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2008-06-28

女はそこにはいない。女はどこにもいない。

アニメヒロインが淫乱だったら放送出来ないんじゃね? - 煩悩是道場


「処女」でなければいきなり「淫乱」とは。それはいったいどういう二択か。

コメント欄では非処女はいるのでは?という指摘もあったが、アニメヒロインとなると処女が前提となっていることが多いと思う。そもそもヒロインの平均年齢が低い。大概ローティーンだ。その年代なら現実でも処女が多いので、設定に無理が生じない。アニメ受容者の同世代の女子に感情移入しやすくするためという理由もあるだろうが、それだけだろうか。


「処女」とは、セックスに関して体験的に無知であるという事実を示すだけの言葉である。一方、オタクがアニメヒロインに求める属性として、一途さ、純粋さ、ひたむきさというものがあるという。それらは、「処女性」と呼ばれている(参照:処女のヒロインは好きですか? - ネットの片隅で適当なこと書く人のブログ

一途さや純粋さやひたむきさは、処女に特化される属性ではない。少年でもおじさんでも大人の女性でも、そうした属性は持ちうるはずだ。なのに、一途、純粋、ひたむきと言えばいいところを、わざわざ「処女性」と言わねばならないのはなぜか。多くのアニメで、一途さや純粋さやひたむきさが「処女」だけの属性として描かれているから、だけではないだろう。性的に無知という属性が「処女性」の中心にあり、それを男性が求めているからだろう。


p_shirokumaさんのブコメの指摘にもあったが、アメコミでは伝統的にアマゾネス系(女傑タイプ)が好まれてきた。『ワンダーウーマン』や『バットマン』の「キャットウーマン」に代表される、セクシーでアグレッシブな成熟した女性だ。

これはハリウッド映画に受け継がれており、敵と死闘を繰り広げる英雄的なヒロイン(『エイリアン』のリプリーシガニー・ウィーバー、『バイオハザード』のアリス=ミラ・ジョヴォビッチ、『トゥームレイダー』のララ=アンジェリーナ・ジョリーなど)が続々登場した。いずれも女傑タイプの成年女性として描かれている。

しかし日本のアニメを見ると、古くは『風の谷のナウシカ』だって、ヒロインたるナウシカはどう見ても、まだ恋愛やセックスを体験していない処女だ。対する悪役のクシャナは年齢的に大人であり、たとえセックス未体験だったとしても、義手をカチャリと外して「我が夫となるものは、更におぞましきものを見るであろう」なんてセックスを連想させる台詞を吐いている。


斎藤美奈子著『紅一点論』によれば、ナウシカ/クシャナの原型は、『ルパン3世 カリオストロの城』のクラリス峰不二子である。一方は言わば聖少女、一方は酸いも甘いも噛み分けた大人の女。峰不二子は「ワンダーウーマン」の末裔として、その「お色気」で男性を悩殺したが、ヒロインは前者であり、その後の多くのアニメヒロインは「少女性」「処女性」によって人気を得ている。

90年代以降の欧米では、日本のアニメ人気の影響もあって、少女が活躍するアニメも多く作られているようだが、性的コードに対して厳しい規制が設けられており、日本のアニメTV放映(たとえば『セーラームーン』の変身シーンなど)はかなり制限されているらしい。


斎藤環は『戦闘美少女の精神分析』の序章で、「日本人のロリータ志向」という解釈を退けた上でこう書いている。

 こうした前提のうえで、あらためて見えてきた特質がいくつかある。それは「戦闘する」少女たちの「人格」である。欧米圏のそれは「ガール」であれ「ウーマン」であれ、性格も男勝り、体格もしばしば筋肉質の女性であることが多く、基本的には「女性の肉体をもった男性」あるいはマッチョのパロディとしての女性であることが圧倒的に多い。これらの大部分は、明らかにフェミニズムの政治性という土壌から発生した人物造形である。

 これに比して、日本の闘う美少女たちの場合はかなり異質である。『ナウシカ』あるいは『セーラームーン』に顕著であるように、そこには無垢や可憐さなどの「少女性」(必ずしも「処女性」とイコールではないが)が、ほぼ完全な状態で維持されている。そこでは受容のされ方も明らかに異なる。日本の「闘う美少女たち」は本来の対象層であるローティーンまでの少女たちが同一化するためのイコンであった。しかしいまや、これを上回りかねない規模の消費集団が存在する。それがおたくだ。少なくとも男性のおたくの大部分は、これらの少女たちをセクシュアリティの対象物とみなしている。


