「現実対虚構」。つまりは日本対ゴジラ。圧倒的破壊神の前になすすべもない日本。虚構が現実へと変わる瞬間。だとすれば、現実化した虚構を打ち破るのは虚構化した現実しかなかろうが!
目次
『シン・ゴジラ』感想とイラスト 言われたとおり好きに書いたスポンサーリンク
作品データ
『シン・ゴジラ』2016年/日本/120分
総監督・脚本:庵野秀明
監督:樋口真嗣
撮影:山田康介
音楽:鷺巣詩郎
出演:長谷川博己/竹野内豊/石原さとみ/高良健吾
予告編動画
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解説
「新」であり、「真」でもあり、「神」かもしれず、となれば「鎮」でもあり、もちろん「心」でもあろう、現実の前に立ちはだかる虚構を描いたSFパニック・サスペンスです。っていうか我が国で製作された12年ぶりの『ゴジラ』だってば。総監督に『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明。監督・特技監督に『進撃の巨人』の樋口真嗣。主演は長谷川博己。共演に竹野内豊、石原さとみ、高良健吾など、以下総勢328名。ゴジラのモーションアクターには狂言師の野村萬斎を起用。
あらすじ
東京湾羽田沖で噴出した大量の水蒸気。それと連動するかのように発生した東京湾アクアラインのトンネル崩落事故。政府は海底火山や熱水噴出孔としての対応を進めるが、内閣官房副長官の矢口(長谷川博己)だけが巨大生物である可能性を指摘。矢口の指摘を総理以下閣僚は一笑に付するが、ほどなくして謎の巨大生物が海中から出現、多摩川河口から大田区内の呑川を遡上、蒲田に上陸して北上を始める。想定外の事態に対応が遅れる日本政府。逃げ惑う人々。無残にも破壊される東京の街。
短期間のうちに形態を変化させて立ちはだかる現実の街を蹂躙していく荒ぶる神。この絶望に対して必死に対峙し、事態打開を模索する人々。日本は、我々は、未曽有の災害、「ゴジラ」の進行を喰い止めることができるのだろうか……。
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感想と評価/ネタバレ有
体調不良で皆さまより1週間遅れとなりましたが、ようやっと『シン・ゴジラ』を鑑賞してまいりました。いつもの無駄な前置きは抜きにしてとりあえず結論から。傑作です。まごうことなき傑作です。現時点での本年度ベスト映画です!『ゴジラ』シリーズに思い入れはない。庵野秀明は『エヴァ』のテレビシリーズまでしか観ていない。樋口真嗣に至っては『進撃の巨人』でボロクソに叩きまくった。つまりはこの映画に対する期待値は思いのほか低かったということ。
庵野秀明が、『エヴァ』が好きでなければこの映画を真に楽しむことはできない。などという論調がまことしやかに流れておりましたが、そんなことはありませんよ!確かに癖は強いが、日本人による日本人のための日本らしい傑作だと思います!
