義理を捨てた官僚たちも「犬豚」呼ばわりした。朝鮮王朝中期の文官、宋軼(ソン・ジル)は、第10代国王・燕山君の下で判書(高官の一つ)に昇進しながら、裏切ったためだ。「王に歯向かった罪を考えれば、真っ先に斬首してしかるべきだが、厚かましくも天をだます罪を犯している」。史官は宋軼について「想像以上の犬豚同然の存在で、恥ずかしさもないようだ」とつづった。だが、韓国の歴史の中で、宋軼のように義理を捨てて「犬豚」呼ばわりされた人物もそうそういない。李完用(イ・ワンヨン)や朴斉純(パク・チェスン)などの乙巳五賊(いっしごぞく、1905年の第2次日韓協約締結に賛成した朝鮮の大臣ら)くらいだろう。朝鮮王朝末期のジャーナリスト・張志淵(チャン・ジヨン)は、新聞に掲載した論説『是日也放声大哭』で、乙巳五賊を「犬豚にも劣る臣下だ」とつづった。
歴史やメディアの辛辣(しんらつ)な批判にもかかわらず、権力の懐の中で気楽な一生を送った「犬豚」もいる。実録には彼らに対する史官たちの無力感の吐露や嘆きも込められている。「王が目を覚まさず、彼らをすばらしい人物と考えているため、盛り土が崩れるような危険な状況であっても、どうしてうまくやっていけるのか」。だが史官たちは決して、王のせいにはしなかった。「ああ、王に忠告する臣下の中に、悪を憎んで、タカがスズメを追うかのような心をもって王に接することができる人もいたではないか」
実録を作成した朝鮮の歴史家たちに、今日の韓国はどのように見えるだろうか。権力や財力にこびへつらう者、欲や利益に目がくらむ者、みだらな行為におぼれ、義理を捨てるもの…実録を読めば、頭に浮かぶ人たちが少なくない。権力を盾に、世論に対し目をつぶり、耳をふさぐ実態もよく似ている。朝鮮王朝時代の歴史家なら、きっと心配するだろう。再び乙巳五賊のような「犬豚」が現れ、国をむしばんでしまうのではないかと。