webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 を斬る



2016.07.19
おまけ 2 ― 在日朝鮮人がよく言う 「 日本軍兵士は慰安婦から惨状を聞いていたのだから、 『日本は事実を知らなかった』という主張はおかしい。慰安婦の惨状を知っていて放置した日帝 は有罪 」 を斬る

   個人的な好みから個人的に朝鮮人女衒とつるんだ日本軍兵士を除けば、
   基本的に日本軍兵士は、女衒が売春する気のない娘を拉致・誘拐したり、
   甘言を用いて騙したり、親に金を渡した買ったりしていたと知らない、

 というコチラ側の主張に対して、

 「 慰安婦の移送に関わった兵士や客として慰安婦と接した兵士、
  あるいは性病や妊娠を検査した医師などに対して
  騙されて(或いは銃や剣で脅されて)連れて来られた可哀想慰安婦が
  身の上を訴えなかったとは考えられない

  したがって、

   個人的な好みから個人的に朝鮮人女衒とつるんだ日本軍兵士を除けば、
   基本的に日本軍兵士は、女衒が売春する気のない娘を拉致・誘拐したり、
   甘言を用いて騙したり、親に金を渡した買ったりしていたと知らない、

 という弁明は詭弁であり、通用しない 」

 というサヨクの反論を散見するようですが、この点に関しては、別のページで詳しく解説させて頂いて おります。

   妄言の根拠をブッタ斬る!

   2012年12月13日 Transnational History
   ■[資料][慰安婦]日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
   http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213

   http://keibow001.dousetsu.com/page108.html

 をご覧ください。

 本人が
 「 私は騙されて(脅されて無理やり) 此処に連れて来られたんだ。
  帰りたいから帰る!」
 と主張したところで、もし、バックグラウンドで親や夫が多額の金銭を受け取っていたのだとしたら、そ の金を弁済しない事には帰ることができません。

 もちろん、人身売買は当時でも犯罪でしたから、人身売買だと証明できれば借金を無効にすることは 出来たでしょう。 しかし、仕事の内容と報酬が明記された契約書に親や夫が署名している以上、もし かしたら働かずに借金を棒引きにする為に嘘を吐いている可能性がある慰安婦の訴えだけで、安易
 「 よしわかった。 帰って良し 」
 なんて返事は出来ません。

 かといって、本国(日本や朝鮮半島)で交わされた契約が不適切であったかどうかを調べるなんて手 間は掛けられません。

 なぜって? 戦争の真っ最中だからです。

 嘘を言って仕事をしないで済ませようとしている可能性が濃厚な売春婦の為に貴重な労力を割くなん てバカな真似はできません。

 さらにいえば、基本的に売春婦は嘘を吐きます。

 - - http://keibow001.dousetsu.com/page108.html からのコピペ此処から - - - - - - - - - -

   騙された女性は本当に気の毒だが、なかにはこんな話もある。
   「 『従軍看護婦募集』 と騙されて慰安婦にされた。 私は高等女学校出身なのに 」
   と、兵士や下士官を涙で騙して既定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。
   また、それを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。

 これは、月刊WiLL (ウィル) 2014年11月号増刊 『歴史の偽造!朝日新聞と「従軍慰安婦」 』 の記事 で、故 小野田寛郎氏の 『 「 従軍慰安婦 」 の正体  「性奴隷」などどこにもいなかった 』 の59ページ に書かれている文章ですが、若い頃に普通に風俗通いした経験のある私もそう 思います。

 今だと「 おとうさんの会社が倒産して 」 とか、「 友人の連帯保証人になってしまって 」 とか、外国人 パブなんかだと 「 祖国に居る病気の弟に手術を受けさせたくて 」 なんてバリエーションがあります が、 当時は、本土の大きな工場が空襲で一夜にして燃えカスになることが珍しくありませんから、「 お とうさんの会社が倒産して 」 では同情して貰えません。 本土では皇軍の勝利を信じて飯を焚く鍋まで 供出 していましたから、「 友人の連帯保証人になってしまって 」 なんてのも、大した同情を引けるネタ にはならないでしょう。 最後の 「 祖国に居る病気の弟に手術を受けさせたくて 」 に至っては、抗生物 質さ えなかった時代ですから、通る嘘ではありません。
 そうなると、消去法で 「 私は騙されて此処に来た 」 位しか騙すネタがないんです。

