認しないとな」
「そうですね。広域散布しても効果を発揮するような薬です。別の症状が出ている人もいるかもしれません」
元プレイヤーの使う薬品は現在流通しているものより強力だ。死にはしないまでも、眠り続ける者がでる可能性は否定できない。
とはいえ、さすがに全員を叩き起こして回るわけにもいかないので、一行は朝まで待つことにした。長距離移動に際して食料の買い出しも必要だし、海岸の洞窟までの詳しいルートの確認も行わなければならない。
「(くぅ……ねむい……)」
「さすがにユズハは限界か」
「時間も時間ですから。残りは明日の朝にして、我々も休んだ方がいいでしょう」
ウトウトし始めたユズハを見て、シュニーが提案した。能力が高かろうと疲労はする。満足な睡眠をとれるだけの時間はないが、無理に起きていてもそうやることがあるわけでもない。
「そうだな。リリシラさんたちも一旦休みましょう。今の状態で頭を使っても、いい案は出ないでしょうし」
「そう、ですね。正直に言わせていただくと、少し辛いものがあります」
ルートの確認はそれほど時間はかからない。リリシラの不調やケーニッヒのダメージもあり、休むことにした。
シンたちも空いている部屋に入る。シンはユズハをベッドに寝かせると、自分もよこになった。
◆
翌朝。シンたちは薬の影響を受けた者たちが全員目覚めたのを確認して移動の準備を始めた。
食料の買い足しと移動ルートの再確認を終えると、一行は馬車に乗りこむ。
海岸の洞窟へと向かうのはシン、シュニー、シュバイド、ティエラ、カゲロウ、ユズハ、ケーニッヒの5人と2匹だ。
リリシラも行きたいと言ってきたが、カゲロウのいるティエラや上級選定者のケーニッヒのように一定以上の戦闘力がないのでパルミラックに残ることになった。
戦闘力という点ではシンたちと比べてケーニッヒも見劣りするが、残していくと勝手についてきそうだったので一緒に移動することに決まった。
「向こうに着いてからはどう動く?」
移動を始めてから数時間、野営の準備を終え、食事をとっているときにケーニッヒがそう口にした。
移動中は出している速度もあって御者が話し合いに参加できなかったのだ。
「敵に見つからずに潜入したいところです。儀式を潰すのも大事ですが、それよりも生け贄を解放する方を優先します。まずは交戦を避ける方向で行こうかと」
「たしかに、生け贄がいなければ儀式もすすまないだろうな」
相手の妨害をするにはそれが一番簡単で、一番早い。
「内部構造が分かればいいんですけどね。天然の洞窟じゃ見取図なんてないでしょうし、何より相手の戦力が未知数だ」
「私とシンで偵察に出ますか?」
「その方がいいだろうな。時間をかけたくないってのが本音だけど、焦ってしくじるのも怖い。もどかしいな」
シュニーの言葉にうなずくシン。どちらをとっても懸念が残る。成功率が高いのはどちらか、判断はつかない。
「私たちは待機してるしかなさそうね」
「そうだな。我らではシンやユキの足手まといにしかならん」
カゲロウがいるとはいえステータスの低いティエラや前衛職であるシュバイドに隠密行動をさせるというのは無理がある。本人たちもそれはわかっているようで、おとなしく待つことにしたようだ。
「いたしかたあるまい」
ケーニッヒも悔しげにしながらも待つことに決めていた。
その後も話し合いを続け、ある程度行動方針を決めるとシンはケーニッヒの武器の強化にうつる。
「さて、やりますか」
携帯用簡易炉をアイテムカードから具現化し、魔力を通す。炉の中心にゆらりと紫色の炎が灯った。
「さて、明日も早くから移動だ。さっさと寝よう」
武器の強化を追えると、シンはそう言った。
「見張りはどうするのだ?」
「神獣の警戒をくぐり抜けてくるモンスターなんてそうそういませんよ」
下手な警戒アイテムよりユズハとカゲロウの危機察知能力は高い。奇襲を受けることはほぼないと言っていいだろう。
加えて言うなら、馬車には簡易拠点として使用できるように出発前にいろいろと改造済みだ。中で誰かが休んでいるときは、フィールドボスでもなければ突破できないような障壁と防壁が展開される。
さらに、寝ていてもシンやシュニーの警戒網はほとんど緩まない。奇襲などあり得ないと言っていい状態なのだ。
「たしかに、な。モンスターが逆に逃げていくくらいだ。寝ていても恐れて近づこうとすらしないだろうな」
シンの言葉にケーニッヒも納得した様子を見せる。
夕食を取った後、一行は馬車で休むことにした。
◆◆◆
暗い部屋の中に、仄かな光が満ちていた。
20m四方の部屋の中心には、直径15mの魔術陣とそれを囲むように結界が展開されている。陣の上には、子供から大人まで20人ほどの男女の姿があった。
「くそおっ!! だせ! ここからだせええ!!」
誰のものとも知れぬ叫びが、部屋の中に響く。魔術陣の中で動ける者は、一様に必死の形相で結界を叩いている。その多くは男性で、腕の中に子どもや女性を抱えている者もいる。
その手には武器らしい武器はなく、服装も戦いを生業にしている者の服装ではなかった。
そう、魔術陣の中にいるのは、すべて一般人だ。
「おいおい、またやってんのか? あんたも好きだねぇ」
必死の叫びに交じって、呆れたような声が響く。
魔術陣から発せられる光に照らされて、闇の中で声の主の姿が浮かび上がる。
その顔はエイラインと呼ばれた人間の姿をしていた。
「おやその気配は、アダラ君か。久しいね」
答える声は、エイラインの顔をした人物をアダラと呼んだ。それが彼本来の名前だった。
「こんなんで足しになるのか?」
「塵も積もればという言葉が人にはあるらしいよ。まあこれは僕の趣味みたいなものだし、何かあればもうけものといったところかな。やはり愛する者を助けるために必死に動く様は、見ているだけで心を打たれる」
「どうせその後の絶望を引き立てる、とか言うんだろ? スコルアスも変わらんな」
部屋の上部。観覧席のようになっている場所でアダラは目の前で笑みを浮かべる人物、スコルアスに言った。
スコルアスと呼ばれた男は、貴公子然とした容姿を持つ人物だ。部屋を照らす光に照らされた白い髪と赤い目が、見る者の目を引く。社交界にでも出席すれば、貴族のご令嬢たちの注目の的になることは疑うべくもない。
階下で響く声を聞いて愉悦の表情を浮かべるような性格を知られなければ、の話だが。
「主は違えど瘴王に仕える者同士、共感してもらえると思うんだけどね」
「俺は寄生型、あんたは発生型。生まれの元が違うから嗜好も違うんじゃねぇのか? 変異型のやつらはあれ見たらとっとと食っちまうと思うぞ?」
すべての瘴魔は、最上位の階位である大公級の中でも最強たる三柱、瘴王と呼ばれる個体の配下だ。
瘴魔たちは、人の絶望や悲鳴を糧として瘴王を復活させることをこの世界に生まれた瞬間から自覚し、行動する。
ただ、あまりにも個性の強い個体は、その縛りすらも歪ませる。
アダラとスコルアスもまた、その強すぎる個性によって瘴魔としての頸木を引きちぎった者たちだった。
「その考えはわかるけどね。僕としてはもう少し協調性がほしいところだよ。部下はまだ目覚めていないし、マグヌムク君は消されてしまったようだしね」
やれやれと肩をすくめながら、スコルアスは言う。その様子からは、仲間が消されたことへの憤りを一欠けらも感じさせない。
「ん? あれはたしか、どっかの国に潜ってたんじゃなかったか?」
「君の連れている、そこの彼がいた国だよ」
言いながらスコルアスはアダラの背後に視線を向ける。そこには無表情のまま立っているヴィルヘルムの姿があった。
右手には獄槍ヴァキラが握られている。
「確か、ベイルリヒトだったか。あれは一応その辺の有象無象に倒されるようなレベルじゃなかったと思うが」
「近接の方の王女はいなかったらしいけどね。どうやら、僕らの知らない実力者がいたみたいだね。騒ぎにさえさせずに彼を封殺できるようなレベルの、ね」
