563.長崎原爆を地上起爆させたのは江本文政か松永安左江門か?
↑祝 イチロー メジャー通算3000安打達成! 出典 https://twitter.com/asuka_250
(1)榎本東洲の『日本製原爆完成全文』
検索エンジンに「江本文政」と入れると、1頁に「515.広島と長崎で、日本製原子爆弾の“地上起爆のスイッチを押した”のは誰か?」が出てくる。515は現在「拍手」と「いいね」を合わせて64になっている。ありがとうございます。515はこちら。
515の(5)で、「江本文政は、広島・長崎で“人体実験”として行われた人類史上初の原子爆弾の地上起爆スイッチを押した。」と書いた。榎本東洲の『日本製原爆完成全文』に書いてある内容を引用して書いた。
http://nipponseigenbaku.com/?p=51
(2)弾圧される榎本東洲
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1711058.html
榎本東州氏は四国に原爆が埋められている、と主張していますね。
http://nipponseigenbaku.com/?p=304
<転載開始>日本の公安当局(埼玉県警の警備課)も、榎本東州に対して同様な財産没収から監視・嫌がらせ行動を継続して居る訳だから、今日まで書いている「日本製原爆完成全文の内容」は、日本政府がどうしても隠し通したい内容である事は確かである。<転載開始>
同じような嫌がらせを、高天原山事変<日航123便墜落事件>の真相究明をしている123氏<「(新)日本の黒い霧」ではS氏>も受けている。123氏は今、ネットや携帯はおろか、公衆電話すら使用を邪魔されている状態です。123氏はネットで実名を明らかにしています。
榎本東州氏にしても123氏にしも、実名を明らかにして主張している内容は説得力があります。私が日本製原爆地上起爆説を信じるようになった出発点は、榎本東州氏が実名を明らかにして主張しているからです!
実名は明らかにしていませんが、「宇宙への旅立ち」の執筆者・reptilianisrealさんは、爬虫類人組織から様々な嫌がらせを受けて、自宅のPCでブログ更新ができない状況に追い込まれて、図書館のPCから「宇宙への旅立ち」を更新しています。実名は明らかにしていないものの、様々な嫌がらせを受けているブロガーの主張は説得力があります。たまに私の主張と違う記事がありますが。
http://reptilianbuster.blogspot.jp/
さて、これ以降、榎本東洲の『日本製原爆完成全文』から転載していきます。(3)~(19)のタイトルは、私福田が付けさせて頂きました。解りにくい一部の表現を、勝手ながら私福田が修正させて頂きました。
http://nipponseigenbaku.com/?p=304
(3)原子炉を造る人間の無軌道な言動
<転載開始>ここで、原子炉の減速材別に原子炉を分別して云えば、黒鉛炉も軽水炉も重水炉にしても制御不能で無軌道なものであるといえる。それは、原子の無軌道と云うより原子炉を造る人間の無軌道な言動から来ている訳である。それは、広島と長崎で人体実験に使用された人類史上第1号(ウラン型・プルトニュウム型)の原子爆弾がアメリカ製とか? 濃縮ウランはドイツの潜水艦が運んだとか云う? 無軌道な言動でも証明される。
(4)日本製原爆第1号の起爆実験は硫黄島で実行!
大日本帝國の大本営(“大命”発する所=天皇)が陣頭指揮を執り製造し完成させた原爆の第1号の起爆実験は硫黄島で実行し、その後広島・長崎で人体実験を起こした訳である。テニアン島の原爆部隊(シルバープレート)は精々が、パンプキン爆弾(通称1トン爆弾、或いは5トンとも云われるが、B29への搭載は3トン程度が限界の重さである)を、皇居に落とし損ねて、新橋駅附近に落としたり、名古屋などの主要都市に落とす任務程度であった訳である。
(5)アメリカ合衆国は原爆製造に失敗!
アメリカ合衆国が原爆製造に失敗したのとは対照的に、大日本帝國主義者らが成功した「日本製原爆」を、アメリカ軍機が広島と長崎に空中から投下したと云う、大日本帝國主義者らの描いたシナリオ「世界初の被爆国」を看板にして、日本中に原子力発電所を建設しながら、世界中に東芝・日立・三菱・電力中央研究所が開発した原子力発電所を販売(セールス)して歩いている訳である。
(6)「原爆(核兵器)商売」
この「原爆(核兵器)商売」を可能にしているのが、東京大学、東京工業大学、立教大学、武蔵野工業大学、京都大学、大阪大学、東北大学などの原子力研究学部を出た学生らである。これだけ多数の原子力研究者がいて、未だに広島と長崎の原爆は、アメリカの「マンハッタン計画の産物」だと考えている位に、世界の物理学界までをも「詐欺」できる訳だから、日本人は賢人だね。
(7)世界を騙す日本人!