 サヨクの中の人に言わせると、「証言の内容が似ているから事実」 ってトンデモ理論が炸裂するんで すけど、もっと単純に、当時はそれ位しか同情を買わせるネタがなかっただけでしかありません。 他 にもっと悲惨でソレらしいネタがあったら、そっちを使ったと思います。

 - - - - - - - - - - http://keibow001.dousetsu.com/page108.html からのコピペ此処まで - -

 そして、もっといえば、そもそも朝鮮人は息を吐く様に嘘を吐く民族です。

 - - http://keibow001.dousetsu.com/page108.html からの再引用此処から - - - - - - - - - -

   デスイクトップ2ch
   なぜ韓国人は証言を捏造するのか 偽証罪は日本の427倍、誣告罪は542倍
   http://desktop2ch.tv/dqnplus/1286807971/
   > 韓国では、詐欺や横領、背任のように他人をだます犯罪や、自分の任務を全うできず他人に
   > 財産上の損害を与えるといった犯罪が、毎年平均20万件以上発生している。
   > 最近、法務部が国会に提出した資料によると、2008年の1年間に詐欺20万5140件、
   > 横領2万6750件、背任5135件など、計23万7025件の事件が起きており、
   > 全刑法違反事件89万7536件のうち26.2%を占めた。
   > 詐欺事件では2兆8040億ウォン(約2044億円)、横領では8061億ウォン(約588億円)、
   > 背任では6179億ウォン(約451億円)の損害を、被害者に与えたという。
   >
   > 韓国の法廷では、うそをつく偽証や、ありもしない容疑をでっち上げて他人を告訴、
   > 告発する誣告(ぶこく)事件が、日本に比べてはるかに多い。
   > 2007年に日本では偽証罪で9人が起訴されたのに対し、韓国では1544人が起訴された。
   > 誣告罪の場合、日本では10人、韓国では2171人が起訴された。
   > 起訴された数字だけを見ると、偽証罪は日本の171倍、誣告罪は217倍に当たる。
   > しかし、日本の人口が韓国の2.5倍だということを考慮すると、実際には偽証罪が427倍、
   > 誣告罪は542倍となる。
   >
   > 韓国社会で詐欺や横領、偽証や誣告のような犯罪が多発しているのは、
   > それだけ他人をだましたり、うそをつく人、自分の任務に忠実ではない人が多い
   > ということで、これは社会的信頼という面で、韓国が後進国のレベルから抜け出せていない
   > という意味だ。
   > 先進社会とは、市民の間で社会的信頼水準が高い社会を指す。
   > まずは社会の指導層が道徳的な義務を果たすべきだが、一般の人々も規則や約束を守り、
   > 自分の職分に反する行為を自制する社会を目指していくべきだ。
   >
   >
   > http://www.chosunonline.com/news/20101011000031


