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リバーサイドホテル

今日は、暑い夏にとっておきの話をします。恐がりの方は、ここで目を逸らして下さい。こんな話も偶にはいいでしょ。

 

あれは、25年ほど前、パンフの写真を撮るために福岡へ戻った時のことです。

その日は、午前中に羽田を出発し、昼過ぎに福岡へ到着いたしました。大きなバッグを抱えていましたので、まず、ホテルにチェックインしようということになったのです。

 

そのホテルは、福岡市博多区中州のリバーサイドにありました。イタリア人が設計したとあって、とてもオシャレな造りをしておりました。内装も、またオシャレが豊かで、エレベーターの中では、宿泊することになる部屋のデザインを思い浮かべていました。昔から、そうなんです。部屋好きなんです。僕の部屋は、エレベーターを出たところから見える廊下を、左に曲がった、いちばん奥の部屋でした。部屋のドアもイケてます。僕は手にした鍵を突っ込み、そして、右に捻り、ドアを開けました。グリーンをベースにした、居心地の良い空間が目の前に広がりました。しかし、足を踏み入れた瞬間に、なぜでしょう?

寒気がしたのです。部屋に流れている空調の風とは、違う風を感じたのです。あまり経験したことのない湿気を感じました。

 

「なんか、気持ち悪いなぁ・・。」

 

それが、その部屋の第一印象でした。インテリアは、どれもオシャレで、好みのタイプだったのですが、居心地が良いとは感じられませんでした。スタッフは、各自、チェックインをしており、30分後にロビーでの待ち合わせとなっていたのですが、僕は、そそくさと部屋を出ましたので、ひとり、ロビーで、みんなが集まるのを待ちました。20分程、ひとりで居たでしょうか。ガラス越しに見える中州の街は賑わっており、それを眺めていると、先ほどの部屋のことは忘れていました。そして、スタッフが、ひとり、ふたりと集まり、CHAGEも下りてきましたので、早速、撮影開始となりました。日差しが心地良く、カメラマンとも息が合い、その日は、順調な流れで撮影を終えたのです。食事から帰って来たのは、22時半頃だったでしょうか。翌日は、早朝からの撮影です。僕は、部屋に入ると、まずテレビを点けます。シーンとしているのが嫌いなのです。そして、数人の友人に電話をかけた後、シャワーを浴びました。昼に感じたこの部屋の第一印象は忘れていました。0時を回った頃には、ベッドに入りました。直ぐに、眠りについたと思います。そして、それは起こりました。何時頃なのかは分かりません。金縛りに遭ったのです。金縛りは、数えられないほど経験しております。その時に、人が出てくるか、出て来ないかが感覚で分かるのです。その日の金縛りは、人が出てくる種類のものでした。身体は動きません。声も上げられません。その時、突然腹の上に人が乗っかってきたのです。僕は、重たい瞼を必死に開け、それを確認しようとしました。ナイトランプは点けてありましたので、部屋は真っ暗ではなかったのです。開けた目に飛び込んできたのは、坊主頭の男の顔でした。じっと、僕の顔を覗き込んでいます。ただ、じっと・・。僕は、身体を捻り男を振り落とそうとしたのですが、身体が動きません。じっと見つめています。そして、男が口を開いたのです。

博多弁でした。僕に向かって喋りかけてきたのです。

 

「オレくさ・・。オレな。」

 

そこで、一旦言葉が止まりました。「何を伝えようとしてるのだろう・・」僕は、男の目から視線を外しませんでした。その時です。男が大声を上げながら、僕の首を絞めてきたのです。

 

「こうやって、殺されたったい!!」

 

ものすごい力です。僕は動けません。苦しい。男は力を弱めようとしません。

そのまま、気が遠くなって行きました。

 

起きたら、朝でした。カーテンの隙間から日差しが差し込んでいました。直ぐに、昨夜のことを思い出しました。あのまま、気絶してしまったのでしょう。

撮影は2泊3日でしたが、僕が宿泊するのは、1日だけだったのです。2日目は、実家に帰ることになっていましたので。いつも、そうですが、そんなことがあっても、朝を迎えると恐怖はなくなっているのです。そんな話をしても「またか?」と、言われるだけなので、昨夜のできごとは誰にも喋りませんでした。そして、その日の撮影も終わり、僕はひとり実家に戻りました。

 

 

翌日は、少し遅めの撮影開始となっていました。

 

集合場所は、そのホテルのロビーでした。空は快晴でした。写真日和です。撮影は、開始されました。直ぐに気がつきました。スタッフのひとりが言葉少なめなのです。僕たちのギャグについてきません。ずっと考え事をしているようでした。気になった僕は、そのスタッフに声をかけました。

 

「どうした?元気ないじゃん。」

「うん・・。」

「どうした?」

 