本書では、「戦闘美少女」が虚構的存在である(「ファリックマザー」から転じて「ファリックガール」としていた)からこそ、そこにセクシュアリティを差し向けることが可能になる、といったことが書かれているが、「非戦闘美少女」への嗜好や「処女性」へのこだわりについては、本論と外れるためか明確に説明されていない。


ちなみにオタクの「処女性」嗜好について議論をしているAntiSepticさんはこの記事の最後で、「リアルと妄想の間で、そんなに簡単にスイッチ出来んのかよ。出来ゃしねーだろ」と書いているが、スイッチできるらしい。以下『「性愛」格差論 萌えとモテの間で』(斎藤環×酒井順子中公新書ラクレ、2006)のp.79〜80より。

斎藤 一部向かっている人がいるのは事実ですけれども、それが決してすべてではないということです。たしかに、おたくの趣味って、外から見れば単なるペドファイル(小児性愛)、ロリコンに見える。ペドファイルは犯罪志向が強いわけですけれども、しかし、おたくは虚構空間と実生活の区分けをしています。そうじゃなかったら社会生活を営みえない。おたくの性犯罪率はきわめて低いのです(以下略)。


で、AntiSepticさんはコメント欄で、(スイッチできたとしても)「底に抱えている女性観の幼稚さには呆れ返る」と言うのだが、そもそも子供向けアニメに登場する少女に「萌え」たり彼女達と「恋愛」できること自体は、人の性の多形倒錯の一つに過ぎない。

重要なのはセクシャリティ=性的欲望のかたちが往々にして、男女非対称であるということだ。女性の童貞礼賛はあまり聞いたことがないが、虚構空間に限らず男性の処女礼賛は昔からあった。だが、そうした志向がアニメヒロインに「処女性」を求めるオタクにあるからといって、今更「差別的だ」と糾弾してもどうなるものでもない。もう、そういうものなのだ。*1


男性の女性に付与するキャライメージは、女性の男性に付与するそれより、はるかに豊富である。男性はありとあらゆるタイプの「女」(聖女から悪女まで、処女からファイティング・ウーマンまで)を想像、創造してきた。それぞれの「女」が細部においていかに異なるか、それを男性は語ってきた(アニメキャラを対象にしているのがオタクだ)。

このキャラクター創造の欲望の強さにおいて、歴史的に女性は男性に及ばないのではないかと思う。斎藤環が『心理学化する社会』(PHPエディターズ・グループ、2003)でオタクは「キャラ萌え」、腐女子は「位相萌え」だとしているのも、そうした男女の非対称性を踏まえてのことである。


その一方で男性は「女は謎である」とした。そりゃそうなるだろう。どのキャラも想像上のものなのだから、現実に当てはめたって無理が出るだろう。むしろ「謎めいていてほしい」のではないか。欲望を維持するために。

もっとも現実の女性も、男性の創造した「女」を、時と場合に応じて身に纏うくらいのことは普通にしてきた。勝手に妄想しててよ、こっちもせいぜい利用させてもらうから、ということで。