   D118
   わが隣人(韓国人)は大嘘つき
   http://www.kcn.ne.jp/~ca001/D118.htm
   > かつて朝鮮人はウソつきと言うことは、日本人の常識であった。 誰もが朝鮮人を警戒した。
   > しかし、朝鮮人を警戒することが差別であるとされ、朝鮮人がウソつきであるという情報は
   > ひた隠しにされるようになった。
   >
   > 韓国の新聞、しかも、日本人向けに作成されている ホームページにさえ
   > この事実は報じられているにもかかわらず、自国民にこの事実を知らせることが
   > 使命であるはずの日本のマスコミは、この種の情報を一切報じていない。
   >
   > ---------------------------------------------------------------------------
   >
   > 「法廷での偽証」発覚すれば厳しく処罰を
   > 2008年09月17日10時42分
   > 中央日報/中央日報日本語版]
   >
   > 検察が、虚偽の証言の対処に積極的に取り組んでいる。
   >
   > ソウル中央地裁は昨年9月から今年7月末まで95人を偽証罪で正式に裁判に付託した。
   > 06年の同期間には81人が起訴されているが、これは14人(17%)増えた数字だ。
   >
   > ソウル中央地検は偽証罪を専門的に捜査するため、公判を担当する公判第1、2部に
   > 検察捜査官を2人ずつ新しく配置した。
   > 偽証関連犯罪者への検察のこうした方針は、裁判所が公判中心主義を強化したことに
   > よるものだ。
   >
   > 裁判が 「捜査記録検討」 中心から、当事者や証人の供述の比重を高める方向に変わった
   > からだ。
   > 特に今年から一般国民が陪審員として裁判に参加する国民参加裁判が施行されることに
   > より、証言の重要性は強調される傾向にある。
   >
   >
   > ◇ 処罰強化した裁判所 = 裁判所も偽証関連犯罪者を厳罰に処している。
   >
   > ソウル南部地裁の判事は
   > 「 公判中心主義に際し、偽証関連犯罪者に対しては従来なら罰金で済んでいた懸案も、
   >  逮捕または実刑を言い渡している 」
   > と雰囲気を伝えた。
   >
   > 専門家は偽証も誣告と似たレベルから処罰されるべきだという意見を示している。
   > 刑事政策研究院のパク・ミスク研究委員は
   > 「 現行の刑法は、誣告罪に対し10年以下の懲役や
   >  1500万ウォン(約150万円)以下の罰金刑を定めている 」
   > とし
   > 「 偽証も、誣告罪との公平性を踏まえて、強化する必要がある 」
   > と述べた。
   >
   > ソウル中央地検の趙正鉄(チョ・ジョンチョル)公判第1部長検事は
   > 「 偽証を供述拒否権などといった被疑者の防御権だと考える認識から、
   >  偽証関連犯罪者が増えつづける傾向にある 」
   > とし
   > 「 米国と欧州は捜査の段階でも、被疑者や参考人が嘘をつけば司法妨害罪として
   >  厳しく処罰するだけに、韓国も司法妨害罪の導入を検討すべきだ 」
   > と話している。
   >
   >
   > ---------------------------------------------------------------------------
   >
   > 記事入力 : 2009/08/19 16:49:44
   >
   > 偽証に悩まされる韓国の法廷(上)
   >
   > 収賄罪で起訴された金孝謙(キム・ヒョギョム)元冠岳区長は、
   > 今年5月に同氏にわいろを提供したA容疑者が現金の受け渡しをした事務所の構造を
   > 法廷で詳細に陳述すると、窮地に追い込まれた。
   > すると金元区長は、ソファーを片付けるなど事務所内部を完全に模様替えし、
   > 側近のB氏を証人に立てた。
   > B氏は法廷で、
   > 「 A容疑者が陳述した事務所の構造は実際とは違う 」
   > と偽証した。
   > とはいえ裁判部が現場検証したところ、事務所の構造はB氏が説明した通りだった
   > だが同裁判を担当していた公判検事がインターネットで何度も検索し、
   > 以前の事務所の写真を探し出したことで、工作だったことが発覚した。
   > 金元区長は収賄罪で有罪判決を受け、さらに偽証教唆の罪が追加された。
   > B氏は偽証罪で起訴された。
   > 民事裁判、刑事裁判ともに、法廷での偽証行為が一向に減らないため、
   > 裁判所や警察が頭を抱えている。
   > 巧妙で悪意のある偽証が司法の信用を失墜させているばかりでなく、
   > 裁判所が意欲的に試行している公判中心主義を定着させる支障となっている。
   > 検察関係者は
   > 「 証拠をでっち上げるほか、あらかじめシナリオを設定し 『予行練習』 までして
   >  法廷に立つケースが多いため、少しでも気を緩めるとだまされてしまう 」
   > と語った。
   > C氏は公務員の兄が収賄罪で起訴されると、現金を受け取ったという時間に共にいた、と
   > 法廷でうそのアリバイを証言した。
   > だが賄賂が受け渡されたレストランで現金を提供した人物の法人カードの支払い領収書と、
   > 駐車場の係員が二人を目撃したという証言を公判検事が確保したことで、C氏の偽証は
   > 暴かれた。 C氏も偽証罪で起訴された。
   >
   > チョン・ハングク記者
   > 孫振碩(ソン・ジンソク)記者
   > 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
   > < 記事、写真、画像の無断転載を禁じます。
   >   Copyright (c) 2008 The Chosun Ilbo & Chosunonline.com >
   >
   >
   > ----------------------------------------
   >
   > 記事入力 : 2009/08/19 16:49:53
   >
   > 偽証に悩まされる韓国の法廷(下)
   >
   > 大検察庁のイ・サンチョル公判訟務課長は、
   > 「 ここ2−3年の間に、公判検事が偽証事犯を別個に捜査し、正式裁判に回付するケースが
   >  1カ月に3−4件に達している。
   >  偽証事犯の摘発に気を使わなければならないため、公判検事の業務が増えている 」
   > と話した。
   > 民事裁判ではかなり前から偽証が蔓延(まんえん)しており、
   > 判事もそれに無頓着になりつつある。
   > 刑事裁判とは違い、偽証しても負担が少ないからだ。
   > あるベテラン弁護士は、「民事法廷は偽証の大会場と言っても過言ではない」 と話した。
   > このように偽証が氾濫しているのは、偽証を犯罪と見なさない社会的風土が定着している
   > からだ、という指摘が出ている。
   > 証人が事件の当事者と知人の場合、事件当事者に有利な証言をしなければ
   > 冷淡な人間だと思われてしまうというわけだ。
   > 日本では偽証罪で起訴される人が年間10人前後に過ぎない。
   > 検察と裁判所は最近、偽証罪に対して厳しく対処している。
   > 以前は罰金程度で終わっていた偽証事犯を正式な裁判に回付し、実刑判決を下すケースも
   > 増えている。
   > 検察は2004年に937人の偽証事犯を立件し472人を裁判に回付したが、
   > 昨年は1786人を立件し1251人を裁判に回付している。
   > 一方、略式起訴は409人(04年)から375人(08年)に減った。
   > 裁判所も05年に偽証罪で起訴された被告人98人に実刑判決を下したが、
   > 昨年は247人だった。
   > 7月から施行された量刑基準では、偽証罪に対して最長4年の実刑を下すことできる。
   > ソウル中央地検のミン・マンギ公判第1部長は、
   > 「 法廷での偽証が重大な犯罪だという認識を持つよう、幼いころから教育しなければならない 」
   > と主張した。
   >
   > チョン・ハングク記者
   > 孫振碩(ソン・ジンソク)記者
   > 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