広島上空 520メートルで起爆したと云っているのは世界1のカメラメーカー「キャノンの“三井再男(またお)”」だ。広島上空600メートルで起爆したと云っているのは「新妻清一だったか宇佐美昇三」で、理研の仁科芳雄は「病院のレントゲンフィルムが感光していたので、原子爆弾だと確信した」と云い。京都帝國大学の荒勝文策は「広島市内の土などを分析した結果、放射性同位元素を検出し、原子爆弾だと確信した」と云い、京都府知事の三好重夫は「荒勝文策から原子爆弾の講義を受け、広島は原子爆弾だと確信した」と云い、呉の海軍兵学校の教官は「あの程度の爆弾は日本が既に、硫黄島で実験済みである」と発言している。
(8)空中起爆したという根拠は乏しい!
協和発酵の若木繁敏(海軍技術将校)は、「空中で計画通り起爆させる技術は、相当に難しい」とコメントしている。これだけの発言を見ても、広島と長崎の原子爆弾が、アメリカ爆撃機B29に搭載されて地上520メートルで空中起爆したという根拠は乏しいのである。
各大学の原子物理学を専攻している学生は、大日本帝國主義者らの描いたシナリオ「世界初の被爆国」音頭に踊らされているのである。ウラン235の濃縮問題やプルトニュウム239生成問題は解決できても、起爆装置の小型化は、1944年の時点では不可能である。速い中性子と遅い中性子を同時にウラン235やプルトニュウム239の塊に撃ち出さないと、金属拡散程度の爆発しか起きないのだから、起爆装置は非常に複雑であり、尚且つ非常に精密デリケートな構造となり、起爆に必要な「電源」は巨大になり、しかも安定した波形の電流・電圧装置が必要となる。
現代の様な「シリコン結晶」が開発されていれば、起爆装置の小型化はある程度可能だが、当時の技術では「セレン整流器」が限界であり、しかも「マイクロスイッチ」の技術も「リレー」の開発なども出てくる。真空管からトランジスターに移行できたのは戦後の話であり、そのトランジスター(ダイオード)でも初期には動作不良が多く発生しているから、実用には更に時間を要した訳である。
つまり、1944年の時点に仮に、トランジスター(ダイオード)が開発されていたとして、これを原子爆弾の起爆装置に搭載できたとしても、爆撃機に搭載し離陸できたと仮定しても、爆撃機から投下する前に爆撃機内で爆発する可能性が出てくるから、投下直前に起爆装置を接続するしかない。起爆装置の電源を如何するのか?と云った問題をぬきにして、投下する筈もない訳であるが? 起爆装置に火薬を使うことで、起爆装置の電源問題はある程度解決できるかもしれないが、やはり弾体の大きさよりも、起爆装置の方が巨大である事に変わりはないのである。
問題はテニアン島から離陸できたとしても、途中で乱気流にでも入れば、機上で爆発するか?起爆装置が破損しかねない。しかも、広島上空でも長崎上空でもB29爆撃機(シルバープレート)は、高度1万メートル近くから急降下して地上から目視できる位の高度で飛行し、急上昇しているのである。
帰路の燃料と爆弾搭載重量を考慮すると、B29の急降下は自殺・自爆行為であるし、空中起爆の高さを上空600メートルだったと仮定して、B29が原爆の爆風から逃れることは不可能である。急降下して600メートルで原子爆弾が起爆すれば、B29は放射線熱と爆風で急上昇中に空中分解する事になる。
現代のコンピューター解析技術でも同じ結論に帰結する筈である。つまり、広島の原爆爆発時間午前8時15分も、空中起爆も大日本帝國の捏造の時間と起爆高度である。大日本帝國が原子爆弾を地上起爆させて、8月15日を大命の玉音放送日とし、終戦と決めた「連合国側と皇室の国際和平協定」に違反する訳だから、起爆は確実に実行されなければならない事になる。
(9)【大日本帝國は、都合3発の原子爆弾の製造に成功していた】
それにはどうしても、起爆実験が必要不可欠の課題となるし、原子爆弾が完成しましたという、連合国側への公開実験の意味も必要と成ってくる。それが「硫黄島」である。アメリカの硫黄島の星条旗(Raising the Flag on Iwojima)と云われる「アーリントン国立墓地近くの海兵隊戦争記念碑」は政治的な原子爆弾実験成功の記念碑であり、アメリカ海兵隊将官の無駄死の記念碑でもある訳である。
そうすると、【大日本帝國は、都合3発の原子爆弾の製造に成功していた】と云う事になる。しかし、それでは、高碕達之助の著書「満洲の終焉」で供述している満洲重工業開発株式会社が満洲全土で産出した“ウラン2,000トン”と、ベトナムを始めとした東南アジア地域からカナダなどで秘密裏に取引され、日本本土に運び込まれた“数千トンのウラン”などを考えると、合計で5,000トン程度は保有していたと考えられる訳である。
その一部が中曽根康弘(大勲位受賞)や安川第五郎や土光敏夫、正力松太郎らが強引に推進してきた「日本製原子炉の燃料集合体」などに使用された訳である。だから、茨城県東海村の第1号原子炉はイギリス製の黒鉛炉であり、設計と工事はドイツの技術者陣が担当した訳である。当時の日本側の原子物理学者らは、この「黒鉛炉の導入に反対していた」訳だが、それは、戦中に黒鉛炉を経験済みだったからである。
(10)アメリカのロスアラモス研究所を遥かに凌ぐ日本の原子爆弾研究機関!
