気が付いたら梅雨も明け、8月。夏真っ盛り。
正直に言うと苦手である。上海にいた時に「メディア報道38℃、実質は40℃越え」という環境で外回りをしていた経験があるが、若い頃の話。今はもう無理。
ふと思うのだが、なぜ中国大都市の歩行者道路は大理石を使うのだろうか。この道路、ある意味高性能で、夏場は天空からの直射日光を見事に反射し、さらに高湿度を利用することで通行人を上下から、ムラなくまったりと蒸し上げてくれるのである。
さて、無駄話はこれくらいにして本題に入ろう。
これまで中国に関わる日本人の悪口をつらつらと書いてきたが、今回はちょっと中国の方、特に日本で仕事をしようとする若い人たちへの注意点。
日本に来ている中国人の若手は特に「意識が高い」。草食系を通り越して絶食系などというものが現れている日本人にはない、ハングリー精神と向上心に近いものを持ち合わせている。ある意味、若者らしい若者と言えるだろう。
しかし、である。こうした中国の若者に共通するのが、発想の幼稚さというか、薄っぺらさが目立ち、あまり好意を持ちえない。
私は彼らを「中国若手ビジネス系」と呼んでいる。
私は「世を忍ぶ仮の姿」として、日中間のビジネスコンサルタントとして働いている。主なお仕事は両国間の事業提携や企業買収、金融ビジネスに絡む融資などのお手伝い。日常的に両国間で「億」単位の言葉が飛び交っている職場なのである。
で、日中間の交流イベントなんかで「中国若手ビジネス系」にこういう話をすると、見事なまでに食いついてくる。
「すごいですね」
「大きな仕事してますね」
「かなりの会社と付き合ってますね」
まさに身を乗り出し、握手を求めてくる。「今度会社に遊びに行かせてください」なんて話はしょっちゅうである。
はっきり言おう。私から見れば、彼らのこういう反応は不愉快である。「私」という個人を見ておらず、私を通して見える「金額」、「人脈」、「顧客企業」に目を輝かせているのが明らかにわかる。そしてその中に、「いいジャンプ台を見つけた」、「コイツを利用して自分がのし上がってやろう」という非常に素直な気持ちも、ストレートにこちらに発信してくるからである。
だいたい、それは相手に対して「非礼」であると思う。少なくとも「自身がそういう期待を抱いていることを私に感じさせてしまうこと」自体がきわめて非礼である。ようは相手を道具としてしか見ていないことの証なのである。
そもそも私が携わっている仕事は、人間のきわめてドロドロとした、欲望、打算といったものによって動いている業務である。それをクロスボーダーで行っていると聞いた時に、きちんと日中間を見ている若者であれば以下のような疑問が出てくるはずだ。
・中国の経営者に日本企業の経営手法って理解されるんですか?
・日本の企業側も怒ったりしません?
・中国企業の経営者って何が違うと思います?
前述のようにこうしたビジネスは企業や経営者の発展欲から生まれてくるものであるが、その起点が日本と中国では大きく違う。それが違えば、提携や買収過程で超えねばならないハードルも増えてくる。通常業務に加えて、それを超えるための調整ができるのが日中間で仕事をしているものの役割であり、付加価値なのである。
それをイメージもせずに耳障りのいい部分だけを聞いて、自身の利益に活用させようとする。そう「幼稚な発想」なのである。
もしそうした仕事をしている人を褒めるのならば
「全く異なる両国企業の間に入って、非常に敏感かつリアルな人間性を見つつ、それを捌いて正気を保っている事」
を評価してあげてほしいと切に願う。
しかし、残念ながら多くの中若手ビジネス系にはそれが見えない。目の前にある企業名や肩書、金額に酔ってしまっている。そしてそれを包み隠さず相手に察知させてしまう。まさに「薄っぺらい」存在になっている。
こんなことを書くと「じゃぁ仕事の話なんかしなきゃいいじゃん」などと思われるが、「食いついてくるだろうな~」と思われる若者にこういう話をして、予想通りの食いつき方を見せてくれるのが、正直言って大変滑稽で面白いのである。
さて、次回はもう少し中国の「意識高い系」を掘り下げてみようと思う。
コラムニストのプロフィール
Tabito
日本国静岡県遠州地方出身。日本の大学入試から逃げ出すために前世紀末に上海に渡り、当地にて大学本科~大学院までを履修。卒業後、在留邦人向け情報誌の編集ライターやマーケティングリサーチなどの業務を経て、2015年5月に17年の上海生活をいったん終了させ、帰国。現在は東京都内の企業で中国ビジネスコンサルの仕事をこなしつつ、フリーライター業務や文化交流事業を目論む。