天皇陛下は、なぜ、退位の意向を持たれたのか。社会部・亀山拓也記者の解説です。
取材で感じた天皇陛下のお気持ち
天皇陛下は、8日午後3時から、ビデオメッセージで10分余りにわたって国民に語りかけられました。
この中で天皇陛下は、みずからの老いや衰えについて触れ、天皇として大切にしてきた公務を果たせなくなる懸念を率直に示されました。
私もそうですが、皇室を取材している記者の間でも、ここまで率直に、ご自身の考えや思いを語られるとは思っていなかったと驚きの声が上がっていました。
中でも、私が注目したのは、「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられた部分です。
天皇陛下が述べられた「大切なこと」を、私が取材で実感したエピソードがあります。
ことし5月、天皇陛下は皇后さまとともに、熊本地震の被災者を見舞うため、熊本県を訪問されました。日帰りのヘリコプターでの移動を伴う過密な日程のなか、被害が大きかった益城町と南阿蘇村の避難所を訪ねられました。
天皇陛下は、避難所に入ると、皇后さまと二手に分かれて、被災者に言葉をかけられました。私は、天皇陛下のすぐ側で取材をしましたが、本当に一人一人に、丁寧に言葉をかけられるのです。家族やグループで集まっていた被災者にも、代表者ではなく、子どもも含めて一人一人に「大変だったでしょう」と語りかけたり、家族の状況や住まいの被災状況などを尋ねられたりしていました。家族が亡くなったと話す被災者には、思いを受け止めるように、静かにうなずかれていたのが印象的でした。
天皇陛下が、皇后さまと避難所をあとにする際、被災者たちに囲まれ、笑顔で握手に応じられる場面もありました。天皇陛下の心を込めたお見舞いの気持ちが被災者に伝わったと感じた瞬間でした。
これまでも、天皇陛下は、皇后さまとともに、平成3年の長崎県の雲仙・普賢岳の噴火災害や平成7年の阪神・淡路大震災、そして平成23年の東日本大震災など、災害の被災地を訪ねられてきました。どの場面でも、ひざを床について被災者と目線を合わせながら言葉をかけられる姿がありました。天皇陛下は82歳になられますが、年を重ねてもその姿勢に変わりはありませんでした。
天皇陛下は、ビデオメッセージで、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と胸の内を語られました。
そして最後に、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じる」と語り、「国民の理解を得られることを、切に願っています」と結ばれました。
ご自身が築いてきた象徴としての務めの在り方を、そのまま次の世代に引き継ぎたいという思いが表されていて、天皇陛下のお気持ちは、生前退位の意向が強くにじむものとなりました。
天皇陛下が象徴としての務めをいかに大切にされているのかということを、あらためて感じました。
慎重論にも意向変えず
天皇陛下の「生前退位」の意向は、5年ほど前から変わる事が無かったということです。
関係者によりますと、5年ほど前、天皇陛下が「生前退位」の意向を示されると、皇后さまも宮内庁の幹部も非常に驚いたということです。
そして、どうにか気持ちを切り替えてもらえないかと、皇室の別の話題を持ち出すなど、慎重な姿勢で天皇陛下の真意を見極めようとしました。ある時は、天皇陛下に対し、「これまで象徴としてなされてきたことを国民は皆わかっています。公務に代役を立てるなどして形だけの天皇となられても異を唱える者はいません」などと進言し、翻意を促したということです。
しかし、天皇陛下は、「そうじゃない」「違うんだ」などと強く否定し、「象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」という考えを示し続けられました。
天皇陛下の考えはその後も変わらず、皇后さまも次第に「お気持ちに沿うようにして差し上げたい」と述べられるようになったということです。
天皇陛下のお気持ちは、皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻も受け入れられているということです。
皇后さまも立ち会う
宮内庁によりますと、天皇陛下のビデオメッセージの収録には、皇后さまも立ち会われたということです。
皇后さまは、当初は、収録場所の御所の応接室まで天皇陛下に同行したあと退席される予定でした。しかし、天皇陛下が「大事な事柄であるのでこの場を共にするように」というお気持ちを示されたことから、その場に残ることにし、収録に差し障りのない少し離れた場所から収録の様子をご覧になったということです。
去年暮れにも検討