この「ウラン約5,000トン」が、大日本帝國の東邦産業研究所(現・慶應義塾志木高等学校)や理化学研究所や、静岡県三島市の陸海軍技術研究所(工廠)から、満鉄中央試験所、台湾や朝鮮などを含む研究機関で開発、製造された訳で、アメリカの様な過保護原爆研究所の「ロスアラモス研究所(マンハッタン計画)」を遥かに凌ぐ原子爆弾研究機関だった事になる。
(11)原子爆弾を現在でも隠し持っている日本
そこが、3発程度の原子爆弾製造で満足したとは到底考えられない訳である。ウラン235型とプルトニュウム239型では一般にその起爆方式が違うと云われているが、その詳細に付いては、明らかにされていないのは当然である。
高校生でも原子爆弾は出来る見たいな論調の意図は理解出来ないのである。米露冷戦時代には数多くの核兵器(原子爆弾、水素爆弾)が、砂漠や海洋諸島で爆発され地球上を放射能汚染して、今回の福島原発メルトダウン事件から次々と続いていく訳である。
さて、問題は大日本帝國が完成させた残りの原子爆弾(ウラン235型、プルトニュウム239型)の行方である。1943年~1944年時点での大日本帝國のウラン所有量は、旧大宮市で問題になった「モナザイト事件」でも理解される様に、5,000トン単位で考えると、ウラン238からウラン235を抽出できるのは、全体の0.7%と云われている。
プルトニュウム239の製造には原子炉が必要であり、両者共ウラン鉱石の総トン数だけでは、ウラン235濃縮製造量の算定は難しいが、スメラノミクニ=日本=釈迦白足袋族の狂気は世界人類の想像を超えているから、3発だけ製造したとは到底考えられない訳である。そう考えると、あと最低でも2~3発の原子爆弾を現在でも隠し持っていると考えた方が筋道が立つのである。
(12)History repeats itself
この問題を解く鍵は、やはり第1次世界大戦のドイツ人教師(俘虜)の学校「坂東収容所の俘虜新聞【ディ・バラッケ】」から始まる訳である。それは、第2次世界大戦の米英蘭軍の俘虜(捕虜)は如何なる俘虜状況だったのか?と云う問題を提示しているからである。
この米英蘭軍の俘虜(捕虜)の足懸りの一つに日本のレーダー開発問題と云うのがある。当文面のタイトルを【沖縄・東京・広島・長崎・大阪戦災67回忌(66周年)】としたのは、この【日本のレーダー開発問題と原子爆弾製造と完成から、731部隊のミドリ十字(現在の田辺三菱製薬)(薬害エイズ事件)と長野県にある佐久病院の創設問題】までが無限連鎖となって何度でも同じ歴史を繰り返すのである。
(13)日本製原爆をアメリカがB29で広島・長崎に投下したと云う歴史シナリオを書いた人々
すなわち「核兵器(原子爆弾)、化学兵器、生物兵器」を使用した都市テロ攻撃から、世界規模での無差別大量殺戮への道と云う訳である。その原因は日本製原爆をアメリカがB29で広島・長崎に投下したと云う歴史シナリオを書いた「小島威彦、高嶋辰彦、仲小路彰、丸山真男、重光葵、吉田茂元首相、吉田茂元協調会、内務省官僚、陸海軍将校、そして裕仁・良子天皇夫婦と、その御用係りだった原田祖岳(東照寺国際参禅道場 開山)や山本玄峰、大森曹玄らの禅宗師家であり、大谷一族の浄土真宗・浄土宗などの宗教指導者らの系譜が今日も続いていると云う問題に帰結する訳である。
(14)原子爆弾を無償で中国に提供した大平正芳
原子爆弾を無償で中国に提供した大平正芳(香川県)はキリスト教徒だと云うが、本当は「金光教の信者」である。つまり“菅伸子”と同じ思想系列と云う訳である。それでも、文部科学省を廃省できないのは「政治の貧困」である。
(15)現在でも起爆可能な2~3発の原子爆弾の行方
さて、問題を【1944年に製造された日本製原爆5発(6発?)の内、3発は起爆された訳で、問題は現在でも起爆可能な2~3発の原子爆弾の行方である】その答えは、2004年12月1日第161回国会(臨時会)に於いて、日本共産党の元参議院議員・仁比聡平(にひ そうへい)が、参議院議長・扇千景に提出した【質問第一六号】に在る。少し長くなるが、下記に転載すると。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/161/syuh/s161016.htm
第161回国会(臨時会)質問主意書 質問第一六号 徳島県美馬郡脇町佐尾原地区の旧陸軍砲弾貯蔵所跡地における砲弾未処理問題に関する質問主意書 右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。
(16)徳島県美馬郡脇町佐尾原地区の旧陸軍砲弾貯蔵所跡地における砲弾未処理問題に関する質問主意書
徳島県美馬郡脇町の佐尾原地区は、1945年5月ごろ旧陸軍四国軍管区の砲弾貯蔵所が建設された場所である。砲弾貯蔵所は、現脇町役場の北方にあたる県道脇大谷線の西側の段丘斜面に、二つの出入り口を設けた奥行き十メートル、奥横十七メートルの坑道をもつ凹形の壕を十数箇所建設したもので、現在壕跡地は第二壕から第八壕までが残されている。
当時の建設には「穴掘りは旧制脇町中学生徒が主力で一般町民が奉仕した。」もので、「多量の砲弾が集積されていた」と、脇町誌(1961年1月10日・脇町誌編集委員会発行)に記録されている。なお、この町誌は当時の町議会で編集と出版が議決され、編集委員長は当時の町長である重本賢一氏が務め、その経費も町が拠出するなど、町の公文書的な町誌である。
