さてと。『ニセコイ』 第229話 ヤクソク(最終話) (週刊少年ジャンプ2016年第36・37合併号)の感想です。
終わりましたね。
第1話「ヤクソク」から始まった物語が第229話「ヤクソク」で終わる。4年半あまりの恋物語が決着したことをまずはお喜び申し上げます。
作者の古味直志先生,歴代編集者の皆様方,アシスタントの皆様,『ニセコイ』という作品の製作に携わられた全ての皆様にお疲れ様という気持ちでいっぱいです。
僕がこの作品を読み始めたのは,アニメ『ニセコイ』第1期をたまたま見たのがきっかけでした。アニメから漫画作品の方に入り,その世界観や物語性の虜になってついには感想記事まで書き始めるようになったのは,『ニセコイ』という作品にそれだけ惹きつけるだけの魅力があったということだと思います。
この物語に出会えたことを感謝したいです。
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さて,漫画に限らず「作品」とは作者が生み出すものです。僕は作品を作るということは作者の専権事項であり,物語の中身を決めるのも,それをどのように描写するのも,作者の自由だと思っています。この『ニセコイ』という作品は,恐らく多くの人に支えられて出来上がった古味先生の結晶です。読者には作られたものを素直に受け取ることしかできないと思います。
読者にできることは描かれた作品を読むことです。それについてどんな感想を抱くのかということは付随的なことだったりします。『ニセコイ』は単行本販売ベースにして数十万冊の売り上げを誇るわけですから,その感想はその人数分だけ多様であると思います。弊ブログのコメント欄を読み返してみても,様々な受け止め方がされていることがわかります。
作者は作品を作る。読者はそれを読む。
そんな単純なルールしかない世界の中で,僕は自分の感想をブログという形で書き連ねてきました。それは内に秘めておいても良いものでもあります。それでも感想をブログという形で公開してきたのは,『ニセコイ』という作品を通じて感じたことを他の読者と共有したかったのかもしれないし,製作者に対して読者としてのフィードバックがしたかったのかもしれない。あるいはその両方かもしれません。
そんな作品の感想を書くのもきっとこれが最後――――ここが最後だと思います。いろんなことを書きますが,あくまで「僕の感想」に過ぎないことを最後までお忘れなく,お付き合いいただければと思います。
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『作者の描きたかったもの』(僕の印象から)
これまで僕はこの作品は物語に一貫性があり,物語の端々にきちんと伏線があり,それを丹念に積み上げることによって物語としての構成美が際立っていると感じていました。実際,そのように丁寧に描かれた作品には一種の論理性があり,そこに面白さを感じたり先々の展開を妄想するといった楽しみ方をもたらしてくれたと思います。
結果的に,僕の「読み取り」は最後に大はずれという形に終わったのですが,そのこと自体は残念ですけれど仕方が無いと思っています。僕が予想した最後の構図と,古味先生が恐らく最初に思い描いていた物語の最後の構図は一致していなかった。一言で言えばそういうことだったのでしょうから。
恐らくですが,第1話を描いた段階で,古味先生はこの物語の最後の「絵」を考えられていたはずです。すなわち,「ニセモノ」の恋が「ホンモノ」になる。十年来の恋をも凌駕する「ニセモノ」から始まった「ホンモノ」の恋。そんな結末を最初から描かれていたのだと思います。
物語の途中で描かれたプロセスは,全てその最後の「絵」に当てはめていくためのものです。そのプロセスを美しく描ききることができるのならば,最後にニセモノの恋がホンモノの恋になるという「結末」はとても美しい,祝福された結末になるはずです。
となれば大切なのは,実際に描かれた物語がその「理想」の形になっていたのか,という点ですね。そんなことを念頭に置きながら,最終回第229話における描写を振り返りながら確かめておきたいと思います。
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『実際に描かれたもの』(第229話を中心に)
恋物語としての『ニセコイ』は,一条楽が千棘を選ぶことで決着がつけられました。ここでもう一度,一条楽が小野寺さんではなく一条楽を選んだ理由を振り返っておきましょう。
(第226話「ケツベツ」より)
「あの日千棘のことを好きだと気づいた日―――」
「こうしてこいつと腹の底から笑いたい」
「こいつとならオレが想像もしなかった世界に 一人だけじゃたどり着けないような世界にも 二人なら行けるような気がする だから―――」
(第227話「ニセコイ」より)
「多分楽しいんだよ オレ お前といるの」
「お前と喧嘩すんのが楽しい 悪口言い合ってんのが楽しい」
「怒ったり落ち込んだり泣いたりしても... きっと...」
「...そんくらい 好きになっちまったから」
「だから...きっともうどうしようもねぇんだ...」
「あの日千棘のことを好きだと気づいた日―――」
「こうしてこいつと腹の底から笑いたい」
「こいつとならオレが想像もしなかった世界に 一人だけじゃたどり着けないような世界にも 二人なら行けるような気がする だから―――」
(第227話「ニセコイ」より)
「多分楽しいんだよ オレ お前といるの」
「お前と喧嘩すんのが楽しい 悪口言い合ってんのが楽しい」
「怒ったり落ち込んだり泣いたりしても... きっと...」
「...そんくらい 好きになっちまったから」
「だから...きっともうどうしようもねぇんだ...」
直近で描かれた言葉からは,「ニセモノの恋」を通じた桐崎千棘とつながりが,10年来の一途な恋よりも上回ったから...ということが伺えます。
千棘と一緒にすごしてきたニセモノの恋人の時間。
・一緒にいると楽しいと気づいた修学旅行(第154話ウレシイ)。
・一度はそれを「親友」という関係だとみなしたにも関わらず(第162話 ワカッタ),
・千棘に好きな人がいると気付いた時に感じた動揺(第175話ドウヨウ)。
・千棘との仲直りのデートで再び感じ取った「一緒にいると楽しいと思う気持ち」(第198話グウゼン)。
・その気持ちこそ「好き」だという気持ちなんだと気づいた瞬間(第199話 マジコイ)。
・一度はそれを「親友」という関係だとみなしたにも関わらず(第162話 ワカッタ),
・千棘に好きな人がいると気付いた時に感じた動揺(第175話ドウヨウ)。
・千棘との仲直りのデートで再び感じ取った「一緒にいると楽しいと思う気持ち」(第198話グウゼン)。
・その気持ちこそ「好き」だという気持ちなんだと気づいた瞬間(第199話 マジコイ)。
こうしてみると一条楽にとって「ニセモノ」だけれど時間と場所を共有し,その中で体験したことが大切なものとなり,それを失うことに耐えられないほどのものとなり,いつも一緒にいたいという気持ちが「好き」という気持ちになっていったことがきちんと描かれています。その意味では第199話までの伏線の積み重ねはとてもよく描かれていたと思います。
しかしどうでしょうか。先週の228話,今週の229話で描かれたことがそうした物語の積み重ねをご破算にしてしまったような印象受けるのはなぜなのでしょう。
時は過ぎ,社会人となった一条楽。その職業とは表は地方公務員,裏は家業である集英組を継ぐというものでした。
公務員の兼業云々はまあ置いておきましょう。兼業は申請すれば認められるものですから,絶対に兼業できないものではありませんし。反社会勢力の構成員は公務員になれないといった基本的なことも,まあ目をつぶりましょう。話の本筋には関係ないからです。
ここにきて突然集英組が「そんなに悪いことをしていたわけではなく,街を守っていた」という設定が付け加えられたのも,まあいいでしょう。
単に他の反社会的勢力が凡矢理市に入ってこないために活動しているだけで,どうやって数百人の人間を養う「稼ぎ方」をするのか考えても仕方がありませんし。どうせこれらは「設定」にすぎないことですから。
むしろ問題なのは,「千棘と二人なら想像もつかない世界にも二人ならいける」という,"小野寺さんを選ばなかった理由"との整合性が取れていないことだと思います。
前回,楽は大学に進学したことが示されましたが,結局それは千棘の「夢」(ファッションデザイナー)とは何も関係の無い「地方公務員になる」という楽の本来の目標のためでした。皆さんご承知でしょうが,地方公務員とは"公共の福祉"のための存在です。どこまでも行く世界といった,枠に囚われない世界観を共有する為の仕事ではありません。
