萩野が金 瀬戸が銅 競泳400m個人メドレー 日本選手 初の金
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リオデジャネイロオリンピック、競泳の男子400メートル個人メドレー決勝で、萩野公介選手が今大会、日本選手で最初となる金メダルを獲得し、瀬戸大也選手も銅メダルを獲得しました。オリンピックの競泳で、日本選手が同じ種目で複数のメダルを獲得するのは60年ぶりです。
競泳で最初の決勝種目となった男子400メートル個人メドレーは、予選で瀬戸選手が全体の2位で、世界ランキング1位の萩野選手が全体の3位で決勝に進みました。
決勝のレースは、最初のバタフライで瀬戸選手が先頭に立ちましたが、次の背泳ぎで萩野選手が瀬戸選手を抜いて、トップに上がりました。
続く平泳ぎでは、予選を全体の1位で通過したアメリカのチェイス・カリシュ選手が猛然と追い上げて、瀬戸選手を抜いて2位に上がりました。
そして最後の自由形では、迫るカリシュ選手に対して萩野選手が最後までリードし、萩野選手がみずからの日本記録を1秒56上回る4分6秒05のタイムで、金メダルを獲得しました。
これが今大会で日本選手が獲得した初めての金メダルとなりました。
銀メダルはカリシュ選手、瀬戸選手は4分9秒71のタイムで銅メダルを獲得しました。
オリンピックの競泳で日本選手が同じ種目で複数のメダルを獲得するのは、1956年のメルボルン大会以来60年ぶりです。
決勝のレースは、最初のバタフライで瀬戸選手が先頭に立ちましたが、次の背泳ぎで萩野選手が瀬戸選手を抜いて、トップに上がりました。
続く平泳ぎでは、予選を全体の1位で通過したアメリカのチェイス・カリシュ選手が猛然と追い上げて、瀬戸選手を抜いて2位に上がりました。
そして最後の自由形では、迫るカリシュ選手に対して萩野選手が最後までリードし、萩野選手がみずからの日本記録を1秒56上回る4分6秒05のタイムで、金メダルを獲得しました。
これが今大会で日本選手が獲得した初めての金メダルとなりました。
銀メダルはカリシュ選手、瀬戸選手は4分9秒71のタイムで銅メダルを獲得しました。
オリンピックの競泳で日本選手が同じ種目で複数のメダルを獲得するのは、1956年のメルボルン大会以来60年ぶりです。
萩野「瀬戸選手がいなければここまで来られなかった」
今大会で日本初の金メダルを獲得した萩野公介選手は、レースを終えたあとしばらく言葉を詰まらせ、「自分だけではここまで来られなかった。初めて心の底から自分だけじゃないと思った。合宿の時からずっと平井先生の首に金メダルをかけたいという一心でやっていたので、本当によかった」とふだん指導を受ける平井伯昌コーチへの思いを表現しながら目を潤ませていました。
そしてともに表彰台に上った瀬戸大也選手について、「最後の最後まで大也に引っ張ってもらった。予選からすごくいい泳ぎをしていたし『一緒に頑張ろうぜ』と泳ぎで言ってもらったような気がした。彼がいなければここまで来られなかった」とかみしめるように話しました。
そして次のレースに向けて「勝負が続くのでうれしいが、気を引き締めて、もっとたくさんの金メダルを平井先生の首にかけたい」と意気込んでいました。
そしてともに表彰台に上った瀬戸大也選手について、「最後の最後まで大也に引っ張ってもらった。予選からすごくいい泳ぎをしていたし『一緒に頑張ろうぜ』と泳ぎで言ってもらったような気がした。彼がいなければここまで来られなかった」とかみしめるように話しました。
そして次のレースに向けて「勝負が続くのでうれしいが、気を引き締めて、もっとたくさんの金メダルを平井先生の首にかけたい」と意気込んでいました。
平井ヘッドコーチ「五輪は萩野のステージ」
萩野公介選手について、ふだんから指導している競泳日本代表の平井伯昌ヘッドコーチは、満面の笑みで報道陣の前に現れたとたん、「やった」と叫んで喜びました。
そして決勝の前のやり取りについて「『伸び伸び自分が思ったとおりに泳げよ』とアドバイスをしたら、僕のことをすごい目で見つめて、『行ってきます』と言ってくれた。オリンピックという舞台が彼のステージだなという感じがした」と教え子の活躍に目を細めました。