 - - - - - - - - - - http://keibow001.dousetsu.com/page108.html からの再引用此処まで - -

 これで朝鮮人女性が訴える
 「 私は騙されて(脅されて無理やり) 此処に連れて来られたんだ。 」
 を信用するのは無理です。

 さらに申し上げましょう。

 仮に慰安所で
 「 私は騙されて(脅されて無理やり) 此処に連れて来られたんだ。
  帰りたいから帰る!」
 が受け入れられなくても、慰安婦は前借金を完済したり、任期を終えれば家族の下へ帰りましたか ら、 ( ※01 朝鮮人は否定するでしょうが、根拠史料のある事実です ) 帰った後で
 「看護師の募集は嘘で実態は売春婦集めだ」
 や、
 「兵站の売春宿は地獄だ」
 等と訴えれば良かったのです。

 なにせ、併合後の朝鮮半島では、新たに日本人として扱われる事となった朝鮮人の、朝鮮人による、 朝鮮人の為の統治が行われていました。

 当時の朝鮮半島に居た日本人の数は僅か90万人。

 一方で、(たとえば1942年の)朝鮮半島の人口は2553万人だったため、朝鮮半島での日本人が占め る人口の割合は僅か3.5%です。

 朝鮮人とは、こういう気質の民族です。

   3013年08月14日 韓国朝鮮
   韓国人の性格
   http://seaofjapan.biz/personality1-331 ( 魚拓 )

 日本人を格下に見る、負の思考が非常に強い朝鮮人。 そんな朝鮮人が、「 看護師に成れると言わ れて応募したのに売春婦にされた」 なんて同胞の慟哭を聞いて、大人しくしているだろうか。
 それこそ日本人は、朝鮮人から襲われることがないように隔離された空間で暮らしていない限り、日 本人の安全は保障されません。
 しかし、現実に日本人は、朝鮮人のいる空間で武装もせずに暮らしていて、朝鮮半島の人口の96. 5%を占める朝鮮人から、闇討ちに遭うことも、自宅 が放火されることもありませんでした。 それどこ ろか、朝鮮語で甘言を用いて被害者を騙した朝鮮人業者も命を落とさずに済みました。