今回,楽が裏の顔として集英組を継がされたのも,楽の「夢」は凡矢理市という彼の「街」を守ることに生きがいを見出したからと捉えてよいと思いますが,それは千棘のファッションデザイナーの夢をどこまでも共有するのとは全く関係がありません。「街を守る」ことがやりたいのなら,和菓子おのでらの娘を嫁にもらうことでもできたのですから(笑)
それが突然「やることができた」という設定を付け加えられた,ビーハイブとともに「街を守る」という役割を共有することだったのだとしても,それすらも組織の跡取りをクロードとしてしまったために結びつけが困難となってしまっています。アーデルトも千棘もこうなると「元組織のトップとその家族」にすぎず,その役割を共有できないからです。
こうしてみると,楽が千棘を選んだ理由として付け加えられた,「千棘と二人なら想像もつかない世界にも二人ならいける」というセリフがこの展開の説得力を大きく棄損していることが分かります。言うならば「蛇足」というやつです。それが足を引っ張って,結果的に楽が千棘を選んだ理由の説得力を下げてしまっている。そんな印象を僕は受けました。
これならばむしろ,「ニセコイ」の方が小野寺さんとの本物だった恋を上回った,というだけに留めたほうが遥かに説得力があったように思います。
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そして楽が千棘と一度離れ離れになることになった千棘の「夢」。それはファッションデザイナーになるということだったのですが,この職業選択がまた楽が千棘を選んだ理由の説得力を下げることになってしまいました。
千棘が楽と一旦離れた理由はファッションデザイナーになるために,その人に従事して教えを請うためでした。
ファッションデザイナーの世界がどんなものか僕は詳しいわけではありませんが,その修行が数年かかるというのも分かりますし,その人が世界的に活躍するような人だったら世界中をついて回るというのも分からなくもありません。
むしろ気になったのは楽が選んだ「公務員+集英組の跡継ぎ」という職業と,ファッションデザイナーの仕事がなんら交わりが無いという点です。
繰り返しになりますが,「千棘と二人なら想像もつかない世界にも二人ならいける」という楽の選択理由からは,二人がともに何かに取り組むことによって想像もできないようなことが実現できるように聞こえます。少なくとも一条楽はこのときそんな風に考えていたに違いない。
しかし実際に二人の選んだ「やりたいこと」が全く交わっていないために,楽が"小野寺さんを選ばなかった理由"の根拠としての説得力を著しく下げることになってしまっています。
これがもし「どこにでも行ける」という場所としての「行ける」という意味だったとしても,楽が選んだ地方公務員という仕事,裏家業を含めて「街を守る」という"地域性"に根ざした「夢」をもった楽とは相容れないように見えます。10年来の恋を振り切って千棘を選ぶ理由ですから,それが「どこかに旅行する」とかいった矮小なことではないはずです。
だからこそ,楽の恋の選択の理由と実際の二人の職業観が合致しないことの綻びが目立ってしまう。繰り返しになりますが,こんなことなら単に「ニセコイ」つながりの方が大切でそれが本当の恋になったという理由「だけ」にしておけばよかったな,と思います。
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次です。
今回,楽と千棘の結婚式を行うことが示唆されました。招待状がかつての仲間たちや恩師の下に届き,祝福ムードでお話は進みます。これも色々不思議なことが起きていきます。
招待状が届いているのだから,当然式の日取りや披露宴の段取りも全て決まった上で話が進んでいるのかと思いきや,驚いたことに楽はその後に千棘にプロポーズしているのです。それも相当変ですけれど,問題はそのあとの天駒高原でのやり取りですね。
...やりたいことは分かります。
千棘と楽をもう一度再会させる為に天駒高原にいかせたかったのでしょう。そこで千棘と楽が「永遠の愛」の約束をすることで,実らなかったかつての「永遠の愛」を土に返し,新しい「永遠の愛」として蘇らせる。まさに絵本に描かれたとおりお姫様は死んだわけですが,生き返ったわけです。(肝心のお姫様が入れ替わっちゃっているけれど)
この「お姫様が入れ替わっちゃっている」段階で,絵本の物語どおりの筋書きにはなっていないわけです。『ニセコイ』第1話で描かれた,「錠と鍵の約束」は小野寺さんのものでした。今回,この描写を無理やりにでも入れてきたのは
"このニセモノの恋がオレを10年前の約束へと導いてゆく事になるのだが オレはまだ知る由も無い"
という第1話の「引き」のモノローグを回収するためなのでしょうが,少し考えればつじつまが合わないことが分かります。
今回,楽と千棘が行った新しい錠と鍵による「ザクシャインラブ」の約束ですが,これは千棘と楽が「今」新たに始めた新しい約束です。「10年前の約束」は全く関係ない。千棘を約束の女の子にしなかった段階で,10年前から続いていた「実らなかった本物の恋」よりもニセモノの恋から始まった恋という文脈では「ニセモノの恋が10年前の約束へ導くことはできない」わけです。
まあこれは,第1話に描いてしまったから,どうにかして格好をつけなければならなかったということなのでしょう。とはいえ,ちゃんと読んでいる人には矛盾は明らかなわけですが。
そんなこんなで振り返ってみると,第226話ケツベツ以降描かれた物語は「いろんな無理」や「矛盾」が多く噴出しているように見えます。そんな矛盾を無理にでも縫い合わせようと苦労した,そんな印象をこの第229話ヤクソクから僕は受けました。
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こうして実際に「描かれたもの」を振り返ってみると,たぶん作者が「描きたかったもの」と乖離があることが分かります。最後に思い描いていた「絵」を完成させるためのプロセス,その一番大切な部分がきちんと描き切れていない。そんな風に感じました。
226話からの流れは,本来はもっと丁寧に10話ぐらいかけて描くべきことだったように思います。
千棘の「やりたいこと」。楽の「やりたいこと」。それらをきちんと楽が"小野寺さんを選ばなかった理由"として筋が通るようなものとして丁寧に描ければ大幅に説得力が増したに違いありません。二人が凡矢理を離れ,遠く広い世界で活躍する姿が描かれれば,二人がいつも一緒で楽しく何かを成し遂げる世界にいることを読者はかみ締めることができたと思います。
そして今回描かれたそれぞれの将来と恋模様。
これも最終話に無理やり詰め込んだので,説得力がいまひとつのものが多々あります。その中で,集とるりちゃんと春ちゃんについては以前より示されていた「夢」だったので違和感が無いのですが,そのほかの人物についてはいろいろ気になるところがありました。
ポーラが大学院生にまでなったというのは,例の進路調査の中で「進学」を志していたことからも伏線が無いとも言い切れません。とはいえ,このあたり時系列が不思議なことになっていて,新米公務員の楽さんが就職したてなら一学年下のポーラはどう頑張っても「大学4年生」のはずなんですが,それは...。
まあ楽さんが就職浪人したのか,楽自身も大学院に行ったのかもしれませんが(彼の人生目標である公務員になるためなら大学院に行くはずも無いですけれど)
高卒の春ちゃんが和菓子屋の美人女将なのはいいと思いますが,楽が大学新卒で公務員新採用なら風ちゃんは当然大学4年生のはずですしね。やっぱり楽さんが一発では公務員に合格できなかったということなのでしょうね,多分。
そしてそれぞれの恋愛観も色々思うところがありますね。
万里花は楽のことを諦めてドンドンとお見合い相手を探すという...。まあこれは,「千葉県の...」というセリフから,千葉県のYさんに対するファンサービスというか,製作者からYさんへの感謝の念なのでしょうね。個人的には10数年前に約束した,「再会した時に楽と小野寺さんが結婚していなかったら自分と結婚する」という約束をもう一度突きつけてほしかった気もしますが(笑)
一方で,春ちゃんと風ちゃんにはまだ「春」が来ない...。ポーラも研究室にはつまんないやつしかいないとやらで,「春」が遠そうです。まあ研究者の魅力はそこで成し遂げられた研究に拠るものが大きいはずですから,修士1年のひよっこポーラはまだ「分かってない」だけなんでしょうが。
まあ,このあたりは余禄としては面白いですが,やはりとってつけた感が印象に残りました。
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『小野寺小咲とはなんだったのか』
さて。
今回のお話を読んで,僕が感じ取ったのは作者からの一つのメッセージです。皆さんが感じ取られたかどうかは分かりませんが,僕には伝わったものがあります。
僕が今回のお話を通して感じ取ったのは,「小野寺小咲」はあくまで「ニセモノの恋から始まった恋」の対比としての「実らなかった本物の恋」の象徴であったということです。何が描かれて,何が描かれなかったのか。振り返ってみましょう。
