田部愛、小出大貴、古賀智子
2016年8月9日13時02分
71年前、長崎に原爆が投下された9日、甲子園の第2試合に長崎商が登場した。対戦相手の山梨学院の監督も長崎県出身。原爆が落とされた午前11時2分に近い時間に、両校関係者が平和を祈って黙禱(もくとう)した。
一回表の長崎商の攻撃が終わると、三塁側スタンドでは長崎商の約600人の生徒と保護者、OBらが10秒ほど祈った。この取り組みに山梨学院側も呼応。双方のスタンドでブラスバンドの演奏がやみ、ともに祈るひとときが実現した。二回表の前には、長崎商の選手たちもベンチ前の円陣で祈った。
当時、長崎商は爆心地から1・1キロの長崎市油木町にあった。学校や動員先で174人の生徒・教員が犠牲になったが、生き延びた教員らが生徒に集合を呼びかける新聞広告を出し、42日後に授業を再開させた歴史をもつ。
スタンドにかけつけた、同校応援団OBの林田輝信さん(77)は小学1年の時に被爆した。避難所になった学校に血まみれの人々が次々にトラックで運ばれてきた記憶は鮮明に残っている。「この日に、立派な球場で長崎の子どもたちの野球が見られてうれしい」
ともに祈りを捧げた山梨学院には吉田洸二監督がいる。長崎県出身で、清峰(長崎)の監督もしていた。7日夜、宿舎で選手たちに「学校に行って、野球して。そんなふだんの生活が奪われるんよ」と語りかけた。「野球ができる喜びを感じながら、平和が当たり前でなかった時代があったことを考え、伝えていってほしい」と話した。(田部愛、小出大貴、古賀智子)
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