 そして、慰安所と云うシステムはその後も何事もなく継続して運営されたのです。

 幾ら知能が低くても、もう答えは判ったと思います。

   訴えは嘘だった。

 あるいは

   本人の与り知らないところで親や夫に売られていたが、
   儒教精神の強い民族なので泣き寝入りするしかなかった。

 このふたつだけです。

 このふたつ以外のアンサーはありません。





 ※01

 前借金を完済したり、任期を終えた慰安婦が故郷に帰っていた根拠史料

   葦書房 「従軍慰安所日記」関連報道記事 + 陸海軍人給与一覧
   http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/iansyo-nikki.htm
   > 慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落
   >
   > 毎日新聞 2013年08月07日 東京朝刊
   >
   > 【ソウル澤田克己】
   > ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、日記を残した朝鮮人男性は、
   > 1942年夏から44年末までの東南アジア滞在中に慰安所3カ所の帳場で働いた。
   > 日記には、慰安婦の管理や、軍や役所との折衝といった日常生活が淡々とつづられている。
   >
   > 慰安所が旧日本軍の管理下にあったことは、軍の文書でも確認されている。
   > 日記にも
   > 「 慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた 」(43年1月1日)
   > や、連隊本部などから定期的に避妊具を受け取ったりしたという記述が、頻繁に見られる。
   >
   > 軍から移転命令があり
   > 「慰安婦一同は絶対反対」 (同3月10日)
   > したが、結局は
   > 「 司令部命令に勝てず移すことになった」(同14日)
   > などの記述から、軍との密接な関係をうかがわせる。
   >
   > 日記の著者は、ビルマ西部の要衝アキャブ(現シットウェ)からラングーン(現ヤンゴン)へ
   > 移った。
   > その際、軍から宿舎の提供を受け
   > 「 火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って 」(同年1月21日)
   > もいる。
   >
   > 日記を発見した安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授は
   > 「 軍属に準じる扱いを受けていたようだ 」
   > と話す。
   >
   > 日記からは、前線であるビルマと後方地域のシンガポールとの違いもうかがえる。
   > シンガポールでの日記には、慰安婦の「廃業」や「帰国」に関する記述が多く出てくるが、
   > ビルマではそうした記述は見られない。
   >
   > 著者はシンガポール在住時の44年10月25日、元慰安婦が結婚したので
   > 「 知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われた 」
   > という。
   >
   > ビルマでは既に日本軍が敗走を重ねていた時期で、連合軍の尋問調書などによると、
   > 多くの慰安婦が巻き添えで犠牲になっていた。
   >
   > 一方、日本軍は、定期的に慰安婦を検診し、性病にかかった場合は入院させた。
   > 日記にも
   > 「 検査不合格者が6人も入院した 」(44年5月12日)
   > などという記述が多く見られる。
   > 「 妊娠7カ月なので、休業届を提出した 」(同7月4日)
   > というケースや、慰安婦の出産(同9月5日)もあった。
   >
   > 日記には、朝鮮における慰安婦募集に関する記述はない。
   > 日韓両国では朝鮮半島で慰安婦を集めるときに強制連行があったかどうかに
   > 強い関心が持たれているだけに、安名誉教授は
   > 「 この時期の日記が欠落しているのは残念だ 」
   > と話す。
   >
   > ただ、米外交問題評議会のジェイムス・リンゼイ上級副会長は毎日新聞に対し、
   > 米国で慰安婦問題への批判が強い理由について
   > 「 女性への性暴力が大きな政治的関心を呼ぶようになった世界的な流れが背景にある 」
   > と指摘。
   > 強制連行の有無は大きな論点ではなく、慰安婦という制度そのものへの向き合い方が
   > 問題視されているとの認識を示した。
   >
   > ==============
   >
   > ◆ 慰安所従業員の日記 抜粋
   >
   > ◇ 1943年
   >
   > 1月 1日 ビルマ国アキャブ市(現シットウェ)の慰安所、勘八倶楽部(くらぶ)で起きて、
   >       宮城(皇居)に向かって遥拝(ようはい)した。
   >       家内の弟と○桓君は、
   >       < 慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた>
   >
   > 1月 2日 昨日は元日で休業し、今日から慰安業を始める。
   >
   > 1月 9日 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、
   >       その他16人はみんな合格だった。
   >
   > 1月12日 連隊本部へ行き、慰安婦の収入報告書を提出した。
   >
   > 1月13日 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。
   >
   > 1月16日 午後6時ごろ連隊本部事務室で、数日前に頼んだラングーン(現ヤンゴン)への
   >       出張証明書をもらった。
   >
   > 1月18日 同行の友となった中村上等兵と兵站(へいたん)へ行って朝飯を食べ、
   >       某少尉の案内で彼の部隊へ行って寝食をすることにする。
   >       某少尉も同行してラングーンまで行くという。
   >
   > 1月21日 ビルマ国タンガップの<火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って、
   >       午前11時にタンガップを出発した。>
   >
   > 1月25日 横浜正金銀行ラングーン支店で3万2,000円を貯金した。
   >
   > 1月29日 朝鮮から一緒に来た野沢氏に会った。
   >       マンダレーの方で慰安所をしていたが、今は、部隊の移動に従って
   >       プロメーに移り、営業しているという。
   >
   > 3月10日 <55師団から、マンダレーに近いイェウーに移転しろという命令が
   >       (ビルマ国ペグー市の)金川氏の慰安所にあった。
   >       慰安婦一同は絶対反対ということだった。>
   >
   > 3月14日 <金川氏は司令部命令に勝てず、慰安所をイェウーへ移すことになった。>
   >
   > 3月16日 金川氏は、師団連絡所からイェウー方面への移動を
   >       当分の間、中止すると言われた。
   >
   > 4月 5日 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。