(描かれたもの)
・成長した小野寺さんが選んだ職業は「パティシエ」
・千棘と楽の結婚式のケーキを作っている
・その表情は全体がはっきりと描かれることはなく,そこから未来を感じることは無い
・言葉だけで描かれた現在の「幸せ」
・小野寺さんの最後は,千棘と楽が「ザクシャインラブ」の約束をした直後に描かれた回想
・「錠と鍵」は天駒高原の最後に,楽と小野寺さんの相合傘が描かれた二人が最初に出会い,「ザクシャインラブ(永遠の愛)」を行った場所に「埋めた」
・成長した小野寺さんが選んだ職業は「パティシエ」
・千棘と楽の結婚式のケーキを作っている
・その表情は全体がはっきりと描かれることはなく,そこから未来を感じることは無い
・言葉だけで描かれた現在の「幸せ」
・小野寺さんの最後は,千棘と楽が「ザクシャインラブ」の約束をした直後に描かれた回想
・「錠と鍵」は天駒高原の最後に,楽と小野寺さんの相合傘が描かれた二人が最初に出会い,「ザクシャインラブ(永遠の愛)」を行った場所に「埋めた」
ということです。僕が小野寺ファンということを除外しても,色々と凄いことが描かれていることが分かるかと思います。
まず,小野寺さんの選んだ職業が「パティシエ」。
これは恐らく「マジカルパティシエ小咲ちゃん」に合わせたのでしょうけれども,これも彼女の夢としては変ですよね。楽と春ちゃんと三人で参加した和菓子づくりがきっかけでパティシエを目指す...というのは前後関係がよくわかりません。
きっかけがそれならばむしろ和菓子づくりの勉強をするほうが自然ですけれど,それは春ちゃんにあてがってしまったのでできなかったんですね,きっと。一応以前洋菓子と和菓子のコラボという話(ケーキヤ)がありましたから,全く関係ないとは言いませんけれど。
これが本当に小野寺さんの目指したかったものなのか,といえばやはり「とってつけた感」があります。第123話「ムイテル」で示唆されていたのはあくまで「楽のお嫁さん」でしたから。なんとなく結末に合わせて与えられた「設定」という印象はぬぐえません。
そしてそんな小野寺さんにこともあろうか,楽と千棘のウェディングケーキを作らせるという...。うーん...。
これはねえ。たとえ小野寺さんが言い出したことにするにせよ,普通に考えて「無い」よね。
10年前に行った「ヤクソク」は守れず,10年後再会して両想いであることが明らかになったにも関わらず「実らなかった本物の恋」の相手ですよ。小野寺さんの半生をかけてきた実らなかった恋の相手の結婚式のケーキを作るって...。なんというか痛々しいというのを通り越したものがある。
本人がやるといっても,人道的に頼まないよね,普通は。とか思わなくも無いです。
「錠と鍵」を3人で土の中に埋めたというのもねえ。いくら一条楽の好きにしていいと言っても,それを相合傘のある,楽と小野寺さんが初めて出会った場所に埋めるというのは。『ニセコイ』の物語の屋台骨となってきた「錠と鍵の約束」を自らの手で埋めると言うのは,想像するだにシュールな光景です。
そして驚いたのは,その場所で千棘と楽が新しい錠と鍵を用意して,「ザクシャインラブ」の約束をしなおしたことですね。いや,やりたいことは分かるのです。先にも述べたように,「永遠の愛の約束」は一度死に,そして蘇った。それを描きたいのはよく分かります。でもねえ...実際の絵としてそれを見てしまったら,
(自分が守らなかった約束の相手の)小野寺さんの墓の前で楽が千棘にプロポーズした
みたいなもんですからねえ。あくまで比喩ですけれど,やっていることはそういう構図ですよね。何が言いたいのかと言うと,漫画としてやりたいことは分かるが,実際にやってしまったら一条楽と桐崎千棘と言う人物の「人格」が疑われかねないような行為に見えてしまうのですけれど...。
ただきっとそういった一種の「シュールさ」はわかった上でのこの描写だったのだと思うのですよ。ここに込められた意図は,要するに小野寺さんとは「実らなかった本物の恋」なんだと。10年前だけではなく10年後の高校生につらなる永遠の恋になるはずだったものだったとしても,それは「昔の恋」なんだよと。そういう強調が感じられるんですよね。
振り返ってみて,小野寺さんと楽の「もう一つのつながり」らしきものが描かれなかったのは,それは「終わった恋」だから,なんでしょうねえ。昔の恋。青春の一幕。思い出の人。そういった「過去」の象徴こそが小野寺小咲だったということを僕を含めた読者にはっきり分からせるためにそこまで強烈な扱いをしたように感じます。
そんな明確な,断固たる製作者としての意思。それが第229話には込められていたように思います。
...
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『おわりに』
まだまだ書きたらないことが多々ありますが,もう少しでこの感想も終わります。いま少しお付き合いください。
振り返ってみると,第226話『ケツベツ」までの流れはとても重厚で,10年来の恋物語が一つの結末を迎えるクライマックス感に溢れていたと思います。それが第226話で千棘を選んだ理由を示したところから,その裏づけをしていく第229話までの最後のプロセスを描いたとたん,いきなり「軽く」なってしまったような気がするのです。
前後の伏線との矛盾。言葉で語られる「実はこうだった」という一つ間違えると「いいわけ」のようにすら見えてしまう「設定」。
この感想を読み返してみると何度も「設定」という言葉がでてきますが,後付の設定がドンドン与えられたことが結果として物語を非常に軽薄にしてしまった感があります。
そして結果として一条楽がほとんど「約束」を守れなかったこと。そんな彼が最後に千棘と結んだ「約束」は本当に果たされるのか,心配になってしまうほどです。一条楽が「誠実である」ということすらも,単なる「設定」に過ぎなかったように感じてしまいます。
...本来この部分こそ,もっとも力を入れて丁寧に説明しなければいけなかった部分ではないかと感じます。楽が「ニセモノの恋から始まった本物の恋」を理由に選ぶのならばこそ,丁寧に描くべき部分が実質3話ちょっとで淡々と説明されている。それでは物語全体を振り返った時に,全体として未完成の作品であるように見えてしまうのです。
丁寧に伏線を積み重ねて描かれてきた物語だからこそ。そんな物語の構成美に魅了された者だからこそ感じる「無念」でしょうか。綺麗に描ききってほしかったなという感想は抱きます。
むろん,製作者としては精一杯やりきられたのだと思います。もしかしたら読者には判らない事情があるのかもしれませんし,今回僕が感じ取った「もう一つのメッセージ」がそうさせたのかもしれません。願わくば,古味先生が本当に「超幸せ」と思われていることを祈るばかりです。
もはや叶いませんが,最後に楽と千棘と小野寺さんが本当に幸せそうに一緒に歩く姿が見たかったです。
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さて。さてさて。
最後に『現実逃避』読者の皆様方。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。おかげさまで最終話まで感想を書くことができました。読者の皆さんの反応があってこそ続いたブログだと思います。多分一人ではこの感想を最後まで続けることはできなかったでしょう。大勢の応援と幾ばくかの批判,いずれも今となってはよい思い出です。ありがとうございました。
さて感想記事ですが,今回僕が受け止めた「メッセージ」を尊重して,過去記事についてはネットの片隅に残すこともなかろうと思いましたので非表示にさせていただきました。(コメントを含めまして,全て残っております。ご安心ください)
もし僕の受け止め方が「誤解」であるならばもう一度表示させるかもしれませんが。そのあたりはご了承ください。特段,予想が大外れだったから隠すということではありません(笑)。あくまで僕の製作者に対する配慮です。
『ニセコイ』本編の感想は以上となります。
最後に後1回だけ,8月中旬にある企画のレポートをアップして終わりになると思います。そこでもう少しざっくばらんな,裏話というか率直なお話をお伝えできればと思います。
それでは皆様。
『現実逃避』を最後までご覧いただき,ありがとうございました。
*コメントを非開示にしてほしい方は,タイトルを「非開示希望」としてください。
自分は前にコメントしたかもしれませんが、マンガやアニメに必要以上にリアリティを求めないほうが作品を楽しめると思っています。それでも今回の最終回はツッコミどころが多いですね・・・
まず楽ですが、あれだけ家業継ぎたく無いからって公務員目指していたのに組の実態がわかってたからといって兼業するのはどうなの?って感じです。結局継ぐんかい!
