現代にもカーストがあるのか
アメブロで「社会の底辺の人とは関わってはいけません」という、
驚くべき記事があり、大炎上して話題になっています。
確かに社会には生活格差があり、お金もあるところにはたくさんあって、
ないところにはまったくないという状態ですが、
だからといって、インドのカースト制のような階層を決めるのは変ですよ。
東大卒や官僚でも悪いことをやって捕まる人はいますし、
中小企業の勤め人や派遣社員であっても、
人間的にしっかりした方はいます。
【地べたを這うように生きてる人間はみっともないから、
私は絶対に関わらない】
世の中には様々な価値観がありますが、
これだけはどうにも理解に苦しみますね。
地道に頑張る人を侮蔑してるような気がする
社会的なこととは全く関係ないですが、
私は少し前、カクヨムで底辺作家になったことがありました。
3年ほど前に書き溜めていた短編小説をUPしたんですが、
注目されることがほとんどなかったんですよ。
まあ、評価されないことは仕方ないと思っていたものの、
カチンと来たのは「底辺作家の掘り起こし」をやっているユーザーでした。
陽の目の当たらない作家を助けようという意図だったんですが、
「底辺作家」という呼び名に唖然としました。
ウィキペディアにもあるように、底辺=最下層ですからね。
でも結局、作品の掘り起こしをするといったユーザーは、
私の小説をぜんぜん取り上げなかったので、
「底辺以下だったのか」と落ち込んでしまい、
カクヨムからは小説のほとんどを引き上げました。
それにしても「底辺」とは嫌な言葉です。
もともとは数学の用語のひとつに過ぎないのに、
いつから差別的表現として使われるようになったんでしょう。
障がい者のみなさんのことは「チャレンジド」と呼びますが、
「社会の底辺」ではなく別の呼び方ができるといいですよね。
ロープレみたいに「レベル1」だったら良いかも知れません。
上に行けるという希望がありますから。
ピラミッドは奴隷が作ったものじゃない
さて「底辺」で思い出すのはエジプトにある大ピラミッドです。
実物はまだ見たことがないんですが、
何千年も昔にどうやって作ったのか気になりますよね。
よく奴隷が無理やり働かされたんだといいますが、
近年の研究ではまったく違うんですよ。
当時の高い建築技術を持つ人を中心に、
ナイル川の氾濫で仕事がなくなった農民たちが協力して、
一大プロジェクトとしてがんばったらしいんです。
時代は違えど、現代の社会構造となんとなく似ていますよね。
高い建築技術を持つ人は頭がいいので、
おそらくはデスクワーク担当のような感じでしょう。
彼らが現場に指示を出して、
ピラミッドは刻々とできあがっていったんだと思います。
大きな石を積み上げる農民たちは、
それに従って黙々と作業をしていたんですよ。
建築技術を持った人しかいなければ、
ピラミッドの構想はあっても絵に書いた餅ですし、
現場作業の農民たちだけでは、
どんな風に組み立てたらいいのかわかりません。
双方がいて協力し合ったからこそ、
後世に残る素晴らしいピラミッドが出来上がったんです。
ちなみに、ピラミッドの別名を「金字塔」というんですが、
『雄大かつ、揺るぎもしない後世に永く残る立派な業績』のことだそうです。
大きな物事を成し遂げるには、
やはり農民や一般労働者のような草の根の力が大事なんですよ。
だからピラミッドが逆さになって「底辺」が上になったら、
「頂点」にいるファラオはたまったものではないでしょうね。
権力志向の強い人は民の力を恐れるといいますが、
たぶんあの記事を書かれた人も、
そういった心境だったのかも知れません。
妙香のまとめ
さて、せっかくなのでスフィンクスのことも書いておきますね。
かれはピラミッドの守護神として、
旅人たちに様々な謎かけをしていました。
【朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。さて、これは何か?】
その質問を間違えた人を、
スフィンクスは次々に殺めていたそうですが、
とある賢者は次のように答えて喝破しました。
【人間、赤ん坊の時はハイハイで四つ足、
成長して二足、老年で杖をつくから三足だ】
質問に正解しないから道を通さないというのは、
ピラミッドの守護神としてあまりに狭量ですよね。
しかし、賢者が名回答をしたため、
スフィンクスは恥じてその場を去っていったといいます。
その人が「底辺」だから関わらないというのは、
狭量な守護神と同じ考え方だと思いますよ。
間違った答えにも味がありますし、
地道に頑張る一般労働者や水商売の人は、
世間を良く見て勉強している人が多いですからね。
何はともあれ、
『言っていいことと悪いことがある』ということだけは、
ブロガーの基本として忘れないようにしましょう。
炎上芸はすごいアクセスを得ることはできても、
人に嫌われる原因になりますから。