脇町はこれらの経過から、1958年に「保安区域の指定に関する条例」を策定した。この条例の第一条では「砲弾及びそのスクラップが埋没されていると認められる区域(以下『保安区域』という。)内における行為を規制することによって災害の発生を防止しもって公共の安全を図ることを目的とする。」とされており、町は当時から砲弾等の存在を認めつつ、同条例第三条により「何人も保安区域においては土地を穿掘してはならない。」と規制してきた。この旧日本陸軍の砲弾については、戦後「進駐軍」により、大半が焼却爆破処理したとされている。
しかし、1957年3月29日に貯蔵所跡近くの民家が火災になり、不発弾が爆発、消火作業中の消防団員が負傷する事件が起きている。これをきっかけに陸上自衛隊による壕外の埋蔵調査が行われ、多数の未処理砲弾が存在していることが確認された。
1960年3月に、自衛隊による地雷探知機を使った埋没砲弾の状態調査が行われ、横穴内部にも多量の不発弾のあることが確認されている。同年4月12日から本格的な発掘が行われ、脇町誌によれば「延べ五百四十余人が四つの穴で三千立方メートルの土を取り除き、七トンの砲弾を掘り出した」。砲弾発掘の責任者をしていた陸上自衛隊中部方面隊武器課弾薬班長の藤本三佐は「あと残っているのは約十トン」とはっきり証言している。それ以降、壕内の砲弾は調査されず、放置されてきた。
その後も、吉野川北岸用水や徳島自動車道の建設時、2年前の付近民家建設時など最近に至るまで未処理砲弾の発見が相次いでいる。特に数年前の徳島自動車道建設に際して発見されたときは、自衛隊員が大挙して処理に出動した。
この徳島自動車道の下に第七壕跡が存在していた。旧陸軍砲弾貯蔵所跡前の居住者は、2003年10月ごろから雨のたびに、自宅横の砲弾貯蔵所跡をふさぐコンクリート壁の割目から赤さび状の液体が流出しているのを目撃し、「壕に砲弾が残っていて危険」と町や国に指摘している。
こうした歴史や現状を踏まえるならば、壕内には砲弾が多量に存在していることは確実である。戦後59年もの間、不発弾の危険を日々感じながら生活を余儀なくされてきた住民の不安を解消するためにも、この未処理砲弾の処理が急務となっている。
また、近い将来予測される南海地震や台風などの災害により、砲弾貯蔵所のあった段丘が崩壊し不発弾が露出するなど、何らかの影響で爆発することも考えられるだけに、この問題を放置することはできない。
旧日本陸軍の砲弾処理は専ら国の責任に属するものである。ところが、現時点で、この旧陸軍砲弾処理問題を取り扱う国の窓口すら明らかにされていないことは重大な問題である。
よって、以下のとおり質問する。一、そもそもこの旧陸軍砲弾処理問題は、国が責任を持って処理すべき問題ではないか。どの中央省庁等が旧陸軍砲弾処理問題を所管し、国の窓口となって処理を促進するのか明らかにされたい。
二、未処理砲弾が直接発見された場合は、国の責任において処理することになるのか。その場合の連絡手続き等一連の処理方法はどのようになっているか。
三、未処理砲弾の処理に係る諸経費の負担はどうなっているか。国が責任をもって諸経費の全額を負担すべきではないのか。
四、未処理砲弾が存在しているかどうか不明な段階で水質・磁気探査調査などを行い、実際に存在することが明らかになった場合は、その調査費は「不発弾等処理交付金」の対象に含まれることになるのか。この費用についても全額国の負担とすべきと考えるがどうか。
五、1960年の自衛隊による発掘調査時に、10トンの砲弾を埋めたままにしたことが脇町誌で明らかにされている。信管が抜いてあっても不発弾の存在が確認されれば速やかに撤去処理する必要があると考えるがどうか。
六、現在、未処理砲弾や不発弾の調査は自治体任せになっていることから、脇町のように財政基盤の弱い地方自治体では、調査予算が組めず、結果的に放置されているケースが多いのではないか。そこで、国は不発弾が発見されてから行動するだけでなく、過去の目撃情報や不発弾存在情報などに基づき、国が費用も含めて全責任を持って調査・発掘・処理を推進すべきではないか。
七、第二次世界大戦末期、当時の政府は連合軍との本土決戦を想定し、脇町砲弾貯蔵所と同様の軍事施設を全国に建設し砲弾等の弾薬を貯蔵していたと考えられるが、脇町ではこの砲弾処理方法が焼却・埋設などという方法だったために、現在まで砲弾未処理問題が大きく問われることになっている。
このように不発弾未処理問題は全国的な問題である。そこで、旧陸軍などの砲弾貯蔵所及びそれぞれの貯蔵不発弾量が全国のどこにどれだけ存在し、これまでに、どこでどれだけの不発弾処理がどのようになされたのか明らかにされたい。右質問する。
この【第161回国会(臨時会)質問主意書 質問第一六号】に関する『答弁書』はサイト上には存在しない、日本政府の事だからヌラリクラリと結論を先送りしたり、目まぐるしく内閣の看板を代えて表面上は問題なしと“金太郎飴首相の交代劇”に始終しているから、徳島県近県の「不発弾処理問題」は依然として起爆前5分で進行中なのである。~中略~
(17)四国4県には化学・生物兵器が未だに埋蔵されたまま!