小野寺に関してはパティシエになったのはスピンオフとのリンクなのでまだわかるんですが、料理が下手設定はどこにいってしまったんでしょう・・・描写されなかっただけでものすごい努力を小野寺がしたってことで解決できそうですが・・・あと自分から二人のウエディングケーキ作りを頼むとか小野寺さんメンタル強すぎです。まあかなり時間がたっているから気持ちの整理はついているでしょうけどね・・・あと約束の上書きについてですが、自分は小野寺と楽の繋がりは約束の女の子だったと思っているのでそれさえ奪われる扱いの酷さには怒りを通り越して苦笑いすらでました。千棘のことにも触れたいですが時間がたりなかったのでまた後でコメントしたいと思います。短い間でしたがayumieさんと感想の共有ができて本当に楽しかったです。ありがとうございました。
私が最後まで誰と結ばれるかわからないと言い続けたのも、物語の文脈から読み解きそれを楽しむと同時に、同じくらい感情で読み解こうとしていたからです。
終盤の展開、道理に合わないことも多々あったと思います。単純な設定の綻びから疑問を呈する行動や展開。けれどもそれぞれのキャラ達が泥臭いまでにエゴを、非合理を押し通し、それでも自分の幸せのためもがくその姿は、私はとても共感できましたし、そんなキャラクター達が大好きです。
最後になりますがニセコイ完結という1つ節目としてここまで考察を書き続けたことへの労いと、共にニセコイを語り合っていただいたことへの感謝の意を示したいと思います。
今までお疲れ様でした。そして、ありがとうございます。
初めてコメントいたします。
一言、 ayumie様に御礼を言いたくて。
ニセコイ感想ブログ、毎週本当に楽しく読ませて頂きました。
ロジカルでありながら随所にユーモアを散りばめられた感想文…いえ、ここまでのクオリティならもはや評論文と呼ぶ方が相応しいですね。
ただ思った感じたことをダラダラ並べ立てるのでなく、物語を丹念に読み込むことで発見された様々な伏線やヒントを繋ぎ合わせて考察(妄想)されつつ、けして読み手を飽きさせることのないその文章力。
大学時代にコッソリ文学部の授業に潜り込んで聴講していた、とある文芸評論家の先生の授業内容にもどこか似ていて…懐かしい気持ちさえ感じつつ、本当に楽しんで読ませて頂きました。
…ちなみに、やっぱりayumie様は、そういった専門的な分野の方だったりされるのでしょうか?(などとプライベートな質問で失礼おば)
今から一年と少し前、たまたまニセコイという漫画を手に取り、その面白さにハマって即大人買い。毎週次の展開が気になって気になって、ネタバレサイトを覗き渡り歩く内、どういう訳か、貴ブログにたどり着きました。
以来、毎週欠かさずニセコイ講読とセットでこちらにお邪魔しておりましたので、終わってしまう、もう読めなくなってしまう…ということで、本当に淋しく思います。
普段、こういったブログにコメントを残したりすることはしないのですが、現実逃避ブログには本当に楽しませて貰ったので、迷いましたがコメントさせて頂きました。
ayumie様、素敵な読み物をありがとうございました。…願わくば、またどこかでayumie様の文章を読みたいです。
それでは失礼いたします。
ついに、終わっちゃいましたね。
月曜日の朝、デジタル版のジャンプを読み、現実逃避のブログを読む、という習慣が終わるのは、なんだか寂しいです。
漫画は基本的には1人で読みますし、実生活で感想を誰かに言う機会もないのですけど、コメント欄であれこれ書かせてもらって、毎回丁寧なお返事を頂いて、やりとりできて、楽しかったです。
ありがとうございました。
漫画であったり、小説であったり、他の人はどう思ったんだろう、と思って検索することはありますけど、先がどうなるかわからない連載漫画についてここまで毎回毎回詳しくリアルタイムで感想や予想を書いてあるブログはそうそう無いと思いますので、なんというか、貴重でした。
それに、ニセコイを読んでいた主な動機が、「小野寺さん、どうなっちゃうの?」という「心配」だった僕からすると
、このブログは癒しでした。
おかげさまで、終盤まで希望を持って読むことができました。「どうせ、最後はメインヒロインには負けちゃうよ」、なんて諦めながら読むよりも何倍も楽しかったです。
ちなみに、一番笑った記事はいつぞやののウソ記事です(笑)。マリー編の最後でしたっけね。
路線を変えたのかと思いました。
それはそれで面白いですけど、でも、「最後まで作者に敬意を払う」というのがこのブログらしい良さだったと思います。
最終回については、何か別の漫画を読んでいるみたいな変な感じでした。喜ぶ人は少ないだろうし、怒る人は多いだろうなぁともぼんやり思いました。
ただ、アンケートを入れてあげてもう少し支えてあげればこんなことにはならなかっただろうとは思いました。
ayumieさんが感じ取られた「もう一つのメッセージ」については、どうなんでしょうね。
また過去記事を読みたいからではないですけど(読みたいのもありますけど)、作者の意図はそういう意図ではない…と僕は思います(過去記事を読みたいというのもありますけど あ、二回言わなくてもいいですか。)。
多分、望まないタイミングでの終了でしょうし、最終回に色々と帳尻を合わせようとしてこうなってしまったんだと思います。変なところでのこだわりや真面目さが裏目に出てしまったというか…
最終回に出た要素を見てると、むしろ他の側面が気になりました。また、思うところを、後で書かせてください。
小野寺さんやマリーをあれだけ魅力的に描ける古味先生であれば、千棘と楽さんとの関係を読者に納得させられるだけの魅力を、千棘にも描けたはずなのにそうなっているように見えませんでした。
逆にいえば、テンコウ編でのツルステーンとか、NYでの過剰な変顔、コクハクでの「いや別にそこまですごくってわけでもねーけど」は描かれるべきではなかったと思います。
結局、千棘と楽さんの関係を大きく動かした話って、ドウヨウにしても、マジコイまでの流れにしても、定期デートでのお話です。つまりニセコイをしていたからこそできたことです。そして、定期デートにはオオウソで描かれたようにマンネリ化してだれたイメージが読者の側にはある。そんな定期デートという舞台装置を使って、進められた関係である分、読者から見ると千棘が魅力的に見えないし、千棘と楽さんの関係の進め方にも無理やり感が付きまとう。
その辺りが、千棘を見ry苦的に見せない原因になっていますし、それを古味先生は自覚的に描いているのだと思っていました。
ニセモノがホンモノになる物語なのかもしれませんが、最後まで来てもホンモノに「なっていない」ように読めてしまうんですよね。
ニセコイは、10年前に楽さんが絵本の結末を描き変えて始まった物語ですが、最後に古味先生が物語の結末を描き変えてしまったように感じます。それが、ハッピーエンドと感じられないところが残念といえば残念です。