いつもは率先して喋ってくるのに、やはり変です。僕は、言葉をつづけました。

 

「どうしたよ?」

 

話すのをためらっている様子です。ポツリと喋りはじめました。

 

ASKA・・。」

「何?」

「昨夜、寝てるときにね・・」

 

瞬時に、分かりました。何が起こったのかを。僕は、そのスタッフが喋る前に言ったのです。

 

「坊主頭の男だろ!?」

 

顔色が変わります。

 

「何で分かったの!?」

「博多弁だったろ?」

「嘘でしょ?止めて!」

「『こうして、殺されたったい!』って、言ってきたろ?」

 

口に手を当てたまま、表情が固まっています。

 

「首を絞められたろ?」

 

唖然としています。

 

「何で!?」

「実は、その男。前の日に、オレのところに来たんだよ。」

 

そのホテルは、今も綺麗なままで中州の景色に溶け込んでいます。

信じるか、信じないかは、あなた次第です。

ASKA

 

PS.

今日は、今から家を出ます。

戻りは、決めていません。

それでは、行ってきます。

さぁ、みなさん。おやすもう。

明日の記事は、お盆に合わせた内容になっていました。

書き終わってから、お盆だと気づきました。

夏です。

こんな、できごとを話すのも悪くないでしょう。

一度きりにします。

本当にあった話ですから・・。

ASKA

調律

調律

 

 

ピアノの調律には資格が要るが

自分の調律に資格は要らない

 

最近心のどこかで

小さな歪みを感じていたが

 

そう思えたら大丈夫

心を調律すればいい

 

調子が良い

とは

超詩が良い

と書く

 

自分で自分の背中を押してみる

ひとりで詩を書いていると
ひとりではないことに気がつく

 

僕にはボキャブラリーの欠如が見られるから

それを補うためにメロディの力を借りる

それも調律

 

外は晴れているが晴れすぎだ

会話は必要だが語りすぎだ

これも調律

 

人も自然もバランスの中で生きている

悲哀と歓喜の中で生きている

 

何もしない一日はあまりにも長く

夢中になって過ごす一日はあまりにも短い

 

終電車が都内をブルースで走って行く

疲れたビジネスマンにはクラシックな眠りを

 

始発電車が郊外をカントリーで走って行く

新しい街並みにはミュージカルな装いを

 

僕は少しの間

悪い夢を見た

 

夢から起きたら

サラダな朝だ

 

美しいものには理由がある

素敵な言葉には自由がある

 

バランスとは調和

調律とは呼吸合わせ

 

そうやって

命を育みながら僕たちは生きている

井上カメラ店

先日「春日原」(かすがばる)という詩を掲載しました。僕が、生まれ育った街の駅名です。福岡の「西鉄大牟田線」にその駅はあります。僕の家から線路を渡り、右に歩いて行くと、直ぐ左に小さなアーケード街がありました。そのアーケードを入って15メートル程歩いたところの右側にその写真屋はありました。小学生の頃、父から貰ったお下がりのカメラがありました。縦型の長方形をした二眼レフカメラです。レンズが上下に二個ついたカメラです。数字の「8」のようです。

そのカメラは、上から覗き込むと、磨りガラスのような画面に十字の線があり、その線の中心に被写体を映しだしてゆくという仕組みになっていました。

 

フィルムは「12枚撮り」「24枚撮り」と、二種類売られておりましたが、小学生の僕は、12枚撮りしか買えませんでした。今はデジタルカメラの時代です。撮影に失敗しても、それを削除すれば、何枚でも撮れます。当時は、12枚フィルム。ピンぼけしたら、それで1枚は終わります。1枚を慎重に撮っていました。

 

そのアーケード内の店には、数回フィルムを買いに、または現像をお願いに行ったことがあります。

ある日、その店を訪れると、おじさんが居ました。背中を向けていました。

 

「こんにちは。」

 

振り向いてくれないのです。もう一度、挨拶をしました。それでも背中のままです。僕は、困ってしまいました。気がついてくれるまでに、数十秒かかったでしょうか。僕は、言いました。

 

「このカメラのフィルムを下さい。」

 

おじさんは、カメラを手にすると、カメラのカバーを外し、逆さにしたり、元に戻したり、レンズを覗いたりしています。どうやら、カメラが壊れたと思っているようでした。

 

「違うんです。フィルムを下さい。12枚撮りのやつを。」

 

黙っています。僕の顔をじっと見ています。笑顔はありません。僕は、店を見渡し、そのフィルムを見つけました。そして、それを指さし、

 

「あのフィルムを下さい。」

 