   >       ○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。
   >
   > 6月 2日 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。
   >       正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。
   >
   > 6月20日 光山氏は、今回の慰安婦再編で、夫人を連れて帰国するそうだ。
   >
   > 6月25日 大石氏も今般、慰安婦募集のため帰国するという。
   >
   > 7月10日 <昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した日だ。
   >       もう1年になった。>
   >
   > 7月16日 村山氏の慰安所の慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、
   >       今日、鈴木病院に入院したが流産だった。
   >
   > 7月17日 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、
   >       今日、車で帰ってきた。
   >
   > 7月19日 <インセインにいる高部隊すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が、
   >       兵站管理に委譲された。>
   >
   > 7月20日 村山氏経営の慰安所、一富士楼が兵站管理となり、村山氏と新井氏は
   >       兵站司令部に行ってきた。
   >
   > 7月26日 インセインの慰安所2カ所が兵站管理になった後、慰安婦の検査も
   >       兵站の軍医がすることになった。
   >
   > 7月29日 <村山氏の慰安所の慰安婦だったが、夫婦生活をするために
   >       (慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として
   >       金泉館に戻ることになったという。>
   >
   > 7月30日 村山氏は8月中に帰郷する考えなのだが、
   >       もち屋と慰安所を私に引き受けろという。 承諾した。
   >
   > 8月 8日 金川氏も慰安所を他人に譲渡して帰国するという。
   >
   > 8月10日 ラングーンの翠香園で慰安所組合会議に出席した。
   >       組合費として経営者は30円、慰安婦は1人2円で計62円を払った。
   >
   > 8月11日 近日は慰安所に来る客が少なく収入もとても減少した。
   >
   > 8月12日 兵站司令部に行って営業日報を提出し、サック400個を受け取った。
   >
   > 8月13日 <鉄道部隊で映画があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。>
   >
   > 8月19日 兵站司令部で、サックを600個受け取った。
   >
   > 8月24日 村山氏が、一富士楼慰安所を9月まで自分が経営して
   >       10月初めに引き渡すというので、それではだめだと言った。
   >
   > 8月26日 兵站司令部で5日間の日報を提出し、サック800個を受け取った。
   >
   > 9月 9日 ペグーの金川氏も今日、慰安所を他人に譲渡する契約を締結した。
   >
   > (この後、筆者はシンガポールへ移動する)
   >
   > 12月 3日 ラングーンで慰安所を経営していた金田氏は
   >       去る7月初めに慰安婦を募集するため朝鮮に行った。
   >       そして今回、慰安婦25人を連れてビルマへ行く途中でシンガポールに到着した。
   >
   >
   > ◇ 1944年
   >
   > 2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。
   >
   > 3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。
   >
   > 3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、
   >       内地帰還旅行証明願を提出させた。
   >
   > 4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。
   >       共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。
   >
   > 4月 6日 <生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、
   >       第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。
   >       お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。>
   >
   > 4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての
   >       内地帰還旅行証明書を受け取った。
   >
   > 4月13日 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。
   >       南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。
   >
   > 4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、
   >       今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。
   >
   > 4月15日 慰安婦募集のため朝鮮に帰った大洋倶楽部の主人は
   >       来る7月に京城(現ソウル)から出発する予定だと西原君に電報が来た。
   >
   > 4月18日 スマトラ・パレンバンからシンガポールに来て、
   >       菊水倶楽部が慰安婦として抱え入れることになった金○順の就業許可のため
   >       特別市警務部保安課に行ってきた。
   >
   > 4月30日 今日も軍人の外出が多く、昨日の最高収入をはるかに超過し、
   >       2,590円余りの最高記録だった。
   >
   > 5月 9日 金○順と崔○玉の稼業婦としての就業が許可された。
   >
   > 5月12日 <今日、検査不合格者が6人も入院した。>
   >
   > 5月26日 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が
   >       今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。
   >
   > 5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。
   >