障害が増えたというのに、スコルアスの表情は晴れやかだ。なんだかんだ言ったところで、スコルアスもまた、歯ごたえのある相手がいなくて退屈していたのだから。
「さて、こっちはそろそろ終わりかな」
スコルアスは視線を階下に向け直す。魔術陣の中では一つの変化が起こっていた。
結界を叩いているような体力のある者以外の、ぐったりとしていた者たちの体が光り出したのだ。
「あ、ああ、俺の、俺の子が!!」
赤子を抱えていた男の声が一際大きく響く。意識がなく、すでにかろうじて息をしている状態だった赤ん坊。その体が光の粒になって消えてしまったのだ。
男の腕の中には、赤ん坊が着ていた小さな衣服だけが残っている。
「っ!?」
その様子を見ていた他の者たちは、より一層結界を叩く手に力を込める。
力を入れすぎて拳から血がにじんでも、彼らは腕を休めることはしなかった。
「そ、んな……」
「ちくしょう!! 消えるな、消えるなよおおおお!!」
しかし、彼らがいくら力を込めても、結界は微塵も揺るがない。そもそもヴィルヘルムクラスの力がなければ突破できない結界だ。何の力もない一般人に、どうこうできる代物ではない。
「あ、あああああああああああああああああ!!」
1人、また1人と慟哭とともに地面に膝をつく。
その手の中には、彼らが命に代えても守りたかったものの、残骸だけが残っていた。
「ンビューーーーティフォオオオオオオオオオオオ!! 希望が消える瞬間の表情、ああ、これこそまさに芸術! そして、この慟哭、この絶望! 美ィ味! 実に美ィ味ィ!!」
両手を広げて、スコルアスは喝采を上げる。
まるで最高のパフォーマンスでも見たかのようなスタンディングオベーション。
しかし、その顔が向けられているのは涙と嗚咽と血に濡れた、生気の抜けた者たちの末路だ。
彼らもまた、愛しい者たちと同じように光となって消えていく。彼らが消え去ると、光っていた魔術陣の極一部が赤く染まった。気のせいだと言われればそれまでのような、あってないような変化だった。
「やれやれ」
愉悦に顔を歪ませるスコルアスを見ながら、アダラは肩をすくめた。
アダラもスコルアスのやっていることが理解できないわけではない。ただ、本人はそれを無駄だと思っていた。
もっと質のいい相手を見つけてきた方が効率的。それがアダラの考えであり、だからこそのハーミィ誘拐でもあったのだから。
「ん? ……ほほう。これは連れてきたかいがあったか?」
背後で気配が変化したのを感じたアダラが振り向くと、そこには相変わらず立ったままのヴィルヘルムがいる。そして、ヴァキラを握る手が、ギリギリと音をたてて握りこまれていた。体にまとわりつく靄も、所々で赤く発光して消えてはまた靄に覆われるのを繰り返している。その様はまるで靄を焼きつくそうとしているようだった。
操られ、意識がないにもかかわらず、目の前で繰り広げられる凶演に反応しているのだ。
それは、ヴィルヘルムがアダラの支配に反抗している確かな証だった。
「いいねぇ。そうこなくちゃな。後何人死ねばその槍を俺に向けてくる?」
支配が解かれる可能性があるにもかかわらず、アダラの顔に浮かぶのはスコルアスと同じ愉悦に歪んだ表情。己が好むものの為なら、人など何人死のうがどうでもいいという部分は共通しているのだ。
嗜好が違うとはいってもどちらも瘴魔、やはり2人は同類だった。
そもそも、頸木から解き放たれたからといっても最優先目標が消えるわけではない。目標へ向けての過程にこそ、明確な差が出るのだ。
それはアダラの瘴王復活という目的すら二の次にするような強敵との戦いに対する執着であったり、スコルアスの無駄ともいえるような絶望の演出や同胞に対する差別意識であったりと様々な形をとる。
現に、スコルアスは同じ大公級か公爵級でなければ、同じ瘴魔としてすらその存在を認識していない。マグヌムクなどただの駒扱いだ。
「おや、それは君の支配に抵抗しているのかい? なかなか活きがいいじゃないか」
魔術陣の中に、先ほどと同程度の人が黒いローブを着た者たちによって投入される。
その光景から視線を切って、スコルアスはヴィルヘルムに顔を向けた。
「いつも言ってるだろ。こういうのは質が大事なんだ。横取りすんなよ?」
「そんな無粋なまねはしないさ。ただ、彼の絶望の味には興味があるけどね」
べろりと舌なめずりするスコルアス。生き物の持つ負の感情をエネルギーにする瘴魔の中でも、スコルアスは飛び切りの大喰らいだ。感情のエネルギーは食べ物のように明確な量というのがわかりにくいものだが、それでも無限に吸収し続けられるものではない。同じ瘴魔でもレベルや階位、他にも個体に応じて吸収貯蓄しておけるエネルギー量には差があるのだ。
スコルアスは大公級の中でもとくに貯蔵できるエネルギー量が多い個体だった。
「彼を見て思い出したけど、ジグルスに行ったグールはどうなったんだい? 見てきたんだろう?」
今まで忘れていたという表情で、スコルアスは言う。
ハーミィの誘拐を援護したわけではないが、モンスターをジグルスに向かわせたのはスコルアスなのだ。
「ああ、とくに何ができたって感じじゃないな。協力してた司祭に化けてたやつに潰されてたぜ」
味方がやられたにもかかわらず、アダラの口調は軽い。そもそも、仲間意識というものが存在しているのかも怪しかった。
「一緒に行かせたメグラデには細工をしてあったはずだけど、それごとかい?」
瘴気によるモンスターの強化は、瘴魔にとっては当たり前のことだ。より従順に、より強靭に、モンスターを変化させる。
メグラデの戦闘力と生命力は高く、並みの選定者では相手にならないことをスコルアスは知っている。パルミラックは破壊できずとも、都市を半壊させるくらいはしてくるだろうというのがスコルアスの見立てだった。
「強化された状態でだ。最後まで見てると気づかれそうだったんでさっさと戻ってきたが、あれはやばいな。神獣を従えてやがった。俺やお前と同格か、それ以上とみて間違いない」
そう口にするアダラはヴィルヘルムのことを話していたとき以上に顔を歪ませていた。その場で戦いを仕掛けなかったのが不思議なくらいに。
「ああそうだ。一緒にいた奴らもヤバかったが、一人だけ知ってる奴がいたぞ」
「へぇ、それは興味深いね。それで知ってる奴っていうのは?」
「シュニー・ライザーだ。おまえも聞いたことがあるだろ? ハイヒューマンの配下だった奴だ」
「彼女が? そういえば、月の祠が消えたんだっけ。消されたのかと思ってたよ。瘴魔の中には彼女だけじゃ対応できない物騒な奴もいるし。恨み買ってるだろうしね」
「お前も人のこと言えねぇだろうに」
アダラはニヤニヤとした笑みを崩さずに言った。
アダラとスコルアスは現状ではとくに敵対していないが、瘴魔は基本的に仕える瘴王が同じ者同士で徒党を組む。
そして、別の瘴王の配下とはあまり仲が良くないのだ。
事実として、すでにスコルアスはアダラの仕える瘴王とは別の王の侯爵級や伯爵級瘴魔を少なくない数殺している。
モンスターは瘴気の影響を受けた際に、稀に瘴魔へ至ることがある。ゲーム時代からそのタイプの瘴魔は変化型と呼ばれていた。
スコルアスが殺したのは、まさにその変化型と呼ばれるタイプの瘴王の配下たちだ。
当然、そんなことをしていれば変化型の瘴魔に恨みを買う。スコルアスが狙われたことも1度や2度ではない。
「僕としては君にだけは言われたくないね。他の大公級も似たようなものだろう? 僕や君のような、個性を持った個体は気になんかしてないよ。してるのはただ本能のままに従ってるつまらない奴だけさ」
「それもそうだな。まあ、もしかするとシュニー・ライザーやらその連れやらがこっちに来るかもしれんってことだけ頭に入れといてくれや」
「了解だよ。ふふ、シュニー・ライザーの絶望はどんな味がするのかな」
「ぶれねぇな、お前も。俺は部屋に戻るから、何かあったら連絡くれや」
涎でもたらしそうなスコルアスを尻目に、アダラは踵を返して自らにあてがわれた部屋へ向かった。その後ろを無言でヴィルヘルムがついてくる。
