6月7日(土)、小雨降りしきる中、「赤レンガをいかす会」主催の年一回の国府台赤レンガ見学会が開催され、市川市国府台にある旧千葉県血清研究所の敷地内に存在する、旧日本陸軍の武器庫を見学してきました。

市川の軍都(陸軍の街)の成り立ちは、1885(明治18)年に陸軍省が、教導団(陸軍の下士官養成学校)を設置からです。1898(明治31)年に教導団は廃止され、その後は、陸軍の野砲兵第3旅団司令部を設置して、陸軍の街として発展しました。終戦後は、陸軍病院が国立国府台病院に変わり、旧千葉県血清所や大学などが移転してきて、今では、かつての軍都は、文教地帯にさま変わりしています。そして、軍都のしての名残は、今や、この建造物のみとなっています。



京成国府台駅を降りて、5分程進み歩道橋の手前の坂を左に進みます。



和洋女子大学の裏手を進みます。突き当りを左に曲がり少し歩くとと研究所の門が見えてきます。




旧千葉県血清研究所の正門です。この奥に旧日本陸軍の赤レンガの武器庫があります。





一年に一回、「赤れんがをいかす会」が千葉県に働きかけ、いつもは大銀杏の紅葉が美しい秋に公開されています。今回は6月に公開との事です。旧血清研究所の前身は、市川市中山にあった陸軍軍医学校中山出張所で、そこでは、米軍の関東上陸作戦である「コロネット作戦」で負傷した兵士の感染症に備える為、何十万リットルのガス壊疽菌の血清を馬から製造していました。


※ガス壊疽菌ー細菌が傷口から侵入することにより、筋肉が壊死(えし)を起こす致死性の疾患です。戦時中は衛生状態が特に悪かったので、感染率が高かった言えます。



2002(平成14)年に千葉県血清研究所は廃止され、今は無人と化し、警備会社の警備システムのみが、監視しているだけです。




赤レンガ武器庫の東側入り口。ここからは、1階のみ見学できます。レンガの積み方は、フランス積みです。有名な所では、最近、世界遺産に登録された富岡製糸場もフランス積みです。




1階内部の様子。デジイチは10枚ぐらい撮ると、何故かストロボが急に作動しなくなりました。




武器庫の南側から撮影。西側はツタが、びっしり覆っています。




西側入り口から2階に行けます。





2階北側の内部の様子。窓が壊れビニールで覆われている所もありました。





風が強いと雨が吹き込んでくるようです。




別の窓から外を見る。






2階の廊下にある張り紙。旧陸軍時代に使用されていたようです。




2階南側の部屋。




階段の真上の天井。





東側から撮影。






北側から撮影。




いつものように秋の公開なら、大銀杏の紅葉が見事なんでしょうね。無人となった、この場所で大銀杏は、静かに、今後の歴史を見る事になります。この赤レンガの武器庫は、歴史の生き証人として、今後どうなるかわかりませんが、最後まで事の推移を見届けてほしいものです。

土曜の昼下がり、学生街でランチとビールで締めようと思いましたが、その分を赤レンガ武器庫の保存の為に、カンパしてしまいましたので、今日は、何となく何処にも寄らず帰宅しました。

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