そして、「ひじがまっすぐに伸びない時期もあって、練習でも苦労していた彼の努力が報われてうれしい。本人もほっとしているだろうし、僕も報われた。まだまだかもしれないけど、萩野というすばらしい選手の1回目の完成を迎えたなという気がしています」と話していました。
そして決勝の前のやり取りについて「『伸び伸び自分が思ったとおりに泳げよ』とアドバイスをしたら、僕のことをすごい目で見つめて、『行ってきます』と言ってくれた。オリンピックという舞台が彼のステージだなという感じがした」と教え子の活躍に目を細めました。
そして、「ひじがまっすぐに伸びない時期もあって、練習でも苦労していた彼の努力が報われてうれしい。本人もほっとしているだろうし、僕も報われた。まだまだかもしれないけど、萩野というすばらしい選手の1回目の完成を迎えたなという気がしています」と話していました。
萩野公介 日本競泳のエース
萩野公介選手は栃木県出身、大学4年生の21歳。2大会連続のオリンピック出場です。生後まもない頃からベビースイミングで水に触れ、水泳を習い始めてからは長時間の練習や強度の高いトレーニングを苦にせず才能を伸ばし、個人メドレーや背泳ぎで学童記録や中学記録を次々と塗り替えました。
高校3年生で出場したロンドンオリンピックの男子400メートル個人メドレーでこの種目、日本選手で初のメダルとなる銅メダルを獲得しました。
その後は個人メドレーだけでなく、自由形や背泳ぎの複数種目に出場して国際大会の表彰台に上り、日本のエースとして活躍してきました。
去年6月、自転車で転倒して右ひじを骨折しましたが、ことし4月の日本選手権で個人メドレー2種目と200メートル自由形で優勝し、復活を果たしました。
得意とする自由形では、水を押し込むような腕のかきと体幹の強さを生かしたキックを組み合わせることで、水面を進むような抵抗の少ない泳ぎを実現させ、体格やパワーで勝る海外選手と互角に戦っています。
高校3年生で出場したロンドンオリンピックの男子400メートル個人メドレーでこの種目、日本選手で初のメダルとなる銅メダルを獲得しました。
その後は個人メドレーだけでなく、自由形や背泳ぎの複数種目に出場して国際大会の表彰台に上り、日本のエースとして活躍してきました。
去年6月、自転車で転倒して右ひじを骨折しましたが、ことし4月の日本選手権で個人メドレー2種目と200メートル自由形で優勝し、復活を果たしました。
得意とする自由形では、水を押し込むような腕のかきと体幹の強さを生かしたキックを組み合わせることで、水面を進むような抵抗の少ない泳ぎを実現させ、体格やパワーで勝る海外選手と互角に戦っています。
銅の瀬戸「次の東京に向け準備する」
銅メダルの瀬戸大也選手は「悔しいです。予選はいい感じだったが、決勝を前に疲労が残っていた。レースでは平泳ぎがうまく泳げなかったので、勝ちにつながらなかった。でもそれは自分の実力不足だ。今回は萩野選手が金メダルを取ったので素直にたたえたい。自分はまだまだ甘いし、なまはんかなものでは金は取れないと思った」と振り返りました。
そのうえで「オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない。4年間トレーニングをして、東京オリンピックでは世界新記録で萩野選手に勝って金メダルを取りたい」と巻き返しを誓っていました。
そのうえで「オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない。4年間トレーニングをして、東京オリンピックでは世界新記録で萩野選手に勝って金メダルを取りたい」と巻き返しを誓っていました。
瀬戸大也 世界選手権連覇の実績
瀬戸大也選手は埼玉県出身、大学4年生の22歳。オリンピック初出場です。
5歳から水泳を始め、小中学生の頃から全国大会で頭角を現し、同学年で個人メドレーで活躍していた萩野公介選手を追うように実力を伸ばしてきました。
高校3年生で迎えたロンドンオリンピックでは日本代表入りを逃しましたが、3年前の世界選手権400メートル個人メドレーで、オリンピックを含めこの種目で日本選手として初の金メダルを獲得し、去年の世界選手権では2連覇を果たしました。