しばらくして、洞窟の中に再び人々の慟哭が響き渡った。
◆
「ちょっと聞きたいんだが、海岸の洞窟っていうのはどの辺にあるんだ?」
ジグルスを出発して数日。
御者を務めながら【千里眼】のスキルで前方を見ていたシンは、海岸線を確認して馬車内に声をかけた。地図ではおおよその地点しか確認できなかったので、正確な場所を知っているだろうシュニーかシュバイドに道案内を頼むことにしたのだ。
「以前来た時とは地形が変わっているな。岩場があったはずだが」
「私もそう記憶しています。見える限りでは岩場はないようですが」
同じように【千里眼】で周囲を見回したシュバイドとシュニーが答える。シンも目を凝らして見てみるが、浜辺が続いているだけで洞窟の入口があると思えるような岩場は見当たらない。
「何か、目印になるようなものとか覚えてないか?」
「いや、覚えていないな」
「そうですね。これ、と言えるようなものはなかったと思います」
「……ちなみに、最後に見たのはいつごろ?」
2人の寿命を考えて、ふと思ったことをシンは口にした。
「およそだが、300年前くらいだと記憶している」
「私は、たしか400年くらい前だったかと」
「なるほど……」
答えを聞いて、なくなっててもおかしくないかとシンは思った。
この世界には陸海空どこをとってもモンスターが存在している。洞窟を崩してしまいそうなモンスターなど、ごろごろしているのだ。
モンスター以外にも、300年あれば自然災害で崩れるなり、地形が変わるなりしていてもおかしくはない。
「ふむ……(ユズハ、反応はどうなってる?)」
「(ちかくだけど、なんかへん)」
ユズハの追跡術を頼りにしようとしたシンの質問に、ユズハは落ち着きのない様子で答えた。
そのまま心話を続けて詳しく事情を聴くと、近くに反応があるのは感知できるのだが方向まではよくわからないと言う。
幼さゆえかうまく言葉にできなかったようだが、シンは追跡術の反応を検知させづらくする何かが発生しているのだろうという結論に達した。
「(ユズハの話、どう思う?)」
「(考えられるとすれば、やはり瘴気だろう。あれは人の感覚をも狂わせる。ユズハの術に、何か悪影響を与えていてもおかしくはない)」
シュバイドは瘴気の影響を考えたようだ。レベルの高い瘴魔には魔術スキルも効きにくくなるので、ユズハの追跡術式に影響してもおかしくはない。
「(私も同意見です。ユズハの力もまだ万全ではありませんし、儀式場があるのなら何らかの結界が張られている可能性もあります)」
シュニーの意見ももっともだ。瘴魔や派閥の人間からしても、万が一にも見つかってほしくはないだろう。人を遠ざけたり、見つかりにくくする隠蔽工作がされていると考えるのは当然だった。
「たぶん、瘴魔が遠くない距離にいるのは間違いないはずよ」
心話をするためにシンやシュニーが黙り込んでいたところに、ティエラが言った。
「わかるのか?」
「瘴魔の放つ瘴気って、人の感情から発生するものとは少し違うのよ。実際に瘴魔と対面して感じたことだから間違いないはずよ」
「となると、ここが正解の可能性が高いか。それが分かっただけでも朗報だ。とりあえず、浜辺沿いに走ってみよう。速度を考えて浜辺を正面に俺が左を、ユキは右で頼む」
ティエラの話を聞いて、シンは考えを口にした。
「わかりました。私たちなら短時間でもかなりの距離を稼げるでしょうし、30分ほど走ってそれでも見つからなければ、一旦戻るのはどうでしょう?」
「そうだな。必ずしも浜辺沿いにあるとは限らないし、それでいこう」
シュニーの意見にシンはうなずいた。シンとシュニーが本気で走れば、スポーツカーも真っ青な速度が出る。細かな探索はできないが、強化された動体視力をもってすれば洞窟のような大きな入り口を見逃すはずもない。
仮に隠蔽工作がされていても、シンとシュニーは斥候職の罠や隠し扉を発見するようなスキルをもっている。何か工作がされていれば、逆に見つけやすいくらいだった。
「場所探しとなると、私は役に立てそうにないな」
「何もなくても一時間ほどで戻ってきます。ここが奴らの儀式場の近くだとするなら襲撃される可能性もありますから、警戒をお願いします」
「承知した。そちらも気をつけてくれ」
馬車を浜辺の手前で止め、シンとシュニーはそれぞれ逆方向に走り出した。
砂を巻き上げながら、シンは波打ち際から少し離れた場所を駆ける。波打ち際の光景はほとんど変わらないが、反対側で木々や草花が飛ぶように後ろへと消えていくので速度が出ているのは間違いない。
「反応に変化はないか?」
「くぅ、かわらない」
不審な場所はないか周囲に意識を向けながら、シンは肩に乗ったユズハに問いかけた。
場所を移動することで何か反応に変化がないかと、連れてきたのだ。
「離れるような感じもなしか?」
「くぅ? ん~とおくなったような、かわらないような」
妨害はまだ効果を発揮しているようだ。
ユズハの言葉からするとシンが進んだ方向は外れかもしれなかったが、念のためさらに先に進む。
「くぅ! とおくなった!」
さらに10分ほど行ったところで、ユズハが声を上げた。距離が離れたことによる反応の変化までは妨害できなかったようだ。
「シュニー側だったか。戻るぞ、しっかりつかまってろ!」
砂を盛大に撒き散らしながらシンは急制動をかける。慣性の法則に囚われて放りだされそうになるユズハを左腕で支え、シンは元来た道を走りだす。
「くぅ! はやい!」
「周囲に気を配らなくていいからな! とばすぞ!」
帰り道に何もないことは確認済みなので、行きよりもさらに速度が上がっていた。
砂浜は走りにくいので、ある程度土が固まっている場所を走りながらシンはシュニーに心話をつなげる。
「(こちらシン。どうやらシュニー側が当たりだったみたいだ。走ってたら反応が遠くなったらしい。相手が移動してる可能性もあるから、空にも注意を向けた方がよさそうだ)」
「(わかりました。移動していた場合は、あとをつけます)」
「(頼む。シュバイドたちには俺からそっちに向かうように伝えておく。何かあったら連絡を)」
シンは一旦心話を切る。
相手に気づかれずに尾行するなら、シュニーの職業であるクノイチは最適だ。機動力に隠密性と、その手のスキルには事欠かない。
仮にばれても、強化された『蒼月』で武装したシュニーを倒せるような敵は多くない。もしシュニーより強い相手だったとしても、逃げるくらいは問題なくできるだけの能力とアイテムを持っている。
「問題は、瘴魔が何体いるかだよな。ゲームの設定を引きずっててくれれば、ティエラの見た1体ですむ。けどそううまくはいかないだろうな。でも、シュニーたちの話からして瘴魔が活動を始めたのは最近なんだし、活動してる奴自体が少ないってこともあるのか?」
少なくとも、シンは王である3体の瘴魔は復活していないと確信している。瘴王と呼ばれる個体たちは復活と同時に周囲に濃い瘴気を撒き散らし、瘴魔の軍勢を作り始めるからだ。
「どちらにしろ、まずは入り口を見つけないと始まらないか」
砂浜を爆走する馬車を前方に発見したシンは、考えを一旦保留にした。
馬車が巻き上げる砂を回避しながら追いつくと、併走しながら御者をしていたティエラに手を振る。
「えっ、もう戻ってきたの!?」
「ああ、一旦そっちに乗るぞ」
驚いているティエラに軽く返して、シンは馬車に飛び乗った。
砂の上という悪路をものともせずに走る馬車内は、外の豪快なさまとは裏腹に振動がほとんどない。もはや形以外は完全に別物となったがゆえの、脅威の走行能力である。
「さて、これからが本番だ。一応確認しとくけど、ティエラもアクセサリはしっかりつけてるよな?」
「もちろんよ。というか、防具から武器までステータスっていうのが許す限りグレードアップしたじゃない。まあ、私が一番弱いから、心配になるのはわかるけど」
今回向かう先のことやレベルが上がったこともあって、ティエラは装備を一新している。
