私の娘が亡くなってから3週間経ちました。
私は家業の関係でお経が読めます。今日も家で娘のため、残された私たち家族のためにお経をあげました。お経はそのままでは呪文のように何を言っているのか分からないものだと思います。中身は人の生き方や戒めについて書かれています。
人の性格は簡単に変わりません。ただ、きっかけがあれば変わることができます。いい方向に変わる場合もあれば、悪い方向に変わる場合もあります。
他人を理解するためには、この世の善悪すべてに触れなければならないと思っています。悪人には善人の気持ちを理解できませんし、善人には悪人の気持ちを理解できません。そして、人間の心には、善も悪も同時に存在しています。その割合は人それぞれであり、何が善で何が悪かの基準も人それぞれです。
私は悪人ではないですが、善人でもありません。生まれた頃は紛れもなく悪人で、自分勝手な男でした。他人を思いやる気持ちも持ち合わせていませんでした。今でも、足りないところが多く、人付き合いの難しさに困ることがあります。人として大事なことを親から教わらなかったため、私には思いやり、謙虚さ、愛について正直、今でも分からないことがあります。
そんな私が思いやりの心や愛を、少しだけですが身に付けられたのは、娘のおかげです。どんなにありがたいお経を聞いたとしても、得られなかったものを娘がくれました。
子供を育てることで人は成長します。家事スキルやコミュニケーション能力も成長しますが、一番大きいのは、人間性だと思います。人間性は、人付き合いで培われます。恋人と付き合うことでも成長しますが、子育てには、恋愛のような駆け引き、損得勘定などが一切なく、無償の愛があります。これは子育てしたことがある方にしか伝わらないかもしれませんが、健全な親なら子供のためなら命をかけられます。大げさに思う人もいると思いますが、本当に子供はかわいいです。外見とかではなく、存在そのものが自分の人生であり、自分の半身となります。
実はここ数日、仕事が忙しいこともありましたが、娘を失った喪失感からやる気を失っていました。家にいるのも落ち着かず、理由をつけて散歩ばかりしていました。まだ気持ちの整理がついたとは言えませんが、マスコミ関係者の方々から色々と打診があり、自分がやるべきことに向かおうと決心がつきました。今でも私は娘に誇れる父でありたいと思っています。今日は、一つの区切りとして娘への思いを書きたいと思います。
娘へ
あなたが私の家へきたとき、あなたはまだ家族ではなかった。私には、あなたへの愛情がなかった。小さい生き物としてしか認識していなかった。あなたは、その小さい体で動きまわり、生えそろっていない歯でご飯を食べ、叫びながら用を足していた。とにかく生きることに一生懸命だった。こんな私を親だと思ってくれ、いつもそばにいることを望み、トイレにまでついてきてドアの前で泣いていたね。寝る時も一緒で、その小さい体を寝返りで押しつぶさないように何度も起きたものだ。寝不足からイライラしたし、家で仕事をしていても遊んでくれ、抱っこしてくれと言われ、あの頃は本当に面倒くさいと思った。それが、いつの間にか、あなたが嫌がってもむりやり頬ずりしたり、抱っこしたりと私はあなたが好きで好きで仕方がなくなっていた。あなたなしでは私の人生は成り立たない状態になっていた。親から愛を教わらなかった私は、あなたから愛を教わった。私はまわりの人たちからも変わったと言われるようになった。私が親から教わらなかった人間性をあなたが与えてくれた。あなたが私に与えてくれたもの以上のものを私があなたに与えることができたのだろうか?私はあなたにとって、いい父親だったのだろうか?あなたが亡くなった後、私は色々と後悔していることがある。今となっては、もう何もしてあげられない。でも、あなたにとって少しでもいい父親でありたいと思う。私はあなたの父親として恥ずかしくない生き方をし、いつかあなたに会える時、自慢話をたくさん聞かせてあげたいと思う。あなたは私の自慢話に嫌な顔をするかもしれないが、それでも私は自慢話をさせてもらう。あなたに会ったら、私の娘は世界で一番かわいいという自慢話を本人であるあなたにしよう。私はあなたに会えて本当に幸せだった。あなたのおかげで私は変われた。ありがとう。