天皇の生前退位は必要か?――中東における君主権能の代替から

天皇に生前退位の意向があると、7月13日夜7時のNHKで第一報が流れた。

 

報道によれば、数年内に生前退位する意向を宮内庁の関係者に示しているとのことだ。しかし、同日夜に宮内庁の山本信一郎次長は「報道されたような事実は一切ない」と否定し、生前退位の検討をしていないと述べた。

 

宮内庁はなぜ、こうした反応をしたのだろうか。

 

前提として、現行の皇室典範では生前退位が認められていない。その理由として、宮内庁はこれまで、生前退位を認めることで天皇の意に反する退位や、天皇による恣意的な退位といった問題が発生する恐れがあると指摘してきた。(注)

 

(注)生前退位を巡る宮内庁の懸念の妥当性については、以下を参照。「中東君主国と「生前退位」問題」『WEDGE Infinity』2016年7月28日

 

そして、生前退位を認めなくても、摂政の設置や国事行為の臨時代行などの既定の措置により天皇の権能を代行させることで事足りるというのが従来からの宮内庁の立場である。

 

天皇の高齢化と公務の負担への対応についても、生前退位が唯一の解決法ではないだろう。実際に、7月13日の報道後も政府関係者は生前退位そのものの是非については言及せず、公務の負担を軽減することを検討する方向のコメントを出している。

 

その後、8月8日に天皇が「お気持ち」を表明するとの続報が出ているが、そこでどのような話をするにせよ、これを機に天皇制についての議論はさらに盛り上がりを見せるだろう。

 

天皇制のあり方については日本の伝統や現在の政治・社会状況、国民の意思をもとに検討すべきだろう。他方、諸外国の君主制の事例について知ることも議論を深めることに貢献できると筆者は考える。

 

本稿では、筆者の専門地域である中東の君主国を例に日本における天皇の権能の代替という問題について考えてみたい。

 

中東の君主国については、イギリスやオランダといったヨーロッパ諸国の君主国に比べると多くの日本人にとって馴染みがないと思われる。中東では日本やヨーロッパ諸国と異なり君主が統治者として強い政治的な権能を有している。そのため、君主が権限を十分に行使できなくなると、国政に支障を来たすことになる。

 

こうした点で日本と差異はあるものの、政治と日常的に密接につながる中東の君主制諸国では、君主の権能とその代替といった機微な問題について多くの先例を有している。天皇制のあり方について議論する際に、こうした中東の例から参照できる教訓は少なくないだろう。

 

 

多様な君主制

 

中東地域には、サウジアラビア、クウェイト、バハレーン、カタル、アラブ首長国連邦(UAE)、オマーン、ヨルダン、モロッコといった8カ国の君主制国家がある。一言に「中東」といっても、その政治体制のあり方は国によって違いがある。

 

君主が持つ権限についても、いずれにおいても君主が最終決定権を有する統治者として君臨していることに変わりはないが、日常の政務にどれだけ携わっているか、あるいは制度上携わることができるかは異なる。ここでは君主の行政面での権限の大小に着目して、3つに分類をしてみよう。

 

 

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●首相兼任型(サウジアラビア・オマーン)

 

もっとも君主の権限が強いのは、行政府の長である首相を兼任している体制だろう。サウジアラビアとオマーンがこれにあたる。この体制の場合、内閣の首班、閣僚の指名・任命、閣議の主宰なども君主の役割となる。

 

そのため政務全般に君主の権能を発揮でき、各閣僚に直接指示を出すことも期待されている。そして重要なことは、君主が新たに首相を任命しない限り、首相の交代も発生しない。そのことから、君主の地位同様首相の地位も終身が前提となる。

 

 

●首相非王族型(ヨルダン・モロッコ)

 

これとは反対に、君主の権限がもっとも弱いのは、首相の地位を非王族が占める体制となっている、ヨルダンとモロッコだろう。日常の政務に携わるのは非王族が占める内閣であることから、君主・王室が担う政務と内閣が担う政務は峻別されていると言えよう。

 

例えばヨルダンでは首相の指名・任命は国王の専権事項であるが、選挙によって選出された議会が内閣に不信任案を提出することが可能であり、これによって内閣が解散に追い込まれることもある。君主と行政府の担う役割が異なることから、君主は行政上の失政について内閣に責任を負わせることが容易となり、実際にヨルダンでは過去10年間で首相が7人交代している。

 

 

●首相王族型(クウェイト、バハレーン、カタル)

 

両者の中間にあたるのが、国王は首相を兼務しないものの、主要な王族が首相を担う体制である。クウェイト、バハレーン、カタルがこれにあたる。首相の指名・任命を君主が担うのは非王族が首相を占める体制と同様であるが、君主制の安定のため有力な王族が首相の座に就くことから、君主の一存でこれを頻繁に異動させることは君主制の不安定化につながる恐れがある。

 

たとえば、バハレーンでは、ハマド現国王の叔父にあたるハリーファが、前国王の治世下である1970年から首相の座を占め続けている。このように、政務において君主とは別の王族が大きな権限を持つようになるのがこの体制の特徴となる。

 

なお、UAEは、アブダビ首長国、ドバイ首長国など7首長国による連邦制を採っている。このため、国家元首にあたる連邦政府の大統領、そして行政府の長である首相についても、7首長から構成される最高評議会での議決によって任じられることになっている。しかし、大統領についてはアビダビ首長、首相についてはドバイ首長が終身で就くことが慣例化している。

 

 

だれが/どのように君主の権能を代替するのか

 

権限の大きさや関与の度合いは国によって異なるが、中東の君主国では君主が政務も担う。日本の天皇のように立憲君主制で政務に携わらない君主よりも、政務・公務の負担は大きいと見て良いだろう。それでは、こうした負担の大きい君主の権限は、だれが、どのように代行することになっているのだろうか。

 

 

●君主を代替できるサウジアラビア

 

まず、政務の面において君主が首相を兼任しているサウジアラビアでは、副首相がこれを代行することが認められている。同時に、国王としての公務についても勅令により皇太子が代理を務めることができると定められている。実際、サウジアラビアでは1995年から2005年の間、ファハド国王が脳卒中で倒れたため、アブドゥッラー皇太子兼副首相が全権を代行した。

 

そもそもサウジアラビアでは、国王が外遊に出たり休暇で不在にしたりする際に、副首相が閣議の主宰といった公務を代行することは珍しいことではない。

 

さらに、副首相も不在の際には、第二副首相がこれを代行する例もある。現在、サウジアラビアでは、副首相は皇太子、第二副首相は副皇太子が兼任する仕組みになっており、王位継承の順位に応じて政務・公務の代行が図られるような体制になっている。

 

このような体制の場合、君主の一時的な不在は大きな問題とならない。君主の権能全般について、皇太子などの王族に代替させることが、制度的にも慣習的にも定着しているからである。懸念すべきは、権力闘争により君主の意思に沿わない権限の代行が起きうることであるが、これは日本においては現実的な脅威ではないだろう。【次ページにつづく】

 

 

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