服装も上半身はコルセットのような皮鎧の上から深い緑色のジャケットを羽織り、下半身は茶色のホットパンツに銀色の羽飾りのついたコンバットブーツのような靴を履いていた。腕には艶のある獣の皮でつくられた腕当てをしている。施された補正ボーナスで、ティエラのステータスは軒並み急上昇していた。
武器も当然別物に変わっている。
ティエラは以前の装備より胸元が強調される形になったのを気にしていたが、それが装備できる最高のものなので文句を言うにいえない様子だった。
だが、それとは別にパワーアップをしても、やはり自身の能力が飛びぬけて劣っていることは気になってしまうようだ。
「悪い、そういうつもりじゃなかったんだが。階位の高い瘴魔は選定者でも歯が立たないようなのがごろごろしてるんだよ。シュニーに無理に戦わないように言ったのも、負ける可能性が多少なりともあるからなんだ」
シュニーの部分だけ小声にして、シンはティエラに言う。
「師匠が、負ける?」
聞こえた言葉が信じられないという顔で、ティエラは前に向けていた視線を一瞬シンへと向けた。
専用武器である『蒼月』を取り戻したシュニーは、下手なボスモンスターよりもはるかに強い。加えて使用制限の一部が解かれた広域殲滅用の魔術スキルまで使えるのだ。敗北という言葉がこれほど似合わない人物もそういないだろう。
ただ、それでも油断ならないのが瘴魔なのだ。
「まあ、俺とシュバイドもいればそうそう危機に陥るってこともない。カゲロウもいるしな」
そう言ってシンは馬車をひくカゲロウを見る。ある意味そんなカゲロウや瘴魔より危険なものがシンの肩に乗ってくぅくぅ鳴いているが、現状では気にするものは誰もいない。
「シン殿が戻ってきたということは、ユキ殿のほうに反応が?」
シンとティエラの会話が終わるのを待って、ケーニッヒがシンに話しかけた。爆走している理由はすでにシュバイドから聞いているようで、あわてた様子はない。
「はい、儀式場があるかはわかりませんけど、ティエラがパルミラックで見たっていうやつがいるのは間違いないはずです」
「そうか、無事でいてくれればいいが」
誰に言うでもなくケーニッヒはそうつぶやいた。
◇
「(シュニーです。洞窟の入口を見つけました)」
走ること5分弱。
願っていた報告がシュニーから入る。
「(よし! 入口周辺の様子はどうだ?)」
「(近づいてみないと完全にはわかりませんが、妙なんです。隠蔽や侵入者を知らせるようなよくあるタイプの罠もなく、見張りもいないようです。魔力波探知で確認してありますので、内部に通じているのは間違いないのですが)」
喜んだのも束の間。シュニーの話を聞いて一瞬何の関係もないただの洞窟じゃないかと思ったシンだったが、続けて伝えられる情報にひとまず安堵した。
埋まっているアイテムや鉱石を探すのが魔力波探知の本来の使い方だが、それを応用して地下の隠し通路を探したり未踏破マップを埋めることもできる。シュニーが洞窟内のことを知ることができたのもその恩恵だ。
「敵の拠点が見つかりました。反応の主も拠点に向かってたみたいですね」
シュニーから判明していること一通り聞いてから、シンは馬車内のメンバーに伝える。
遠距離で当たり前のように情報のやり取りをしていることにケーニッヒが驚いていたが、心話のことは知っていたようでなるほどとうなずいていた。
心話が使える冒険者は全体からみて極わずかとはいえ、シンたちならばできてもおかしくないと納得したようだ。
「それは本当か!?」
「はい、ユキの見立てなら間違いないはずです。なのでちょぉっと離れてください」
入り口の話を聞いて険しい剣幕で迫ってきたケーニッヒを押し戻しながら、シンは答える。
相手側にプレイヤーがいる以上、シュニーすら欺く幻影タイプの罠が仕掛けられているという可能性も無きにしも非ずだが、さすがにその時は相手の技量を褒めるしかない。
罠作りにすべてをかけた職人の一品は、本職の斥候でも見破るのが難しいのだ。
「入り口付近には罠は仕掛けられていないようですが、念のためもう少ししたら馬車を降りて徒歩で向かいます。ケーニッヒさんはこれを」
シンは緑色の外套をアイテムカードから具現化させて、ケーニッヒに差し出す。
「これは?」
「隠蔽効果に特化させた魔道具です。その代わり防御能力はほぼないと思ってください」
シンが具現化したのはミラージュバタフライというモンスターの幼虫が出す糸を加工したもので、名を【隠糸の外套】という。高レベルの索敵や気配察知といった探知系スキルがないと発見すらできないモンスターの糸を素材にしているだけあって、外套を被っただけで周囲と見分けがつかなくなるほどの隠蔽性能を持つ。
装備によっては音や振動で察知されるが、じっとしていれば視覚情報を頼りに見つけることはほぼ不可能といっていい代物だ。
「これがティエラの分な。カゲロウは……必要なさそうだな」
「そうね。カゲロウは自分で隠れられるから」
「グル」
しばらく走ったところで馬車を止め、歩き出す前にシンはティエラに外套を渡した。
カゲロウの方を見ると、一声鳴いて周囲に溶け込むように姿を消す。ティエラの言う通り、自身の能力でどうにかなるようだ。
シンやシュバイドは自前でどうにでもできる。
「ユキはこの先の林の中にいるらしい。まずはそこを目指す」
シンは念のために魔術スキルの隠蔽と無音領域を使って隠密性を向上させる。
砂浜では足跡がつくので、少し距離をとって土の固まった場所を歩く。馬車の車輪の跡が心配になるところだが、そもそも砂浜で出すような速度で走っていなかったせいか跡が残るどころかただの砂浜と見分けがつかない状態だ。まき上がった砂が跡を消したようである。馬車を収納した後に重みで沈んでいたところを隠せばそれで終わりだった。
(一応警戒しとくか)
念のためと索敵に気配察知、他にも罠感知など探知系のスキルを総動員して周囲を警戒する。モンスターの影も罠の気配もないが、どこか肌がピリピリするような気がした。
スキルとは別の、言葉にできない感覚だった。
(分からないのはスキルに頼らない技術が、能力に追いついてないからか)
常々思っていたことが、ふと思い浮かぶ。
いくら能力が高かろうが、ゲームで戦っていたくらいで達人のように気配を消したり察知したりできるようにはならない。シンに関して言えば、それができるのは人を相手にした殺し合いのときだけである。
モンスターの気配などはもっぱらスキル頼りだ。
「これが終わったら、鍛え直さないとな」
なぜ今そんなことを思ったのかは、シンにもわからない。ただ、このままではいけない気がした。
「何か言った?」
「いや、なんでも」
無音領域内では基本的に音が消えるが、範囲内の音を外に漏らさないようにもできる。なので、普通に話していても問題はなかった。
「さて、そろそろユキがいる林が見えてくるはずだが……あっちか」
マップに表示されているシュニーの反応を見て、シンは進路を変え早足になる。5分ほど行くと木がまばらに見え始め、さらに10分ほどで木々が密集している林が見えてきた。
「いた」
シュニーの方もシンの反応に気づいたようで、林の中から合図をだしていた。パーティを組んでいる状態では、たとえ周りから見えなくても本人たちは互いの姿が見えるし声も聞こえるのだ。
「俺たちがくるまでに何かあったか?」
「いえ、とくに人の出入りはありませんでした。入り口はあそこです」
シュニーが指差した方向に一同が視線を向ける。
「なるほど、だから見えなかったのか。もしかして、知られていない入り口なんじゃないか? 海底洞窟を利用してるような感じだが」
「確かに、それなら見張りがいないのも納得できる」
視線の先にあるのは海。しかし、シンとシュバイドの目には水中に存在する3メルほどの洞窟の入り口が確認できた。
シュニーの言うとおり、見張りや罠の気配はない。
「えっと、海しか見えないんだけど」
「私もだ」
「入り口は海中にあるみたいだ。浜辺から20メルくらい離れた場所の海面下に間違いなくある。ちょうどそのあたりから一気に水深が深くなってるんだ。入り口というか、3メルくらいの穴が開いてる」
