チンポリア王国のこと

チンポリア王国は中東または東アジアに存在する国家である。

首都はチンポリア、もしくはニューチンポリア(旧さいたま市)である。

チンポリア王朝は前期チンポリア王朝(チンポリア朝)と後期チンポリア王朝(吉村ゆうすけ朝)に分かれる。

前期チンポリア王朝:

前期チンポリア王国の成立は紀元前800年から500年と推定されており、周辺の蛮族の侵攻に対抗するため、チンポリア川流域に存在した共和制の都市国家チンポリアが王としてチンポリア一世を即位させ王政に移行したとされる。

チンポリア二世の時代には周辺の都市国家をゆるやかに併合し、それぞれの固有の文化を残しながらも融和政策をはかり、チンポリア川とその支流、およびチンポリア造山帯からなるチンポリア・デルタ地帯を掌握した。

チンポリア三世の時代にはカルタゴと戦争になり、負けた。三世代続いたチンポリア王朝はカルタゴに滅ぼされた。敗因は象。

「カルタゴのゾウはでかかったし、どうしようもなかったのです」

とチンポリアの歴史を研究するコールマン・フォンケビュッキー博士のコメント。

後期チンポリア王朝:

後期チンポリア王国の成立は2089年である。

「ビッグワン」による東京の壊滅により日本の中枢は関西地方に移行し、さいたまなどのいわゆるベッドタウンと呼ばれた地域は混乱の中で見捨てられるしかなかった。

これをこころよく思わなかったさいたま市在住の吉村ゆうすけ(67歳:当時)は建国を宣言し、旧さいたま市大宮区をかつて滅んだチンポリア王国に見立ててニューチンポリアとした。

当時、さいたま県は「ビッグワン」の影響による政治的混乱とインフラの破壊によりほぼ無法地帯と化していたので、とくにその吉村ゆうすけによる建国宣言をとがめるものもいなかった。

当時の吉村は町内会での地位も高く、貸し倉庫業を営んでいた関係で多量の物資をたまたま保有していたため(横領)崩壊後のさいたま市大宮区のコミュニティにおいてはいわばフィクサーの位置にあった。しかも碁も強かった。

このようにして後期チンポリア王朝は成立した。

初期の吉村朝はたんに統制の取れた居住者の集団に過ぎなかったが、のちに警察署を占拠、警察官の残党たちを配下に加えて、周辺の生存者たちを庇護したり、あるいはしばしば脅したりしながら勢力を拡大、権力基盤を安定させ、旧さいたま市の半分を実効支配するに至った。

いっぽう、周辺の生存者コミュニティはそれほどの統制がとれず、しばしば内輪もめや物資の奪い合い、食人などが横行しており、文化レベルが急速に衰退していた。

このような事情から、とくにニューチンポリアが安定した水源を確保してからは周辺の生存者たちが好んでチンポリアに移住するようになり、チンポリアは拡大。

チンポリアは比較的初期から戦闘集団を組織しており、廃材などを利用した武器で武装していた。彼らはのちには略奪した重火器を装備し、また移送中に「ビッグワン」のせいで行方不明となっていた米軍の巨大殺人ロボット三体も保有していたので、日本国の正式な軍隊でも苦戦することとなった。

チンポリアは2091年前後にはさいたま市の大半を掌握しており、物資の不足などからしばしば東京や群馬のコミュニティに対して襲撃を行った。この際にチンポリア人は道路の破壊や自動車の略奪を好んで行ったため、関東エリアの衰退には拍車がかかった。