「原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです」

 きのう原爆投下から71年となった長崎で、田上(たうえ)富久市長は被爆地への訪問を世界に訴えた。

 あの日、何が起きたのか。じかに知る被爆者は年々減っている。記憶を枯らさず、体験をどう伝えるかは、広島・長崎だけの責務ではないだろう。

 新たな試みは始まっている。東京都国立(くにたち)市は、被爆の伝承者を育てる活動に乗りだした。

 市内に住む被爆の語り部、桂茂之さん(85)らの要望に応え、体験の伝承をめざす。15カ月間の研修をへて今年3月、20~70代の男女19人が、市の原爆体験伝承者に認定された。

 衣料店員の榎本瞳さん(30)は原爆と直接の関わりはなかった。「今の平和は無念の思いで亡くなった大勢の人たちの上にある。その人たちの声に応えて何か始めたかった」

 榎本さんは横浜の企業研修に招かれ、模型やスライドを使って約40分間語った。長崎で勤労動員の作業中に被爆し、九死に一生を得た桂さんの体験だ。

 命を絶たれた人たちの声に耳を澄ませば「私たちを忘れないで」と言っている――。そう結ぶと、20人ほどの参加者からすすり泣きが漏れた。

 体験に忠実に、自らの思いも込めて語る。被爆地から遠くても、聞き手が若くても、胸に届くよう心がける。国立の伝承は広島・長崎を主題とする19通りの変奏といった趣だ。

 その取りくみは、他の自治体とも共鳴し始めている。

 岐阜県北方(きたがた)町は先週、国立の伝承者2人を招いた講演会を開いた。被爆地との縁は深くなかったが、5年前から町立中学校の修学旅行を長崎にした。

 中学生たちは講演会での発表で、平和を築くための意識を語った。「私たちは微力だが、無力ではない」。世代を超えて被爆体験を知り、考えていくことの大切さを痛感したという。

 外務省は昨年やっと、外交官の卵を対象にした広島研修を再開した。07~09年度以来だ。

 約60人が参加した今年、無記名の感想にこうあった。「被爆者のお話を拝聞し、外交官の立場として何ができるかということを深く考えさせられた」

 外交にも市民の声や知恵を生かすのが民主国家の潮流だ。とりわけ被爆者の声は時代を超えた警告であり、祈りである。

 歴史という壮大な織物も、目をこらせば一人ひとりの紡ぐ糸でできている。核なき未来も同じであることを心に刻みたい。