さて、この徳島県全域に大日本帝國陸・海軍が隠匿した砲弾、銃火器類は、仁比聡平(元参議院議)が質問している以上に大量の武器・弾薬なのである。それは、茶園義男著の「本土決戦 四国防衛軍 上下巻(徳島県出版文化協会発行)」に記述されているが、隠匿場所の詳細に付いては、著者が資料を隠匿していると云う事態なのである。
それは、大日本帝國陸・海軍が中国に廃棄してきた化学兵器と同じなのである。つまり、徳島県を始めとした四国4県には化学・生物兵器が未だに埋蔵されたままの状態で、【大日本帝國陸・海軍の復活の日】を待っているのである。~中略~
(18)四国4県が被曝し壊滅する可能性!
2004年12月1日第161回国会(臨時会)で問題視されているのは、本州四国連絡橋の設計で、四国4県での自動車道の整備で、道路計画上に爆弾、銃火器、化学兵器、生物兵器(砲弾)を隠匿した弾薬庫やトンネルが無数に存在する事が判明していながら、政府は何の対策を執らずに、道路工事をして、出てきたら、防衛省に泣きつくと云う繰り返しだった訳である。
さて、これだけ無数に道路建設をしても、「日本製原子爆弾」の隠匿場所に辿りつかなかった理由は、公共的な場所に隠匿されていて、長い将来での大日本帝國陸・海軍が復活した日に実戦に寄与する事を想定した場所に隠匿しているからである。もし、何等かの理由で自然に起爆装置が作動したと云う最悪の事態を考えると、四国4県は福島県を同じ面積であるが、福島原発は「長期的な閉鎖都市」となってしまったが、四国に隠匿された「1944年製造の日本製原子爆弾」が起爆した場合の被害は、実に四国4県が壊滅する被曝状況と見るべき面積である。
榎本東州は単に四国市民を脅している訳ではなく、京都府が中心となって始めた“第2次世界大戦(大東亜戦争=15年戦争)”は、同じ京都府が本拠地の「オウム真理教団」が大量の化学薬品を日光山中に隠匿したのと同じ手口で、同じ事を繰り返している事実からして、戦争当時に大日本帝國陸・海軍が所有していたウラン約5,000トンと日本製原爆2~3発を、四国に隠匿したのは確実だと考えられるからである。
ウラン235型やプルトニュウム239型は、1944年製造ならば67年間の半減期分は劣化していると云う人もいるだろうから、世界に日本製原爆の威力を営業宣伝する意味でも、新首相“野田佳彦”<当時>は地上起爆させて、四国市民を対象にして人体実験をしたら良いさ。~中略~
四国では1944年製造の日本製原爆の弾体が起爆すれば、四国4県は広島・長崎を凌ぐ被爆者を出し、静かに放射性物質を放出し続ければ、天然原子炉として福島原発と同様の被害をもたらす事になるのである。勿論、四国に「日本製原爆」を運んだのは勿論、京都大学を中心とした釈迦白足袋族らである。
(19)山本太郎が叫ぶ「原発反対」運動の中味
それが、芸能人 山本太郎が叫ぶ「原発反対」運動の中味である。何故なら、支那派遣軍総司令官の松井石根大将と親族となる、日本製原爆を推進し、戦後は原子力産業を松永安左エ門、安川第五郎らと共に、原子力産業を強引に推し進めてきた“エネルギー業界の会長 松井宋一”と繋がっているからである。山本太郎は“原子力発電の反対”を叫びながら、反対派の意見を潰して行く役割で動き回っているのである。忌野清志郎は“原子力発電所の賛成を歌いながら反対”を叫んでいたと云うから、芸能界も政界もあてにはならないし、マスコミは柳の枝の様に風まかせで雪折れなしで、福島原発メルトダウンで金儲け、風に任せて海流に任せて放射物質が拡散しても、ハハ呑気だね!~後略~<転載終了>
(20) 松永安左エ門
(19)に出てくる松永安左エ門ですが、「煩悩くん フルスロットル」の「原爆は日本製で地上起爆?」の記述の中に次の記述があります。
『原爆完成全文』の榎本東洲氏によると、長崎原爆は理研が開発し、東邦電力の創始者で「官吏は人間のクズである」と言い放ち徹底抗戦した「電力の鬼」と呼ばれた松永安左江門が地上起爆させたとある。
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2773.html
松永 安左エ門(松永 安左衞門、まつなが やすざえもん)は、1875年に生まれ1971年に逝去した。「電力王」「電力の鬼」と言われた日本の財界人であり政治家であった。
21歳で福澤諭吉の朝の散歩にお供をするようになり、福澤桃介の知遇を得た。慶應義塾大学中退後、福澤桃介の紹介で日本銀行に入行したが、1年で辞職し、福澤と共同で神戸や大阪等で材木商や石炭業を営んだ。
1928年には自ら設立した東邦電力の社長に就任し、一都十一県に電力を供給するまでになった。戦争の激化に伴い、国家総動員法と合わせて電気事業を国家管理下に置く政策が取られ、特殊法人の日本発送電会社が設立され、9の会社が配電事業を行うことになった(一発電九配電体制)。これに伴う東邦電力の解散(1942年)を期に松永は引退し、以後は所沢の柳瀬荘で茶道三昧の日を過ごした。
