皇太子さまに皇位をゆずる意向を周囲に示していた天皇陛下が、自らのお気持ちを国民にむけてビデオで直接表明した。

 メッセージを貫くのは、日本国および国民統合の象徴として責務を全うすることへの、強い責任感だ。国民との信頼関係をどう築くかに心を砕いてきた即位以来28年の歩みを、思いおこさせる内容である。

 憲法は、天皇の行為が政治の動向に影響を及ぼすことがあってはならないと定めている。このためお言葉には、退位という文言をふくめ、現行制度の見直しについての言及はない。

 しかし、代行者として摂政をおく案にあえて触れたうえで、天皇の務めを果たせないまま地位にとどまることへの疑念を強くにじませた。さらに、健康を損ない「深刻な状態」になったときの社会の停滞や国民生活への影響にも言及するなど、相当踏みこんだお言葉になった。

 ■政治の怠慢の責任

 改めて思うのは、政治の側が重ねてきた不作為と怠慢だ。

 高齢の陛下に公務が重い負担になっていること、その陛下を支える皇族の数が減り、皇室活動の今後に不安があることは、かねて指摘されてきた。

 小泉内閣は2005年に有識者会議を設けて女性・女系天皇に関する報告書をまとめ、12年には野田内閣が、皇族の女性が結婚後も皇室にとどまる女性宮家構想の論点を整理した。

 この間、秋篠宮さまの会見で「定年制」導入が話題になり、昨年末は、陛下が「行事の時に間違えることもあった」と、加齢による衰えを口にした。

 だが安倍内閣は、これらの課題に積極的に向きあってこなかった。議論は深まらないまま、先月になって突然、退位の意向が報道で明らかになった。

 陛下が先をゆき、政治があわてふためきながら後を追いかけている。そんな印象を多くの人が抱いたのではないか。

 皇室を支える宮内庁と内閣の意思疎通は十分にはかられてきたのか。象徴天皇制のあり方の根幹にかかわる今回の事態を、政権はしっかり掌握し、遺漏のないように進めていけるのか。そんな疑念を残した。

 首相は自らの責任を自覚したうえで、この問題に正面からとり組む必要がある。

 ■決めるのは国民

 お気持ちの表明をうけて、どう対応するべきか。

 戦後70年にわたり、国会や憲法学界で交わされてきた象徴天皇制をめぐる議論と、これまでの歩みが土台になるのは言うまでもない。あわせて、陛下も生身の人間であり、体力気力の限界があるという当然の事実に目をむける必要がある。

 高齢化が進み、だれもが自分自身や近しい人の「老い」、そして人生のしめくくり方を、切実に感じるようになった。お言葉からあふれ出る陛下の悩みや懸念は、多くの人に素直に受けいれられたに違いない。

 明治憲法がつくりだした、それ以前の天皇の姿とは相いれぬ神権天皇制に郷愁を抱き、「終身在位」に固執することは、国民の意識に沿うとは思えない。天皇に人権は認められず自由意思ももてないとしてお気持ちを封じ込めるのも、人々の理解を得ることはできまい。

 天皇の地位は、主権者である国民の総意に基づく。陛下の思いを受けとめつつ、判断するのは国民だ。この基本原則を確認したうえで、解決すべき課題とその方策を考えるために必要な材料を提示する。それが政府の使命である。

 ■皇室活動の再定義を

 平成の時代になってから、憲法が定める天皇の国事行為の範囲をこえて、式典への参列や、さまざまな人との面会、被災地訪問など、「公的行為」と呼ばれる活動が大幅に増えた。

 負担減のための見直しはされているものの、公平を重んじる陛下自身が公務に積極的で、国民の多くも歓迎していることから、十分には進んでいない。

 朝日新聞の社説は、これからの皇室のあり方をさぐる前提として、広がりすぎた感のあるこれらの活動をいったん整理し、両陛下や皇族方に、何をどう担ってもらうのが適切か、検討する必要があると主張してきた。お気持ちの表明を、この問題を考える良い機会としたい。

 象徴天皇制の下の皇室の存在と役割をどう位置づけるかによって、退位問題だけでなく、皇族の数はどの程度を維持すべきか、宙に浮いたままの女性宮家構想にどうとり組むかなどの問いへの答えも変わってくる。拙速は慎むべきだが、さりとて時間をかけすぎると、皇室が直面する危機は深まるばかりだ。

 一連の事態は、象徴天皇制という仕組みを、自然人である陛下とそのご一家が背負っていくことに伴う矛盾や困難を浮かびあがらせた。どうやってそれを解きほぐし、将来の皇室像を描くか。落ち着いた環境の下で冷静に議論を進め、「国民の総意」をつくりあげていきたい。