春ちゃんと風ちゃんとの会話で、お姉ちゃんは幸せだけれど私には王子様が現れない、とあったってことは、小野寺さんにはいい人が現れたという暗示でいいんでしょうかね。パティシエを目指す道に幸せを見出しているというようにも読めるのですが。まあ、その辺りは、読者の受け止め方次第、でよいのでしょう。
とはいえ、私はニセコイを楽しんで読んできました。そして、ニセコイのファンという以上に古味先生を応援しています。この、ニセコイという素晴らしい物語を世に送り出してくださった古味先生に感謝しています。
願わくば古味先生が、思い通りの次回作を描けますように。そう、強く願っています。
と思いきや彼女の動機は「おっぱいをおおきくしたい」だったりして(マッコイ感)
なんというか、終わりましたというより終わらせましたという感じですかね。
「プロの世界」である以上大人の事情はあっても然るべきことですが、それを一般読者が知る由はありませんので。
あったとすれば、結果的に回収しきれなかった線が顕在化し始めた千棘逃亡あたりからになるのですかね。
というよりは、新章開始が「終わらせる段階」に入ると決まったということなのでしょう。
となると九州h・・これ以上は何も産み出さない邪推でしかないのでやめます。
小野寺さん謹製のウェディングケーキはいかなる味なのでしょうか。
九州編の味、ということはないでしょうが、10000回に1回のキセキの味となるかというと・・
小野寺さんは大学へは行かなかった気がするんですよね。
パティシエになるには、料理専門学校で、それはもうみっちりと鍛えないといけなかったでしょうし。
ルーリンはいないので。
・・それもあるでしょうけど、もちろんそれが1番の理由ではないですよね、その場合。
ニセコイというかayumieさんのファンでもあったので、ニセコイが素晴らしく終われるように願ってました。現実は厳しいのですが、またayumieさんの別の漫画の感想がみられたらなと思います。ありがとうございました。
この言葉が本当に職業的な意味を含むものだと本気で思っていたんですね?自分達が嫌な展開に対する当て付けみたいな冗談だと思っていました。自分は全くそんな解釈ではなかったし、作者も少しもそんな意味で描いてないんですよね。少なくともセリフには一切ない。
自分は単に人間関係として恋愛関係として心理的な段階として自分だけでは想像できない上のステージに行けるという意味だと思ってました。今の即物的な世界においてこの解釈は分かりにくいし、楽がその思考まで至ったプロセスの描写が全く不足しているのが問題だと思いますが、それに職業は一切関係ないと思います。
自分は結構年が行っていますが、若い人はこの言葉に即物的な意味でしか捉えられないんですかね・・・?
これまでayumieさんの更新のおかげでニセコイという作品を何倍にも楽しむことができました。
本当にありがとうございました。
最終話ですが、良くも悪くも無難な内容になるのではないかと予想していましたが、予想は外れ、悪い意味でニセコイらしい内容になったと思います。
今まで自分の中のワーストは九州編だったのですが、212話「バイバイ」以降の完結編は九州編よりも酷い内容だったと思います。
気になった点を以下に挙げたいと思います。
1. 楽が集英組の2代目を兼業する
楽が集英組の2代目になることは、おそらく古味先生の中では最初から決まっていたことだと思います。
ただ、おそらく読者をびっくりさせるため、これまで全く伏線が張られていなかったため、一条楽という人が、恋愛だけでなく職業の選択でもブレブレな印象を受けました。
個人的には、一条楽が2代目になることに対して、驚きよりも唐突感の方がはるかに大きかったので、123話「ムイテル」あたりで少しでも伏線を張っておくべきだったと思います。
2. 小野寺さんにウェディングケーキを作らせる
……古味先生は鬼か。
小野寺さんの性格上、自分から作りたいと言い出すであろうことは理解できるのですが、あえて小野寺さんにウェディングケーキを作らせる展開にする必要性はないと思います。
3. 錠と鍵を3人で埋めた
4. 楽と千棘が新たな錠と鍵で約束をする
5. 小野寺さんとの相合い傘のある・小野寺さんと結婚を約束した場所で、「ザクシャインラブ」
……最初読んだ時は思わず地面にジャンプを叩きつけそうになりました。
……古味先生は鬼か。
冷静に考えてみると、古味先生は単に書きたいものを書いただけだと思います。
おそらく連載前から、最後は次のような場面で締めることは決めていたのだと思います。
・楽と千棘が約束の場所で再開する
・二人で錠を開ける
・「ザクシャインラブ」と言う
・楽が千棘にプロポーズする
・楽と千棘がキスをする
千棘が約束の子であるか、約束の子が作中ヒロインの誰でもなければ、本当に綺麗な場面だったと思うのですが、千棘を選択することの驚きを大きくするため、約束の子を小野寺さんにしてしまったため、「ザクシャインラブ」の約束が非常に軽薄で、なおかつ小野寺さんが非常にかわいそうな印象しか受けられませんでした。
これまでも古味先生は書きたい結末から逆算して論理的に物語を組み立てるため、物語の過程が荒いものになることは多々ありましたが、それが最後の最後で一番悪い形で表れてしまったのだと思います。
最終回に関しては文句しかありませんが、ニセコイ全体を通して言うと、「ニセコイとザクシャインラブという初期設定」「各キャラの魅力」など非常に魅力的な物語でした。
この物語を見せてくれた古味先生と、ニセコイをより楽しませてくれたayumieさんにはお礼の言葉しかありません。
今まで更新お疲れ様でした。
本当にありがとうございました。
てまぁ、最終回なんですが、ayumieさんの言うように、ツッコミ所が多すぎて、逆に笑うしかありませんでしたね 笑
どんなにヒドい作品でも最後が美しかったら、良いんですけど、今回はちょっと・・。
古味先生、描きたいことは分かるけど、あまりにも無理やりすぎて、ついていけましぇん・・。
まぁ、何らかの形でフォローしてくれたらいいんですけど。
それより、僕には何か不安のある感じに思えたのは、気のせいですかね?特に小野寺さんの描写。どうして古味先生は、小野寺さんの成長した姿を描かなかったのか?謎すぎるんですよね。その謎が逆に不安というか不穏な空気を感じるんですよ。小野寺さんが楽と千棘のウェディングケーキを作る事態、聖人過ぎるけど、普通やらせないでしょ、本人が望んだとしても。毒入りケーキ作ってそう(をい)。
この辺が、楽・千棘、あんたら鬼か?と思いますね、小野寺派はもちろん、一般読者からしたら。
でも、前のコメントのコサリストさんの言葉を借りたら、これが小野寺さんのある意味「幸せ」なんでしょうね。春ちゃんも、お姉ちゃんも幸せって言ってるし。読者的には煮え切らないけどね。
小野寺さん、パティシエになってたけど、多分影響を与えた人がいるだろうなー。春ちゃんとかぶる、という理由でパティシエになったと考えたくない。
小野寺さんに幸あれ!hail to you!