おじさんは、ようやくフィルムを手にし、それを僕に手渡してくれました。財布から、お金を取り出し、差し出すと、無言でお釣りだけをくれました。店のドアを閉めて出て行くまで、一言も口を開いてくれませんでした。あれ以来、その店には行っていません。子供心にわだかまりを覚えたのでしょうね。

 

時は過ぎ、大人になり、僕は歌手デビューをしました。活動25年目を過ぎた頃でしょうか、もっと後のことだったでしょうか。僕の目に、一冊の写真集が飛び込んで来ました。昭和30年代の街の風景です。「こどものいた街」というタイトルでした。それをめくって驚いたのです。「春日原」の風景でした。昭和30年から40年にかけての春日原の風景でした。主役は、景色ではなく子供たちでした。その街を背景とした、当時の子供たちが、その写真集にいっぱいに収められておりました。食い入るように見つめました。自分が写っているのではないかと思ったのです。最後まで、めくりましたが、僕らしい人物はありませんでしたが。「そうそう、こうだった」「春日原駅は、こうだった」と、懐かしさ、タイムスリップ感で、その写真集を買いました。「龍神池でケンカする子供」と、いう写真もありました。当時、その龍神池は、向こう岸が、遥か遠くに見えるくらいに大きかったのです。現在は、埋め立てをされ、小さな池になっています。知った顔が現れるのではないかと、一枚一枚、じっくり眺めましたが、もう遠い、遠い記憶のこと。知り合いを見つけることはできませんでしたが、忘れてしまっただけで、その中には間違いなく知った子がいるはずです。

 

その頃の道路は土道で、ときに馬や牛が歩いていました。馬や牛の糞を踏まないように、気を付けながら歩いていました。その頃の、男の子の多くは坊主頭でした。女の子は、みんなおかっぱでした。誰もが、貧しかった頃です。なので、それを貧しいと思ったことはありません。みんなが同じでしたから。写真を撮ったのは誰でしょう?写真誌の表紙には「井上孝治」と記されてありました。昭和の風景を撮り続けた写真家であったことが分かりました。井上さんが、亡くなった後、井上さんの息子さんが、仕舞い込んであった膨大のフィルムを現像したところ、これらの写真が出てきたというエピソードが綴られていました。昭和30年代が、現代に蘇ってきたのです。井上さんは、春日原で写真屋を営んでいたとのことでした。聴覚に障害を持たれ、他の写真家たちからは、

 

「井上の写真には勝てない。音の無い世界から写された写真だ。あの集中力には誰も勝てなかった。」

 

と、言われていたのです。あの、温かく、また鋭く切り取られた一瞬の光景は、耳に障害を抱えた、井上さんならではの作品なのでしょう。そうして、思い出したのです。「春日原の写真屋?」2、3軒しかありません。記憶を、解いて行きました。

 

「あ、あのときのおじさんだ!」

 

そうです。一言も喋ってくれなかった、あの時の、あのおじさんに違いありません。間もなくして、井上さんの息子さんと繋がりました。あのアーケードで写真屋を営んでいたとのことです。あの日のわだかまりが、約40年を経て解決されました。

 

「耳が聞こえなかったんだ・・。」

 

その写真等は、先ほども言いましたように、息子さんの手によって現代に蘇り、そして、数々の賞を獲りました。昭和のあの風景、子供たち。その後、2冊目も手にしました。今でも、時々眺めています。作品は、時代を超えて残って行く。僕の楽曲も、そうなれば幸せなことだなと、感傷にふけっています。

ASKA

賭け

賭け

 

 

海は赤かった

 

そのはずでいたことがそうではなかった

血で洗い流す夢

 

一瞬も死ねなかった

読み返すと間違っていた

誰かが叫んで初めて気がついた

 

太陽は寒かった

 

予測していた痛みじゃなかった

言葉は黙された

 

最初に明日があった

昨日を語らなかった

誰かが転んで初めて気がついた

 

空は狭かった

 

気がつけば屋根の上にひとりだった

ハシゴは外されていた

 

やったやつがやったんだ

死んだやつが死んだんだ

誰かが歌って初めて気がついた

 

墓穴の大きさを正しく知ってるやつはいないか

弔いは儀式だ

やらねばならないだろう

 

夢にアリバイがなかった

愛には証拠がなかった

 

結局信じるといつもこうだ

最後に砂を噛まされちまう

 

だが

性分ってやつは消えないもんで

また未来を信じてしまいやがる

 

オレは賭けで生きている

誰かオレに賭ける物好きはいないか

 

人気絶頂の俳優が

撮影中に落馬した

その程度のことだと思ってくれ

 

いまは偶然ひとりだが

いつかは自分をもっと増やすつもりだ

この意味がわかるか

 

なぜだ

誰が

どうして

こうなった

 

なぁに

味方がいなかった

それだけのことさ

 

誰かオレに賭ける物好きはいないか