水中を見通す能力のないティエラとケーニッヒに、シンが見た情報を伝えた。
モンスターの跋扈する海岸で泳いだり釣りをしたりする者はいないので、まず見つかることはないと言える。
「海の、中?」
「ああ、たぶん正規の入口が別にあるんだろ。明らかに常用する感じじゃない」
シンの予想が当たっていれば、非常に運がいいと言える。相手が把握していないルートなど、そうそう見つかるものではない。
「でも、見つかってないなんてことあるのかしら? 自分たちが使う場所なら、入念に調べると思うけど」
「それについては、私も同意見だ」
ある程度シンから情報を得ていたティエラとケーニッヒが、それぞれ気になったことを口にする。
「洞窟内部についてはもうユキが魔術スキルで調べてくれてる。中はある程度進むと水がなくなってるみたいなんだ。あと、水中でも戦えるようにする手段もあるから安心してくれ。というかティエラに関しちゃすでにほぼ準備は整ってるしな」
「ああ、そのためのあれだったのね」
シンの言葉を聞いて、ティエラが納得した様子でうなずいた。海の近くということで、ティエラの防具にはある付与が施されているのだ。
「ティエラ殿の言う、あれとは?」
「防具の付与には、水中で活動するために形状を変化させるものがあるんです。ティエラの服にはそれがすでに施されているので、正常に発動するか確認しておいたんですよ」
水中での活動を補助するスキルもあるが、全身鎧に代表される重量のある防具を装備しているとそれもたいした意味を成さない。
泳ぐ以前に沈むのだ。スキルが効果を発揮している間だけ溺死しない。ただそれだけだった。
たとえ軽装でも移動、攻撃、防御などあらゆる速度にマイナス補正がかかる。それが『THE NEW GATE』における陸上用装備で行う水中活動である。魚のように泳ぐには相応の準備と訓練が必要で、その第一歩が防具に【形状変化】の付与を施すことなのだ。
状態を確かめたケーニッヒ
「では、まずは私とシンで偵察をしましょう。海中は水の流れもありますから、思いがけない危険がないとも限りません」
シンたちの準備が終わったのを見計らって、シュニーが声をかけてくる。
先に話していたことなので、他のメンバーからの異論はない。
「俺が先行する。警戒しつつ、ついてきてくれ」
「はい」
浜辺に出るとシュニーが装備を変化させた。
日の光の下に、シュニーの白い肌がさらされていく。
薄い青色のビキニに左ひざまである長めの純白のパレオがシュニーの装備の水着形態だ。パレオは左足側に偏っており、右足はほとんど隠れていない。
敵地潜入とさらわれた者たちの救出という優先するべきことがあるがゆえに、揺れる胸元に視線がいくようなことはなかった。
(こんな状況じゃなきゃのんびり海水浴といきたいところなんだがな)
おのれ瘴魔め、とわずかな恨みを抱きながらシンは波に逆らいながら海へと潜る。シンの隣でシュニーも同じように海へと潜った。
海中は数メル先まで見えるだけの透明度がある。この世界で泳ぐのは初めてなので、シンはゆっくりと体を慣らすように進んだ。
(違和感は、ないな)
現在の体になってから少なくない戦闘をこなしているのもあってか、力の加減もかなり上達している。他人の体を使っているような違和感は特になく、ゲーム時と同様に思う通りの泳ぎができた。魔力のような未知の感覚ではないので、慣れもある。
「息も問題なし。シュニー、聞こえるか?」
特定の環境でのみ効果を発揮するスキルの1つ【潜水・Ⅹ】を発動させながら、シンはシュニーに話しかけた。
これは水中での活動を補助するスキルで、スキルレベルが上がると水中行動によるマイナス補正も緩和してくれる。呼吸や会話もできるようになり、地上にいるときと同様のコミュニケーションが可能だ。
レベルが低いうちは10分程度しか持たないが、最大レベルであるシンなら休みなしで1日中海に潜っていることもできる。
「はい、会話も大丈夫のようですね」
シンの耳にシュニーの言葉が届く。雑音もなく、地上にいるときと遜色ない。
「じゃあ、いくか」
スキルが問題なく発動していることを確認して、シンとシュニーは洞窟の入り口に向かう。周囲には人だけでなくモンスターの気配もない。
互いにうなずきあって罠を探すが、何も仕掛けられてはいなかった。
「本当に、何もないな」
「ここまで無防備だと、誘い込むのが罠だと考えられなくもないですが」
シュニーの懸念も一理あるとシンは魔力波探知と索敵、気配察知を併用してより深く、広く洞窟内を探る。
しかし、待ち伏せしているような反応はない。地形も待ち伏せに適しているといえるような場所がなかった。
「少し先までいってみて、何もないようなら全員で進もう。向こうが把握しているかどうかなんて、俺たちには判断のしようがないしな。警戒しながら進もう」
「仕方がありませんね」
疑い出せばきりがないので、割り切ることにした。時間をかけて、ハーミィたちの危険が増しては意味がない。
入り口から洞窟内に入り、罠を警戒しながら進む。
「誰かいるな」
「こちらには気づいていないようですね」
シンとシュニーは10分ほどで、小さな湖のようになっている場所にたどり着く。マップによると水中から洞窟内に出られるのはこの場所だけだ。
水面を照らす明かりと気配察知の反応から、湖にいる人物は1人で浅瀬にいることがわかる。
シンは隠蔽を発動させながら、湖面から顔を出す。
視線の先には洞窟の天井と湖面の中間に浮かぶ光る球体と、シンに背を向けた状態で腰まで水に使っている誰かの姿があった。
球体は光術系魔術スキル【インスタント・ライト】だ。攻撃力も防御力もない、ただ光るだけの球体を作るスキルである。暗い洞窟を探検する際によく使用されているスキルだ。
人のほうは見えている上半身は裸だった。白い髪はショートで背丈は低い。体つきも逞しいとは言いがたく、線の細い少年か小柄な少女といったところだ。
その姿を見てシンがもしやと思ったところで、分析が発動する。
――――ミルト Lv.255 奇術師
――――付与:魅了・Ⅹ 睡眠・Ⅷ 錯乱・Ⅸ
(予想が当たったか。つうかなんだこれ……)
事前に話を聞いていたので一番最初に浮かんだ名前がミルトだったのだが、さすがのシンもこの状態異常は予想していなかった。
そもそも睡眠にかかった状態では眠って動けなくなるのだ。だというのに、ミルトは違和感なく動いている。とはいえ、このような状態に心当たりがないわけではない。ベイルリヒトでシンとリオンを聖地に転送したグレリール枢機卿も、同じように魅了と混乱がかかっていた。その状態で操作盤を操作していたことを考えれば、状態異常にかかっていながらある程度の思考能力が残っていたことになる。それは、現在のミルトに通じるものがあるようにシンは思った。
それを踏まえて、さてどうするかとシンは考える。ミルトはハーミィをさらった張本人。蛇円の虚に所属しているのも間違いない。敵と判断しても問題はないだろう。
おまけに今は装備をはずしていて防御力が極端に落ちている。不意を突いて攻撃すれば、確実に仕留められる状況だ。
「(ハーミィさんをさらったという相手ですね。今なら騒がれる前におとなしくさせられると思いますが?)」
「(確かに捕らえられなくはないが、あいつは元プレイヤーだ。心話は麻痺していても使えるのか?)」
「(できます。ずっと眠らせておけば、連絡させないことも可能ですが)」
「(もう睡眠がかかってるからな。あの状態で動いてるってことは眠らせ続けるのは無理だ。気絶させ続けるってのも難しい。心話が使えるんじゃ拘束も意味がない。そうなると、あとは……)」
殺すしかない。
言葉にはせずに、シンは水を浴びているミルトを見つめる。
そんなシンを、シュニーは不安げに見ていた。
(ゲームではありえない状態、解決策は知らない。なのに、まだ間に合うって感じるこの感覚は何だ?)