では「本当の私」であるところの「真の女」が、そのキャラのベールの下にいるのだろうか。

いや。女はそこにはいない。女はどこにもいない。



●関連記事

「男」という病、「女」という病

*1:たとえば、松任谷由実が昔『魔法のくすり』で歌った「♪男はいつも最初の恋人になりたがり、女はいつも最後の愛人でいたいの」という凡庸な歌詞の"説得力"。

ようこようこ 2008/06/29 02:18 また謎が浮かびました。もわわん。
アニメじゃなくて漫画の話なんですけど。
男性向けアニメの基本はうる星やつら系だと思うのですよ。
処女らしきでも積極的な女性がヨメとして押しかけてくる系。そのまわりにはおとなしい清楚系とオレボク元気系と隣のお姉さん(非処女ぽい)系がいるみたいなヒナガタ。
さて、それに対して最近の女児向け漫画の非処女っぷりはなんでしょう。
一時騒がれた『少女コミック』に代表されるような、つきあってるんだからローティーンでもやっちゃうの当たり前じゃん系から痴漢系アオカン系と、なんか少年誌化してるのは何故。
何の魂胆でどっちへ向かいたいの←これが謎
漫画やアニメが若者に影響を与えるなら、どちらも足並み揃えて「非処女なんて廃品」か「イマドキ未経験ってダセェ」のどちらかにしたほうが合致しますよね←これも謎
自称アニオタの友人に聞いたのですが、昨今はセーラームーンのように幼稚園児向けじゃないのか?っていう作品でもそれらしきシーンはあるそうですね。
どうやら裸らしきシーツに隠れた身体の2人に朝の光が射してみたいな遠回し表現ではあるらしいですけど。
ところで、最近は知らないのですが5〜10年前はチャットで童貞礼賛の人をわりと見ました。
20代後半から30代前半の非処女女性のようでしたね。
相手は、ボクの童貞を捧げるにふさわしい「そこそこ美人」を探しているらしき20代前半童貞のようでした。
10年前はヤラハタとかいう言葉があったので20代前半は男子としては遅咲きだったので。
だいたいオープンのチャットで知り合ってオフってやっちゃうんですけど、その組み合わせに私が見たのは「女って初めての人は忘れないっていうじゃん」という夢と希望と憧れの男女逆版。
なんか、女性側が必死で自分を誰かの大事なメモリアルにとどめようとしているように感じました。
で、まぁだいたいオフってやっちゃったら最後はモメちゃうのでチャットルームが閉鎖になるか、その人たちが出入り禁止になるかでしたね。
そういう人たちは日本中をものすごい勢いで移動して逢引するので、「ち○こま○こ行脚」と呼んだりしてみてました。
(やっぱ○で伏せたほうがいいんですよね。伏せたから変わるもんでなし○にする意味があるのかわかんないけど)
なんか生々しい話ですけど、童貞礼賛はあるよっていう例をあげたかったのと、あとたぶんこれって、漫画・アニメが目指している何かと合致している気がするのです。何かって何だ←それも謎

餡 2008/06/29 11:44 >女はどこにもいない。
あはは、当たりだと思います。 どこにもいませんでした。
居るフリをする女性も稀にいますけど、探してみたら居ませんでした。
なんだよ、居るフリをしたから釣られて気合を入れて探したってのに。

男がやたらと処女性に拘るのって処女と付き合うことのデメリットを
知らないだけだと思いますよ。 単純にそれだけです。

ミーム吉田ミーム吉田 2008/06/29 18:25 実際にやったやらないとかの話はともかく、「一途さや純粋さやひたむきさ」以上に、古来からの巫女的な能力だとかスピリチュアル系の話に見られる「処女ゆえの超能力」(神との婚姻が可能だから特殊能力が得られる/男と交わるとその能力がなくなる)、みたいな神聖性と結びつきやすいというのはあろうかと。もっといえば初潮前の女性でしょうか。(生理中を不浄期間とするとかも同様で)
男を知ってはじめて「女」になる、つまり処女=女ではない存在だからこそ神格化できるということで。
男性支配社会において男に媚びたり男のいいなりになるような存在では神格化できないという意識が、米国ではマッチョウーマン(男性化)、日本では処女(非女性化)で神話化し、それが現在のアニメ等にも踏襲されてきたと考えますが。
(現代のアニメ等では、かわいいのに男勝りの腕力あるいは超能力を持つ爽快さを併せ持つギャップを楽しむ和洋混合系になっている)
男も初体験して初めて皮がむけるとか明確な目印があればそれなりに貴重視されていたかな?とも思ったけど、精通前から男は女(エロ)好きだから、やっぱ神格化できないだろうな〜とか。

なにもわかってないなにもわかってない 2008/06/29 18:27 石橋貴明の名言
『終わったら帰れよ』と『処女』を結び付けていみよう。

同人はつまらない同人はつまらない 2008/06/29 18:30 アニメの次は同人誌。
で、その内容は?

上の状態そのもの。

ぽちぽち 2008/06/29 18:34 >餡さん

>男がやたらと処女性に拘るのって処女と付き合うことのデメリットを
>知らないだけだと思いますよ。 単純にそれだけです。

おいらは生殖戦略の歪んだ(?)適応化だと思うけどなぁ>処女崇拝
数打てば当たる方式(夜這いとか乱交とか一夫多妻とか)が社会から駄目だし喰らって
自分の遺伝子を残そうとしたら、他の雄に手をつけられてない雌の方が確率が高そうだって
判断からきてるんだと思うんだけど・・・

餡 2008/06/29 19:21 >ぽちさん
だからその判断をする事のデメリットを知らないんでしょう?

ki2nekoki2neko 2008/06/29 20:37 別に私彼女が過去だれとつきあってきたとか気にしないけどなあ。いい年して恋愛未体験とかなんか性格に問題あるんじゃねーのと思うし、処女道程がはじめてつきあってそのまま結婚とかリスク高杉っしょ。お互い、相手が不能だったらどうするの? それで子孫残さず人生終わるの? そんな価値観は明治維新以降の新しい価値観ですよ。

ohnosakikoohnosakiko 2008/06/29 21:47 まとめてレスで失礼します。

>ようこさん
>最近の女児向け漫画の非処女っぷりはなんでしょう。

ああこれ私も気になってます。あまり詳しくないんですが、ヒロインが痴漢にレイプされて恋愛感情を抱くとかね。まるでスポーツ新聞の三文エロ小説(そんなもの今もあるのか)みたいなノリで。