第二次世界大戦後、老欅荘を建てて1946年埼玉県柳瀬(現・所沢市)から小田原に移り、住まいとした。所蔵していた美術品と柳瀬荘を東京国立博物館に寄贈した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E5%AE%89%E5%B7%A6%E3%82%A8%E9%96%80
(21)鉄道技術と日本製原子爆弾
何人かいる私の叔父の一人は長年、東京都府中市にある東芝府中工場に勤務していた。1968年12月10日に発生した三億円事件では、ボーナスの支給が1日遅れた。
東芝は原発企業である。私の叔父は鉄道の仕事をしていた。東芝府中工場が鉄道に気合いを入れている事は、JR武蔵野線北府中駅の西側の風景を見ると理解できる。
1987年に日本で発生した外国為替及び外国貿易法違反事件である東芝機械ココム違反事件に象徴されるように、何でもありの会社が東芝である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%8A%9D%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%A0%E9%81%95%E5%8F%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
アパルトヘイトを止めさせる為の南アフリカに対しての経済制裁が世界中で行われていた頃も、私の叔父は鉄道の仕事で南アフリカに出張していた。硫黄島ー広島ー長崎で地上起爆された日本製原子爆弾の製造と完成は、鉄道技術でまとめ上げられたと言う。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1757661.html#more
(22)長崎原爆で死亡した被爆者の解剖標本は、被爆から60年以上経っても放射線を放出!
「158.内部被曝した女性は奇形児を産む可能性が高いのか?」の「(8)2009年08月の共同ニュース」で、長崎原爆で死亡した被爆者の解剖標本が、被爆から60年以上経っても放射線を放出している事を紹介しました。158はこちら。
(23)奇跡を引き寄せる・幸運体質に|ソルフェジオ周波数
https://youtu.be/z15eJCt-NrY
↑奇跡を引き寄せる・幸運体質に|ソルフェジオ周波数 2016/08/05 に公開
(24)長崎原爆の日 被爆者代表・井原東洋一(とよかず)さんの素晴らしいスピーチ!
http://mainichi.jp/articles/20160809/k00/00e/040/218000c
長崎は9日、71回目の「原爆の日」を迎え、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。田上富久市長は平和宣言で、核兵器の残虐性を強調し、5月のオバマ米大統領による広島訪問を評価。「原子雲の下で人間に何が起きたのか。事実を知ることこそが、核兵器のない未来を考えるスタートラインだ」と述べ、各国の指導者や市民らに被爆地を訪れるよう促した。
式典には被爆者や遺族、市民ら約6200人が出席。核兵器保有国の米露英仏中を含め、過去2番目に多い53カ国の代表が参列し、原爆投下時刻の午前11時2分、黙とうをささげた。
田上市長は平和宣言で、米軍による原爆投下直後の惨状や、現在も続く放射線による被害に触れ、「核兵器は人間を壊す残酷な兵器」だと繰り返した。その上で、今年始まった、核兵器禁止に向けた法的枠組みについての国連作業部会での議論に参加しようとしない核保有国に対し、議論に参加するよう求めた。
日本政府に対しては「核兵器廃絶を訴えながら、核抑止力に依存する立場をとっている」とし、その姿勢が「矛盾」していると批判。非核兵器地帯の創設などでリーダーシップを発揮することを期待した。
さらに被爆71年を迎え、「被爆者のいない時代」が近付いていると指摘。「戦争や被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われている」として、若い世代への継承に力を入れる必要性を強調した。
被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた長崎県被爆者手帳友の会会長の井原東洋一(とよかず)さん(80)は、安保関連法を「憲法に反する」と批判し、廃止を求めた。
更に、井原東洋一さんは、「広島はウラン型、長崎はプルトニウム型と違う種類の原爆を投下したということは、攻撃ではなく実験だったのでは。」と、支配層が絶対にふれてほしくない原爆人体実験説を披露した。実に素晴らしいスピーチです!