言葉で説明できない感覚に、シンはどう動くか数秒迷う。殺すというのはあくまで敵として対応した場合だ。どう考えても正気であるはずがないミルトを、敵として扱っていいのかという思いがシンを迷わせた。
「……そこにいるのは、誰だい?」
ほんの数秒。その間を狙ったかのように、わずかな水音だけが支配していた空間に軽やかなソプラノが響く。
振り向いたミルトの赤い瞳は、間違いなくシンとシュニーのいる場所を見ていた。ただ、視線は向いていても視点があっていない。
「……あれ? シン、さん?」
「っ!?」
ミルトの口から出た名前に、シンは驚く。
今のシンは水面から目から上だけを出している状態だ。相手を完全に認識していない状態では分析は発動しない。
ミルトはデスゲームに捕らわれたプレイヤーの中では上位に食い込むステータスの持ち主だ。分析でシンの名を看破したことはおかしくはないが、なぜ認識できたのかという疑問が残る。
「(俺が対応する。ミルトが気づいているのが俺だけか、俺たちかはわからないから、シュニーは隠れていてくれ)」
「(分かりました……彼女の精霊も様子がおかしいようです。気をつけてください)」
シュニーの言葉に前を向いたままうなずいて、シンは自分に意識が向くようにわざとらしくならない程度に音を立てて浅瀬に上がる。
その間も、視線はミルトからはずさない。
「なぜ俺がいるとわかった?」
「僕は精霊術の中でも水属性を一点集中で鍛えてたんです。水精霊は親友で、シンさんがいたのは海の中。これ以上の説明はいりませんよね」
「ああ、ゲームにはなかった技術……いや、そういう枠にはめるもんじゃないか」
シンは精霊がどういうものかわからない。あまりゲーム的な考えをするのはよくないと、自らの意見を取り消した。
「理解が早くて助かります。ところで、僕も聞きたいことがあるんだけど、いいかな? ああ、他の人にチャットで連絡とかしてないから安心してよ」
「そりゃどうも。で、聞きたいことっていうのは?」
シンの問いに、ミルトの表情が真剣さを帯びる。数秒間、じっとシンを見つめてから言葉を発した。
「あなたは、本当にシンさん?」
「少なくとも、俺はそう認識してるよ。証明になるかはわからないが、お前を斬った時のことは覚えてる」
シンはミルトとの最後の戦いを口にした。その中には、シンとミルトだけが知っている情報も含まれている。
「そっかぁ。本当にシンさんなんだね。でも、この世界にいるってことは、死んじゃったの? 誰かにやられた? それともモンスター?」
「やられちゃいない。こっちにきたときは驚いたもんだ」
「だろうね。僕も最初は何がなんだかわからなかったもん」
ミルトの様子を探りながら、シンは会話を続けた。時間がたっても感知範囲内には何の反応もない。
それとは別に、シンはミルトの口調が少し変わってきたことが気になった。丁寧だった口調が、だんだん幼さを感じるものになっていく。
「ここにきたってことは、儀式を潰しに来たの?」
「さてな」
「隠さなくてもいいよ。そうだよねぇ。あのシンさんが、あんな非道を見て動かないはずがないよねぇ。シンさんは怖くて……やさし、い、から……」
「……ミルト?」
段々と言葉に熱を帯びてきたミルトに、シンは声をかける。上機嫌で話していたはずのミルトの顔が、徐々に苦悶の表情に変化していた。
「あ、ああ……シン、さん? ……ちがう、そんなわけ……僕は、し、んで? ぁ……シンさん、シンさんシンサンシンサンッ!!」
シンの名前を連呼しながら、ミルトが動いた。
水面に波紋を残して一瞬でシンへと接近する。精神に異常があっても、肉体は染みついた動きを寸分の狂いなく再現した。
その顔には狂的といえる笑みが浮かんでいる。
「違和感はあったが、そういうことか」
小さく悪態をついて、シンはミルトを迎え撃つ。掌底を繰り出した右腕を左手で掴み、次いで放たれた左ひざ蹴りを右手で受け止める。
手足の片方ずつを掴まれたミルトは、さらに右足でシンを蹴りつけようとした。シンは掴んでいた手足を放して顎を狙った蹴りの軌道から身をそらす。
手足を掴んだ際に状態異常を回復する【キュア】を発動していたが、攻撃を始めたミルトの体を黒い靄が覆っていて効果がなかった。ただ、シンのキュアを受けて、靄はほとんど霧散している。もう一度で効果を発揮できそうだった。
「あい、たい……いない……どこ、たたかって……ねむい、こわい……」
靄が薄れた影響か、ミルトの表情に困惑が混ざり始める。何かを恐れるように距離をとり、素人のような散発的な攻撃を繰り出してきた。
魔術による連続攻撃を持ち前の抵抗力で打ち消しながら、シンはミルトに近づいていく。
ミルトの口から漏れる言葉。途切れ途切れの単語に、シンはミルトがデスゲームだったころの記憶を思い出しているのではないかと思った。
なぜ執拗に戦うことにこだわるのか、その理由を知っているからこその推測。
「……ぼくは、生きてる? めは、覚める? だめだ……それじゃ、また……」
そして、それはミルトが発した一言で確信に変わる。
「誰か――――――――――――僕を、殺して」
「断る」
茫洋とした瞳から涙を流しながらミルトが発した言葉を、シンは拒否した。
右手で両腕を抑えつけ、左手でミルトの顔を掴む。
「さっさと正気に戻れ!」
発動したスキルが、ミルトの体を覆っていた靄を吹き散らす。先ほどより魔力を込めたキュアは、靄の抵抗をものともせずに、ミルトにかかっていた状態異常もろとも消滅させた。
精神に負担がかかっていたのか、キュアによって正常な状態に戻ったミルトは意識を失っている。
さすがに全裸で寝かせるわけにはいかないので、マントを具現化してかけてある。
「こいつレベルでも操られるってことは、ベイルリヒトにいたっていう奴とは段違いのがいるな」
「公爵級でしょうか? それとも」
「大公級かもな」
ミルトのステータスは装備しだいでカゲロウとも互角に戦えるレベルだ。毒を使うことから状態異常耐性にも気を使っていた。そのミルトが強力な状態異常をかけられたのだ。ミルトを操っていた相手は少なくともミルトと同レベル以上の能力を持っていると見て間違いない。
瘴魔でいえば、公爵級や大公級が該当する。
「ん……」
シンとシュニーが話をしていると、ミルトがうめき声を上げた。
ゆっくりと目をあけたミルトは、近くに人がいることを感じたのかシンたちのほうへと目を向けた。
「あれ……シン、さん?」
「よう、目は覚めたか?」
「えと、うん…………て、え? なんでシンさん!? うわっ!! なんで僕裸っ!?」
意識がはっきりしてきたミルトが現状を認識して慌てだす。直前の記憶もないのか、「ここどこ!?」「なんか体べとべとしてる!?」とあたふたしていた。
「あー……とりあえず、落ち着こうぜ」
「シンさんまで裸……ま、まさか僕を手篭めにィっ!?」
「してねぇよ! ……よく見ろ、下は水着だ。誰が全裸か」
かけられていたマントに包まって見上げてきたミルトに、シンは最後まで言わせることなく突っ込みを入れた。
「あの、頭部に一撃を入れるのはさすがにやりすぎでは?」
「いや、こいつなら大丈夫」
「うう、ひどいや……」
シュニーの言葉に何の問題もないという表情で返して、シンはミルトに視線を戻す。
シンのチョップで多少なりとも落ち着きを取り戻したミルトは、改めて周囲の認識に勤めていた。
「さて、そろそろ落ち着いたか?」
「頭痛いけどね。でもこの容赦のなさはシンさんだよ。とりあえず、何で僕がこんなところで裸なのか説明してくれない?」