関係者によりますと、天皇陛下のお気持ちの表明は、去年暮れにも一時、検討されていたということです。
天皇陛下は、去年の12月、あらためて「生前退位」の意向を強く表されました。一時は、同じ月の天皇誕生日を前にした記者会見で、天皇陛下がお気持ちを表明されることも検討されたということです。
ただ、この時は議論が始まったばかりで、天皇陛下の象徴としての立場を踏まえながら慎重に検討を続けることになり、年明けから宮内庁などの関係者による勉強会がひそかに始められました。
そして、春頃から検討が本格化し、6月以降は今の時期の表明を目指して、関係者の間でお気持ちの文案などについて詰めの協議が続けられていました。
宮内庁 お気持ちの理解願う
天皇陛下のお気持ちについて、宮内庁の風岡長官は記者会見で、「象徴の立場にある方のみが果たすことができるお務めの長いご経験を踏まえ、今後の天皇の在り方について、個人としての心情をお話になられた。憲法上の立場を考えてのご発言だった」と説明しました。
そして、「戦後70年が経過し、平成の御代も4半世紀がすぎ、天皇陛下は、80代半ば近くになろうとされている」としたうえで、「今の時期は1つの大きな節目で、去年からお気持ちを公にすることがふさわしいのではないかとお考えだった」と明かしました。
風岡長官はさらに、「加齢による体力の衰えで務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと深く案じておられることで、あらためて天皇陛下のご心労の大きさというものを痛感した」と話し、「宮内庁として、このような天皇陛下のお気持ちが、広く国民に理解されることを願っている」と述べました。
専門家は
皇室の制度や歴史に詳しい、京都産業大学の所功名誉教授は「天皇陛下が国のこと、国民のことを今だけではなく、将来のことまでよく考えておられることがメッセージに表れていると感じました。全身全霊を賭してご公務をされてきた。それが今後できるかどうか不安があるとおっしゃったことは本当にそのとおりだと思いました」と述べました。
そして国民が当たり前だと思っている象徴天皇制は天皇陛下の努力によって成り立ってきたとして、お気持ちの表明は象徴天皇の在り方について、しっかりと考える機会になると話しています。
想定される今後の流れ
天皇陛下の生前退位のためには、皇室典範を改正して生前退位を制度化することや、天皇陛下の一代に限る形で特別に法律を制定することなどが考えられます。
皇位継承資格の拡大や「女性宮家」の創設など、皇室制度の見直しをめぐるここ最近の議論では、政府の有識者会議が設けられるなどしていて、今回も同じような経過をたどるものと見られます。
その場合、有識者会議がまとめた報告書に基づいて、政府が皇室典範の改正案か新たな法案を国会に提出し、国会の場で審議されるという流れが考えられます。
生前退位の課題
皇室典範を改正して「生前退位」を制度化する場合、年齢や心身の状態に条件を設けるかや、天皇の意思表示が必要かなど、退位の「要件」をどう定めるかが大きな課題になります。
また、天皇がどのようにして意思を表し、それをどう確認し、誰が退位を認めるのかなどの「手続き」についても、退位の強制を防ぐという観点から議論の対象になりそうです。
さらに、退位後の天皇の位置づけをどうするかも課題です。歴史上、譲位した天皇には「太上天皇」の尊称が贈られ、「上皇」という通称で呼ばれてきましたが、新たに呼称を決めなければなりません。
新しい天皇との関係や、どのように公務に関わるのかも課題になります。
このほか、お住まいの場所や、生活のための予算、それに、宮内庁の組織や体制などの検討も必要で、皇室経済法や宮内庁法など関連する法律の改正も求められそうです。
一方、天皇陛下に限って退位が可能となるよう特別に法律を制定する場合でも、同じように退位の要件などが議論の対象となる見込みで、いずれの場合にも大がかりで精緻な仕組みづくりが必要になります。
時代に即した幅広い議論を
天皇陛下は、ご自身の年齢と象徴としての務めの重さを考え抜いた末に、お気持ちを表明されたのだと思います。
今の憲法は、天皇の地位について「国民の総意に基く」と定めていて、天皇の生前退位は、象徴天皇制を定めた憲法にも関わってくる重要なテーマです。
天皇による譲位は、江戸時代後期を最後におよそ200年間行われておらず、「生前退位」には、近代以降の天皇制の仕組みの大規模な改革が必要になります。日本は4人に1人が65歳以上という高齢化社会を迎え、今の皇室制度を定めた皇室典範が制定されたころとは大きく様変わりしています。
天皇陛下の意向にも配慮しつつ、高齢となった天皇の象徴としての在り方について、時代に即した幅広い議論が求められます。
- 社会部
- 亀山拓也 記者