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(この画像は最近出た新装版の表紙ですが、私が読んだのは1969年の邦訳初版です。ただしどちらも本文は同じです。) 

評価 ★★★★☆ 

 大学院の授業で学生と一緒に読んだ本。有名な本だけど、私もちゃんと読んだのは初めてである。1960年にアルゼンチンからイスラエル当局によって拉致され、裁判にかけられて死刑に処せられたアイヒマンの裁判の模様、およびアイヒマンがナチ時代に何をやっていたか、またナチによるユダヤ人虐殺の真相について、哲学者のアーレントが裁判を傍聴して記した書物である。アイヒマンはナチの(最終的な身分は)親衛隊中佐で、ユダヤ人移送において重要な役割を果たし、その大量虐殺を可能にしたとされる。

 アーレントとこの本は、最近映画化されたこともあって著名になっているが、本書を実際に通読した人はそんなに多くないだろう。
 本書を読んだ印象は、ひとことで言うとアイヒマンは要するにナチにあって中間管理職に過ぎなかった、というものである。

 イェルサレムの法廷では、検察側はアイヒマンがユダヤ人大量虐殺そのものを主導したと主張したが、第一審では検察のこの主張自体は退けられている。アイヒマンは要するに中間管理職に過ぎないのであって、大量虐殺を発案したり、その実行をナチ党員に行き渡らせるといった役割を負ったわけではない。発案そのものはヒトラーやヒムラーによるのであり、アイヒマンはユダヤ人移送の実務を上役の命令に従って忠実に果たしたに過ぎない。実際、初期段階ではナチはユダヤ人を虐殺ではなく他地域への移送によって排除しようとしていたわけで、その時のアイヒマンはその命令にしたがって移送の実務をこなしていた。のちにユダヤ人問題の最終解決が殺戮によると決定されても、彼にはすぐにその内容が飲み込めず(命令自体が殺戮というような表現を伴っていなかったためだが、アイヒマン自身あんまり頭の回転が速いないので呑み込むまで時間がかかった)、しばらくしてようやく上からの命令を理解して軌道修正したという。
 しかしイェルサレムの法廷は、控訴審では検察側の主張を認めてしまう、つまり、アイヒマンがユダヤ人虐殺の大御所であるとしてしまうのだが、アーレントが主張しているように、これは明らかにおかしい。

 次に目についたのは、アーレントがユダヤ人にかなり厳しい態度をとっているということだ。
 そもそもアルゼンチンに逃亡していたアイヒマンを、イスラエルの諜報員が秘密裡に捕えて連行する行為自体が違法ではないかという。ナチによるユダヤ人大量虐殺は「人道上の罪」というしかなく、これは国際法廷で裁くのが妥当であり、イスラエルが裁判を行うなら「裁判に見せた復讐劇」と受けとられても仕方がないのであるという。
 裁判そのものも、検察側の証人は出ても、被告側の証人が出てこないという片手落ちの部分があった。
 また有罪判決が出て、その後恩赦の請求などもあったのに急いで処刑したのは、この裁判が国際問題になると厄介だからという心理が働いていたからではないかという。

 ナチによるユダヤ人虐殺が進行している時期にユダヤ人自身がとった態度についても、アーレントはかなり厳しいことを言っている。ユダヤ人団体はしばしばナチ政権やその手先となった人々に協調的であり、強制収容所に送り込まれる同胞を選別する作業に協力しさえした。ユダヤ人団体の協力がなければ、ナチがあれほどスムースに大量虐殺を行えたかどうか分からないほどなのである。

 第三に、ユダヤ人大量虐殺はドイツやオーストリーなどドイツ語圏だけでなく、ナチ・ドイツが占領したヨーロッパ内の地域で広く行われたわけだが、地域によりその実態には差異があったことをアーレントは事細かに指摘している。北欧は人道的な立場からこの措置を回避しようとしたし、イタリアはドイツの同盟国だったわけだが、ナチの意向に従うと見せてのらくら対応し、犠牲者数は比較的少なかったという。これは古来からイタリアで暮らしているユダヤ人は要するにイタリア人だという意識が強かったかららしい。
 このほか、東欧や東南欧など、地域ごとの事情が細かく分析されており、ナチの支配下にあったから一様にユダヤ人大量虐殺が行われたとは言えず、地域によりかなり相違があったことが分かる。北欧のように人道意識が進んでいる「先進的な」地域だから虐殺に否定的とは必ずしも言えず、逆に後進的だからナチの意向がうまく浸透しなかったという場合もあるので、一般論で説明することは困難である。このように、アーレントはユダヤ人虐殺について細部まで調べて本書を書いている。

 アーレントという人は、物事を臆断で捉えることをせず、徹底的な博覧のもとに、複雑で微妙な問題を、その複雑さと微妙さを明確にすることを心がけながら事態を捉え記述を進めようとした。アーレント自身がユダヤ人だが、ユダヤ人を被害者の立場ばかりに押し込めることなく、時には同胞に対して加害者であったり、シオニストと非シオニストの対立がナチを利する場面があったことをも容赦なく暴いている。彼女がユダヤ人であることを知らない人が本書を読んだら、反ユダヤ主義者が書いた本だと誤解するかも知れないほどである。

 というようなことを書くと、アイヒマンが無罪でもいいような印象を与えるかも知れない。そうではない。アーレントはアイヒマンはやはり有罪だったとしている。しかしそれはヒトラーやヒムラーのようなナチ上層部を構成していた人間の巨悪ではない。上からの命令に従っただけだというアイヒマンの主張に対して、最後に著者は、政治においては服従と支持は同じものだ、と述べている。黙ってヒトラーやヒムラーの命令に従うことは、彼らを支持したのと同じことなのである。

 著者はニュルンベルク裁判もまた勝者が敗者に対して押しつけた不公平なものだったと述べている。いわゆる戦争犯罪は、枢軸国だけでなく連合国も犯しているからだ。広島や長崎への原爆投下についてもそれが当てはまると著者はしている。しかしいわゆる戦争犯罪に、ユダヤ人大量虐殺は当てはまらない。一民族を地上から抹殺しようという、軍事的な目的とはおよそ無関係な行為だったからだ。当時、国連も公平な国際法廷をこうした犯罪に用意することができなかったが、アーレントはヤスパースを引用しながら、公正な国際法廷でなけばこうした犯罪は裁けないと述べている。