あと、余談だけど、マリー、千葉県のYさんと末長くお幸せに。
作者に無理やり小野寺さんが納得しているような描写にされてますが、もはや蹂躙されているようにしか見えません。作者は小野寺さんが嫌いなのか?ウェディングケーキとかもう目も当てられないです。
今まで長い間、本当にお疲れさまでした。
私はこのブログのおかげでニセコイを読み続けられたと言っても過言ではありません。
元々私は小野寺さんのような一途で内気で優しい女の子の方が好みなのでずっと小野寺さんを応援していたのですが、楽が千棘を意識しだしてから不安になり、読み続けたら悲しい結末を見なければならないのではないかと他者様の感想を探していたところ、このブログと出会いました。
結果的に、出会えて本当に良かったと思います。
結末はやはり悲しいものでしたけれど、本来ならもっと早くに心折れていたところを、今まで楽しむことが出来たのですから。
千棘のことは今でも好きになれません。
理由はここで述べることではないので省きますが、だからこの結末も祝福できません。
しかし、これが作者の選んだ結末なら、読者は受け止めるしかないのだと思います。
ただ、最後に小野寺さんだけ顔がはっきりと描写されなかったこと。
それがすごく悲しいです。
言葉だけなら明るい未来を示唆されていますが、あんな描写だけではそれを目で知ることが出来ず、消化不良です。
作者はそこまで小野寺さんのことが嫌いだったのだろうか。
ではそんな作者が生み出した小野寺さんを好きになった私のようなファンはどこへ気持ちを持って行けばいいのか。
こちらのブログが今まで考察されていたような展開になることを、私も心から望んでいました。
今はただただ残念です。
それでも最後まで感想を書いてくださったこと、一緒にニセコイをラストまで見守らせてくださったこと、感謝申し上げます。
企画とは何なのでしょう?
そちらも楽しみにさせて頂きますね。
ニセコイは連載当初から見続けてきただけにこの終わりは感慨深いものですが、やはり私としても最後を丁寧に書ききって欲しかったのと小野寺さんが何も報われなかったのが残念でたまりません。しかし、ここで愚痴を言っても結末が変わるものではありませんし、仕方の無いものと受け取っています。後はニセコイ3期の発表と貴方のブログの最後の投稿を楽しみにするだけです。
Ayumieさん今までお疲れ様でした。毎週楽しかったです。
コメント失礼します
オワタ・・・こっ行進曲・・・!
最終回に「大変うれしいです。」ではなく「超うれしいです!」なのとキスシーンを描かないところが、古味先生らしいなと。
次回作絶対見るぜ!!なんか古味先生のことだから進化していそうで、おらもんげー楽しみだぞ!!現実逃避さんはどうですか?
最終巻に寺さんとのキスシーンあるかもですね。
現実逃避さんのブログを見つけたのは超昔のこと(は?)・・・
誰か羽姉さん可愛いっていってくれてる人いねーカー!!と羽姉さんの可愛さを共感してくれる人に出会いたかったことから始まりました、すると「ユイネエ」の感想を書いてる人を発見、そのなは「現実逃避(ブログ名)」!気持ち悪い咄、単なる偶然をどことなく勝手に運命を感じている自分でありました。
約束の女の子は誰なのかというブログでたしか自分は初めてコメントさせていただきました、懐かしいのぅ・・・。
現実逃避さんの論理的で冷静でどこかおもしろおかしなブログ最高でした、こいつマジで現実逃避する必要あんのか?ねぇだろ?レベルで。
最初の最後まで自分の的外れで意味不明な考察&くそ気持ち悪い感想を、まるでぶちぶち花を抜くのではなく優しく丁寧に花を抜いてく感想の対応、誠にありがとうございました。
皆さんのコメントが見れないと思うとなんか日課が潰れてしまった感が個人的に有ります。
最終回でうんたらかんたらあほんたらいう人はやはりいますが僕はニセコイと言う作品を九州偏含めて最初の最後まで楽しめたかと問われれば即答できます、最高に超絶おもしろかったです、例え叩かれようが叩かれなかろうか僕は三次元でも二次元でもメンタル悪い意味で鍛えられたので大丈夫!
コメント欄の人にニセコイ好きだと叩かれるのをなんたらかんたら書き込んでいる人、大丈夫好きなものは好きで良いんだよ、麻薬であろうがタバコであろうがイジメであろうがなんであろうが(おい)・・・!上から目線ですいません・・・
今までの、趣味とはいえともブログを書いてくれてありがとうございました、もし気が向いたら古味先生の最新作の漫画のブログを書いてくれたら超うれしいです(図々しい)!もしかいたらまた僕のへんてこりんなコメントに付き合ってくれ足らな~とか(だから図々しいって)。
最後に・・・
僕はこれからも現実逃避する!!
「完結編からコッチ、全く以ってお疲れ様でした」と言う意味でしか言えません正直。
「二人でなら行ける」の解釈はだいまおーさんの仰る通り職業観ではなく人生観と思います。
思いますが、それでも二人の間にはズレがあると私は感じました。
楽が見据えている人生は「想像が付く範囲」でしかないからです。
それならば、後継ぎ候補として「華さんの秘書」を正式に努めるにしておいた方が、
伏線もあったしグローバルな出会いが数多くあるため説得力が出たと思います。
10年前の約束に「導く」ですが、それはキチンと守られています。
「実らせる」ではなく「導く」なので、確かに導かれてその結果実らなかっただけの話。
まあ今でも「実らなかった理由については描写が不足どころか皆無とさえ思いますが」
想い人としての思い出が希薄なまま想いだけが募り不鮮明を不透明と誤解しているだけ。
としか私には思えない結末でした。ぶっちゃけ数年で離婚しそうな印象しかないです。
新たなザクシャインラブは「はっきり言って悪手以外の何物でもない」
「約束に縛られず選んだのが千棘なのに、その相手を約束で縛るとか愚行にも程がある」
楽が選んだ選択に泥を被せるが如くです。
「ザクシャインラブ…か…」
「なによ。まさか言うつもりじゃないでしょうね?」
「いや懐かしいなって思っただけだよ」
「そこは「そんな約束なんて無くても!」って言うところでしょ。違う?」
「…そうだな。うん、その通りだ」
って遣り取り交わして読者に二人の確かな繋がりを感じさせるだけでいい。
と、ここで私も一言付け加えさせて頂きますが、上記はあくまでも私の個人的感想です。
異論はあると思いますが、その胸はご了承下さい。
最後に、改めてブログ更新お疲れ様でした。
前回はかなり激しい解釈を長々と書いてすみませんでした。
そんな私にもわざわざお返事をありがとうございました。
そして、ニセコイの感想Blogを最終話までお疲れ様でした。ありがとうございました。
ニセコイの最終話のayumieさんの感想がどんなものになるのか、正直空恐ろしかったです。
ここまで酷い状態に対してもリスペクトを忘れず真摯にかけるんだろうかと、、、汗
でもしっかりayumieさん節で紳士を貫かれて感動しました。
私には無理でしたし、他のお方が留められたジャンプを投げつけるもしてしまいました。汗
結局小野寺小咲は、楽と千棘の踏み台でしかなく、こんな一般人の誰もが恋人としての理想像と思うような小咲さえ叶わない女の子。そう!それが超高校級の完璧少女千棘です!みたいな自己満漫画でした。
一条楽に至っては、少年少女に、反社会的組織ってぇ実は必要悪でみんなを守ってるんだよテヘッと言ってるようで親として無条件に反吐が出ます。
ヤクザは反社会的組織ですし、公務員と兼業なんて認められないですし、それを少年誌にぬけぬけと掲載していることに危機感を感じますね。
ニセコイ最終話は存在悪だと思います。
もうザクシャインラブ再びwwwも、鍵と錠再びwwwも、恋人になって推定四年は経過してるのにキスは結婚式直前のプロポーズの後が人生初キッスですwwwも、その場所が小野寺小咲との約束の場所ってことも、小野寺さんとの鍵と錠が実は埋まってますwwwってことももうどうでも良いと思わせてくれました。
ただ、十年愛の相手にウェディングケーキを作らせるのは鬼畜過ぎと思います。
披露宴参加者が事情を知ってたらもやもやしますよ。
願わくばザクシャインラブの後の二人のあの笑顔に殺意を覚えたのが私以外にもいたらちょっと安心するな。
最後も長々と書いてすみませんでした。お目汚し失礼しました。
ニセコイの感想を読ませて頂き、また自分も語らせて頂き本当にありがとうございました。
今回はこう言おうと思います
古味先生とニセコイに携わった担当編集の皆様
おつかれさまでした
そして、私の知る限りもっともニセコイを愛読していたであろう
ayumieさんにもこれから多くの幸があらんことを
それではさようなら、お元気で
結局小野寺派が(というか自分)期待した瞬間に裏切られる4年半だったような
1年目の誕生日→触れたけどスルー
キスしてもいい?→キムチ&鍵持ちで唯一キスイベなし
文化祭→怪我の降板
2年目の誕生日→カット
修学旅行での2人っきりの和菓子屋巡り→無し
クリスマス編の過去より今→それすらも過去
なんか探せばもっとある気がしますが(汗)
あとここでにさん疑問が
何故楽の母親は顔が出なかったのか?