「その前に、お前がどこまで覚えているのかを教えてくれ。覚えてないみたいだが、さっき飛び掛られたばかりなんだ。まあ、それよりも服を着るのが先だけどな」
こっちが先だと、シンはミルトに説明を求めた。
言われたとおり服を着て見られる格好になったミルトは、頭をさすりながら覚えていることを話し始めた。
「――――とまあ、僕が覚えているのはこんなところかな。その後はかなりぼやけてる。はっきり気がついたのは、シンさんの顔が目の前にあったときからかな」
ミルトの話では強い相手と戦うことを求めて蛇円の虚に入って活動していたのだが、頂の派閥からの依頼で護衛としてこの洞窟を訪れ、そこで記憶が曖昧になっているらしい。誰かと会っていたのは間違いないようだが、その人物までは覚えていないということだった。
「なるほど。いいように使われてたってわけだ」
「はぁ……弁解のしようもないよ」
「僕としたことが……」とうな垂れるミルト。
操られていたことがよほどこたえているようだ。
「シンさん。あなたは僕がさらったっていう子を助けに来たんだよね?」
「他にも助けるやつはいるけどな」
「僕も、連れて行ってくれない? 自分でやったことには自分でけじめをつけないと」
口調こそ静かだが、シンはミルトが怒っていることがわかる。
PKとして戦っていたときも、相手に了承を得てから殺し合うという変な律儀さがあったミルトだ。操られていたとはいえ、自分でやったことを誰かのせいにはしたくないのだろう。
「戦力が多いにこしたことはないが、お前がさらったやつの身内もいるぞ?」
「それでもだよ。いや、だからこそ、かな。僕は人を斬るのは相手が殺意や敵意を向けてくるか、命がけの死合に同意したときだけって決めてるんだ。人さらいとか脅迫とか、そういうのは嫌いだし手を貸す気もない。でも、今回は自分の意思じゃないとしても実際に動いちゃったわけだからね。償いはしないと」
表情を引き締めて言うミルト。シンはそれを見て、ミルトが自分たちをだまそうとしているようには思えなかった。
「(シュニーはどう思う?)」
「(少なくとも、演技ではないと思います。彼女の契約精霊も安堵した様子を見せていますから。おそらく、様子のおかしかった主人を心配していたのだと思います)」
シュニーの意見を聞いて、連れて行くのもありだとシンは思った。
敵だった相手を引き入れることになるが、ミルトの性格を知っているシンからすると連れて行かなければ勝手に動くだろうという確信がある。
「わかった。ついてくるのは問題ないし、協力してくれるなら助かる。だが、勝手な行動をするならその限りじゃないぞ。目的の邪魔になるなら容赦はしない」
「その辺はわきまえてるよ。シンさんと戦うのはすごく魅力的だけど、今の状態じゃ楽しめないしね」
信用されないことはわかっているようで、ミルトは当然というようにうなずいた。
「魅力は感じんでいい。ちょっと時間を食ったから一旦もどるぞ。【形状変化】は付与されてるな?」
「大丈夫だよ、ほら」
シンの言葉に答えて、ミルトは装備を変化させる。
和のテイストをふんだんに取り入れた露出多めの戦闘衣が、ミルトの体に合わせて形を変えた。
「なぜスク水……」
変化後のミルトの衣装を見て、シンはなんともいえない気持ちでそう言った。
ミルトの装備の変化後は、スクール水着といわれる水着だったのだ。水着のデザインは【形状変化】をつけ直すことで、気に入ったものが出るまで何度でも挑戦できる。そのため、ゲーム時代にスク水や紐タイプの水着といったマニア向けのデザインの水着を着ている者は皆無といってよかった。
「ふっふっふ、なんとこの形態だと水中移動速度がプラス10%!」
「何を考えてたんだよ運営……」
予想外の高補正値に呆れつつ、シンたちは高速で水中を移動する。
「一応先に紹介しておくが、彼女は俺のサポートキャラだったシュニーだ。強いからって変なちょっかいは出さないように」
紹介もなしというのもなんなので、シュニーにはさきにミルトのことを伝えておくことにした。
「で、こいつはミルト。ゲーム時代は【毒ロリのミルト】と呼ばれていた上級プレイヤーの1人だ」
「毒ロリ、ですか?」
「ちょっ!? その紹介はひどいよ! 好きでちっこいわけじゃないやい!!」
しれっとした顔でシンはミルトの二つ名を暴露する。
ミルトの身長は本人のものと同じ145cm。現実の顔をそのまま採用しているらしく、あどけなさの残る容姿は美しいよりも可愛らしいといえる。ただ、その体格はせいぜい中学生、無理をして高校生くらいにしか見えない。
容姿はともかく、体格までは大きく変更できないVRの弊害だった。
「見た目がロリで、毒使いだったからついた二つ名だ。他にも【ミニマムバーサーカー】なんて二つ名もある」
「必ず小さい関連の単語が入ってるじゃないか! そもそも僕は狂戦士じゃなくて奇術師だよ。背は小さいけど、胸はぺったんこじゃないんだぞ!」
そう言って、ミルトはあろうことか自身の胸を自分で持ち上げてみせた。
もとよりはちきれんばかりだった水着が、ミルトの手によって形を変える。アバター設定時に見栄を張りすぎだろというレベルで手を加えられていた胸部。何もしなくてもありありと存在を主張していた母性の象徴が、少々卑猥に形を変えていく。
ミルト自身の外見と相まって、スク水+巨乳+ロリという非常に犯罪臭のする光景となっていた。
「馬鹿なことやってる余裕があるならスピード上げろ。それと陸に上がったらそのノリはやめとけ」
「自分で二つ名とか暴露したのに最後はスルー……かつてのシンさんのような冷たさを感じるよ」
「気のせいだ。それより体調に変化はないか?」
「あ、うん。それは大丈夫。操られてたっていっても、僕自身は寝ていたのと変わらないからね。頭痛とか眩暈もないよ。今みたいにからかわれても大丈夫」
ぶーぶー言っていたミルトもシンの意図に気づいておとなしくなる。
その様子は無理をしているようには見えない。HPやMPも変化はないのでステータス上は完全に回復しているようだった。
「それよりもこのスタイルを見て何の反応もしないシンさんに脱帽だよ。現実世界よりはだいぶ男性好みの体になったと思ったのに」
残念、とミルトはどこまで本気なのかわからないつぶやきをこぼす。
シンとてミルトに魅力がまったくないとは思わない。だが、いくら魅力があろうと現在の状況で色気だの裸だのに反応するような精神を、シンは持ち合わせていなかった。
「相変わらず、よくわからないやつだよお前は」
「ミステリアスな女ですから」
「その格好で胸を張るな。そろそろ着くぞ」
海面の光を見ながらシンが言う。数分とたたずに3人は浜辺に到達した。
「シン殿、そちらの御仁は?」
多少予定時間をオーバーしたが、無事合流地点にやってきたシンたち。
行きにはいなかったはずのミルトを見て、警戒心をのぞかせながらケーニッヒが問いかけた。
「あー……事情を説明するから、まずは最後まで聞いてほしい」
ともに行動する以上、素性を明かさないわけにはいかない。とくにミルトはハーミィをさらっていった張本人。下手にここで隠したせいで、何かの拍子にばれてこじれるよりも先に明かしてしまうことにした。
「…………」
説明が終わった後、ケーニッヒは黙り込んだ。
名前を明かした際にケーニッヒが剣に手をかけかけたが、何とか話は最後まですることができた。
「本当に何も覚えていないと?」
しばらく黙り込んでいたケーニッヒが、静かな声で言う。