支配層が絶対にふれてほしくない内容なので、上のリンク先の毎日新聞ニュースはその部分を完全に抹殺している。おそらくすべてのマスコミがその部分を無視するのではないだろうか。
権力の手先である馬鹿ネット右翼が井原東洋一さんに噛みついている。言論封殺をする屑である!
https://twitter.com/AerospaceCadet/status/762861052518207488
(25)BSフジの「プライムニュース」でも人体実験説が
なお、2016年8月9日に放送されたBSフジの「プライムニュース」の21:51頃の番組の最後で、読者からの声という形で広島原爆が人体実験テロだったのではないかと言う声が紹介された。秦郁彦らの御用学者の反吐が出るようなご高説に満ちあふれていたこの番組の唯一のHITであった。『特別企画“戦争の教訓”② 原爆投下の思惑と覚悟 米公文書が明かす真意 謎のポツダム草案改変』と言うタイトルの特集だった。
http://www.bsfuji.tv/primenews/schedule/
(26)「広島と長崎への原爆投下が日本を降伏させた」とは言えない!
「広島と長崎への原爆投下が日本を降伏させた」と長年にわたり多くの人々が語ってきた。原爆地上起爆説を取りあえず否定して、地球人の圧倒的多数が信じている原爆投下説に立った場合でも、「広島と長崎への原爆投下が日本を降伏させた」とは言えない!
(27)偏向歴史教科書
1945年2月のヤルタ会談で「ドイツ降伏後3ヶ月以内にソ連は対日参戦する」という約束が結ばれた。1945年4月5日、ソ連は期限満了後の日ソ中立条約の廃棄を通告した。1945年5月のドイツ敗戦後、ソ連軍はその兵力を続々とソ満国境に集結させた。
こうした背景を無視して、「ソ連は日ソ中立条約を無視して日本に参戦」と一方的にソ連が悪者であるかのような記述をしている偏向歴史教科書がある。私はその偏向歴史教科書を使用しなければならない年度は、教科書を使用するのが苦痛だった。
(28)ポツダム宣言
それはさておき、ナチス・ドイツ降伏後の1945年7月17日から8月2日にかけ、ベルリン郊外ポツダムにおいて、米国、英国、ソ連の3カ国の首脳(アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマン、イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、ソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリン)が集まり、第二次世界大戦の戦後処理について話し合われた(ポツダム会談)。ポツダム宣言は、この会談の期間中、米国のトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相と中華民国の蒋介石国民政府主席の共同声明として発表されたものである。
ポツダム宣言に関しては、鈴木貫太郎内閣としては取りあえず、ソ連の態度を見極めるまで様子を見ようという方針だったが、7月28日鈴木は記者会見を開き、『 あの共同宣言は、カイロ宣言の焼き直しである。政府としてはなんら重大な価値ありとは考えない。ただ黙殺するだけである。われわれは戦争完遂にあくまで邁進するのみである。』と述べた。この時の「黙殺」は「reject」(拒否)と英訳されて報道された。日本政府は正式な外交ルートで回答をしていないが、この記者会見が連合国側に伝わり、「ポツダム宣言拒否、戦争続行。」と解釈された。
(29)広島原爆起爆後すぐに戦争終結に向けた具体的な動きはなかった!
8月6日の広島原爆起爆の後、日本の支配者どもは戦争終結に向けた具体的な行動をほとんどしなかった。だから広島原爆が戦争を終わらせたと言うのは嘘のプロパガンダである!
8月6日、7日、東郷外相はモスクワの佐藤大使に、ポツダムから帰国したソ連外相モロトフに、和平仲介に関する回答を得る為に、至急会見するようにという電報を打った。甘く言えば、これが唯一の戦争終結に向けた具体的な行動と言えるかもしれない。
(30)ソ連の参戦が日本を降伏させた!
モロトフと佐藤の会見は8月8日に実現した。モロトフは、日本政府への「仲介依頼」に対する回答に替わりに、宣戦布告文書を読み上げてこれを佐藤に手渡した。戦争終結に向けた動きが慌ただしくなるのは、その後である。つまり、「ソ連の参戦が日本を降伏させた!」と言う事である。
東郷外相は8月9日未明ソ連がソ満国境を越えて日本と交戦を開始したことを知ると、朝早くに鈴木首相を訪ね、早急に戦争終結することを説いた。鈴木首相もすぐさまこれに同意して最高戦争指導会議を開くことになった。木戸幸一内大臣からも戦争終結を図るべきだ、という天皇裕仁の意向も伝わってきた。
ソ連の参戦で「国体<天皇制>護持」が危うくなったから、支配者どもはようやく戦争終結に向けた話を始めたのであった。
(31)「長崎原爆」の情報は政府の意志決定に影響を及ぼさなかった!
