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「但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力にはよるべからず」(P16)
(通解)
宗教(物事)は法門をもって間違い、正しいを判断するべきであって、個人の我見や超能力等のオカルトにたよるべきではない。
有名な御文です。他にも「仏法の邪正は必ず得通自在にはよらず」(P485)と同様な御文があります。
昨日の投稿において、池田先生=日目上人、生まれ変わり?であると断言された方がいらっしゃいました。
まあ、個人の勝手な思い込みレベルの話であってほしいと心から念ずるものです。これがもし教学部の言い分であるなら、オカルトの世界になってしまします。
仮に(本当に仮に)百歩いや千歩譲って、池田先生が日目上人の生まれ変わりとしましょう。そうしたらとんでもないことになります。
「え~、じゃ日興上人は誰に生まれ変わったの?」「大聖人は誰に生まれ変わったの?」「いや、御本仏だからぁ~、生まれ変わりはないんじゃない?」
「日興上人は戸田先生に生まれ変わったの?牧口先生かなぁ?」「日興上人がもし戸田先生なら、牧口先生は一体誰の生まれ変わり?」などと訳わかんない話です。
それにイコールの関係だったとしても、それは削除の理由にはなりません。だったら日興上人は? となります。その説明義務も発生するわけです。
こういうのを「小学生レベルの突飛な飛躍した論理」と世間では言います。
日目上人は大聖人に常随給仕され、大聖人の遺志を継がれた折伏の闘将です。過去にも池田先生がスピーチされています。過去の御観念文でも報恩感謝してます。
そんな方を削除するのであれば、オカルトまがいの突飛な論理ではなく、理路整然としたものをしめしてもらいたいものです。
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