昔の皇室は一夫多妻・一夫一妻は大正天皇から始まった?

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昔の皇室は一夫多妻だった

昔から民間では殆どが一夫一妻だったと思います。しかし皇室や貴族達は後継ぎの問題があり、どうしても男の子が生まれないと困りますから、何人かの妻を持っていました。

ご存知のように、平安時代頃は「招婿婚」ですから、妻は自分の家で夫が訪ねて来るのを待つと言う形でした。ですから、夫の衣服等全般は総て妻の実家の方で支度をします。

また、民間でも裕福な男性は「妾」を持つことは多かったようです。これは「妻」とはされませんが、昔から近代、それどころか現代でもそういう男性がいることは、皆さんもご存知の通りです。

大正天皇が一夫一妻だった理由

明治天皇のお子様達は生まれてもすぐ亡くなることが多く、特に男児の中で大人にまで育ったのは大正天皇お一人だけです。

明治天皇の皇后である昭憲皇太后はお身体が弱く、お二人の間にお子様は出来ず、大正天皇を猶子とされています。
大正天皇の生母は柳原愛子(やなぎわらなるこ)という典侍です。彼女は他に男児と女児を1人ずつ産んでいますが、いずれも小さい頃に薨去しています。

大正天皇は自分を可愛がってくれる皇后(昭憲皇太后)が実の母で無かった事にショックを受け、一夫一妻を貫いたとも言われていますが、皇后が産んだ子は4人共総て元気な男児だったので側室を持つ必要が無かったとも言えます。

大正天皇は大変な子煩悩で、息子達を可愛がり、また国民を愛し、全国を巡行して国の実情を見て回られたので、そのお陰で鉄道等交通の便が発達したと言われています。

昭和天皇「人倫に悖(もと)ることは出来ない」

昭和天皇にはご結婚後続けて4人の内親王がお生まれになりました(1人は翌年薨去)。その為周囲は心配し「皇后様は“女腹”らしい」ということから側室を持たれることを天皇に強く勧めたと言います。

しかし、若い皇太子時代に西洋の王室や西欧風の考えなどに触れられた天皇は「そんな人倫に悖ることは出来ない(人の道に外れたことは出来ない)」と仰有り、側室を持つことを断られたと言います。

また、皇后様に対しては「(弟の)秩父宮さん達がいるから(弟達が跡を継げるから)いいね」と仰有ったそうです。

徳が高く、優しい昭和天皇のお人柄がわかるエピソードだと思います。

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