トルーマン政権は当時、「降伏の条件」はソ連参戦である、と一貫して観測してきたが、事態はその通りになった。1945年8月9日10時半頃、最高戦争指導会議構成員会議が宮中で始まった。出席者は鈴木首相、東郷外相、米内光政海軍相、阿南惟幾陸軍相、豊田副武海軍軍令部総長、梅津美治郎陸軍参謀総長の6人だった。鈴木は「ポツダム宣言受諾」を会議に提案した。この後約5分間の沈黙があった。
最初に口火を切ったのは米内だった。「ポツダム宣言」を無条件で受諾するか、それとも希望条件を提示するか。このいずれかを選ぶほかに検討の余地はないようだ、と米内海相は指摘した。
米内は「国体護持」(天皇制存続)の条件の他に、「戦争犯罪人の処罰は日本側に任せる」、「武装解除は自主的に行う」、「保障占領の中止」の3つの条件が考えられる、と鈴木提案の対案を提示した。結局会議はこの2案の選択を巡って議論されることになった。
東郷外相は国体護持(天皇制存続)以外の条件をつけては交渉は決裂するだけだ、と主張した。鈴木首相と米内海相が同意したが、阿南陸相と2人の総長は、他の三条項の緩和または自主的実施を相手側に納得させない限り終戦は不可能だ、と強調して譲らなかった。
この会議の最中に長崎で原爆が起爆した。民衆の命を一顧だにしない屑どもの最高戦争指導会議は堂々巡りのまま午後1時半にいったん終了した。
最高戦争指導会議に引き続いて2時30分から開かれた閣議に、長崎に原爆が投下されたことが報告された。極めて重要なことは、「長崎原爆投下」の情報が、政府の意志決定に何らかの影響を及ぼした痕跡がないことである! 午後2時30分から始まった閣議も延々と小田原評定を繰り返した。
まだ敗北していないのだから、敵の条件を鵜呑みにする必要はない、と阿南陸相は言った。 「局所局所の武勇伝は別だが、ブーゲンビル戦以来サイパン、ルソン、レイテ、硫黄島、沖縄島皆然り、皆敗けている。」と米内が主張した。「会戦では敗けているが、戦争では敗けていない。陸海軍間の感覚が違う。」と阿南陸相は決然とした語調で反発し、ひとしきり米内海相との間に、敗けている、いない、の論争が展開された。
(32)ソ連が米国を日本の核攻撃から救った
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091/
<転載開始>1945年8月9日、米国・英国との協定に基づき、ソ連が対日戦争に参加した。11日、太平洋艦隊およびソ連陸軍が清津港・元山港占領作戦を開始した。両港の間には咸興(ハムフン)という港町があった。日本軍はそこで密かに核開発を進めていた。
ソ連軍に研究施設を占拠されることを危惧した将校らは12日、巨大な金属のコンテナーで核弾頭のサンプルを運び出し、小型の船艇に載せて漕ぎ出し、沖に出ると間もなく点火、もろとも爆破した。巨大な爆発であった。直径1kmの火球が天空に燃えたあと、巨大なきのこ雲が騰がった。
米機B-29が投下した広島原爆と同程度の威力の爆弾であった。「祖国」作戦の一環で米軍に対して使用される予定であった。しかし、投下され、炸裂することはなかった。いわばソ連が米国を日本の核攻撃から救ったのである。 <転載終了>
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1864745.html
日本製原爆製造と成功は、大満洲帝國のチャムス(佳木斯)近郊から採掘し精錬された約2,000トンを超えるウラン鉱石(ウラン238)が基礎となっている!
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1989448.html
西でベルリンを陥落させたソ連はドイツの核技術を得て、東で満州に進軍したソ連は日本の核技術を得て、第2次世界大戦後、核大国となった!
(33)軍国主義者の常套手段
過去の歴史が示す通り、嘘で民衆を騙し戦争を引き起こす事は軍国主義者の常套手段である! 現在で言えば、偽装写真を悪用し、尖閣に中国の武装漁船が大量に押しかけていると嘘をつき、民衆を騙して戦争を引き起こそうとしている悪辣極まりない屑どもがやっている事がこれに該当する!
http://my.shadowcity.jp/2016/08/post-9764.html
権力者はしばしば嘘をつくと言う事は、安倍晋三や小池百合子の嘘を考えればすぐに解る! だから、権力者が定説として押しつけている史実とされる出来事を、私達は疑ってみる事がとても大切である!
(34)長崎原爆を地上起爆させたのは江本文政か松永安左江門か?
(20)に記載した通り、松永安左江門は、1875年に生まれた。「515.広島と長崎で、日本製原子爆弾の“地上起爆のスイッチを押した”のは誰か?」の「(4)731部隊と乳酸菌」に記載した通り、江本文政は1929年生まれた。二人には驚く程の年齢差がある。1945年、松永安左江門は70歳くらいになっているので、地上起爆のスイッチを押したのは515に記載した通り江本文政だろう。515はこちら。
(35)長崎原爆の爆心直下 温度は5000度前後か…
8月9日のNEWS23で、長崎原爆の爆心直下の温度が5000度前後ではないかとする新説が紹介された。これまでの説は、3,000~4,000度と推定されていた。このニュースは、長崎原爆地上起爆の傍証と言えるかもしれない。
http://hayabusa7.2ch.net/test/read.cgi/livetbs/1470750685/
↓動画 2016夏の風景10 真野恵里菜(まのえりな)
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