(cache) 従軍慰安婦
従軍慰安婦


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 平成4年に韓国の 「元従軍慰安婦」 文玉珠ムン・オクチュ が起こした、 「戦時郵便貯金の払い戻し請求訴訟」 別名 「下関裁判」 というのがあった。

 文玉珠は戦時中にビルマで 「 従軍慰安婦 」 をして貯めた 26,245円を郵便貯金にしていた。 その中から5,000円を朝鮮の実家に送ったが、敗戦後の混乱の中で貯金通帳を紛失してしまった。 昭和40年に貯金は失効した。 それを27年後の平成4年になって、貯金の払い戻しを国に要求したのである。 もちろん元慰安婦個人ができる裁判ではない。 その裏には、例によって、日本の威信失墜を図る国内の反日主義者たちがいた。 しかし、これは両刃の剣であった。

 なぜなら、戦時中の大卒の初任給が100円から150円の時代に、26,000円も貯金できたということ。 しかも、わずか2年半の間にこの大金を稼いだということ。 これらが裁判の過程で明らかになったからである。 つまり、文玉珠は毎月870円も貯金できたことになる。

 大東亜戦争陸軍給与令( 昭和18年 )によれば、最下級の2等兵の月給は7円50銭で、下士官である軍曹が23円~30円、戦地手当を含めると約2倍になったので、当時の兵士の収入を平均すると月額30円程度であった。 文玉珠は、お客である兵士の約30倍も稼いでいたわけである。

 この裁判の過程で、朝日新聞や反日主義者たちが意図していた 「 従軍慰安婦 」 = 「 強制連行された性奴隷 」 という図式が虚構であることが暴かれたのである。


 日本政府・日本軍が強制的に慰安婦にしたという 「 従軍慰安婦 」 が存在したと証明する資料はありません。
 例えば、2004年11月に最高裁棄却により敗訴が確定した 「 アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件 」 で、韓国人元慰安婦の原告の一人、文玉珠で分かります。
 ビルマで慰安婦をしていた 「 文玉珠 」 ( 朝鮮人 )は、 「 文原玉珠 」 名義で野戦郵便局に貯金をしていました。
 1965年の 「 日韓基本条約 」 締結後、韓国政府から文玉珠は自身の貯金を補償されなかったために、日本で訴訟を起こしました。
 文玉珠の貯金を調べたところ、 「 軍事郵便貯金原簿 」 というものが熊本貯金事務センターに残っていました。
 そして文玉珠は、慰安婦時代の約2年半の間に貯めた郵便貯金 「 2万6145円 」 を、平成4年( 1992年 )に日本の郵便局を訪れて返還要求をしました。
 文玉珠は、贅沢品を消費する生活をしながら、約2年半で2万6145円の軍事郵便貯金をし、貯金から5000円を朝鮮の大邱の実家に送金していました。
 大東亜戦争当時、陸軍大将の俸給は年間約6600円( 月給550円 )で、二等兵は年間約180円( 月給15円、含む戦地手当 )でした。
 1944年頃、九州の炭坑での朝鮮人の月収は150~180円で、巡査の月給は45円、大卒事務系初任給は75円でした。
 文玉珠は、わずか2年半で陸軍大将の4年分の年収、現在の貨幣価値で約6,000万円もの貯金 をしていました。
 つまり、文玉珠は、日本政府・日本軍に強制され慰安婦になったという、従軍慰安婦ではありません。

 ※ 当時の貨幣価値
  ・総理大臣月給 800円( 東条英機 )
  ・陸軍大将月給 550円
  ・大卒初任給 40円~100円
  ・一般日本兵月給 15~25円

 ━━ 絶対に越えられない壁 ━━
  ・慰安婦の月収 1000円~2000円( アメリカ軍の調書 )
  ・元慰安婦、文玉珠の2年3ヶ月の郵便貯金26,145円

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