映画七人の侍のラストについて
2014/9/702:41:31
ベストアンサーに選ばれた回答
ghh14652さん
2014/9/821:45:42
『七人の侍』の予告篇の冒頭のナレーションを文字にしました。
ある山間の小さな村に、侍の墓が四つ並んだ。
野心と功名に憑かれた狂気の時代に、まったく名利を顧みず、
哀れな百姓たちのために戦った、七人の侍の話。
彼らは無名のまま風のように去った。
しかし、彼らの優しい心と勇ましい行為は今なお美しく語り伝えられてる。
彼らこそ侍だ。
この文言は黒澤監督の作らしく、主題や狙いを表していると考えていいと思われます。
ここから侍たちが持つ”優しい心”で”哀れな百姓たちのために戦った”と読み取れます。(劇中随所に優しい心が画かれている)
映画の最後、村の娘たちが侍たちの前を会釈することなく素通りします。
墓は刀を差しただけの粗末な上に花が供えられることもなく、粗略に扱われていると画いるようです。
ここから侍たちは利用されただけで、野武士がいなくなれば用済みの邪魔者という雰囲気が伝わってきます。
侍がそんな冷たい扱いを受けても黙っている理由も画かれています。
映画の中盤、菊千代(三船敏郎)が落ち武者狩りで手に入れた刀や鎧を持って来ると、侍たちは殺された落ち武者を思い憮然とし、この村の奴らが斬りたくなったと怒っていました。
そのとき菊千代が、百姓ぐらい悪ずれした生き物はない。ケチん坊で狡くて泣き虫で意地悪で間抜けで人殺しだ。
だがそんなけだものを作ったのは、戦の度に村を焼き田畑を踏みつぶし食い物を取り上げ女をあさり手向かえば殺す侍だと言って、侍を糾弾していました。
それを聞いて怒っていた侍たちは黙り込んでいました。
最後勘兵衛(志村喬)が「今度もまた負け戦だったな、勝ったのはあの百姓たちだ」と言います。
それと先のナレーションに”まったく名利を顧みず”とあります。
名利とは名誉と利益です。
侍たちは、命懸けで哀れな百姓たちのために戦い死んだ者もいます。
それも先のナレーションにあるとおり優しい心からの純粋な人助けで、名誉や利益を求めたわけではありません。
それでも負けたと感じるのは、百姓たちに求め叶わなかった思いがあると考えられ、それが感謝の気持ちではないかと推測します。
例えば、侍たちの前を通るときの会釈とか、侍の墓に花が供えられているとかで満足する程度のものです。
その僅かな思いも叶わず役目が終われば邪魔者扱いされて傷つく、でもそれも先に書いた百姓をそんな身勝手で狡猾にした侍の身から出た錆といえ、やり場のない思いがあったと思われます。
以上から田植えを眺める侍たちの心境は、「今度もまた負け戦だったな」という言葉通りの敗北感、さらにその中身は自分たちは利用されただけだっというわびしさや空しさ、でもそれは自分たちの責任でもあるというやるせなさの混ざった思いだと解釈しました。(侍たちが見せていた優しい心がかえって痛い)
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2014/9/711:44:40
農民は昨日も今日も明日も、大地を耕し続け、作物を作り続ける。
一人一人の農民は弱そうに見えるが、その魂に火をつければ、鍬や鍬を武器にして雄々しく闘いに立ち上がる。そのたくましさに侍たちは打たれた。
その中で、菊千代を初めとして、四人の侍は倒れた。功名心のためでもなく、武士としての名誉のために倒れた。
田植えを行う農民のたくましさと、その向こうで亡くなった四人の武士の墓を示す四本の旗。
3人の侍たちにしてみれば「俺たちは生きている。しかし、名もなく、守るべき土地もない」という思いがあり、
だから、「勝ったのは、百姓たちだ。わしらではない」という管兵衛のセリフになったのでしょう。
2014/9/710:08:24
2014/9/709:53:14
2014/9/704:59:45
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