わたしは木製のカウンターに片肘を載せ、目の前で繰り広げられているモノクロの喜劇を呆けたように眺めてた。手元の煙草に目を遣ると、長く伸びた灰がフィルターの先から生えていて、鼻息一つでいまにも崩れ落ちそうだった。ピスタチオの殻とオリーブの種、それにマルボロの吸い殻で山盛りになっているガラスの灰皿に、そっと灰を落とそうと慎重に腕を動かす。
バーテンダーは退屈そうにシャンパングラスを磨き、モノクロの古いカートゥーンを口を開けて見上げていた。この日は平日で給料日前だったこともあり、わたし以外に客はいなかった。大き過ぎるテレビモニターに映し出されたモノクロの喜劇は酷く退屈だが、何も考えなくて済むので、それはそれでよかった。先程までのバーテンダーとの途切れ途切れの会話は長年繰り返された相似的内容で、我々にとってはモノクロの喜劇を無心で眺めている方がずっとましだった。
赤いスツールに浅く腰を掛け、薄くなったウィスキーを飲み干す。落としてしまった煙草の灰はそのままに、わたしは退屈そうにしているバーテンダーに新たな仕事を与え、小便をするため便所へ向かった。潔癖症のわたしは黄ばんだ蓋と便座を足で持ち上げ、息子を取り出し用を足し始めた。目の前の小さな窓は片側が開いていて温く湿った風がこちらに流れ込んでいる。大きな蛾やカナブンが女子更衣室を覗き見する思春期の男子中学生のように網戸に齧りついてこちらをジッと見ていた。
席に戻るとカウンターは綺麗に磨かれ元の鈍い光沢を放っていた。灰皿は新しいものに替えられ、新しいグラスには新たに丸く削られた氷と濃い琥珀色をしたウィスキーが注がれていた。小さな皿には頼んでいないカシューナッツが盛られている。バーテンダーの方へ目を遣ると、また退屈そうに口を開けて古いカートゥーンを見上げている。わたしはナッツを一つ口に放り込み、噛み砕いて新しいウィスキーで流し込んだ。食道を焦がして流れるウィスキーの水筋を辿りつつ、わたしもまたモノクロの喜劇に目を向ける。
ドアベルが鳴り響いた。バーテンダーが我に返ったように機敏に立ち上がり、ドアに目を遣って「いらっしゃいませ」と言った。「すみません、この辺に〇〇ってお店ありますか?」若い女性の声だった。わたしは声の主を確認しようとして振り返り、絶句した。この日は九月の熱帯夜、とても暑い夜だった。わたしもバーテンダーもエアコンが効いているとはいえ、半袖だった。そんな暑い熱帯夜だというのに、わたしが振り返り目にした女性は、なんと驚いたことに毛皮を纏っていたのだ。毛皮というのは古来より人間が寒さを凌ぐためにフサフサの毛を生やしたキツネやイタチなどの動物を、己の体温を守るために殺生し、なめし、防寒具として活用してきたものだ。繰り返すが、この日はクッソ暑い夜だった。毛皮が必要な訳がない。しかし、そこには確かにいたのだ。女性にしては短い髪の毛を綺麗に整え、顔には大きなサングラス、そして何かしらの動物の毛皮を纏った異様な風体をした、浮世離れした女性がそこに立っていた。しかも、しかもだ。更に驚くことに彼女は毛皮の下に服を着ていなかったのだ。正確に言えば、動物の毛皮を纏うその下は素肌にブラジャーのみだったのだ。
わたしはそう咄嗟に思った。『本物の変態さんだ!』と。
夜中に大きなサングラスをして毛皮を纏って下はブラジャーだけ。(上半身が衝撃的で下半身に何を身に着けていたのか記憶が定かではない。が、パンツスタイルにハイヒールを履いていた気がする。わたしも大概変態だ)彼女は変態さんに違いなかったが、エロくていい匂いがする変態さんだった。いささか付け過ぎの嫌いがある彼女の香水は辺りを満たしわたしはその匂いに毒されてしまっていた。
わたしが驚愕している間にもバーテンダーは表情も変えずに仕事をこなしていた。親切に地図を書いて説明し、良い匂いがする毛皮の変態さんに手渡していた。「ありがとうございました」毛皮の変態さんは丁寧に挨拶をし、毛皮を翻して先程入ってきたドアから出て行った。ほんの一、二分のことだった。その間わたしの目は恥じることなく彼女の胸元に釘付けで、彼女が出て行く際に鳴ったドアベルでようやく我に返った。「ちょっと、いまの誰?」わたしはバーテンダーに問いかけずにはいられなかった。「なにあのエロい変態お姉さん!」わたしはもう一度バーテンダーに言った。バーテンダーはカウンターの中に戻り、無表情のままわたしを見据え、こう答えた。
「ドフラミンゴだよ」
香水の残り香がそこに彼女がいたことを唯一しめし、モノクロの喜劇に目を遣ると大き過ぎるテレビモニターには[THE END]と映っていた。
-あとがき-
ドフラミンゴを知らない方にとっては、わけの分からないオチかもしれませんが、敢えて画像は掲載しませんです。てか、オチましたかね? てか、今日のも実話っす。この変態さんはまた後日現れ、わたしは彼女の素性を知る事になりますが。それは又の機会に。じゃまた。