08月10日の「今日のダーリン」
・夜中に牛乳とロックアイスを買いに行くとき、
ちょっと人通りのない道を遠回りした。
永六輔さんのつくった歌のことを考えていた。
ふと、『上を向いて歩こう』という歌には、
「涙がこぼれないように上を向いて歩く」
というアイディアがあって、
みんなもぼくも「それはいいなぁ」と思ったんだけど、
実際に、この歌を、上を向いて歩きながら
歌ったことって、ないんじゃないかなぁと思いついた。
人もいないし、暗い道で、ぼくは上を向いて歩いた。
そして、ちゃんと声を出して、その歌を歌った。
そうすると、なんと、
この歌はちっともあかるい歌じゃなく、
歌っているうちに涙がにじんでくるような歌だった。
春も夏も秋も、ずっとこの人は「一人ぽっち」なのだ。
そして、幸せからほど遠く、歩きながら泣いている。
涙がこぼれないように上を向いていても、
少しもいいことがあるわけじゃない。
ちょっとだけいいことは、
涙がこぼれないようにできることだけだ。
ぼくは、暗記しているほど歌詞を知っていたはずだ。
それなのに、ずっと思いちがいをしていた。
涙がこぼれないように歩いていると、
幸せのようなものに出合えるというような、
ぼんやりとしたハッピーエンドを
これまで勝手に思い描いていたのだった。
幸せは、雲の上に、空の上にあり、
悲しみは星のかげに、月のかげにあるけれど、
それは、そこにあるというだけで、
上を向いて歩くと、それが見えるんじゃないの?
というくらいのことだ。
なんという、さみしい歌だったのか。
ぼくは、この歌をフルコーラス歌うまでに、
ほんとうにさみしく、悲しくなってしまった。
『上を向いて歩こう』という歌を、
ほんとに上を向いて歩きながら歌っていると、
涙がこぼれそうになってくるんだよ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この歌にかくれされた希望は、歌っていることそのものだ。
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