   > 5月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。
   >
   > 6月 2日 今日の検査で2人が不合格となって入院したので、
   >       今までの入院者まで入れて計5人が入院中だ。
   >
   > 6月 5日 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。
   >
   > 6月 9日 今日の検査結果は、入院中の2人が退院し、2人はそのまま入院。
   >       店にいた女たちは全員合格した。
   >       今月から女子はたばこ配給がないのだが、稼業婦に対しては接待用として
   >       特別に毎日10本の配給がある。
   >
   > 6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと
   >       2回も電報が来た。
   >
   > 6月17日 新しく入った宋○玉のことで特別市保安課営業係、坂口氏のところに行ってきた。
   >       稼業婦特配米を受け取った。
   >
   > 6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。
   >
   > 7月 4日 <慰安稼業婦、許○祥(○江)は妊娠7カ月なので、休業届を提出した。>
   >
   > 7月27日 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。
   >
   > 8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したという
   >       はがきが届いた。
   >
   > 9月 5日 <倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、
   >       中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。>
   >
   > 9月 6日 保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った。
   >
   > 9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って
   >       金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。
   >
   > 10月14日 病弱のため帰郷を決心した。
   >
   > 10月25日 スマトラのパレンバンから
   >       シンガポールに来た宮本と<第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が
   >       今般結婚した。
   >       今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。>
   >
   > 10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。
   >
   > 10月27日 <慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、
   >       中央郵便局から送った。>
   >
   > 11月 9日 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。
   >
   > 11月15日 稼業婦、金○愛は今日、内地に帰還する船に乗った。
   >
   > 11月16日 特別市保安課営業係に行き、帰国した金○愛の酌婦認可書を納付した。
   >
   > 11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。
   >       南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。
   >
   > 11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。
   >
   > 12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1,000円を送金してあげた。
   >
   > 12月16日 横浜正金銀行に行き、許可された3万9,000円を送金し、
   >       検疫所に行って検疫証明書をもらった。
   >       13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、
   >       手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。
   >
   > (注) 日記は、慰安婦のことを「稼業婦」「酌婦」などとも記している。
   >     慰安婦らの名前の一部を伏せ字とした。
   >     「横浜正金銀行」 は、1880年開業の外国為替取扱銀行。
   >     日記では単に「正金銀行」とも書かれている。
   >     東京銀行の前身で、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。
   >     <>は記事と関連する部分。

 ↓移動の自由がなかった筈なのに、内地へ帰っています↓

    3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、
          内地帰還旅行証明願を提出させた。

    4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。
         共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。

    4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての
          内地帰還旅行証明書を受け取った。

    8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したという
          はがきが届いた。

    9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って
          金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。

   11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。
          南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。


 ↓ 廃業の自由は無かった筈なのに廃業 ↓

   3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。

   9月 6日 保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った。


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