「優しさって何だろう?」、ぼくは10年以上ずっとこのテーマについて考え続けてきました。
どうして社会では戦争が起き、人が他人を殺め、誰かを差別し、誰かの足を引っ張って陥れようとするのだろう?
そんなことに疑問を感じ、自分に問い続けてきました。
その問いと向き合った時、いつも感じるのです。
もし、自分以外の他人に対してわずかな優しさがあれば、戦争も起きなければ、他人を殺めることもなく、誰かを差別しようともおもわないし、誰かの足を引っ張ろうとする前に思い留まるのではないかと。
言い換えると、相手に対する少しの想像力があれば社会のほとんどの問題は解決に向かうのではないかと。
ぼくは自分を不遜で本当にイイ加減な人間であると自負しています。
また、幼少期の体験からコンプレックスの塊であり、承認欲求が人一倍強い、どうしようもない人間だと感じています。
ぼくは非凡にはなれず、ただの凡人です。
しかし、そんな凡人な自分ゆえに、他人にはちょっとでも優しく在れたらなとおもうのです。
ぼくが少しだけ他者よりも抜きに出てることとすれば、それは様々な人たちと出会って来たことです。
ぼくは今まで仕事を10個以上転々としてきましたし、人間にすごく興味があったので気になった人には片っ端から自分で会いにいきました。
どれだけの人と会ってきたかもはや数え切れませんが、様々なジャンル、立場、思想の人々と出会いました。
そうやってたくさんの人と出会い、経験値を積み重ねたことで、「優しい人とはどういう人なのか?」という問いに対してだんだんと言語化できるようになってきたのです。
というワケで、今日はぼくが今までたくさんの人と出会ったことで、どんな人が優しい人なのか、本当に優しい人の5つの特徴を語ります。
1、優しい人は、他人の弱点に無関心。
優しい人は他人の弱点に無関心です。
社会の多くの人々は自分の弱点を克服しようとします。
日本の教育もあって、弱点を「悪いモノ」だと捉えがちだからです。
弱点を克服しないと他人に迷惑をかけるかもしれないと恐怖心を抱いている人がとにかく多いのが実情です。
しかし、優しい人は他人に弱点を克服させようとしません。
たしかに弱点があることで、多少の迷惑はかかります。
ですが、それよりも弱点を克服することで、その人の長所を殺してしまうことを恐れるのです。
抜きに出た長所が無ければ、社会では誰にも相手にもされず、価値を持たれないことを彼らは知っているからです。
また、長所が素晴らしければ、弱点はまるでその人の個性のように扱われることを彼らは理解しています。
ですから、優しい人は相手の弱点に対してはほとんど無関心であり、相手の長所ばかりに興味を示すのです。
優しい人にとって他人の弱点は「抜きに出た長所を作るために必要な副産物」という捉え方なのです。
2、優しい人は、他人のイイ部分を引き出し、肯定する。
1で語った通り、優しい人は、他人の弱点には無関心です。
っで、他人のイイ部分ばかり見ようとします。
そして、優しい人の素晴らしい所は、そのイイ部分を相手に率直に伝えることです。
当たり前ですが、人は自分を否定されるより、自分のイイ部分を褒められ肯定してもらえることを喜びます。
誰かに肯定されれば、それが自信にもつながります。
ですが、ちょっと見渡してみると、それを素直に伝えられない人って本当に多いんです。
日本人特有の他人に自分の気持ちを伝える恥ずかしさもあるかもしれないですが、それはとても損なことなんです。相手にとっても、あなたにとっても。
優しい人は素直なので、おもったことを直球で相手に伝えます。
そして、相手のイイ部分を相手にストレート伝えることで人間関係が円滑に行くことをよく理解しています。
3、優しい人は、人間関係を付き合った年数で判断しない。
これはもう大事なことです。
優しい人は人間関係を付き合ってきた年数で判断しません。
昨日出会った人でも、信用できると直感的におもえたら、すぐに一緒にビジネスパートナーとして手を組んだりします。
優しい人は、付き合った年数以上に「今の自分と馬が合うどうか」が大切だと分かっているからです。
いくら昔からの付き合いだとしても意識レベルが大きくズレていると話しが全然合いません。
話が合わないということは人間関係がうまくいく要素が限りなく低いということです。
その時に優しい人は変に過去の関係に縛られずにソッと距離を取ります。
多くの人は付き合ってきた期間で人との信用関係を測りがちです。
いわゆる腐れ縁を続けている人が本当に多い。
本当に優しい人は年数に縛られず、「今の自分と馬が合うかどうか」で判断し、付き合う人を選ぶのです。
一見冷たいようにおもえますが、これはとても正直で清々しい行為だとおもいます。
4、優しい人は、自分は偉くないことを知っている。
優しい人は過去に大きな傷を負っている人がとにかく多いです。
ですから、どれだけ尊敬されても、賞賛されても、自分が偉い人間だとおもっていません。
「偉い」というのは勝手に周りや世間が評価して作り出されたモノであると知っているからです。
有名、無名に関わらず「人間の才能に大きな差異はない」ことを優しい人は理解しています。
ですから、いつまでも偉ぶらずにフラットな目線で誰とでも話す人がとにかく多いのです。
5、優しい人は、「優しさ」についてずっと問い続けている
ぼくはこれが最も真理だとおもっています。
本当に優しい人というのは、「優しさ」についてずっと疑問を持ち続けています。
「本当の優しさというのは何なのか?」と自分に絶えず問い続けているのです。
なぜなら、優しさはその時々の状況やタイミングで受け取られ方が全く変わることを知っているからです。
優しさを見誤ると他人に「大きなお世話」と捉えられることも少なくありません。
当然、いくら優しい人でも他人にウザがられることもあります。
しかし、優しい人は、それを分かっていながらも常にアプローチし続けます。
そして、時に他人にウザがられながらも、優しさについて追求し続けます。
「一生かけても優しさについて本当の意味で理解することはないかもしれない。」
それでも優しさについての研究を辞められない。
そんな実験し続ける科学者のような人が本当の優しい人だとぼくは思うのです。
優しい人のその他の特徴
っと、ぼくが感じる優しい人の5つの特徴をかいてみました。
せっかくなのでこの5点だけでなく、その他に優しい人の特徴を箇条書きで下記に表しました。
- 優しい人は、他者に同情しないが、共感はする
- 優しい人は、相手のメリットも自分のメリットも両方を考えてアプローチする
- 優しい人は、距離感を大事にする。近すぎず、遠すぎずの一定の距離感を保つ
- 優しい人は、心に余白がある
- 優しい人は、他人に期待しない
ざっとこんな所ですね。
ぼくは、20歳の頃に「好きの反対は無関心である」というマザーテレサの言葉を知りました。
その言葉を知った時に「他人への優しさとは、まずは相手に関心を向けることだ」ということに気づきました。
それから、ずっと優しさとは何なのか?ということを10年以上ぼくは絶えず考え続けて来たのです。
そして、今日語ったことが、現段階でのぼくの答えです。
ぼくの今の状態ではこのように捉えていますが、みなさんにとっての本当の優しさとはどんなモノでしょうか?
ぜひ自分に問いてみてください。
それでは今日はこの辺で。
わっしょい!