楽母さんと寺母さんは幼馴染同士で家が同じ中学の学区内で割と近所なのに中学に上がるまで再会する機会がなかった(親は何故作らなかった)のか
羽姉の存在意義
何はともあれayumieさん長い間お疲れ様でした
大変お世話になりました
コメントありがとうございます。
まあリアリティは追求しても仕方が無い世界と思います。「漫画」ですからね。比較的ロジカルに組み立てられた物語という認識だったので,そこは色々思うところはありますけれど。
小野寺さんのやりたかったことは「料理が上手になる」というのが原点で,基本的にはお嫁さんとしておいしい料理が作れるようになる,というのが目標だったのだと思います。その夢が絶たれたとき,初心は貫徹しようと思って料理学校(あるいは製菓学校)にいったのかなと思っていました。きっと一生懸命努力したのでしょう。成形しているだけではないのだと思いたいのですが...じゃないと結婚式で
「惨劇始まる!」(左門くんはサモナー風に)
になってしまいますからね(笑)
それはそれ,コメディぽいですし,小野寺さんのメンタルがタフだったわけじゃないという点で人間的ではありますが(>むしろホラーだろ)
約束の上書きについてはどうしても必要だったのだと思いますよ。小野寺さんと楽が「実らなかった本物の恋」だとしたら,その恋を完全否定しておかなければこの後の千棘と楽の新婚生活に陰ができてしまうので。ファンとしてはいい気持ちはしないですけれど,昔の濃いとのケツベツという意味で必要だったのだと解釈しています。
コメントありがとうございます。
これは「漫画」であり,ラブコメである以上,理性ではなく感情で決まることはあると心の片隅で常に考えていました。それでも物語の文脈が整っていたこと,ロジカルに読み解くことが可能であったためにそうした解釈を敢えて避けてきたところがあります。それは僕にとっての意味脅威だったのかもしれません。
また僕にとってロジカルに物語を読み,先々の予想(妄想)をすること自体がこのブログの感想を書く上での「楽しさ」だったように思います。最後はそれを逆手に取られたかなという気もしなくも無いですが,読者が作者に敵うはずも無い以上,そんなものだろうと受け止めています。
キャラクターたちの最後の葛藤は,論理をこえて心に訴えかけてくるものはありました。特に小野寺さんの告白とその想いからの決別は大きな感情の波にさらされて,非合理的な展開にも思えつつも感動を与えてくれたのは事実です。恋愛という理屈ではどうにもならないモノを描く中で,彼らの一生懸命な姿は輝いて見えました。
物語が終わり考察は終了しますが,こうやって同じ物語を楽しみ語り合えたことを感謝しています。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
拙い文章ですが楽しんでいただけたのであれば嬉しく思います。
評論文,というほどのものではないと思いますが,ある種批評的な部分がもしかしたら製作者のお気に召さなかったところはあったかもしれませんね(笑)
僕についてはそんな大層な人間ではありません。ちっぽけで...弱っちいただの人間です。まあそんな素人の書いた文章ですが,自分でも予想外なくらいに大勢の方に読んでいただき,それに対するレスポンスを頂き,とても楽しく書き続けることができました。
当面感想記事を書く気力はありませんが,他誌漫画の感想もほったらかしなので,いずれはそちらの記事を書くかもしれません。そんなに漫画を読む習慣があるわけではないですし,こんな風に週刊連載を追うなどということはもう出来ないと思いますが。自分が本当に書きたくなったら,また書くかもしれません。
その機会があったらまたよろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
感想の共有体験というのは面白いなと思いながらのブログ生活でした。最初の頃は本当にコメントもなくて,やっぱりレスポンスが無いとそこまで書きたい意欲がでてこないんですよね。最後はコメント数100を超えるほどになりまして,本当に皆さんに支えられたと思います。
感想については,自分でも(呆れると言う意味で)よくやるなと思うくらい時間をかけていたと思います。週末1日以上つぶして感想を書くわけですが,その分,現実にしわ寄せが行っているのですよ。それを続けてきたのは「いつか報われる」となんとなく期待していたからかもしれませんけれどね(笑)
結果的に予想は外れましたけれど,予想が外れた意外性を受け止めて読了できたから良いのかなと思っています。
例の嘘記事,コメントが荒れたことしか覚えていなかったので,さっき久しぶりに読み返してみたんですけれどなかなか凄いですね。2つもネタ記事を入れた後に本編を書くという...まあ書いている時はノリノリでしたし,今となっては良い思いでです。
僕もいろんな感想書きましたけれど,ある時点からは批評しても作者に対する敬意は払うことはきっちり線を引くようにしました。それが創作物を作られる方に対する礼儀だと思ったので。作品の評価とは別に,作者に対する評価はいまでも変わらないですよ。
過去記事についてはパスワードを入れれば読めるんですが,パスワードを公開しちゃったら意味無いですからね(笑)。まあしばらく様子を見て,考えたいと思います。
コメントありがとうございます。
中身に触れず,一言だけ。
最後にコメントほしいなと思っていました。僕の「想像」はあっていたのでしょうか?