というわけで公開から1週間も過ぎてしまったことですし、ぬけぬけとネタバレ全開でくだらない感想というか駄文を書き散らしてみたいと思います。未見の方は緊急退避してくださいね。ぬけぬけとネタバレしておりますよって。
爆笑会議映画
東京湾に突如として噴出した謎の潮吹き。12年ぶりの国産『ゴジラ』復活に歓喜した怪獣オタクのエクスタシーなのか?いやいやこれはついによみがえったゴジラ自身による挨拶がてらのオルガスム。これから始まる本番への前戯にしか過ぎません。何やら調子に乗って下ネタ三昧ですが、この『シン・ゴジラ』は三昧三昧会議三昧の史上まれに見る会議映画だったという事実をまずお伝えしておきます。これは『日本のいちばん長い日』へのオマージュらしいですが、未見なので比較はできません。
そのへんの考察はもっと見識の高い批評を参考にしてもらうとして、巨大不明生物、もといゴジラ出現によって繰り広げられる、狭い会議室を舞台とした専門用語やらなんやらの早口合戦。お喋りクソ野郎どもによる延々と続く会議のための会議。
これを退屈だと、つまらんと、何言ってるのか、何やってるのかわからんと憤慨される方々もおられるでしょう。ここがこの映画にハマるかどうかの分かれ道。いい塩梅にカリカチュアされたこの会議コントは絶妙にリアルでコミカルでスリリングです。
早口でまくしたられる専門用語の羅列。読み終わる前に消えていく無数の明朝体テロップ。せわしないカット割り。微妙な工夫を凝らしたアップの多用。「動くの?」。庵野総監督の確信犯的演出の妙に笑いをこらえきれなくなった者はもうドツボ。
いつ終わるやもしれぬ会議会議また会議、んでもって会議に、日本の国柄を見て情けないやらイラつくやら泣き笑いになるやら忙しいことこのうえありませんが、いつしかこの不毛な会議にも確かな力が宿っていることにあなたはきっと気づくはず。
名前や肩書は存在してもないに等しい、無数の個の知と苦と心が会議という場によって時間はかかってもひとつの集合体として、大きな力を発動していく日本人のファイティングスタイルにあふれ出る涙を抑えられないはず。ボクは抑えられなかった。
市井の人々をないがしろにした取捨選択に批判もおありでしょうが、未曽有の事態に立ち向かうのはやはり政府、自衛隊、その道のプロたち。しかし彼らとてヒーローではない。小さな個の集まりでしかない。その力の結集に日本の力を見て涙するの。
未来有事シミュレーション映画
この爆笑感涙会議の連発を引き起こした張本人、12年ぶりに我が国日本で復活を果たしたゴジラ。歩く原発ともいえる完全生物ゴジラは、もちろんあの東日本大震災を象徴しており、同時にこれから起こるやもしれぬ有事をも想起させます。つまりこれは東京を舞台とした近いか遠いかわからぬ未来に起こりうる、未曽有の災害・戦争シミュレーションというわけ。東京=現実に、ゴジラ=虚構が突如として攻め込んで来たら我々日本人はどう対処すべきなのか?できるのか?
これをひたすらリアルにシミュレートしたのがこの『シン・ゴジラ』。これに対する左右の過敏な反応はまるで『アメリカン・スナイパー』を見るようですが、この映画が描いているのはできることとできないこと、そしてやるべきこと。
日本国憲法のなかで、縦割り行政のなかで、まだるっこいシステムと精神性のなかで、日本が、我々日本人ができること、できないこと、やるべきことを緻密にひとつずつ、段階を追って描いていく。このリアルな虚構に正直舌を巻いた。
この映画を観てしまうと、当時は散々に叩きまくった東日本大震災時の民主党政権をちょっと擁護したくなってくるからあら不思議。彼らは彼らで、初めて遭遇した未曽有の大惨事から日本を救おうと、最善の、最大限の努力をしていたのではないか?