上半身の筋力を生かした力強い腕のかきが持ち味で、個人メドレーの中ではバタフライと平泳ぎを得意とし、ここいちばんで勝負強さを発揮する精神力にも定評があります。
おととしから本格的に取り組む200メートルバタフライではメダルを狙える実力を備えています。
5歳から水泳を始め、小中学生の頃から全国大会で頭角を現し、同学年で個人メドレーで活躍していた萩野公介選手を追うように実力を伸ばしてきました。
高校3年生で迎えたロンドンオリンピックでは日本代表入りを逃しましたが、3年前の世界選手権400メートル個人メドレーで、オリンピックを含めこの種目で日本選手として初の金メダルを獲得し、去年の世界選手権では2連覇を果たしました。
上半身の筋力を生かした力強い腕のかきが持ち味で、個人メドレーの中ではバタフライと平泳ぎを得意とし、ここいちばんで勝負強さを発揮する精神力にも定評があります。
おととしから本格的に取り組む200メートルバタフライではメダルを狙える実力を備えています。
金銅メダルに新聞の号外
リオデジャネイロオリンピック競泳の男子400メートル個人メドレー決勝で、萩野公介選手が金メダル、瀬戸大也選手が銅メダルを獲得したことについて、東京の渋谷駅前では新聞の号外が配られ、喜びの声が聞かれました。
横浜市の女性は「感動しました。2人で切磋琢磨(せっさたくま)して争えたことがすごいと思います」と話していました。
小学4年生の男の子は「テレビで見ていましたが、すごく速くてかっこよかったです」と話していました。
6歳の息子が水泳を習っているという父親は「すばらしいですね。子どもが目指す選手になると思います。子どもたちもクラスで競い合っていますが、
ライバルという存在は大事だと思いました」と話していました。
横浜市の女性は「感動しました。2人で切磋琢磨(せっさたくま)して争えたことがすごいと思います」と話していました。
小学4年生の男の子は「テレビで見ていましたが、すごく速くてかっこよかったです」と話していました。
6歳の息子が水泳を習っているという父親は「すばらしいですね。子どもが目指す選手になると思います。子どもたちもクラスで競い合っていますが、
ライバルという存在は大事だと思いました」と話していました。
スポーツ庁長官「歴史に残る快挙」
スポーツ庁の鈴木大地長官は「萩野選手金メダル、瀬戸選手銅メダル、おめでとうございます。日本の強さを世界に示してくれました。個人メドレーでの金メダルは日本水泳史上初で歴史に残る快挙です」とコメントを出しました。鈴木長官はみずからも1988年のソウルオリンピックの競泳の男子100メートル背泳ぎで金メダルを獲得しています。
萩野の母校 東洋大で歓声
萩野公介選手が通っている東京・文京区の東洋大学では水泳部の部員らが集まって応援し、金メダルが決まった瞬間、大きな拍手と歓声が沸き起こりました。
萩野選手が在籍する東洋大学では、決勝の様子を中継する大型スクリーンの前に水泳部の部員や学生など300人余りが集まりました。
決勝のレースが始まると、水泳部の部員が「萩野公介、お前がやらなきゃ誰がやる」などとエールを送り、学生たちと一緒になって熱い声援を送りました。
萩野選手がリードを守り続け、トップで折り返すたびに声援が大きくなりました。
そして金メダルを獲得した瞬間、大きな拍手と歓声が沸き起こりました。
今大会で日本選手が獲得した初めての金メダルで、水泳部で副主将を務める天井翼さんは「水泳仲間として、同級生として、本当におめでとうという気持ちでいっぱいです。つらい時期もあったけれど見事にやってくれました。興奮が治まりませんが、お疲れさまと言葉をかけてあげたい」と話していました。
萩野選手が在籍する東洋大学では、決勝の様子を中継する大型スクリーンの前に水泳部の部員や学生など300人余りが集まりました。
決勝のレースが始まると、水泳部の部員が「萩野公介、お前がやらなきゃ誰がやる」などとエールを送り、学生たちと一緒になって熱い声援を送りました。
萩野選手がリードを守り続け、トップで折り返すたびに声援が大きくなりました。
そして金メダルを獲得した瞬間、大きな拍手と歓声が沸き起こりました。