それともお言葉通り外れていたのでしょうか。
かすっていたんじゃないかな,と思っていたのですが(笑)
最後にありがとうございました。
コメントありがとうございます。
二つの恋の結末を見た時に,自分が小野寺ファンだと言うことを差し引いても感情の波にあらわれて印象に残ったのは小野寺さんでした。それは小野寺さんと楽の恋が長い間「本物」として描かれつづけ,決着がつく直前までその二人のつながりは変わらなかったからかなと思っています。対して千棘と楽の恋の決着が展開的に「軽く」感じられたのは否めません。
mickさんが仰っているのはそういう筋ではなく表現の部分だと思いますが,確かに千棘に対する楽の態度にも一見「?」という部分が散見されます。それを文字とおりの意味で受け止めるか,あるいは「照れ隠しを含めた気さくな関係の表現」と見るかによって,大きく受け止め方は違うのかなと思います。今となっては後者の意味で捉えるしかないのかなと考えて今s。
「定期デート」自体は大きなエピソードではありませんし,読者の印象に残らないものかもしれません。でも二人にとってはそんな「いつも一緒にいて恋人のふりをする」という時間こそ,「いつも一緒いにいたい」を思わせる原動力となったのであれば,そんな何気ない当たり前の定期的な行動が彼らの恋愛感情を突き動かしたんだ,という古味先生なりの答えなのかなという気がしなくもありません。
ニセモノの恋ではじまった彼らの恋は,小野寺さんと楽の恋とは違います。僕は彼らの恋は「本物」になれたのでしょうが,それは小野寺さんと楽の間にあったものとは違う。そんな風に感じています。
また,古味先生が物語を書き換える,というのは「楽が絵本の結末を書き換えた」というのをなぞらえているともいえるのかもしれません。その結果,二人が結ばれたのであればある意味ハッピーエンドなのでしょう。きっとこれは相対的な視点だと思います。
春ちゃんと風ちゃんの会話からは,いい人が見つかったというよりも目指す道が見つかったという意味だと思います。小野寺さんが楽以外のどんな人物に幸せを見出すか分かりませんが,恋に区切りをつければまた新たなる人間の出会いがあると思います。そこは想像の世界でいいのではないでしょうか。
最後に,mickさんには感謝申し上げます。
mickさんのコメント示唆がなければきっとこの感想を最後まで続けることはできなかったでしょう。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
ポーラの動機がおっぱい...それは面白いかもしれませんね。シリコンなんてつまらないですからね(おい)
連載終了時期については推測しかできないのでなんともいえないです。本当はもうちょっと続けたかったのではないかという気がしなくも無いですけれどね。そこは永遠に謎でしょう。
ごく最近まで非情に丁寧に物語が積み重ねられてきたと思いますから,ある程度は計画的だったと思っています。例の色紙発表が9月でしたから,本当はその辺まで続く予定だったのではないか...などと思わなくも無いですけれど。
小野寺さんのケーキ,腕前は一人前になったと考えてよろしいのではないでしょうか。1万回に1回の奇跡に賭けるには結婚式は重すぎます。別の漫画になっちゃうよ! て感じで。きっと料理専門学校に進まれたんじゃないでしょうかね。本当の目的は別のところにあったのでしょうけれど(涙)
コメントありがとうございます。
まあ中身については感想のとおりでして,いろいろ納得しがたいところもありますが,結末は受け入れることは決めていましたので物語としての『ニセコイ』を受け止めたいと思います。
万里花の件については,読者代表みたいな形での答礼だと思っています。お見合いですから結ばれると決まったわけではありませんし,遊び心の一つだと思っています。他の万里花ファンは複雑な心境かもしれませんけれど,彼が『ニセコイ』という作品を盛り上げてくれたことは皆も認めるでしょうし,何より製作者が認めているのであればそれでよいかな,と思います。
ザクシャインラブについては,言葉として永遠の愛の約束をするのはもっともだと思います。二人の愛がこれから固まっていくわけですから。でも錠と鍵はなぜ用意する必要があったのか,よくわかりませんね。あれは「いつか再会したらこの中のものを取り出して,その時結婚しよう」というものですから(本来は)。形を整えたかっただけだと思いますし,そこはもうロジカルじゃない部分だと思いますので。
さて,僕は『ニセコイ』という物語を楽しんできましたし,その上で違う結末だったらもっと良かったのにとか,もっとこうしてくれたらよりよい物語になれただろうにという想いはあります。全肯定しているわけではないのですが,それでもここまで楽しませてくれた作品や製作者に対して否定的な態度はとりたくないと思うのですよ。楽しんだのは間違いないですから。
最初に述べたようにいろんな感想があろうかと思います。このコメント欄でご自身の「気分」を書かれる人もいらっしゃるかもしれませんが,同じく最初に述べたようにこれは「僕の感想」ですし,コメント欄は僕の感想に対する感想をいただければと思います。作品に対する感情のみをストレートに伝えられても,共感できる部分は共感し,できない部分は同意しない以上のことが僕にもできませんので。
そしてこんな拙い文章を読んでいただきありがとうございました。別の機会があるか分かりませんが,そう言っていただいて嬉しいです。
コメントありがとうございます。
僕は楽と千棘の恋の源泉は「ニセコイ」関係にある以上,二人の恋愛感情の原点はある種の「共同作業的なもの」を含むと解釈し,そこには「二人で何かを成し遂げる可能性」という意味を含めている。そんな風に捉えました。なので職業と言うの物はそこにかかわってくると思い,そういう解釈を感想に入れさせていただきました。前提条件を示さずに解釈だけ述べたのはよろしくなかったと思います。
むろん二人の関係はタスク(共同作業)に起因すると言う分析自体が間違っているかもしれませんが,僕はそう考えたということです。
無論,楽の心情にはだいまおーさんの仰られるような意味も込められていると思っています。僕もそんなに若くも無いですが,仰られていることは理解できます。
もう一点のコメントについて,小野寺さんに対する処遇は意図的に厳しく描かれていると思います。そのままではあんまりなので,春ちゃんの言葉を通じて「幸せ」ということにしてありますが,今回の描写から幸せは感じられませんでした。その点についても,同意いたします。
コメントありがとうございます。
こんな感想が皆さんの楽しみに寄与できたのであれば幸いです。
個人的には210話からの流れは好きで,第225話コクハクまでがピークだったと思います。そのあとの失恋は悲しいものでありましたが,美しくあり,小野寺さんの恋をしっかり描いてもらえたと思いました。
終盤の描写,列記されたようなことについては感想にも取り上げましたし,まあ今となってはどうにもならないことではあります。感想にも書きましたが,最後の描写を守り立てるための象徴としての「実らなかった本物の恋」として,小野寺さんと楽の恋のつながりは一切を絶たなければならなかったのでしょう。
それはそれだけ小野寺さんと楽の恋が「本物」として描かれてきたことの裏返しでもあります。だからこそ,僕を含め小野寺ファンの皆さんには過酷に感じるような最後になってしまいましたが。最後までフォローが入らなかったのも,ある意味このシーンを活かすためだったのかもしれませんが...。なまじロジックが見えるだけにつらいですね。
コメントどうもです。
まあ他の方のコメントにもありましたように,理屈ではなく感情で動く部分もあるよということなのでしょう。これは漫画であり,ラブコメですから,必ずしも描写の全てが説明されるわけではありません。ロジカルに描くといってもレポートや論文ではないのですから辻褄が合わない部分があって当然であると思います。仕方が無いですますには残念ですが,納得するしかないのでしょう。
小野寺さんの処遇については,意図的に楽とのつながりを断ち切るような形にしたのだと思います。ある意味「報いない」ことでそれを表現しようとしたのかもしれません。
物語が終わる今,「不安」という0757さんの発言の趣旨がよく見えませんが,小野寺さんはそんな不穏なことはしませんよー。本当に聖人みたいな精神力じゃなければできないことですけれど,そういうお人よし人なんだと描きたかったんだと思います。
小野寺さんにとっての「幸せ」は,言葉だけで語られているので読者はどのように幸せなのか分かりません。やりたいこと(パティシエ)が見つかり,それが幸せの中身なんだというならば,それを受け入れるしかないのでしょうけれどね。
コメントありがとうございます。
小野寺さんは実際には実在し得ないような,ある意味漫画的な一途で優しいヒロインでした。実際の女性は感情もありますし,場合によっては手が出るような人もいるかもしれません。そういう現実から逃避させてくれるような存在と言う意味では,僕が小野寺ファンになったのは必然かもしれませんね。ブログタイトル的に。
冗談はともかく,こんなブログ記事が『ニセコイ』を楽しむ一助になったのだとすれば,僕としては嬉しい限りです。
さて,作者は小野寺さんのことを嫌いだったのかというと,真相は分かりませんがそれ以外の要因があると思います。小野寺さんと楽の関係を絶ち,昔の恋としての象徴として終わらせる意図はあったと思います。彼女が両想いの相手として大きくなりすぎてしまったことが,作品の進行を困難にさせた部分もあったと思います。それ以外にも色々あると思いますが,そういった様々な思惑が今回の表現につながったのでしょう。
僕の妄想は描写から読み取った一つの解釈,物語の結末としてあったかもしれない一つの可能性に過ぎなかったわけですが,もしそんな未来が見れたら今ごろ別の感情を伴って物語を終えることができたとは思います。でも,結末が変われば別の方を応援していた人にとっては悲しい結果になったということですから,そこは視点の問題なんでしょうけれどね。
企画については,まあ適当に妄想しておいていただければ...来週のどこかで記事を上げると思います。