天皇陛下は即位以降、47都道府県の535の市区町村を訪れた。「国民を思い、国民のために祈る」。8日にこう述べた陛下に触れた人々は、「お気持ち」をどう受け止めたのか。

 陛下は災害の被災地を熱心に見舞った。宮内庁によると、慰問は55回に及ぶ。

 「使命感が強い方だからこそ、一つ一つの行事でお疲れになる。今のうちに次の方が継がれるのも私はいいと思います」。今年5月、熊本地震の慰問に訪れた陛下と面会した熊本県益城町の河添ハル子さん(85)は退位に理解を示す。

 訪問時、陛下は体育館で約40分かけ、避難者全員に「具合はどうですか」などと声をかけた。河添さんは「健康が一番ですから、陛下には長生きしてほしい。退位されても、皆の心に残ると思います」と話す。

 宮城県南三陸町の千葉みよ子さん(69)は8日、仕事を休んで「お気持ち」を放送するテレビに見入った。

 東日本大震災の津波で、娘婿や孫娘を亡くした。発生から1カ月半が過ぎた2011年4月下旬、避難所を訪れて両ひざをついて声をかけてきた天皇、皇后両陛下に、励まされたという。「いつまでも続けて頂きたいという気持ちの一方、退位して体調を整え、一歩引いたところから私たちを見て下さる方がいいとも……。半々です」

 陛下は戦没者の慰霊にもこだわり続けてきた。戦後70年の昨年は激戦地となった南洋のパラオ共和国を訪問。戦闘で重傷を負いながらも生き残った東京都杉並区の倉田洋二さん(89)は、犠牲となった戦友ら約1200人の名簿を手に陛下と現地で面会した。

 青い海に黙禱(もくとう)を捧げる両陛下の姿に「戦争中、『天皇陛下のために』と死んでいった兵士の慰霊を果たそう」という強い思いを感じたという。メッセージを聞いて「もう解放してあげたい」と語った。

 「これは沖縄のことも指している」。元沖縄県知事の大田昌秀さん(91)は、天皇陛下が「遠隔の地や島々への旅も天皇の象徴的行為として、大切なものと感じてきました」と語るのを聞き、そう感じた。

 陛下は皇太子時代の1975年、初めて沖縄の地を踏み、沖縄戦で亡くなった女学生らの慰霊碑、ひめゆりの塔の前で過激派から火炎瓶を投げつけられる事件にあった。それでも訪問を重ね、戦後50年の95年には、沖縄戦の戦没者の名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」を完成直後に訪れた。

 「お気持ち」について大田さんは「これだけ自分の気持ちを素直に話したのは初めてではないか。人間味があり、とても親しみの持てる話だった」と語る。

 障害者やハンセン病の元患者にも、天皇、皇后両陛下は心を寄せてきた。05年には岡山県瀬戸内市のハンセン病療養所「長島愛生園」で、入所者26人と懇談。14年までに全国14カ所の全ハンセン病療養所の入所者との対面を果たした。

 隔離目的だった療養所は、へき地にある場合が多い。長島愛生園の自治会長、中尾伸治さん(82)は「よく来てくださったと思う。被災地を含め各地にでかけるのは本当に大変だったでしょう。お疲れになったのではないか」と語った。