被害者側、それも身辺警護をしていたケーニッヒからすれば、操られていたから仕方なかったんだなどと言われたところで納得ができないのも当然だった。
「それについては言い訳のしようもないよ。でも、僕としてもいいように使われるのは気分が悪い。せっかくシンさんが助けてくれたんだ、恩は返す。説得力はないだろうけど、これでも神獣と戦えるくらいの実力はあるつもりだよ」
ケーニッヒをまっすぐに見て、ミルトは言う。
引く気はないとその瞳が告げていた。
「ま、こうなるよな」
わかっていたことなので、シンは慌てずケーニッヒだけを連れて少し離れる。
「シン殿を疑いたくはないが、本当に大丈夫なのか?」
「言いたいことはわかります。ただ、ここで別行動するのは得策じゃありません。あいつの実力はケーニッヒさんも知ってるでしょう?」
「一応、これを使えば裏切りの心配は減ると思いますけど」
そう言って、シンはブルクの部屋で回収した隷属の首輪を出して見せる。
「むぅ」
ケーニッヒもシンの言ったことはわかっているようで、悔しげに呻いた。
ミルトの瞳に嘘の色がなかったことは、ケーニッヒとてわかっているようだ。
加えて、相手が極悪人ならともかく、操られていただけの相手に隷属の首輪を使うという選択はしたくはないのだろう。
「……いたしかたあるまい」
私情を飲み込んで、ケーニッヒはうなずいた。
「ミルトだよ。種族はハイピクシーで、職業は奇術師。この子は親友の水精霊でネルっていう名前。それにしてもみんな強いね。あとで戦ってくれない?」
シンたちが離れている間に、ミルトが簡単な自己紹介をしていた。最後の一言がよけいである。
その後はミルトから覚えている範囲で洞窟内部に関する情報を聞き、ハーミィが捕らわれている場所や儀式場などを推測していく。
各員が役割を確認し、すぐに移動を開始した。
「まさか、水中で会話できるなんてね」
洞窟に向かう道すがら、シンの隣を泳いでいたティエラがつぶやいた。変化した服は鮮やかな緑色のビキニで、胸元には【潜水・Ⅴ】のスキルが付与されたネックレスが揺れている。
「どういう原理で会話できてるのかは、使ってる俺もわからないんだけどな」
「呼吸も顔の周りに空気ができるってわけでもないみたいだし、不思議ね。これのおかげでついていけるから、原理がわからなくても気にしないことにするわ」
全員で水中を進み、洞窟内に進入する。ユズハとカゲロウも犬掻きでついてきた。
シンがミルトと再会した浅瀬から上がり、聞いていた罠や警備の目を掻い潜りながら進む。シンとシュニーの感知系スキルを駆使すれば、よほどの罠でなければ見逃すことはない。
「浅いところは住居や倉庫が多いな。重要なものは下か?」
「たぶんね。どんどん下に下った記憶があるから。本拠地じゃないと言っても、頂の派閥ってそれなりに大きな組織だからね。洞窟の壁も、崩れにくいように補修されてるし」
「だろうな。これだけ穴だらけにしたら、地震で一発だ」
壁面はごつごつしているが、道幅は大人が4人は並んで歩けるくらいの幅がある。さらにホールのような大部屋や個室、倉庫など部屋数も多く、何の補強もなしにこれだけ作ればどこかしらが崩れるのは間違いない。
マップでそれらしい部屋がないか探りつつ、シンたちは下へ下へと下っていく。各階の調査もしているので、どうしても速度は出ない。
「なんだ?」
下り始めて1時間がたとうとしていた時、魔力波探知を使ったシンがマップ上に表示された一際大きな空間に気づいた。
倉庫として使われていた部屋よりもさらに広い。奥があるようだったが、魔力波探知の範囲がぎりぎり届かなかったのかマップ上には途切れた状態で表示されている。
「儀式場でしょうか?」
「たぶんな。ミルトはどう思う?」
「その予想であってると思うよ。大きな部屋のイメージが残ってるし」
儀式場の近くに捕らわれている可能性もあると予想し、シンたちは念のために周囲の捜索をしながら儀式場へと降りていく。
「……シン」
地下へと続く階段を下りる途中、シンに並んだシュバイドが話しかけてくる。
「どうした?」
「どうやら大公級がいるのは間違いないようだ」
「俺の感知範囲にはとくに何の反応もないが?」
「武の気配を感じる。この澱み具合、間違いない。武神タイプだ」
移動しつつも、一定の方角を向きながら言うシュバイドの言葉は確信に満ちていた。
シンはシュニーに視線で問いかけるが、こちらは首を横に振っている。シュニーが瘴気以外の気配を感じたように、シュバイドもシンやシュニーには感知できないものを感じられるようだ。
何の根拠もない情報だが、誰もシュバイドの発言を疑っていない。ケーニッヒやミルトは戦いに身を置く者が、強者の気配を感じることは珍しくないと知っている。
ティエラはティエラで、根拠のない感覚を持っているので何も言わない。
「ソロタイプか。レイドタイプがいないといいんだがな」
武神タイプといわれる人型の瘴魔は、レイドタイプと比べて攻略条件が似通っているため、初見でもある程度対応が可能だ。
強敵であることは変わらないが、倒すまでにかかる時間や被害を考えるとそちらの方が楽と言えた。
「もうすぐ儀式場です。話はここまでとしましょう」
シュニーの指摘を受けて全員が口をつぐむ。
感知にはとくに反応はない。シンとシュニーが先行して儀式場と思われる場所に踏み入る。
「くぅ! ここ気持ちわるい!」
「ぐる!」
途端にユズハとカゲロウが騒ぎ出した。全身の毛を逆立てて、威嚇しているようだ。
「どうしたんだ?」
シンが問いかけると、ユズハが言葉を詰まらせながら意思を伝えてきた。
それによるとこの場所は地脈の収束点の1つで、瘴気によって本来あるべき流れを阻害されているという。
「わかるのか?」
「ユズハがいたところとおんなじ、いやな感じする。くぅ!」
何もないように見える広場だが、調査すれば魔術陣が床一面に描かれていることが分かった。広場内の床や壁の材質も一般的な補強材とはあきらかに違う。
どうやらそれらが、ユズハの言う地脈の流れに悪影響を与えるための設備のようだ。
「これだけ血の臭いがするんだ。さぞ胸糞悪いことをしてたんだろう。さんざんやってくれたんだ。いろいろと細工をさせてもらおう」
ハーミィを発見できなかったときに備えて、魔術陣が効果を発揮できないように陣の一部を書き換える。シンはまだ床一面に描かれるほどの陣は理解できないので、指示を出すのはシュニーだ。
「さて、あとはこの先か」
細工を終えた一同は、儀式場の先にある扉の前に集まる。縦4メル、横3メルはある巨大で重厚な扉だ。鍵もかかっていたが、シンたちにとってはただのおもちゃである。
見た目通りの重量がある扉を、シンとシュバイドが押し開く。手入れはされているのかほとんど音を立てずに開かれた扉の先には、誰も予想していなかった光景が広がっていた。
「おいおい……」
シンの口から思わずといったつぶやきが漏れる。
目の前には巨大な、それこそ高さ10メルはある巨大な結晶が存在していた。透明度の高い結晶は、まるで人工的に研磨されたガラスのような透明度を誇っている。
そのせいもあって、結晶の中にあるもの、否、いるものがよく見えた。
「フィルマ、なのですか」
シュニーが視線の先にいる者の名を呟く。
結晶の中で眠るように目を閉じている人物。
それは紛れもなく、シンのサポートキャラクターNo.2、フィルマ・トルメイアだった。

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