刑法第222条に規定される行為を為すには、表現活動と表裏一体で言論活動の一環として行われるのが通例である。、言葉を発する、文字を書き文章に組み立てる、一連の思索によって意味を組み立て意味ある物を用意する作る、などは憲法第21条表現の自由規定の「その他一切の表現」に該たる行為である。
脅迫文言あるいは態度などによる害悪告知が人を畏怖させるに足りる害悪の告知といえるかどうかの判断にあたっては、脅迫罪が言論による犯罪であるということから慎重な認定がされるべきである。日常の生活での社会的相当行為として認められるある程度の他人の意思を制したり排したりする行為、立場上の不利益を説いて説得する行為や、取引社会での債務の弁済をしなければ将来の取引を停止する旨の通告、力関係や立場を利用して相手を制する行為は日常茶飯事で、単なる警告や戯言や放言に大言壮語やいやがらせなどから脅迫行為の可罰性を画し、どの程度のものから構成要件に該当する行為となるかについては判断は具体的事情の下に、四囲の状況を客観的に考慮してなされる必要がある。
行為の外形にとらわれることなく、それが為されるに至った経緯、それが為された時の四囲の状況が総合的に判断される必要があり(東京高判昭和36年11月20日下級裁判所刑事裁判例集3巻11=12号993項)、
以前の経緯など前後の具体的状況に照らして人を畏怖させるに足りず、相手方の事情からすると畏怖させるに足りない言辞であった云わなくてはならない(東京高判昭和33年6月28日東京高等裁判所判決時報9巻6号169項、盛岡地判昭和43年8月21日下級裁判所刑事裁判例集10巻8号862項)。
しかも相手方に威迫感ないし恐怖感を抱かしめたとしても、この言動のみをとらえて身体へ暴力を加える意思の表示とは認められず、畏怖させるに足りる害悪の告知とは云えない(福岡地判昭和34年2月20日下級裁判所1巻2号428項)。
諸般の状況から一時の興奮に駆られて、売り言葉に買い言葉としてエスカレートしていったものである(金沢地判昭和41年10月15日判時475巻65項)。
さらには畏怖させる意思を必要であるとする趣旨にも思われるが当時の具体的状況から相手方を畏怖させるに足りる害悪の告知としか云えず(岐阜地判御嶽支部昭和34年7月30日下集1巻7号1718項)、
たまたま相手方の自由意思を拘束するに足りる文言が使用されても、その拘束の度合い等も考慮して違法性が阻却される場合がある(仙台高裁秋田支部判決昭和47年1月27日刑事裁判月報4巻1号35項)。
つまり人を畏怖させるには足りない警告の意味で行ったもの(広島高松江支部判昭25年7月3日高裁刑集3巻2号247貢)
であるので、刑法222条に該当せず、これを取り締まることは憲法21条に違反している。(以上、大コンメンタール刑法第二編32章303、322以下より)
0 件のコメント:
コメントを投稿