その結果は問われてしかるべきであるが、誰もが初めて体験する緊急事態。前例のない手探り状態のなか、わずかな情報と差し迫った時間のなかで、日本を救おうと奮闘していたのではないか?そう信じたい。そうであってほしい。この映画のように。
お仕事映画
予期せぬ未曽有の大惨事に運悪く遭遇し、この日本を救おうと不眠不休の仕事を続ける働きマンたち。しかし彼らは誰ひとりヒーローとして突出しようとはしません。あくまで大きな群れの一員としての存在にとどまり続けます。「仕事ですから」。そう、お仕事なのです。自分のいる場所で、与えられたポジションで、最高の仕事を、最大の結果を生み出そうと、スタンドプレイでホームランを打とうとするのではなく、地味な小技で細かく得点を稼いでいく働きマンたち。
清宮のような超高校級スラッガーはいないが、つなぐ野球で愚直に勝利を収める伝統的高校野球チームのよう。確かに目に見える派手な活躍、ドラマはないかもしれないが、映されないもの、見えないものにこそ価値があるときもある。
ボクは犠牲バントという伝統的甲子園野球を支持する人間ではありませんが、これにはある種の日本的精神性が込められているのかもしれない。そんな日本人の心を怪獣映画へと取り込んできた庵野総監督の狙いに、ボクの涙腺は完全崩壊しました。
地味な仕事を誠実に、愚直に遂行していく過程でほんのちょっとだけチラ見せしてくる、彼らの人生と人間性。いけ好かない野郎、無能なダメ人間だと思っていた人物が見せる、正義と決断とやさしさ。徹底した仕事映画の裏側に透けて見えるドラマ性。
昨今の悪しき日本映画のようなドブ臭い感傷的ドラマは確かに存在していない。しかしここには仕事に徹する人間たちの奥ゆかしいドラマが鮮烈なまでに刻まれている。家族が、想いが、悲鳴が、勇気が、安堵の笑みが刻まれているのです。
泣く泣く箇条書き
このままのペースでいくと恐ろしいまでの長文となり、いつまでたってもこの感想記事が完成しないかもしれない恐怖に直面し、泣く泣くここからは箇条書きに。言葉足らずになるやもしれませぬが、そこはどうぞご容赦ください。- 我々の固定観念をぶち壊し、まさに新たな『シン・ゴジラ』伝説を切り開くためのアイデア。進化するゴジラというギミックに壊れるまで膝をぶっ叩いてしまった!特に「あの津波」を想起させる第二形態のインパクトには悶絶!
- ギミックといえば放射熱線!これにはションベンちびりまくりだ!
- ゴジラのあの心がない死んだ人間のような目。さまざまな災厄の象徴であり、意思疎通不能な圧倒的他者でもあった。ぬお!サイコパス映画だったか!
- 細部にまでこだわった圧倒的破壊描写!電柱が!屋根瓦がいいの!
- まさに原発事故そのものとして日本に冷却保存されるゴジラ。虚構的現実。いや、現実的虚構。どっちだ?
- 「この機を逃すな!無人在来線爆弾、全機投入!」
- シキシマ兄さんの呪縛を振り払った長谷川博己の好演!「凄い…」の一言が凄い!祈り!走り!そして胸熱の演説!見直したぜ兄さん!
- 石原さとみ!これってツンデレだろ!ツンデレ!気づけよ矢口!
- 片桐はいりさん!ボクにもお茶を!日本の心を!ささやかな癒しを!
- 明確に感じた押井守の『パト1』『パト2』からの影響。すでにこの世にはいない事件の全貌を知る者が引き起こしたと思われる、東京を舞台とした仮想有事シミュレーション。傑作のいいとこ取りって卑怯だけど参ったよ!
ラストの「あれ」
最後にひとつラストの「あれ」について。さまざまな憶測を呼ぶであろうゴジラの尻尾。あれを次作への伏線と見るか?ゴジラの次なる進化と見るか?牧教授の成れの果てと見るか?解答へと至るヒントが少なすぎてどうにも判断つきかねます。そんななかでのボクなりの解答、感想を書かさせていただきますと、あれは初代『ゴジラ』の遺志を引き継いだ記憶に新しいかの災厄、そして今回の『シン・ゴジラ』によって無残にも犠牲になった人々の怨嗟のモニュメントではなかろうかと。
そういうあまたの犠牲者の上に成り立った今の日本。彼らの悲劇を、無念を、犠牲を忘れず、「スクラップ&ビルド」の精神で「頑張ろう日本!」だったのではなかろうかと。言葉の是非はあるかとも思いますが、くじけず、諦めず、前を向こうと。
最大限に割愛したつもりですが、結局かなりの長文となってしまった『シン・ゴジラ』の感想、これにて終了であります。これでようやくほかのネタバレ感想も読めるので、自分の大きく足りない欠陥を補填してまいりましょう。
そしておそらく、いや絶対に、もう一度劇場へと足を運ぶことでありましょう。
個人的評価:9/10点
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