【見解】被爆者を知るスタートに 社会部・森井徹

◆オバマ氏の広島訪問 
 あの日から、モヤモヤした気持ちが続いている。

 5月27日午後5時すぎ、広島の街はまるでお祭りのようだった。平和記念公園を囲む道路はどこも人の波。現職の米大統領が初めて被爆地を訪問する瞬間に、立ち会いたいという人たちだった。

 私もその一人。原爆資料館から道路一本隔てた歩道で、被爆者と一緒に携帯電話でテレビ中継を見ながらオバマ氏の到着を待った。京都から来たという大学生は木によじのぼってカメラを構え、中年女性は公園に入っていくリムジンに歓声を上げた。

 〈71年前、雲一つない明るい朝。空から死が落ちてきて、世界は変わった-〉

 予想を大きく上回る17分間の演説と、その後に見せた被爆者との抱擁。隣の被爆者は「胸がスッとした」とつぶやいた。周囲には涙を浮かべる若者も。冒頭こそ「死はあなたの国が落としたものだ」と憤慨した私も、すっかり心を揺さぶられていた。

 オバマ氏が去ると、ささげた花輪の前にはスマートフォンを手にした人が群
がった。夜になっても途切れない行列に、ふと疑問がわいた。

 あの訪問には、どんな意味があったのだろう。

 確かなのは、被爆者が求めたゴールでもなければ、抱擁のシーンがイメージさせた“歴史的和解”などではまったくなかったことだ。なのに、何かが達成された印象が一人歩きしているようで、モヤモヤは日に日に募った。

 私が長崎で被爆者の取材を始めたのは、オバマ氏の大統領就任と同じ2009年。「核なき世界」の演説、ノーベル平和賞の授賞、広島・長崎の式典への政府代表者の派遣…。彼なら核兵器廃絶という宿願を前進させてくれるのでは、という被爆者たちの期待は膨らんだ。一方で、原爆投下の責任を問う激しい怒りと、進まぬ核軍縮への不満もまた、常にあった。

 あの日が歴史的だとすれば、主役はオバマ氏ではなく、むしろ、謝罪をしないと明言する退任前の大統領を迎えた被爆者たちだったはずだ。

 二つある被爆地の一つを訪れたオバマ氏の“半歩”は、核保有国の主導者たちが後に続くための地ならしだと思いたい。あの1日が、被爆者のこれまでと今を知るスタートになればと願う。


=2016/08/05付 西日本新聞朝刊=

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