>5〜10年前はチャットで童貞礼賛の人をわりと見ました。

一部にはあるだろうと思います。
ただ私の書いたのは、全体的な傾向としての男女の違いです。これが逆転でもすれば、また考え方も変わってくるかもしれませんが‥‥(ちょっと考えてみます)。


>餡さん
>男がやたらと処女性に拘るのって処女と付き合うことのデメリットを
知らないだけだと思いますよ。 単純にそれだけです。

虚構の中では都合のいいように設定できるので、デメリットはないんでしょうね。こだわりをそのまま現実に持ち込むと困ったことになるかもしれませんが、別に処女、非処女と、デメリットとの相関関係は必ずしもないのでは。処女と付き合うことのデメリットって何ですか? 


>ミーム吉田さん
>古来からの巫女的な能力だとかスピリチュアル系の話に見られる「処女ゆえの超能力」

「処女」に聖性が付与されるような話は昔からありますね。マリアの処女懐胎に始まって。そこには、性交や性欲、それらを喚起する女を「邪なるもの」とする規範があるように思います。


>なにもわかってないさん
すみません、よくわからないので、できましたらもう少し説明をお願いしたいです。書き捨てなら別にいいです。


>同人はつまらないさん
そうですか。


>ぽちさん
横レスすみません。
>自分の遺伝子を残そうとしたら、他の雄に手をつけられてない雌の方が確率が高そうだって判断

乱交状態でもない限り、既に性経験のある雌相手でも、遺伝子を残せる確率は変わらないと思いますが。


>ki2nekoさん
>処女道程がはじめてつきあってそのまま結婚とかリスク高杉っしょ。お互い、相手が不能だったらどうするの? それで子孫残さず人生終わるの? 

子孫を残すためにのみ結婚したのだったら、離婚しかないんじゃないでしょうか。

>そんな価値観は明治維新以降の新しい価値観ですよ。

ん? むしろ「子孫残さず人生終わる」が前近代的価値観なのでは?

餡 2008/06/29 22:18 >Ohnoさん
“初めて自分が体を許した男”という特別なタグを付けられるとか、
自分の性行為が今後全ての男性の判断基準にされてしまうとかですかね。
本能的な行動をする時ぐらいはそういう複雑な事は忘れたい。

そして、処女相手だと相手から絶対に『ヘタクソ!』とは言われない
はずなので心が傷付きやすい人はそれが都合がいいのかもしれません。
…私は言われたいけどなあ。

takisawatakisawa 2008/06/29 23:14 http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070521#1179750210

ohnosakikoohnosakiko 2008/06/30 15:29 >餡さん、瀧澤さん
了解しました。
「“初めて自分が体を許した男”という特別なタグを付け」る女性なんか今時いないだろうと思ってましたが、いるみたいですね。

諸々の理由で、普通の男性は処女と付き合うのは気が重いことが多いと。
そのことと、虚構の中で「処女性」を重要視することとは、両立するんですね。

p_shirokumap_shirokuma 2008/07/05 00:17 すいません、こちらの配慮不足もあって、ご迷惑をおかけしてしまったかもしれません。まだきちんと言及していない段階で言うのもなんですが、何か、変な火の粉をふりかけてしまった可能性があったように思え、申し訳なく思っています。失礼いたしました。

ohnosakikoohnosakiko 2008/07/05 00:34 >p_shirokumaさん
わざわざどうもです。
ブコメのcrowserpentさんの批判が今ひとつピンと来なかっただけです。
記事での言及のされ方を特に迷惑とは思っていませんので、どうぞご心配なく。

とおりすがりとおりすがり 2008/07/07 22:26 >男性向けアニメの基本はうる星やつら系だと思うのですよ。
「めぞん一刻」の立場はどーなる。w

nucnuc 2008/07/08 21:00 少し違う意味でしょうが、芥川は「処女」と「処女らしさ」という言葉を使っておりましたね。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html
> 勿論処女らしさ崇拝は処女崇拝以外のものである。この二つを同義語とするものは恐らく女人の俳優的才能を余りに軽々に見ているものであろう。

ohnosakikoohnosakiko 2008/07/09 18:27
>とおりすがりさん

積極的な処女より、鈍感な美人(非処女)ということですか。

nucさん、はじめまして。
処女崇拝を批判した上での文学者らしい言ですね。

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