今大会で日本選手が獲得した初めての金メダルで、水泳部で副主将を務める天井翼さんは「水泳仲間として、同級生として、本当におめでとうという気持ちでいっぱいです。つらい時期もあったけれど見事にやってくれました。興奮が治まりませんが、お疲れさまと言葉をかけてあげたい」と話していました。
萩野の母校の高校でも大歓声
萩野公介選手の母校、宇都宮市の作新学院高校では後輩たちが集まって応援し、金メダルが決まった瞬間、大きな歓声が沸き起こりました。
萩野選手の母校、作新学院高校のホールには水泳部の後輩などおよそ130人が集まりました。大型のスクリーンに決勝の様子が映し出されると、生徒たちは応援用の細長い風船やメガホンをたたき、声を合わせて萩野選手の名前を呼んで応援しました。
そして萩野選手がトップに躍り出ると声援はさらに大きくなり、1位でゴールして金メダルを獲得した瞬間、生徒たちは飛びはねたり抱き合ったりして喜び合っていました。
水泳部の3年生の男子生徒は、「うれしくて自分が金メダルを取ったような気持ちです。とても誇りに思うし、萩野選手にありがとうと伝えたいです」と話していました。また高校時代、萩野選手を指導した水泳部の顧問の高野照三さんは「やってくれると信じていました。いいタイムの見事な泳ぎですばらしかったです。ご苦労さまと声をかけたいです」と話していました。
萩野選手の母校、作新学院高校のホールには水泳部の後輩などおよそ130人が集まりました。大型のスクリーンに決勝の様子が映し出されると、生徒たちは応援用の細長い風船やメガホンをたたき、声を合わせて萩野選手の名前を呼んで応援しました。
そして萩野選手がトップに躍り出ると声援はさらに大きくなり、1位でゴールして金メダルを獲得した瞬間、生徒たちは飛びはねたり抱き合ったりして喜び合っていました。
水泳部の3年生の男子生徒は、「うれしくて自分が金メダルを取ったような気持ちです。とても誇りに思うし、萩野選手にありがとうと伝えたいです」と話していました。また高校時代、萩野選手を指導した水泳部の顧問の高野照三さんは「やってくれると信じていました。いいタイムの見事な泳ぎですばらしかったです。ご苦労さまと声をかけたいです」と話していました。
瀬戸の母校 早大で大きな拍手
銅メダルを獲得した瀬戸選手が通う早稲田大学では、学生などおよそ300人がテレビ中継を見て応援しました。
大学の講堂に集まった学生たちはスタートしてまず瀬戸選手が最初のバタフライでトップに立つと、日の丸の旗を振ったり大きな拍手をしたりして声援を送りました。
その後、ライバルの萩野選手が瀬戸選手を追い抜くと「まだいける!いける!」と声をかけていました。そして、萩野選手が1位でゴールし金メダルが決まると、学生たちは日本人選手の活躍に歓声を上げて喜んだあと、銅メダルとなった瀬戸選手にも大きな拍手を送っていました。
大学の新聞部員の女子学生は、「同じ大学の学生として誇りに思います。瀬戸選手が帰ってきたらオリンピックにどんな心境で臨んだのか取材したいです」と話していました。
瀬戸選手が所属する早稲田大学水泳部の部長の恩藏直人教授は、「メダルが取れてうれしいとは思うが、本人はアスリートなのでやはり金メダルを目指していただろう。萩野選手という最高の目標が常にそばにいるので、4年後には金メダルに届くよう挑み続けてほしい」と話していました。
大学の講堂に集まった学生たちはスタートしてまず瀬戸選手が最初のバタフライでトップに立つと、日の丸の旗を振ったり大きな拍手をしたりして声援を送りました。
その後、ライバルの萩野選手が瀬戸選手を追い抜くと「まだいける!いける!」と声をかけていました。そして、萩野選手が1位でゴールし金メダルが決まると、学生たちは日本人選手の活躍に歓声を上げて喜んだあと、銅メダルとなった瀬戸選手にも大きな拍手を送っていました。
大学の新聞部員の女子学生は、「同じ大学の学生として誇りに思います。瀬戸選手が帰ってきたらオリンピックにどんな心境で臨んだのか取材したいです」と話していました。
瀬戸選手が所属する早稲田大学水泳部の部長の恩藏直人教授は、「メダルが取れてうれしいとは思うが、本人はアスリートなのでやはり金メダルを目指していただろう。萩野選手という最高の目標が常にそばにいるので、4年後には金メダルに届くよう挑み続けてほしい」と話していました。