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重い脳梗塞で意識がない患者。
人工呼吸器で肺に酸素を送り、鼻から栄養チューブを入れて栄養を補給している。
回復の見込みはない。
しかし延命治療を停止することはできない。
…
これは2014年放映の「クローズアップ現代」で報告された実際の事例です。
超高齢化社会を迎えた今、このような「延命治療」は日本のいたるところで行われています。
なぜ、命を引き延ばすだけの過剰な延命治療が、終末医療の主要な選択肢になってしまっているのでしょうか。
ライフエンディングにおいて、より良い他の選択肢は存在しないのでしょうか。
本稿では「なぜ過剰な延命治療は止まらないのか」をテーマに、終末医療にまつわる問題と、その原因を考察します。
年金・医療を中心とする「社会保障費」が国の財政を圧迫しつつあり、現役世代の税負担がますます重くなってきた昨今、週刊誌やインターネットなどでは世代対立を煽るような言論を目にすることが珍しくありません。
いわく
「税負担が重くなるのは高齢者のせいだ」
「高齢者が医療にしがみつくから社会保障費が膨れ上がるのだ」
といったような意見です。
社会保障費が増大し、現役世代の税負担が重くなりつつあるのは事実です。しかし、それは本当に「高齢者が医療にしがみついている」ことが原因なのでしょうか。
参考になりそうなデータがあります。
「高齢者の健康に関する意識調査結果」という内閣府による意識調査です。
この図を見てみると、なんと91%もの人が「延命のみを目的とした医療は行わず,自然にまかせてほしい」と考えていることがわかります。
積極的な延命治療、つまり「少しでも延命できるよう,あらゆる医療をしてほしい」を選択したひとは全体で5.1%、80歳以上ではわずか4.3%に過ぎません。
つまり多くの高齢者たちは、過剰な延命治療など望んではいないのです。
しかもこの傾向は、年々強くなっています。以下のグラフは平成14年から24年までの、延命治療に関する考え方の推移です。「少しでも延命できるよう,あらゆる医療をしてほしい」 と答えたひとの割合は、この10年で約半数にまで減少しました。
これらのデータからは、「医療にしがみつく老人」というのが誤ったステレオタイプであることがわかります。高齢者はむしろ、過度な延命治療よりは自然で穏やかな最期を望んでいるのです。
それではなぜ、過剰な延命治療は現場に蔓延しているのでしょう。
「インフォームドコンセント」という言葉があります。直訳すると「説明を受けた上での同意」という意味で、患者の十分な理解と同意を得た上で医療行為を推し進めようという考え方です。
近年急速に広がっているこの概念は、終末医療の現場においても。重要なものとして認識されつつあります。
しかし、終末期においては、患者本人がはっきりとした意思表示をできることはむしろ稀な事例です。
患者のほとんどが高齢であり、意識を失っていることや、元々認知症などを患ってたなどの事例が極めて多いからです。
そういった場合、医療行為の説明を受け決断を下すのは、患者ではなく家族の役割になります。しかし多くの家族にとって、患者の死生観などわかりません。もの言わぬ患者を前にして、家族が延命にまつわる決断を下さなければならないのです。
そうした状況に陥ったとき、「延命処置は行わない」という決断を家族が下すのは、極めて多くの困難がつきまといます。
世間や親族に対する世間体もあります。「延命治療はしない」という選択肢を取れば、それが患者本人のことを心から考えた上での決断であっても、無責任な非難にさらされることもしばしばです。
医療者も、医学的な状況は説明してくれますが、「どうすればいいのか」については教えてくれません。
また施術によっては早めの決断を促されることもあります。
介護で疲れ切り、突然の容態急変にショックを受け、その上、時間制限まで設けられ「早く決断してください」と言われてしまったら…
おそらく、多くのひとはまともに考えることすらできません。
結果、多くは「無難」な選択肢、つまりとにかく命をつなぐ治療を選択します。91%の高齢者が「延命のみを目的とした医療は行わず,自然にまかせてほしい」と考えているにもかかわらず、です。
これがいま、終末医療の現場で生じている問題です。
ここには個々人の心情以上に、社会的な構造が横たわっています。
ここまでの議論で
・実際のところ延命のみを目的とした治療を望む高齢者は極めて少数派
・しかし終末期においては患者本人の意思表示が難しい
・倫理感や世間体を考えた家族が「延命治療の実施」を選ぶ
こういった構造ができあがっていることがわかりました。
では過度な延命治療を改め、患者本人の望むより良い看取りを目指すには、どのような方策がありうるのでしょうか。
個人として可能なのは、自分の終末期について普段から考え、自分の希望を家族や周囲と共有し続けることです。自分の人生の最期をどう過ごしたいのか。胃ろうなどの代表的な延命治療に対しどう考えるか。意識がなくなったらどうされたいか。そういったことを事前に考えておき、医療者や家族と共有することが肝心です。
こういった「看取りの事前準備」をすることは、延命治療に関する意思決定だけでなく、家族の心の準備という点でも大切なものです。グリーフケアにおいて「心の準備」のことを「予期悲観の実行」と呼びますが、悲しみから立ち直るうえで予期悲観が極めて重要であることは近年の研究からも明らかになっています。
しかし当然ながら「終末期」はある日突然やってきます。普通に生きていたらある日突然余命宣告を告げられた、という人がほとんどです。普段から考えようといっても、なかなかそれは難しい。「個人の心構え」だけで解決するには限度があります。
ならばやはり、社会全体で終末期について考えを深めていくことが必要でしょう。医療者だけでなく、宗教者や人文学者など、広い階層の人間たちがこの超高齢化社会の行く末について考えていかなければなりません。
私たちはどう生きるのか、どう生きるべきなのか、どう生きるのが幸福なのか。
「看取り」が国家的課題となってる今、こういった問いの重要度はますます上がっていきそうです。
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なぜ過度な延命治療は止まらないのか?