【コラム】韓国社会にはびこる「犬豚」たち

 内部の権力者だけではなく、外部の勢力にこびへつらう者も、史官たちには「犬豚」と認識された。壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)以後の朝鮮にとって、中国は雲の上のような存在だった。ところが、中国にこびへつらった朝鮮人の通訳官たちも、実録には「市場で利益を得ようと企む、犬豚にも劣る者」と記録された。「国益を考えず、ただ自らを利することだけに尽力し、少しでも気に食わないことがあると、ひそかに中国人に取り入り、うっぷんを晴らそうとした」という。中国とは逆に、当時の日本は敵国だった。国を代表して敵国に行き「敵情を探るのに躍起になり、義を守れなかった」外交官たちもまた、獣扱いを受けた。「書契(日本との外交文書)は雑な文章であっても直せず、白金は大義名分がなくても追い払うことができず、こうべを垂れて受け入れることにより、犬豚のような辱めを受けた」。体面を保つことができなかった罪を着せられたのだ。

 実録で初めて「犬豚」扱いを受けた人物は、朝鮮王朝初期の武官、柳殷之(ユ・ウンジ)だった。受け継いだ権力や財力を盾にみだらな行為を重ね、一家もろとも追放され、歴史の烙印(らくいん)を押された。「品行が犬豚のような一家が倫理を滅ぼした」と酷評された。朝鮮王朝後期の優秀な文官だった呉道一(オ・ドイル)が「人の姿をした獣」と断罪されたのも、晩年のみだらな行為が理由だった。「酒に酔うと突然服を脱ぎ、妓生(キーセン)たちも裸にして追い回してふざけ、『人の姿をした獣』と呼ばれるようになった」と細かく記載されている。史官たちはさらに、「財産をむさぼった」との理由で、呉道一をさらに罵倒した。富をむさぼり、「犬豚のような」王の親戚らと関係を持ったというわけだ。「同じ派閥の人物ですら、汚い存在と考えていた」ともつづった。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員
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