伊藤智章
2016年8月5日00時48分
■撃墜B29の米軍捕虜に遭遇した大島静雄さん(91)=愛知県弥富市=
昭和20(1945)年の6月、昼ごろだった。当時から住む、この家(愛知県弥富市)の近くの田んぼに、撃墜された米爆撃機B29の搭乗員が1人、パラシュートでふわふわと落ちてきた。
当時、村に残っていたのは年寄りと女だけ。くわや鎌を持って30人ぐらい駆けつけた。在郷軍人の指導で敵を突く訓練をしていたから、竹槍(たけやり)も持っていったかもしれん。当時、師範学校の生徒で数日後に出征予定だった、わしもその場にいた。初めてのことでこっちも怖い。
「どうするだ」。声が上がった。その時、米兵は仰向けに横たわり、目をぱちくりさせていた。短銃も持っていただろうが、抵抗しなかった。
すると女の人が1人、泣いて叫んだんです。「やめたってえ」「うちのも兵隊にいっとるで。こんなふうにやられるかと思うと可哀想だ」
みんな思わず一歩引いたな。そのうち警察か憲兵が来て捕虜を連れていった。わしも内心、ほっとした。
その午後、勤労動員の軍需工場へ向かう途中、名古屋駅前で、軍用トラックの荷台に乗せられた米軍捕虜4、5人をまた見た。撃墜された米軍機の連中だ。
連日の空襲で名古屋も焼け野原だった。通行人も気が立っている。「こいつらがわしらを殺しに来たのか」。荷台にはいずり上がり、殴ろうとした。憲兵が「やめてください」。必死で制止していた。
わしも名古屋の友人宅で空襲に…
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